*4* ヒマワリ。
この間の手紙は少し愚痴っぽくなってしまって良くなかったわね……。
でもそのお陰とでも言うべきか、珍しくダリウスから贈られてきたカードに“君が心配だ。無茶はしないで”と書き添えられていたので、怪我の功名だと思っておこうかしら?
今回はとても見事なヒマワリ。あんまり立派なものだから、まるで太陽をそのまま盗んでしまったみたいだったわ。
それに――あぁ、次の手紙を送ったら、もう夏期休暇ね。今週中に街の書店を巡って、ダリウスの好みそうな園芸書を急いで探しておかないと。
どうせなら、夏と冬以外にも長期休暇があれば良いのに……と、それではいけませんわ! しっかりしなさい、イザベラ・エッフェンヒルド!
私は一瞬でもそんな甘えた考えを持った自分の頬を、手にしていた扇をたたんでピシャリとぶった。
「ダリウスならこんな風にサボる口実なんて考えたりしないわ」
雨季の短いこの土地で辺境地の領民達は知恵を絞って畑を耕してくれるし、乳牛の牧草地の手入れもあるから、本来この時期のダリウスは忙しい。例え彼が微弱だと恥じる魔力であっても辺境地では天の恩恵。
この学園内の無駄に魔力量を誇る貴族達にダリウスの爪の先でもやる気があれば、地方の領地は爆発的な繁栄を見せるはずですのに。
そうしないのは偏に上級貴族達の驕りと特権階級意識。そしてそれを許す国の中枢……不敬を承知で考えるなら王族の怠慢ね。
そんなことを考えながら、今日の授業を終えて誰もいなくなった教室を出る。しかし思考の半分はダリウスの贈り物へ割いていたせいで、私は運悪く廊下の角を曲がってきた人物に気付くのが遅れてしまった。
やってきたのは全体的に眩しい優男。残念ながら王位継承権第二位。
金糸のようなサラサラの髪を後ろに流して一つに結わえ、切れ長の青い瞳は自分の価値を信じて疑わない、自信家のそれ。
転入当初は乙女並に白かった肌は、最近の日差しの中での剣の授業で少しだけ焼けたかしら? それだってダリウスみたいに働き者の色ではないから却下。
「あぁ――何だ、イザベラ。今からお前を迎えに行こうと思っていたのに、その途中で会えるとは奇遇だな」
無視しても後が面倒なだけなので「ご機嫌よう」と言って横を通り抜けようとすると、すれ違いざまに手首をがっちりと掴まれてしまう。ダリウスなら絶対にしないような不躾な行為に眉を顰める。
「待て。今日はもう授業もないのだからそう急がなくとも良いだろう? お前が嫌がるから、こうしてあいつらを撒いて単身で来てやったというのに」
“あいつら”というのは取り巻きである宰相達の子息達のことだろう。それをさも私への気遣いのように語る神経を疑いますわね……。
ギリ、と手首に巻きついた指がその強さを増して、私は不快感を隠さずに思い切り相手の手の甲を扇で叩いた。
「こういった真似はおやめ下さいと、何度言えば分かっていただけるのかしらアルバート様。それに――……頼まれてもいないのに迎えに来る時点で奇遇とは申せませんわ」
扇がミシリと音を立てるくらい強く叩いたにもかかわらず、第二王子であるアルバート様は「相変わらず手厳しいな。だが俺も気の強い女は嫌いじゃない」と女性に人気のある整った顔で笑った。
私には目の前にいるこの軽薄な男が第二王子だというだけでも驚きなのに、その上女性にまで人気だということが理解できない。皆さん頭の中身をどこかに置き忘れていらっしゃるのかしら?
「私はご自身に婚約者がいる上に、さらに婚約者のいる相手に軽々しく声をかけるような殿方は大嫌いですの。気が合わないようで残念ですわ。それに気が強い女性が好みだと仰るなら、アルバート様の婚約者であるメリッサ様はしっかりご要望にお応えして下さっているじゃありませんの?」
私の冷ややかな対応にも悪い意味での前向きさを発揮したアルバート様は、あろうことか私を抱き寄せようとした。一瞬踏ん張ろうと頑張ったけれど、そこは男女の体格差。
私は容易くアルバート様の腕の中に捕らわれてしまった。正直どれだけ顔が整っていようが怖気が走るわ。抱きしめられるならダリウスが良い。彼以外からの抱擁はいらないわ。
なので、私は下手に暴れて相手の嗜虐心をくすぐるような馬鹿なことはせず、もっと簡単な方法で片を付けることにした。
「アルバート様、人間の身体のおおよそ七割は水分だとご存知? あぁ、それと……これは私の魔術属性を知っての行いなのかしら?」
流石に付きまとっている相手の専攻位は知っていた様子で、アルバート様はその形の良い眉を顰めた。
私の専攻は水を自在に操り、治水や医療だけでは飽きたらず、動植物を使用して剥製を造るところまで能力の幅を広げようという……ちょっといけない方向に足を突っ込み始めている学科だ。
無論女生徒は私だけ――というよりも、男子生徒もいない。
行儀作法やテーブルマナーに重きを重んじる貴族女性や、国の為に働くならもっと日の当たる華々しい学科を望む貴族男性にも不人気なのだ。
専攻に選んだ理由は第一には勿論ダリウスの支えになりたいからだったけれど、不真面目な同級生がいないというのも魅力的だった。
以上の点から、要するにいま私はアルバート様に“生きたまま剥製にされたいの?”と訊いたのだわ。大きいモノの水分調節は楽なのよ?
「……私に断りなく触れて良いのは私の婚約者だけですの。親しくもないあなたに触れられるのは不快ですわ。それにご自慢の王家の偉功も、私の故郷であるド田舎の辺境領では、中央ほどの権威を発揮しませんの。あの土地でかしずかれるのは自然を味方に付けられる者だけですから」
そう暗にダリウスを持ち上げながら、パラリと扇を広げて口許を隠す。
例えこの扇の下で笑っていようが、それこそ舌を出していようが、女性の扇に隠された部分を暴くことは、まともに貴族としての教育を受けた男性には出来ない。
今の言葉の半分は嘘で、半分は本当だわ。
王家の血筋は尊いものであり、民は敬意を払う。それは国が国として正常に機能する在り方として正しい。
けれど……国はいつでも中心都市に重きを置くので(それ自体が誤りとは言いませんけれど)地方も地方の末端地区が、如何に自然災害や飢饉に困りあぐねても余程のことがない限り国庫を開こうとはしない。
だから辺境地での王族の価値など、小さな教会以下。教会は災害時に物的には何の助けにもならないけれど、心は違う。
そして、ダリウスはそんなときに真っ先に領民の為にあろうとする。そんな姿がとても眩しくて堪らなく好きだわ。
だからアルバート様のように、心すら縋れない相手を重んじろなどという愚かな言い分は私は好きではない。
一瞬だけ私を抱きしめていた腕の力が緩んだ。その好機を見逃さずに私は身を捩ってその囲いからすり抜ける。
「それではアルバート様、大したご用件がないようですので失礼しますわ」
学園内では学生同士の身分に貴賤はないと掲げているけれど、私もそんなものを鵜呑みにするほど愚かではないので、アルバート様に上級貴族に対しての礼を文句を付ける余地のないほど丁寧にとった。
正気に(いつあるのかしら?)戻ったアルバート様に再び捕らえられたくない私は、廊下を許される限りの速度で立ち去る。
角を曲がる頃、正気に(だからいつ?)戻ったアルバート様が背後から私を呼ぶ声が聞こえたけれど当然無視。
随分と無駄な時間を使ってしまったことを悔しく感じつつ、私はダリウスの喜びそうな本を取り扱っている店を頭の中に思い浮かべて微笑んだ。