*後日談・2*甘い囁き。
一応後日談はこれにてお終いです(*・ω・*人)<詳細(?)は後書きにて↓↓
ここまで読んで下さった読者様、
本当に本当にありがとうございました~♪♪
ダリウスと式を挙げて故郷に戻ってから、もうすぐ二月。
けれどこの間の日数を振り返ってみれば、朝の身支度にかける時間は王都の学園に通っていた頃の比ではないくらいに延びた。
純粋に作業中に怪我をしないように、保護目的の装備品が多いというのもあるけれど、いかにそれを野暮ったく見えないように着こなすかが肝心ですわね。世間では結婚してからが本当の勝負だとよく耳に挟むもの。
結婚は終点ではなくそこからさらに努力して、人生の最後まで一緒に歩みたいと相手に思わせることが大切。それこそ精進あるのみ、ですわ。
という訳で、今朝も自室の鏡台の前に座ってしっかりと自分の癖毛にブラシを通すのだけれど……これが凄く手間なのよね。自分の髪でありながらどうして毎朝こうまで逆らうのか謎だわ。
ダリウスの褒めてくれるふわふわの状態を保つ為に、こんなに苦心していると知ったらダリウスは悲しむのかしらと思って、ふと想像してみたけれど駄目ね。
がっかりするダリウスを想像したら、朝食後の作業がまだだというのに私まで悲しくなってしまった。作業効率を下げる訳にはいかないからこの想像はここまで。髪の秘密はこのままお墓の下まで持って行くしかないわ。
真剣な表情で鏡に映った自分の顔を見て、止まっていた手を再び動かし、丁寧に絡まった髪を解しながらといていく。大まかに八本くらいに分けて結わえた髪を手早く、けれど傷めないように気をつけて艶が出るまで入念に。
チラリとまだ朝靄で煙る窓の外に目を向ければ、最近ではようやく丁度良い頃になってきた新緑が段々と艶と深みを増して初夏へと近付いている感じがして来た。
お陰で領内の果樹園や牧畜の方も忙しくなってきたけれど、それもこれからはダリウスがずっと傍にいてくれるのだと思えば、ちっとも大したことではありませんわ。
だってここは私のフィールドですもの。ここに引きずり込んだからには、今度こそ物理的にダリウスは私を頼る他に道はありませんものね?
ただ念願の結婚生活は嬉しいのだけれど、毎日顔が緩まないように気をつけることに忙しくて、つい肝心のダリウスへの態度が素っ気なくなってしまうこともあるのが目下の悩みだわ……。
それにあちらで勝手に式を挙げて帰ってきたものだから、お母様はともかく困ったことにお父様が未だにそのことを根に持っていらっしゃるのよね。お姉様達の挙式を二度も見たのだからもう充分だと思うのだけど。
恐らくお父様の場合は親友の息子であるダリウスを幼い頃から良く知っていたし、家族ぐるみで距離が近いこともあって情報は全部筒抜けの相手だと思っていたからそれで拗ねているだけですわね。
その証拠にお父様といえば、私がダリウスと朝の仕事を終えて朝食を取り終わるとすぐにダリウスを連れて領内視察に向かうのだもの。
お母様は『念願の息子が出来たからはしゃいでいるのよぉ。良い歳をして困った人よね~?』と笑っているけれど、まだ新婚の私としましては少し邪魔ですわ。
折角この間のその……少しはしたない迫り方でだいぶ距離を詰めたところですのに……ダリウスが意識している間に二の矢、三の矢を放っておきたい私の邪魔をするのがまさかの身内だなんてどういうことですの。
しかも恥を忍んで王都のアリスとメリッサ様に手紙で個別にお訊きした手は使えませんし……と、いうかあの二人は自分で試してみたことがあるのかしら?
そもそも今更だけれど個別に訊いたはずなのに同じ答えだったところから考えてみたら不自然では……?
そこで私はハタと気付いて髪をとかしていたブラシを鏡台の上に置く。
まさかとは思うけれど、一度学園のお昼休みの時に二人が話題に上げていた“乙女小説”とかいう手引書の受け売りだったり、しないわよね?
普通なら“何を馬鹿なことを”で済むところだけれど、相手は二人ですもの。充分にあり得ますわ。
私にはダリウスがいたから、その手の物語には全く感情移入出来た試しがなかったせいであの時はイマイチ盛り上がりませんでしたけど、これは次の手紙で問い詰めてみる必要がありますわね?
そんなことを考えながらお昼からの作業の為に一度は整え直した髪を、再びボンネットの中に押し込み、鏡台の前で横を向いたり前を向いたりして出来を確かめる。
「ふふ、慎ましやかで目立たない。どこからみても立派な辺境領婦人だわ」
仕上げにダリウスから贈られた木製の婚約指輪を入れた小さな革袋を首から提げ、落とさないように服の中へとしまい込む。ほんの少し肌に擦れるゴツゴツとしたこの感触も、慣れればどこか愛おしい。
私は一度王都の友人二人のことを頭の隅に追いやってから、鏡に映る自分の姿に大きく頷いて、今頃玄関先でお父様を待っているダリウス奪還の為に部屋を出た。
今日こそは絶対に私がダリウスと午後を過ごしてみせますわ!!
***
――――夕食時。
普段なら和やかに明日の予定を立てたり、今日あった出来事を話したりする時間だけれど、今はただ食器とカトラリーがぶつかるカチャカチャという音だけが狭い食堂内に響いていた。
どうしてこんなに味気ない食卓風景が出来上がったのかと問われれば、今朝あれだけ意気込んでいたのに、結局また私がダリウスを捕まえる邪魔をしたお父様のせいだわ。
関係のないお母様は巻き込まれて気の毒だと思っていたけれど……さっきから時折“クフッ”と抑えきれない笑いが漏れているようだから、そんな心配もいらないようですわね?
その証拠に目の前に置かれた食事に真剣に視線を注いでいる風を装って、どこか面白そうに私と二人の表情を見比べているのだもの。私はそんなお母様に“笑い事ではないわ”と目配せし、お母様は私のそんな視線に“困ったわねぇ”と目配せを返してくる。
……勿論、妻の父親に同伴を求められて断れないダリウスは悪くない。
悪いのは偏に新婚の娘に気を使わないお父様の無神経さだけよ。分かっているわ。ダリウスに非はないの、えぇ、本当にもう少しもないの。
――けれど流石に帰ってきてからというものずっとそれが続けば、やっぱり少しくらいは抵抗して見せて欲しいのが新妻心というものですわ。
あなたは誰と結婚したの? 私でしょう?
そう問いたくなるほどダリウスはお父様と一緒に行動しているのだもの。
この普通なら恋敵の定位置を実父に取られる気持ちが分かる方がいれば、是非とも友人に加えたいところですわ。ですから私は食事の間、ただの一言もお父様とダリウスのかけてくる言葉に返事をしなかった。
それどころかあまりに虫の居所が悪くて、いつもなら二杯くらいで止めておく自家製の葡萄酒を“淑女の顔なんて必要ありませんわ!”とばかりに一本丸々呑みきってしまったわ。
一応飲酒は社交界デビューを本格的にする十七歳から許されているけれど、お酒は嗜む程度が良いとされていた学園の教育方針では考えられないことですわね?
でも王都にいた時ならあるまじきことですけれど、ここは家族だけですもの。家族の団欒に貴賤などありませんわ。例え淑女の仮面を被り忘れて自棄酒に走る真似をしたとしても――よ。
“ダンッ!”とテーブルに置いたゴブレットが思いの外大きな音を立ててしまったけれど、誰も何も言わない。強いて上げればお母様が肩を震わせて笑いを噛み殺しているくらいかしら?
ダリウスとお父様は、仲良くカトラリーをお皿の上に落として騒がしい音を立てるけれど、もう知らないわ。
私はこの夕食の間終始楽しそうだったお母様にだけ、先に食事を終えて席を立つことを詫び、一足早く食堂を出る。
けれど食堂を出て廊下を歩くうちに、ふとそのまま自室に戻るのも芸がない気がしたから、ほんの少しだけ屋敷の庭に出てみることにした。身体は一瓶分の葡萄酒で程良く温まっていたし、いくらここが辺境領だと言っても流石にもう夜もそこまで寒くないもの。
特に何も羽織らずに出た庭からは、この季節特有の生命力に溢れたムッとする土と緑の香りがした。その香りを吸い込んでいたら、何だか急に素足で地面に立ってみたくなったものだから、私は迷うことなく靴とソックスを脱いで芝生を踏んだ。
シャリシャリともチクリとも感じる芝生の感触を足裏で楽しみながら、しばらく一人で庭を歩いていると、背後からずっと人の気配がついて来る。私はそれに気付かない振りをしながら一歩ずつゆっくりと芝生の上を進む。
……いつでも背後の人物が声をかけて来られるように。
だけどこうして濃い緑と土の香りに包まれていると、王都での生活との変化に驚くわ。勿論、私にとってはこちらが本来あるべき場所ですから何の問題もないけれど。
懐かしいと思えるほどには長くこの土地を離れ、退屈だと感じないほどには郷愁を感じている場所。それがこの土地に向けての感情であるのか、それとも背後の人物なのかまでは分かりませんけれど。
周辺には高い建物はおろか、隣近所の壁すらかなり離れている。その代わりに見上げた空は王都よりずっと近くて、降るような星空と遮るものの何もない中で朧な優しい光を地上に零す大きな月があって。
一軒一軒が離れた場所に点在する辺境領は今が明るい時間帯なら、舗装されていない馬車道が真っ直ぐに丘の方へと延びているところが見えるのだけれど……今の時間帯は見えませんわね。
そんなことを考えながら折角こちらが声をかけるタイミングを作っているというのに、困ったことに背後の人物は未だ声をかけるタイミングを掴みかねているようですわ。
――もう、本当に仕方のない旦那様ですわね?
「ねぇダリウス。いい加減に話しかけて下さらないと、私このままでは屋敷の敷地内から出てしまいますわよ? それでもよろしくて?」
夕食で摂取した葡萄酒が体内を回り始めたせいで、強めな物言いもやや迫力に欠けた舌っ足らずなものになる。そのことに気付かないふりをしたまま歩みを止めて振り向けば、そこにはやっぱり少しまごついた様子のダリウスが立っていた。
「うーん……よろしくは、ないかなぁ。今夜の僕の奥さんはちょっと酔っているようだから、一人で夜道を出歩かせるには心配だよ」
「あら、そうでしたの? さっきから何にも言わないでずっとついて来るだけだったから、てっきりこのまま私を一人で散歩に行かせる気だと思っていたわ」
わざと素っ気なく聞こえるように声の音程を少し高くすれば、すぐ真後ろにまで近付いてきていたダリウスがふっと空気を震わせて笑った。こんな風にダリウスが低く喉の奥で笑うときは、続く台詞は決まっているの。
私は密かに心の中で、その台詞が口から出されるまでの時間をはかる。
ねぇ、ほら良いこと? 三、二、一……。
「「イザベラには敵わないなぁ」だなんて、当然でしてよ?」
私が上手く言葉を被せたものだから、二人の声は綺麗なハーモニーを生み出した。そのことに一瞬驚いた様子を見せたダリウスを仰ぎ見ていたら、何だかおかしくなってしまって、今まで体内を巡っていた靄が徐々に空気中に溶けて行くような気持ちになる。
「それに私と同じかそれ以上にダリウスのことを知っている方なんて、もうあなたのご家族くらいだわ」
不意に口許を隠そうと扇を探した手が虚しく宙をきる。
――あぁ、そうだった。
今の私は辺境領婦人なのだから扇で武装しなくても良いのだわ。そんなことがどうしてここまで嬉しいのかしら、なんて、考えるまでもないのよ。
「そうだ、じゃあこうしよう。どうしても夜の散歩をご所望なら、僕もご一緒させて頂けるかな?」
ゆっくりと目の前に差し出されたダリウスの手に扇を叩き付ける必要なんてないし、この手は私を扇よりもずっと素敵に守ってくれるから、やっぱりこの土地で扇の出番はなさそうだわ。
私はこちらに差し出されたダリウスのゴツゴツとした掌を眺める。剣の稽古で出来たのではないこのマメをダリウスは恥ずかしがるけれど、私にとっては土を耕すために毎日鍬を握った証であるこのマメの方が好きなのよ。
何度も破れては癒えて。それを繰り返すうちに出来たこのマメだらけの掌を、ダリウスが恥じる意味が分かりませんわ。
「……ベラ?」
いつの間にか食い入るようにこちらに差し出されていた掌を見つめていた私に、どこか怪訝そうなダリウスの声がかけられる。私はその声にたっぷりと勿体ぶってからダリウスの手をとった。
硬くてざらついた掌を感じながら、同時にお酒で得たふわふわとした浮遊感を味わう。その直後に少しよろけた私を、ダリウスが「おっと、」と呟きながらも難なく抱き留めてくれる。
ふわふわ、ふわふわ。
傍にダリウスがいれば、この不思議な浮遊感もダンスのステップのような気分になるわ。
抱き留めてくれるダリウスの胸板にグッと身体を寄せ、片方の手を腰に、もう片方の手を指を絡めてダンスの時の形に似せれば、私の意を汲み取ったダリウスが「苦手だって言ってるのに」と苦笑しながらも応えてくれる。
月明かりの下で、二人。
私はお酒のせいで。
ダリウスは苦手なせいで。
ぎこちないステップとゆっくりとしたターンを交えた、王都の人達が見たら失笑してしまうような拙いダンス。
途中でダリウスが私に倣って素足になってからは、より一層間の抜けたステップになったけれど、月の光に照らし出されるダリウスの顔に浮かぶ微笑みに、私の胸は幸福感に包まれる。
けれどふわふわとした気持ちのままでも、放っておかれた苛立ち分の釘くらいは刺しておかないと、この先の生活に支障をきたすかもしれないわ。折角の新婚生活にそんな暗雲はいりませんもの。
だから、意を決して口を開くことにする。
「……ダリウスはここ最近の出来事で私に何か言うことはないのかしら?」
なるべく刺々しさを含まないように気をつけてそう言いながら、クルリと身体を反転させられるままに少し離れれば――、
「そうだなぁ……イザベラのことを放っておいたつもりじゃないけれど、寂しい思いをさせてごめん。だけど、」
今度はそう答えたダリウスがグッと私の身体を再び抱き寄せる。クルリと戻ってきた私を抱き留めたダリウスは、少しだけ考えるように目を伏せたかと思うと……不意に真剣な表情で私を見つめた。
「このところ毎日お義父さんの領内視察について行っていたのは、少しでも早くこの土地の人達に“お客様”としてではなく“跡取り”として認められたかったんだ。僕はもうベラの“婚約者”ではなく“伴侶”だから」
ダリウスはそう言うと、またいつもの穏やかな微笑みを浮かべて私の額に口付けを落とす。
「――……伴侶なら、私が今どこに口付けて欲しいか分かるべきではなくて?」
キュウッとその頬を指先で挟んだ私がそう抗議すると、ダリウスは「お酒の癖が悪いなぁ」と少しだけ笑って、今度はちゃんと唇に口付けを落とす。葡萄酒の香りがする口付けだなんてあまりロマンチックではないけれど、私達にはこれくらいが丁度良いわ。
――そうでないと同じ屋根の下で生活していることを意識し過ぎて、未だに毎日胸が苦しくなるのだもの……。
一、二、三、四と……絶えない口付けを受け入れる私の耳許に、ダリウスの口付けとは違う「愛してる」の言葉が落ちて心を蕩けさせる。
……えぇ、それもそうですわね。
私達はもう“婚約者”ではなくて“伴侶”なのだから、今までのように“大好き”だけではきっと足りない。だから私もダリウスの耳許に「世界で一番が足りていないわ」と囁きかける。
けれどダリウスからの仕切り直しの言葉が耳許に囁かれる前に、その首筋に腕を回して伸び上がり「世界で一番愛しているわ」と囁けば、くすぐったそうに「僕もだ」と笑う声が耳に心地よくて――。
ふわふわ、ふわふわ。
段々と揺れの大きくなる幸せな浮遊感の中で「……おやすみ、僕の可愛い奥さん」と囁くダリウスの腕の中、私は世界で一番幸せな夢を見る。
――が!!
番外編の方でもう少し続きますので、
もしも宜しければそちらも覗いて頂けると嬉しいな~|ω・*)<ちらっ!




