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大好きな婚約者、僕に君は勿体ない!◆は?寝言は寝てから仰って◆  作者: ナユタ


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*27* 君の負債になりたくないよ。



 王都の学園でイザベラ達と夢のような一月の学生生活を終え、四月の二週目に領地に戻ってからはいつにも増して意欲的に花の手入れに打ち込み、イザベラに贈る花を世話する傍ら、以前と同じように起きて領内の畑の世話を手伝う毎日。


 今年は小麦の成長も良く、収穫高が見込まれて領民の意欲も高い。そこへ例年より少し早く五月から降り出した雨は、最初のうちこそ乾き気味だった土地をささやかに潤す恵みの雨だった。


 しかしそれはすぐに文字通り雲行きの怪しい状態となり、現在はもう六月の下旬だというのに、依然として三日とすっきりした天気が続かないまま収穫期に向けて日にちだけが過ぎていく。


「――あぁ、ダリウス、お前も戻っていたのか」


 応接室でぼんやりと雨で濡れた髪を拭いながら外を眺めていた僕の背中に、同じく領内の畑の被害確認から戻ったリカルド兄上が声をかけてきた。


「えぇ、ついさっきですけどね。あっちの畑はどうでしたか?」


「駄目だな……向こうの畑も株の分けつが多いし、穂も短い。恐らくあそこ一帯も罹病しているだろうな」


「――そう、ですか」


 長雨は収穫期を待つだけとなっていた小麦に病気を引き起こして、今もその被害はジワジワと広がりつつある。


 僕が思わず気落ちした声でそう応じると、雨でじっとりと濡れた上着を脱いだリカルド兄上が少し笑う。


 兄弟の中では一番母上に似てきつめだけれど、華やかな顔立ちをしたリカルド兄上が笑うことは珍しい。気難しい訳ではないものの、一回り歳の違うリカルド兄上と話すのは、次兄のオズワルト兄上より難しかった。


 単に流行っていた遊びや本に年代差があって純粋に話題が合わないのだ。次兄のオズワルト兄上とリカルド兄上は七歳差、僕とオズワルト兄上とは五歳差で、意外と兄弟の歳がばらけている。


 これは辺境領の下級貴族には珍しくもないけれど、純粋に間に飢饉や干ばつがあったりして食糧難に陥る年があるので、自然と食糧の潤沢な年に子供が出来るからだ。


 イザベラのところも似た感じで、領地が近いからあっちの姉妹もうちと同じ年の差だったと思う。ご近所情勢が知られる田舎あるあるなので、年頃になって気付くと恥ずかしい。


 とはいえ、こんな時だというのに何を笑っているのかという顔をしていたらしく、兄上は「何だ、生意気な弟だな」とまた笑った。


 小麦の収穫期に雨が降ると穂からすぐに発芽して、商品価値をなくす。だからこの時期の長雨は農民の心を酷くざわつかせるのだ。


「……おい、大丈夫かダリウス。本当に顔色が悪いぞ?」


 濡れた上着をアルターに預けてタオルを受け取ったリカルド兄上は、僕の顔を見て眉根を寄せるとアルターに向かって「レモン水を持ってきてやってくれ」と指示を出して僕の隣に腰を下ろした。


 そのまま手近にあったサイドテーブルの上にあるシガレット・ケースから細巻のそれを取り出すと、マッチで火をつけて咥える。リカルド兄上はあまり高級ではないそれを一度深く吸い、両の目蓋をきつく閉じたまま苦い煙を細く長く吐き出す。


「それ――義姉上の為に止めたのではなかったのですか?」


「お前がバラさなければ問題ない。そうだろう弟?」


 片目だけ目蓋を持ち上げたリカルド兄上は、連日の激務でやつれた顔でそう小さく笑うと、大きな手で僕の頭をくしゃりと撫でた。まるで幼い子供にするような態度なのに、僕はその手の重みに安堵する。


「……心配するな、大丈夫だ。お前が手伝えるようになる前は、もっと頻繁にこんな事があったんだぞ? 小さかったお前とオズワルトは覚えてないだろうがな。だから――……今回も何とか凌げる」


「ですが、兄上は随分とお疲れではないですか? いま兄上に何かあれば義姉上に合わせる顔がありません。それに義姉上は出産を控えている身なのに兄上が傍にいなければ不――「止さないか、ダリウス」」


 僕が言い終わる前にリカルド兄上は言葉を割り込ませた。決して強くはないけれど、やんわりと含まれた拒絶の響きに、僕は俯いて唇を噛み締める。


 リカルド兄上は僕が黙ったのを確認すると、再び深く煙を吸い込んで宙に吐き出す。その間も頭に載せられたままの手は僕を宥めるように左右に動かされた。


 リカルド兄上の妻であるサフィエラ義姉上は、元来身体があまり丈夫ではない。そのせいか折角お腹に宿った小さな命は、これまで二度も消えてしまったことがある。


 今回の三度目はこれまでで一番状態が安定していたから、今度こそは、と。家族の誰も口にはしなかったけれど、そう思っていたのだ。


「ダリウス――お前が今なにを考えているか分かるが、大丈夫だ。サフィエラのことはオズワルトの家に世話をしてもらっているんだ。あちらは王都に近い商家だからこの小麦の被害もすぐには出ない。医者もすぐに来る。……ここに置いておくよりずっと安心だ」


 ――そうじゃない。僕が本当に言いたいことに気付かないふりをして、頭を撫でてくれるリカルド兄上に「僕にもっと、魔力があれば……」と呟いたところで、まるで見計らったように現れたアルターが冷たいレモン水の入ったグラスを二人分置いて出て行った。


 また二人だけになった応接室でレモン水を口にする。スッと爽やかな酸味のある水が喉を滑り落ちて、いくらか気持ちが落ち着いた。


「魔力がまるでない俺にしてみれば、お前は本当に充分良くやってくれている。オズワルトも普段はお調子者だが、今回の天候不順に気付いて手紙でサフィエラを呼び寄せてくれた。魔力もない上に一人で領地の総ての面倒を見ることも出来ていない俺には、お前達は自慢で頼りになる弟だ」


「そんなの、兄上と父上が商人と交渉してくれないと足許を見られて高く売れない。リカルド兄上がうちの財政難を救ってくれているんです」


 僕がそう反論すると、苦笑しながら吸い終わった細巻を灰皿に押し付けたリカルド兄上は、もう一本吸おうかどうかと宙で手を泳がせたあと、結局もう一本を取り出すことはなく、レモン水のグラスを手に取った。


「それに自然に人間の持つ魔力程度でどう抗える訳でもない。それとも、お前はイザベラちゃんに魔力があるから好きなのか?」


「そんなんじゃないよ!!」


「だったら、どうしていつものように花を贈ってやらないんだ? あの子から手紙は届いているんだろう?」


 手にしたレモン水のグラスに視線を落とした僕を見つめるリカルド兄上の視線に、何とか言い訳をしようと言葉を探す。


 けれど次の瞬間、僕が何を言い出すのかを見透かしたようにリカルド兄上の口から「今回の作物被害はエッフェンヒルド領にも広まっているらしい」と告げられて、自分の肩が跳ね上がるのを感じた。


「……成程、お前の心配ごとはそれか」


 ふぅ、とリカルド兄上が溜息をついて空になったレモン水のグラスをサイドテーブルの上に置く。


 グラスがテーブルに打ち付けられて、“カツン”という硬質な音が一際高く室内に響いた。


「父上と母上が今エッフェンヒルド領に向かっている頃だが、あちらはまだそこまでの被害は出ていないそうだ。うちもお前の助言で春撒きの小麦も少し作ったから、もし今回の件で秋撒きの来年分の種子が罹病していても無事な種子をかき集めれば今年撒く分はあるだろう。……それもギリギリだがな。市場に売りに出せる小麦はほとんどない」


 その苦い煙のような言葉にうなだれることしか出来ない。

 

 婚約者の家の足手まといになる僕との婚姻関係に、いったいどんな意味があるというのだろうか?


 もしも僕が婚約解消を申し出たら、今ならまだ王都の学園に籍を置いて魔法の才能もあるイザベラになら、もっと良い縁談が持ち上がるのでは――?


 この一月の間グルグルと頭の中を回る疑問の答えを見つけられず、花の手入れをする暇も取れなくなった。


「やれやれ……しっかり者の末っ子を持つと大変だな」


 そう言って最後にくしゃりと頭を撫でたリカルド兄上は「俺は少し休む。お前も余計な心配をしないで少し休めよ」と言い残して応接室を出て行った。


 一人その場に取り残された僕は、こんなに長く長兄と話したのは久し振りだと感じながらも、言いようのないやるせなさに深く長い溜息を吐く。


「……情けないなぁ」


 ポツリと漏らした僕の弱音に『破棄ですわよ?』というイザベラの声は流石に、王都からは届かない。



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