魔界の王
音は、だいぶ遠いのに確実に激しさを増していくのがわかる。
「パパに勝った連中なら、彌洞には楽勝じゃろうな」
ツリーを背に、魔王様(♀)が呟く。私は首を傾けた。
「どうでしょうね」
「ダメか?」
「いや、私は彼奴らがどうなろうが知ったことではありませんが……」
苦戦は必至だろうと思う。
「先代魔王様を倒した時、彼奴はもう後二人、強力な戦力を従えておりましたからね」
「四人が二人になると弱くなるのか」
「いやいや、二人の強さは変わらないですけど、単純に四人で戦ってたものが二人になれば、戦力は半減します」
「一足す一は二だから問題ないではないか」
「いや、その理屈はよくわかりませんし、魔王様(♀)はたぶん、誰かとつるんで戦う必要がないくらい強いからわからないのかもしれませんが、普通は人数が多い方が強いのです」
「そういうものか」
とにかく、彌洞に苦戦した先代魔王様に四人で苦戦した人間たちだ。
「……単純計算すれば彼奴らは勝てません」
「つまり、一足す一は二ということか」
「その計算は何を表してるんですかっ!!!」
というか、計算といったら一足す一しか知らないのだろう。
「しかたない」
魔王様(♀)は歩き出す。
「手伝ってやるか」
「だめですーー!!」
「ん?」
「魔族同士が争うなどもってのほかです!」
「このままでは奴らに勝ち目はないのじゃろう?」
「彼奴らは魔族の敵ですぞ!」
「魔族の敵だとしても、わらわの敵ではない」
「そもそも勇者たちと戦いたくないから魔王様(♀)は隠居したんですよね? 彌洞がそれを肩代わりしてくれるのですから、これでいいのです!」
所詮水と油なのだ。混ざり合うことはない。思えば魔王様(♀)が一番望んだ形ではないか。
しかし、魔王様(♀)は相変わらずあっけらかんと、
「わらわはあの女と約束したのじゃ」
「約束?」
「おぬしも聞いておったじゃろが。わらわはあの女とまた遊ぶのじゃ」
「それは約束なんですかーー!?」
「当然じゃ。今死なれたらその約束が果たせんじゃないか」
「このまま放っておいたらいつか魔王様(♀)に仇なしますぞ!」
「わらわの名など、どのようにでも呼べばよい」
「"あだなします"は"あだ名つけます"という意味ではございませぬ!!」
「とにかく行くぞ。『美人で美尻でグラマーキューティーなファリスちゃん』のところへ」
「なんですかそれーー!!」
「ヤツの本名だそうじゃ」
「だまされてますーーーーーーー!!!!!!」
しかし駆け出した魔王様(♀)は止まらない。わたしは追うしかなかった。
戦場は、すでに青春冒険劇のクライマックスのような状況と化していた。
「口ほどにもないな。勇者輝彦よ」
「くぅ……!!」
人間は明らかに劣勢だ。聖騎士とやらのほとんどが斃され、中心にいる輝彦とファリス、いずれも傷ついている。
「四人の力が集まればてめえなんかなんでもねぇのに……!」
聖騎士マーモスと大賢者ダムンのことを言っているのだろう。
「クックック、負け惜しみを。貴様らなら勇者秋月の方がまだ手ごたえがあったわ」
巨大な龍は心底楽しそうに、目の前に散らばっている小さな生命をもてあそんでいる。
「やべぇな……マジでマーモスとダムンがいないのは痛ぇ……」
「あぁ英雄たち!!……なんで死んでしまったの!?」
嘆くファリス。しかし隣で勇者は苦笑いを浮かべ、
「マーモスは死んでねえし、ダムンはぶっちゃけ、お前のせいだけどな……」
「ええ!?」
「ダムンが当たって死んだタイの天ぷら作ったの、お前だろ」
「あれは醤油と重油を間違っただけよ!!」
「どうやったら間違えるんだよ!!!」
「わたいは漢字っていうのに慣れてなくて読めなかったのよーーー!!」
「ひらがなも振ってあっただろ!!」
「しょーゆとじゅーゆ、似すぎてて間違えるわよ!!」
「てか俺、よく今も生きてるな……」
それもそうだが、なぜキッチンに重油が置いてあるのだ……。
「フン……別れの言葉はすんだか?」
あざ笑う彌洞。というか、今のやりとりが別れの言葉では悲しすぎるだろう。
「くっ……!!」
青春モードに戻った輝彦は、巨大な絶望を睨みつけ、魂の乗った言葉を吐き出した。
「もし俺らが倒されたとしても、第二第三の勇者は必ず現れる!! 今のうちにせいぜい笑っておけよ!!」
一層光を増す聖剣、リンギットフレア。まだ戦えるのか。ボロボロになっても飛び込んでいく姿は、確かに勇者らしい。
「いくぜファリス!!」
「わたい、鳥のRPG終わらせたかったな……」
お前の断末魔はやはりそれか。……わたしが言葉にしてツッコもうかと迷うところまで接近した時、魔王様(♀)はおもむろに進み出ると、まさに飛び出さんとしている輝彦の首根っこ……いや、正確には首根っこまで届かないので、勇者のズボンの裾を片手でむんずと掴み、言った。
「ちょっとお主は引っ込んでおれ」
「な!?」
飛び出せないらしい。片手でつかまれているだけなのに、輝彦はまるで大木にくくりつけられたように動きを止められてしまっている。
「いい加減わらわに気付けというに……」
「ぬっ!?」
「あ!!」
彌洞が、ファリスが、その一メートルにも満たない勇姿を見た。
「貴様は!!」
「彌洞。魔王就任後、早速人間界に手を伸ばすとは、見上げた働きじゃ」
「なぜ貴様がここに!!?」
「じゃが、わらわは今この者らと遊んでおる。邪魔をしないでもらおうか」
「貴様に指図されるいわれはない!!」
「指図ではない」
「なんだと!? ではなんだ!!」
「指図じゃ」
「指図ではないか!!!!!」
「ともかく」
魔王様(♀)は言い払った。
「一度魔界に帰りゃ」
「貴様の指図は受けぬわ!!」
「いや、もともと、勇者を倒してまいれというのはわらわの指図だったはずじゃな?」
「……」
「指図を受けて人間界まで来ておるではないか」
「そ……それは……」
しどろもどろになる彌洞。しかし喚き散らした。
「貴様に指示をされなくてもやったことだ! これはもはや朕の自由意志である!!」
「つまり、わらわが言い聞かせたことを、自分の意思と勘違いしておるわけじゃな?」
「ち……違……!!」
「では人間を滅ぼせ」
「ぬぅ!?」
「そう言えば、またお主は自分の意思と勘違いして、わらわの指図に従い、実行するわけだな?」
「ぬぅぅ!! 貴様の指図などは受けぬ!! 人間など滅ぼさぬわ!!」
「ふむ」
魔王様(♀)がうなずき、首をかしげる。
「はて……? お主はもともと、魔界を手に入れ、人間界も手に入れると申しておったはず」
「む……?」
「人間を滅ぼさずに人間界は手に入らんことは、パパが証明しておるが、知っておるか?」
「……」
彌胴は黙った。というか実際、それを知らずに人間界を掌握すると豪語するなど夢想家もはなはだしい。当然この魔神もその覚悟だっただろう。
龍の表情を是と受け取った魔王様(♀)は、静かに言い放った。
「お主は人間界を手に入れるための条件を、わらわの指図であるとした瞬間に引っ込めた。これはつまり、自分の意思をわらわの指図と混同したからじゃな?」
「な……」
「その辺、自身でもうやむやなトカゲ殿よ、どうする? "勇者を倒せ"は間違いなくわらわの指図じゃが、自分の意思と勘違いして、勇者を倒すか?」
「……」
「……」
彌洞。ついでに私。……開いた口が塞がらない。




