積雪と雪解けと、積雪
大作業が始まった。
聖女ファリスの威令はすさまじく、街から数多くの民草が集まってくる。手には人形やら、光を反射する石の玉やら、数多くの装飾品が納められ、長いはしごまでが用意されて着々と準備が進められてゆく。
季節はずれも季節はずれ、まだ夏の日差しも忘れぬ秋口に、降りしきる雪を彩るクリスマス飾りに、皆、キツネに頬をつままれたような顔をしているが、それでもファリスの指示の元、早くも枝の先に色とりどりの光が灯りだした。
魔王様(♀)と私は、その姿を遠巻きに眺めていた。特に私は、人間たちの順応性と協調性の高さには半ば感心して見入っている。
人間たちのほとんどは魔族よりも身体能力に劣っているはずなのに、戦争を戦い抜き、勝利を収めてしまった奇跡の一端は、あるいは人間たちのこういう部分が担ったのかもしれない。
魔族たちにはない、大した手際のよさであった。
もっとも魔王様(♀)はそういうことを感じながら、クリスマスツリーが出来上がっていく様を見ているわけではなかったらしい。ふと、か細い声を上げる。
「わらわも飾り付けしたい……」
「ですよね」
そう言うと思った。手近な者にその旨を伝えると
「だめだめ、子供じゃ危ないよ」
などと突っぱねられたそのすぐ後に、男は聖女にぶっとばされ、
「したいよね」
と、星の形をした装飾品を渡してくれた。魔王様(♀)は小さくなってそっぽを向いていたが、やがて小さな手を伸ばして、それを受け取る。
「はしごは登れるかな?」
「登れる……」
「じゃあわたいと一緒に行こうね」
「……うん」
「魔王様(♀)!?」
驚いた。あのひとみしりが私から離れ、ファリスについていくではないか。
つい上げた声に振り返る魔王様(♀)に、「私は?」と聞けば、
「よい。そこで待っておれ」
とか言っておられる。すごい。あの方が物につられたとはいえ、ファリスを信用した!
遠ざかる後姿に半ば感動する私。ほんの少しの寂しさと、ほんの少し、「だまし討ちではないか?」という疑いと……。
しかし、ファリスのほうもこれほど多くの民草を呼んでしまったのだ。万が一だまし討ちを行おうとして魔王様(♀)が先ほどのように暴走しようものなら、大惨事になることくらいは心得ているだろう。
魔王様(♀)が加わったツリー作りはますます活気を増している。
しかし問題もあった。
……暇すぎる……。
見ている私は何もすることがない。
魔王様(♀)なんて今ではすっかりファリスには心を開いて、笑顔さえ見せ始めている。
なにせ、ひとみしりというもののほぼすべて、根拠などはない。相手が優しいとわかれば警戒心など急降下するのが幼児のひとみしりだ。もちろん最終的には私の元に帰ってくるのだろうが。
……多分帰ってくるのだろうが……
……帰ってくると思うのだが……。
「ま、たまにはいいのかもな」
そこへ、もう一人の暇人が訪れた。ファリスの導線に組み込まれていない勇者輝彦である。
私の隣に身をおいて、呟くようにいった。
「ここは普段、退屈の巣だからな。秋口に雪。おまけにクリスマスの飾りつけってことになって、思ったより皆楽しそうにしてやがる」
「そのようだな」
「勝手なもんだよ。お前ら魔族と争っていた時は、あんなに必死に平和を求めてたのに、終わって舌の根も乾かないうちに、平和すぎて生活に張りがない、ときたもんだ」
「貴様も大概だがな」
「あ?」
「女にかまけて修行を怠っているようだ」
でなければ、先ほどの猛攻も、もう少しマシな対応ができたのではないだろうか。
男はその辺を素直に認めた。
「そうな。魔王が滅んでから何の力も必要なくなっちまったしな。おまけにファリスのケツがうまいことうまいこと」
「やめんか」
「下ネタは嫌いかよ」
「先代魔王様を屠った貴様が堕落してるとこを見せられたら虫唾が走るわ」
「いやいや、みんな無責任すぎんだよ」
眉をひそめて輝彦がため息をつく。
「ユウシャってのは損ばっかりなんだぜ? 何度も死ぬ思いしてようやく偉業を成し遂げたと思ったら、その後一生"勇者"って称号がついて回る。民草の前じゃ、おちおち屁もコケねえアリサマだ」
「ほぅ」
「イメージだけで人間一人の一生を拘束すんなっての。今の平和は俺と三人の仲間で成り立ってんだ。いい加減もうちょっと自由にさせてほしいよ」
「そういうわけにも行くまいよ。貴様は相変わらず魔界では一番の賞金首だ」
「へいへい、英雄はつらいよ、ホント」
輝彦はそこまで言い、「だからよ」と語調を変えた。
「たまにはいいのかもな。魔族と人間の雪解けイベントってのも」
メタセコイアのふもとはなんだか話が盛り上がってしまって、完成したら集落の子供達も呼んで盛大な祭りにするらしい。
「雪解けか……」
私は思わず鼻を鳴らしてしまう。雪は時間を追うごとに深さを増してるではないか。
「雪は積もる一方だがな」
「違いねぇ」
思えば、魔王様(♀)が生み出した、人間たちとの不思議な交流であった。
空が暮れた。
雪はすでにやみ、魔力で無理やり集めていた水蒸気の塊は霧散して、先ほどが嘘のような満天の夜空が当たりに広がっている。
大雪原にポツリと立つ巨木、メタセコイアは白いファーを纏ったようになり、自ら光を放つ魔晶石が、七色にその白を照らしている。赤い木の実や光沢を帯びた星の装飾が光を反射して、きらきらと輝く巨木は幻想的で美しい。
集落の民草もまさか神木であるメタセコイアにこのような装飾を施したことはないのだろう。そのあまりの壮大さに、皆、言葉を失ったまま、斜め上を見上げている。
その中で一人、「キレィーー!」を連発しているのが魔王様(♀)だ。
確かにこのような色味は魔界にはない。自然に一工夫するだけでここまで美しいものができてしまう人間界に、先代魔王様の食指が伸びたのもうなずける。
やがて「はじめよう」という言葉が聞こえてきて、雪景色はさらに華やかなものになっていった。
雪原では子供達が見慣れぬ雪にはしゃぎ、やがて魔王様(♀)もその塊に加わって右へ左へと駆け回りはじめた。
……実に平穏な風景だ。私自身は人間どもと仲良くしたいとは思わないが、隠居した魔王様(♀)は、これこのまま人間に溶け込むのもありなんじゃないか。
一瞬、そんなことを思ってしまう。しかし、本来はそうであってはならない。やはり魔王様(♀)は魔王たる地位に着き、我々を導く原動力であってほしい。
悶々と私が葛藤する矢先、異変は起きた。祭りの中心へ駆け込んでくる者がある。
「クリスタルゲイトより魔族の出現を確認! 中には巨大な龍が含まれており、かなりの勢力だと思われます!!」
一気に騒然となる場の空気。輝彦はこちらを一瞥して「そういうことか」と呟いた。
「油断させておいて一挙攻勢とはな……」
「違う。我々とは関係のない諸隊だ」
「言い逃れかよ」
「ではない」
「フン……、ほざいてろ」
剣の鞘に手をやって慌しく準備を始める輝彦。それに伴い、非難のために戦えぬ者を誘導する者、戦うために武装を指示する者と分かれていく。
先ほども感心したが、その手際のよさはさすがに魔族との戦いの最前線に身を置いていた者たちだと思える。みるみるうちに軍容を整えて南進を始めたようだ。
しかしその中に輝彦は加わらないらしい。我々を見て、「さて……どうしたものかな」などと呟いている。
「お前らと決着をつけないといけないのかな」
確かに、南からここに向かう勢力があるとして、迎撃に向かうメタセコイア聖騎士団の背中を魔王様(♀)が脅かすとしたら、それは到底看過できないものであろう。
輝彦の隣にはいつの間にかファリスの姿。その姿に、魔王様(♀)は言った。
「今、魔界から現れた者どもはわらわとは関係ない」
「……」
「報告に龍がおったのなら、恐らくその龍は彌洞。わらわのかわりに魔王となった魔界の神じゃ」
「……」
ファリスの顔はそれでもさえない。
「信じてあげたいけどさ……」
という口ぶりには、所詮人間とは違う魔族という種への信用の限界を匂わせた。
しかし、魔王様(♀)には、そんな行間など伝わらない。あっけらかんと言い放った。
「信じるがいい。もし彌洞が現れたのなら、正式団などという雑兵では手に負えんぞ」
「魔王様(♀)。正式団ではなく聖騎士団でございます」
「そう、それ」
「強いのか? その彌洞ってのは」
と、輝彦。
魔王様(♀)は途端に顔をそらして下を向いてしまうが、代わりに私が答えた。
「先代魔王様も苦戦した伝説の魔神だ。聖騎士団とやらに貴様らと同等の者が混じっているのならともかく、そうでなければ全滅は免れんぞ」
「へっ」
強がってはいるが、輝彦の全身の筋肉が緊張していくのが見える。
飛び出していきたくてたまらない。しかし、我々も無視できない……概ねそんなところだろう。
が、魔王様(♀)は疑われていることなど知らない。再びファリスのほうを向いた。
「ほれ、早く行ってこい。そして早く帰ってきて……」
ちろりと、聖女の表情を覗う。少し不安そうに、でもはっきりと彼女は言った。
「また、遊んでほしい……」
ファリスは、それでうっすらと微笑む。
「わかった。わたいは信じるわ。輝彦はどうするの?」
「えー?」
「わたい一人に向かわせて、わたいが見るも無残な目にあっても平気なの?」
「いや、それはマズい」
「わたい行くわよ? 言っとくけど、聖女を一人で危険な目に合わせて、十八禁リョナ指定とかされたら、もうわたいぐちゃぐちゃだからね」
「こいつらこのままにして心配ないのかよ」
「ないわ」
「根拠は?」
「聖女の勘」
「……」
「ね?」
自称聖女は魔王様(♀)に笑いかける。
「また遊ぶんだもんね?」
「うん」
「だから早く帰ってこなくっちゃ」
そしてファリスは輝彦の手を引く。
半ば引きずられるように連れ去られた勇者たちの姿が見えなくなるころ、南の方から戦いの音が聞こえてきた。




