*7* そんな風に言われたら。
――――秋。
領内で僕の争奪戦が起こる悩ましい時期がやってきた……。
一年で最も実りの多いこの時期は、少しでも収穫高と質の良い作物を増やす為に領民から依頼される畑の土へ“お願い”をすることから一日が始まる。
僅かとはいえ土属性の魔力を保有している僕の手で触れた土地は、半径約三メートル、直径で約六メートルくらいにおいて、他よりほんの少しやる気を出してくれるのだ。
朝が早いのは趣味の庭いじりでも変わらないし、領地の人達の役にも立て、僕には領地で収穫された作物を売りに出したときの何割かが家より支払われる。
辺境領の領地経営とは常に領民と領主家の二人三脚だ。
その為父のアーノルドと長兄のリカルドも、この時期は領内の視察や冬に向けての準備で特に忙しい。その中で僕にしか出来ない仕事があるのは嬉しいし、頼られれば純粋に助けになりたいと思う。
なんて偉そうなことを考えてはみても――。
「つ、疲れた……!」
元の魔力保有量が少ない僕にとって、夏の終わりから始まる領内全ての畑に出向いて土に“お願い”をする行為はかなり辛い。けれど王都で頑張っているイザベラの相手に相応しい男に! と思うと、これくらいのことで音を上げていては駄目だろうな。
兎にも角にも今朝の分のノルマをこなした僕は、屋敷に戻ってすぐにお湯で土と汗を流そうとバスルームに向かった。
サッパリとしたら身支度を整え、あとは朝食までの時間を自室で過ごそうと思ってバスルームを出る。
――と、わざわざ僕を廊下で待っていてくれたのか、バスルームを出てすぐにアルターがニコニコとしながら見慣れた封筒を差し出してきた。
長年うちみたいな貧乏貴族の屋敷に仕えてくれる好々爺然とした執事の手から封筒を受け取っただけで、若干疲労が取れるだなんて現金な身体だと我ながら思う。
僕はアルターに礼を言い、朝食の準備が出来たら呼んでくれるように言付けて自室へと向かった。
足早に自室に戻り、机で早速手紙の封を切ったら、早速ベッドに寝転んで中身を改める。
“この間贈ってもらった紅茶色のバラですけれど……あれは初めて見ましたわよね? 今まで贈ってくれたどのバラよりも香り高くて、朝にあの香りで目覚める気分は悪くないわ”
一枚目の便せんに目を通して思わず頬が緩む。前回贈ったバラはイザベラが王都の学園に入学した年に植樹した株だ。そのことに気付いた訳ではないのだろうけれど、贈ったことも見たこともないバラだとすぐに分かってくれたことが嬉しかった。
あれはなかなか納得出来る大きさと形のものが咲かなかったのだが、今年ようやく納得のいく花を付けてくれたのだ。
咲くまでは蕾を虫に食べられないように細心の注意が必要だったものの、無事に咲いてイザベラを喜ばせることが出来た様子で安心する。
「今までだって色んな品種のバラを贈ったのに、色や形まで憶えてくれているだなんて、流石イザベラだなぁ……」
今は秋バラの最盛期だから贈る花もそれが中心になってしまう。その分、色や香りが被らないように気をつけるのだけど、イザベラの手紙を読むに気に入ってくれた様子でホッとした。
それにしてもバラは人気品種だけあって、似た形や色のものが多いのにそんな中でも新しいものだと見抜いてくれるなんて――。
ついつい嬉しくて締まりなくにやけてしまう頬をつねり、手紙の続きに視線を走らせる。
“以前書いた男爵令嬢を「躾の行き届いた猟犬のようですね」と褒めて差し上げたところ、何故か懐かれてしまいました。移動教室やお昼のたびに近付いて来られて迷惑ですわ”
文面から察するに――――……ちょっと嬉しいみたいだ。
やはり同年代の友達が身近に出来るのは大切だろう。王都に行ってから二年経つけれど、特定の女子生徒の話題が出たのはこれが初めてだ。そもそもこれまでずっと一人で食事や移動教室をしていたのかと思うと胸が痛む。
この男爵令嬢のことは正直あまり良い印象を抱いていなかったものの、一応嫌がらせを受けていたイザベラが許したのだから、今後の活躍に期待しようと思い直す。
どうせ王都にいる間だけだ。イザベラが卒業して戻ってきたらずっと僕が隣にいられる訳だし。うん、別に羨ましくないぞ……。
“それとあの第二王子の婚約者の方に「一人で出歩けないだなんて、余程寂しがり屋でいらっしゃるのですわね?」と訊ねたら、翌日から取り巻きの数が減りましたの。そうしたら心なしか接触してくる回数も減って……何故かは分かりませんけどお陰で移動が楽になりましたわ”
これは……上級貴族の一団にまではっきりと自分を貫くイザベラの格好良さには感服するけど、あまり危ないことをしないで欲しいと思う僕は意気地なしなのだろうか?
そんなことを考えていたら、不意に胸がざわついた。
夏期休暇のとき、様子のおかしかったイザベラにどうしたのかと訊ねて、はぐらかされた、あの場面が脳裏に蘇る。急に得体の知れない不安に捕らわれかけていると、自室のドアがノックされて現実に引き戻された。
ベッドから身体を起こして「誰?」と問いかければ直後に『ダリウス様、朝食のご準備が整いまして御座います』とアルターの声が返ってきた。そこで僕はそういえば“今日”がまだ始まったばかりだったことを思い出す。
少しの間ベッドの上で手紙を手に呆けていると『ダリウス様、どうかなさいましたか?』と老執事の心配そうな声が返ってきた。
その声にハッとして「大丈夫! 皆にはすぐに行くと伝えておいて」とドアに向かって家族への言付けを頼んだ。
少し間をおいてアルターが『畏まりました』と応える声があり、ドアの前から遠ざかる足音を聞きながらホッと溜息をつく。
すると一気に緊張が解れて、変わりに今まで何を心配していたんだろうかと首を傾げることになってしまった。雨が降ろうが槍が降ろうが、僕がやるべきことは結局のところいつもと何ら変わらない。
「バラは、贈ったばかりだし……あんまり続くと新鮮味に欠けるよな。だとしたら次に贈るのは違う花の方が良いだろうなぁ」
読みかけの手紙は朝食後に読もうと、ベッドの枕元に置いて立ち上がりかけて――そのスズランの香りがする便せんに口付けを落とす。本当なら前回もこんな風に決めたかったんだけど……情けない失敗をしてしまったことが今更ながら悔やまれる。
そして、朝食後に読み直したイザベラの手紙にあった最後の一行に、僕はこの日魔力切れを起こすまで張り切ってしまった。
“秋はあなたが一番無理をする月ですけど……私が冬期休暇に戻ったときに寝込んだりしていたら承知しませんわよ?”
あぁ……でも、ごめんイザベラ、逆効果だよ。そんな風に君に言われて頑張らない訳がないじゃないか。
そんなこんなで翌日――……前日の張り切りすぎのせいであっさりと丸一日寝込んでしまった僕は、後日家族と親しい農家に口止めに走り回りながらふと思いついた。
――不安なのが僕だけでないのだとしたら……冬期休暇の前に一度会いに行けば良いんじゃないか?
問題はまだ旅費が一日向こうに滞在するだけで精一杯の金額しか貯められていないということなんだけれど……。
それでもそれが今のウジウジするだけの自分にとって一番良い案のように思えた僕は、一日おきに魔力切れを起こすまで働いて寝込んでを繰り返し、旅費の獲得に精を出すことにした。




