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大好きな婚約者、僕に君は勿体ない!◆は?寝言は寝てから仰って◆  作者: ナユタ


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*31* どうしようもないほど、君が。



 イザベラから預かったという婚約指輪を手に一人自室でショックを受ける間もなく、宰相の子息である美貌の青年クリス・ダングドールが持ち出した話題に、僕は何とかついて行こうと頭を働かせる。


「あの、今のダングドール様のお話を噛み砕いて解釈すると……うちの領地を、この魔法石を使った農業実用化に向けての検証実験場として使用したい、と言うことでよろしいのでしょうか?」


 が、しかし――自分の口から出した言葉でありながらあまりに荒唐無稽なことに思えて、僕は外交中だというのに思わず眉根を寄せてしまう。


 それを見たクリス様が愉快そうに目を細め、僕は一瞬奥歯を噛み締めた。外交中の表情は常に穏やかに微笑んでおかなければならない。商談の最中に焦りを掴まれてはその後の交渉に遅れを取るからだ。


 今回はクリス様の得体の知れない事案の持ちかけと、イザベラから返されてしまった婚約指輪のせいで心がざわついて冷静な反応が取れない。掌に握り込んだ指輪が焼け付くように僕を苛み、掻き乱す。


「――えぇ、流石に貴男はハロルドとは違い理解が早くて助かりますね。この土地の気候風土は住むには難がありますが……人智が及ばない分、とても美しい原風景を残していて好ましい。もしこの件を飲んで下さるのであれば、魔法石も何の問題もなく無償で使いたい放題ですし、勿論使用料金も国から支払われます。悪い話ではないと思いますが如何ですか?」


 僕の後悔に溺れそうな内心を読んだように、目の前のクリス様は妖しく微笑むとそう言った。


 確かに提示されている情報だけを聞けば何の問題もないどころか、破格の待遇だと言っても良い。けれど甘い話には絶対に裏がある。今のペースではクリス様の良いように話を持って行かれてしまう。


 何としても押し込まれた心理状態を立て直して、対等な交渉状況に戻らなくては……。


 そう思って僕は握り込んだ指輪から何とか意識を引き剥がそうともがくのに、指輪を渡した時のイザベラの顔が脳裏に浮かんでは、これを返す時にどんな表情をしていたのだろうかと詮無いことを考えてしまう。


「――そうですね、我が領地には過分な申し出かと。ただこれは僕の一存で決められる規模を上回っております。本日は当主が不在にしておりますので、変わりに次期当主である兄を呼んで参ります。この交渉の続きは兄と引き継いで頂ければ、僕もその決定に従いますよ」


 結果的に僕が選んだのは“撤退”もしくは“選手交代”だった。領民と領地に大きく関わるこんな大切な事案をこの心理状況で決めるのは危険だと、まだ幾らか残った冷静さが叫んでいる。


 ――けれどクリス様はそう僕が返すことを読んでいたのか、非常に安っぽく、尚かつ僕にだけ酷く効果的な挑発を口にした。


「ふむ、残念ですね? ちなみに今回のこの発案者はイザベラ嬢なのですよ。彼女が一番最初に【フューリエ賞】を賜った実験を任せるなら、貴男が良いとのご指名だったのですが……貴男はまた、彼女から逃げるのですね?」



***



 ――と、いうようなことがあってから早いもので、もう三ヶ月が経つ。


 その三ヶ月の間に、リカルド兄上とサフィエラ義姉上との間に念願の第一子が産まれたことで、沈んでいた領民の士気も小麦の病気が流行る前にまで戻っていた。


 産まれたのはサフィエラ義姉上の目許と、リカルド兄上の口許を受け継いだ綺麗な男の子だそうだ。これで僕も晴れて厄介叔父となってしまうのかと、少々情けない気分になるけれど、嬉しくないはずがない。


 こちらの今からの気候を考えるとまだ帰るには暇がいる。僕が会えるのは恐らく来年の春頃になるだろうなぁ。


 それでも出産に立ち会うことは適わなかった兄上を、せめて領地が落ち着いたのだからと言い含めて、義姉上と赤ちゃんの待つオズワルト兄上の屋敷へと向かわせたのは二週間前。


 未だに戻らないところをみると、恐らく向こうは義姉上の家族も集まっているだろうから、連日お祝い事が続いているのだろう。


 領地の皆もリカルド兄上が出立する日には、早朝の街道沿いを馬車に併走して祝ってくれた。あんな風にリカルド兄上が泣いているのを見たのは、僕の記憶の中でも初めてのことだったと思う。


 そんな風に存外信じられない不幸の後には、幸せなこともきちんとやってくるように世界は回っているのかもしれない。まぁ、そう思わないと生きて生けないだけかもしれないけど……。


 もう今日の日が落ちれば十月も一週目が終わる。


「よし、皆、そろそろ日も傾いて手許も見え辛くなる頃だ。今日はもうこの辺で切り上げて、明日また頑張ることにしよう!」


 僕は夕焼けが染め上げる領地の畑の中心で、今日の分の仕事を切り上げるように領民の皆にそう声をかけ、土と汗にまみれた作業用のオーバーオールにパタパタと風を送り込みながら屋敷への帰路を急ぐ。


 もしも急ぎの報せが届いていたら、家族が出払っている今の領内には僕しかいない為、相手を待たせてしまう。


 というのも、ここ最近は父上もイザベラの領地へ出向くことが多い。うちより被害総額は少なかったとはいえ親友同士でもあるし、次にこんなことが起きたときの対策案を練るということで単身訪問している。


 けれどそんなことは建て前で――もしかしたら、僕とイザベラの婚約をどうするかの話し合いをしているのかもしれないなぁ……。


 小麦以外の作物の手入れに精を出しながら秋口を迎えても、イザベラからの手紙は一通も届かない。当然だろうという気持ちと、もう駄目なのだろうかという焦燥を感じながらも、自分から手紙を出すことは憚られた。


 リカルド兄上達の元へは殊の外無事の出産を寿ぐ手紙が届いたそうなので、ここは僕が避けられていると考えてまず間違いないだろう。


 それでも毎週王都から送られてくる魔法石を、領地の皆から寄せられる不便な部分にどう利便性を持たせて、どう自然物と調和を保ちつつ従来のやり方に沿わせるかを考える。


 このイザベラが僕に託してくれた検証実験で役立ち、イザベラが心配してくれるこの土地を守り抜けるか。それを考え続けて形にすることが、せめて僕がいま彼女に見せられる精一杯の誠意だと思った。


 試しに一部の小麦の圃場の周囲に土を固め盛り水を張れるようにして、今回のような病害被害が出た年は、収穫後にそこへ水を流し込んで罹病している落ち穂を浮かせ、一気に回収する方法を考えてみた。これで落ち穂拾いにかかっていた時間をグッと短縮出来る。


 これなら病害のない年は、そのまま水を張らずに従来通りの畑として使用出来るから無駄もない。


 ただ魔法石の水と水の性質の物を大量に消費することは、イザベラの負担になりそうだから少しだけ躊躇ったものの、これはなかなか良いやり方に思えたので、実験的に一部の小麦畑を大麦畑と併用してこの方法を導入した。


 もしも病害が広がった畑はこれで落ち穂を回収し、土を盛って作った縁を少し崩せば水も抜ける。後はそこに違う野菜を植えて、罹病した種子が死滅するまで待てば良い。


 もっとも病害の大半は土を媒介に被害を増やすものが多いので、王都内で行われている水耕栽培の導入も考えてみたけれど、イザベラはきっとその方法は望まないだろう。


 土がなければ花々は香りを持たないし、野菜の味も薄い気がする。王都の食事は美味しかったし、空気は土や堆肥の香りを含まず清潔。


 だけれど草花の香りはほとんど感じられず、僕は王都で過ごした一月を夢のように感じると同時に、自分の居場所ではないと強く感じた。


 だから――イザベラもそう思ってくれるような気がして、水耕栽培には踏み出せなかったのだ。


 一日中領内の畑を見回り、領民の声を聞きながら思いついた使用方法を兄上や父上に相談しながら、レポート的な物を書いてはそれを試行錯誤してみる毎日。


 その中で時折ふと、酷く寂しくなる瞬間がある。今でもまだ、イザベラになら他に良い縁談があるとは思うし……あれだけ身勝手に彼女を避けて傷つけて、避けられても嫌われても仕方がないとは思うのに、どうしても。


 ――どうしても……イザベラに触れたくなることがある。


 魔法石の提供のお陰で庭園は半分を潰す程度で済んだ。残りの半分に移植した花が季節毎に開く度に――……僕は贈る宛てのない花を見て彼女を想った。


 イザベラが褒めてくれた、あの秋バラが満開の屋敷前を通り抜けながら、僕はあの日以来見るのも辛くなって、自室の机の引き出しにしまった木製の婚約指輪を思い出す。


 来ない手紙と、贈る宛てのない花々。


 この張り詰めた静寂を先に破るのがどちらなのか、破られた時に僕達の関係がどう変化してしまうのかは分からない。だけど、今こんな時になって前よりも――。



 ずっとずっと愛おしくて、


 その愛おしさが増すほどに強く、僕などに彼女は勿体ないと思うのだ。



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