隠居
「さて……と」
痙攣している魔神の前に立った魔王様(♀)は言った。
「知能はトカゲ並でもわらわの跡継ぎにはなるじゃろう?」
「……はい」
間違いないことは間違いない。
先ほど彌洞が召喚した無数の星は、その一つ一つが大地を割ってマグマを噴出させるほどの威力があった。それを、あれほどの数、同時に召喚せしめたのだ。とてもじゃないが、普通の生命体が成せる所業ではない。
「しかし魔王様(♀)。今一度考え直してはもらえませんか」
しかし、この幼女はそれをただの一喝で止めてしまった。その現実を目の当たりにした後では、あのような大イリュージョンですら子供の手品に思えてしまう。
「先代魔王様ですら先ほどのような芸当をこなせたかといえば、甚だ疑問です。それほど強力な魔力を持ちながら、隠居などと申されては、もったいないお化けが出てきます!!」
「心配するな。お化けは怖くない」
「っていうかなんで彌洞が怖くなくてお化けが怖くなくて、人間が怖いのですか!!」
「怖いもんは怖いのじゃ!!」
「理由が分かりませぬ!!」
「あれじゃ!! 『蓼食う虫なんて大っ嫌い』ってヤツじゃ!!」
「『蓼食う虫も好き好き』です!!」
私は勢いそのままに、穴が開きそうなほど鋭く魔神を指差した。
「彼奴に圧勝できる魔王様(♀)ですよ!? 人間なんて彼奴に比べたらもやしみたいなものです!!」
「わらわはチョコレートは好きじゃ。おいしいからな!」
「へ?」
「多分、チョコレートであればどんぶり10杯でも食えるじゃろう」
「何の話……」
「しかしもやしは嫌いじゃ!!」
「なんですってーーーーーーー!!!!」
「あんなものはたとえ1ひょろろでも食えん!!」
「なんですか、1ひょろろって……」
「もやしは白い棒がいっぱい重なってご飯に出てくるじゃろうが!」
「はぁ、まぁ白い棒といえば棒ですね」
「あれ1本で、1ひょろろじゃ」
「魔王様(♀)が作った数の単位ですか!!」
「わかりやすかろう? もやしはひょろろとしているからな!」
「は、はい! わかりました!! では明日までに全魔族で統一いたします!」
「よい。わらわは隠居するのじゃ」
「だから、なぜですかぁぁ!」
「よいか召使い。チョコレートが食えても、もやしが食えるとは限らんのじゃ。 強度が強い弱いの問題ではない」
「ひとみしりはともかく、好き嫌いせずにもやしも食べてください!!」
「おいしくないのじゃ!!」
「栄養があるんです!!!」
「もやしで栄養を取らんともお菓子でとればよいではないか!!」
「お菓子ではもやしの栄養は取れませぬ!!」
「むぅ……ああ言えばこう言いおって……」
魔王様(♀)は「とにかく」と仕切りなおした。
「とにかくわらわは隠居する。よろしく便宜を払え」
「……」
何も言えない。彼女は確かに、代替となるに不足のない存在までを用意して言い放ったのだ。
この瞬間、魔王様の隠居は決まってしまった。
新魔王は彌洞ということになった。もともと本人が望んでいたことだし、魔王様(♀)に瞬殺されたとはいえ、魔神である。魔族の中で彼に匹敵する実力者はいないから、誰もが納得せざるを得ない。
引継ぎの作業は私がすべてやらされたわけだが、その数ヶ月は、意外に魔王様(♀)もおとなしくされていた。
季節はすでに初秋……そして、旅立ちの時、である。
「魔王様(♀)はこれからどうされるのですか?」
「これ、召使い。わらわはもう魔王ではないぞ」
「え、違います。貴女様は魔王様(♀)という名前なんです」
「そんな名前! よく役所が許したな!」
「そりゃ先代魔王様のご息女ですからね。ごり押しですよ」
魔王の居城から離れるほうへとことこと歩いていく魔王様(♀)。歩くたびにサンダルが「きゅっきゅ」と鳴ってスカートが揺れる。
私は、そのあとを追う。隠居とはいえ私は彼女の教育係だ。おしっこもまともにできないというのに、一人になんてとてもできない。
案の定、魔王様(♀)は何もないところで転んで、ひとしきり泣いた後に、わたしの手を求めてきた。
手を繋いで歩いてやる。彼女は、それでやっと機嫌を取り戻すのだ。
「で、先ほどの話ですが、これからどうなされるのですか?」
「うむ。JKにでもなろうかと思う」
「は!?」
「JKじゃ」
「魔王様(♀)は、まだJKにはなれませぬ!!」
「なぜじゃ!!」
「そもそもJKってなんだか知ってますか!?」
ちなみにJKとは女子高生の略だ。
「ひらひらドレスを着て、キャハハハとか笑う姫のことじゃろ?」
「微妙に違います!」
「違ってもよい! わらわなりのJKになればよいのじゃ!!」
「魔王様(♀)は、まだJKにはなれませぬ」
「なぜ!!!」
「三歳だからです!」
「三歳とJKと何の関係があるのじゃ!」
「"昨日生まれた老兵"くらい矛盾してます!!」
「お主の話はどうも小難しくていかん」
「とにかく、JKを名乗りたいなら中学校を卒業してからにしてください」
「四歳になったらなれるか?」
「十五歳ですね」
「百年後ではないか!!!」
「どんな計算ですかぁぁ!!!!」
繁華街を抜ける際はだっこ。眠くなったらおんぶを行い、とうとう二人は魔族の街を後にしてしまった。
「街を出ちゃいますが、よいのですか?」
「うむ、JKになれぬ街などに興味はない」
「世界中どこでもそうだと思います」
「そう言うと思ったぞ。だからJKはやめた」
「では……?」
貴女はいったいなにをしたいのだ……わたしはそういう顔をした。
「そうさな……」
魔王様(♀)、考えるそぶり。そして、
「JC(中学生)になろう」
「無理ですーーーーー!!!!!!!」
「JCも無理なのか!!!」
「十二歳まで待ってください!!」
「百年後ではないか!!!」
「いっぱいになったら何でも百にしないでください!!」
「むぅ……」
また思案を始める幼女。
「わかった。ではこうしよう」
彼女ははるか彼方を指差した。
「人間界には、図鑑にあった世界一巨大な木があろう?」
「メタセコイアですか?」
「それじゃ。まずはあそこを目指そう」
「それはまた、なぜ?」
「雪を降らせてクリスマスツリーの飾り付けをする」
「えええええ!?」
「わらわはクリスマスが大好きだからな!」
「ま、まぁ、たしかに魔王の地位ではできないことかもしれませんが……」
「とにかく行くぞ。まずは人間界に案内せい」
「危険ですぞ!!」
「ひとみしりを直されるよりは、よっぽど安全じゃ!」
「んなわけありますか!!」
「魔界にいたら勇者と会わなければならんのじゃろ?」
「……」
「わらわにとってはそのほうがよほど危険じゃ」
「……」
「ともかく連れてけ」
「は、はい……」
釈然としないが、もう王城には戻れない事は間違いないのだ。とりあえず彼女の背中を追うことにする。