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*幕間*恋がしたいな。*アリス*

今回は恋愛強者、アリスの視点です。



 昼休みの学生で賑わうカフェ・テリアの一角。そこでいつものように食事を終えた二人の前に、わたしお手製のクッキーの包みを持ち出す。


 袋の口を縛っていたリボンを解けば、周囲にふんわりと魅惑的なバターの香りが広がる。するとたった今お腹一杯になったばかりなのにこの香りをかぐと、不思議とまだ食べられそうな気分になっちゃうのはなんでかな?


 香りの前には理性なんて無駄。少しだけ悩む素振りを見せて……でも堪えきれずに降伏してしまった二人が長い指で一つ、また一つとクッキーを口に運ぶ。


「こちらの紅茶入りもですけれど、レーズンクッキーも美味しいですわね」


「あら、わたくしも好きな味だわ。これ全部本当にアナタが作られたの?」


 目の前の本物のお嬢様なメリッサ様と、見た目だけならお嬢様だけど、その実わたしと生活水準が見合ってるイザベラの評価に、思わずニンマリしてしまう。だってこれって両方の階級の人間の評価でしょう?


「うふふふ……そうでしょう、そうでしょうとも。冬期休暇の間に粉の配分を散々研究したんだから! 恋は食欲と同じような物だから、相手の胃袋を掴むのも大切なの」


 ビシリと二人に向かって人差し指を突き出したら、やんわりと指を握り込まされた。二人してそんな顔しなくてもお行儀が良くないのは分かってる。分かってるってば。


 仕方がないから大人しく座り直して、わたしも自信作のクッキーに手を伸ばす。そこから始まる女の子だけの話題なんて決まっているわよね?


 こうしていると、まるで入学してすぐの頃からの親友みたい。お互いがお互いに最悪な印象を持ち合っていた頃から考えると、信じられないくらい和やかな関係性になった。


 恋愛相談を受けて面白半分に乗れば、二人ともすごく真剣に聞き入るものだから途中からこっちまで熱が入っちゃったじゃない。特に一見冷え切っていたように見えたメリッサ様の追い上げが尋常じゃなかった。


 退屈しない長期休暇なんて、この学園に入学して以来初めてだったかもしれない。それくらい毎日通い詰めて来るからわたしも個別指導に勤しんで、あのアルバート様とメリッサ様の進展に一緒になって胸を踊らせた。


 要はこじらせた恋愛感情のすれ違いだっただけで、どちらかが素直に折れていたら良かったの。こういう案件は恋愛初心者にありがちだよね。


 かえってイザベラのところみたいに順調なところの方が珍しい。今だって冬期休暇中に婚約者からもらった木製の指輪を、会話中ずっと無意識に撫でている。


 伝授した作戦も半分はやり返されたらしいけど、少しは効果があったみたい。恋愛指南役としては面目躍如……って言いたいけど、イザベラの婚約者みたいに無意識な天然は厄介な相手なのよね。


 そんな二人の涙ぐましい努力と成長を見ながら、わたしはこんな風に誰かに一生懸命になったことがあったか考えてみるけど……なかったな。


 目の前で繰り広げられる微笑ましい恋愛談義に花を咲かせていたら、結構たくさん焼いたはずのクッキーも残り一枚になっていた。どちらが先に手を伸ばすかと思っていたら、二人は至極当然のように、



「「あら、割り切れない場合は製作者の物ですわね」」



 と言うものだから、笑ってしまう。二人とも口調が似ているから、まるで双子みたいなんだもん。わたしが笑うのを見た二人が顔を見合わせるのすらおかしくて、さらに笑みを深くしてしまう。


 二人からそう勧められれば断るのも変だし、そういうことなら食べちゃおうかと手を伸ばした矢先――急にどこからか伸びてきた綺麗な手が、最後の一枚をかっさらってしまった。


 わたしが視線を上げると、胡散臭い……二人と一緒でないときのわたしと良い勝負な笑顔を貼り付けたクリス様がそこに立って、モグモグと口を動かしている。最後の一枚は彼の口の中に消えたらしいわね。


 わたしよりも先にそちらを向いていたイザベラが、如何にも不愉快な表情になる。クリス様はこれでも女子生徒の人気がかなり高いんだけど、残念ながら婚約者に一途なイザベラには通じないみたい。


 イザベラがこっちに椅子を寄せてきて、わたしに“助けて”の視線を投げかけてくるので、少し微笑んで“了解”の意思を見せる。


 頼ってくれる友人を前に、すぐに脱ぎ散らかしていた猫を着込んでクリス様に微笑みかけると、敵もさること。一切隙のない微笑みを歯の浮くような台詞と共に向けてくるクリス様。うーん、油断ならない。


 ホッとした様子のイザベラと、こっちの騒ぎなんてまるで聞こえていない様子でアルバート様と見つめ合っているメリッサ様の二人を残して席を離れた。


 ドリンク・コーナーに付いた途端、クリス様がわたしとの距離をグッと縮めてお綺麗な顔を近付けてくる。流石遊び慣れてるクリス様。これがもしイザベラだったら、こういうやり取りに慣れっこなわたしと違って、扇で思いっきり叩かれるところよ?


 そう親しくもない間柄なのに何のつもりだろう? クリス様の真意を計りかねていると、彼は傾国の美女のように妖しく微笑んで思ってもいないことをわたしの耳許で囁いた。


「ねぇ、アリス嬢? 少しだけイザベラ嬢のことで貴女に頼みたいことがあるんだ。聞いてくれるかな?」


「イザベラのことで……ですか? わたしは彼女の友人ですから、そこまで親しくないクリス様のお願いごとをお聞きするのは少し」


 頬に指先を当て困った表情を作り出し、こてんと小首を傾げる。そうすると大抵の男子生徒は諦めるか、慌てるかという反応を取ってくれるのに、流石にクリス様は煙に巻かせてくれなかった。


「ふふ、大丈夫……何も彼女にとって悪いことではないですよ。ただ、ほら……ボクは将来的に父上の跡を継いで、国の中枢部で働くことになるでしょう? その時までに有能な人材の確保をしておきたいんですよ」


「――それと、イザベラのことに何の関係があるのです? 中枢部に必要なのは出自の尊い上級貴族のご子息だけでしょう。あの子はただの田舎貴族の娘。確かに学業は出来ますけれど彼女くらいの人材なら、その辺の貴族のご子息にもいらっしゃるのでは?」


 “あぁー! ごめんイザベラ!”と心の中で謝りながら、わざと少しイザベラの評価を下げてクリス様の顔色を窺う。するとクリス様はうっすらといつもとは違う、少し冷たい微笑みを見せた。


「貴女が友人を庇おうとする姿は実に素敵です。この話が済んだらデートに誘わせてくれませんか? けれどそんな下手な嘘で彼女を諦めるか……と問われたら答えは否、です。それに貴女も気付いているはずだ。彼女の持つ魅力に」


 そう言われてドキリとする。クリス様の言うその魅力に、わたしも思い当たる節があるから。でも――だとしたら、やっぱりこの話がイザベラにとって悪い話じゃないなんて嘘だ。


「……すみませんが、わたしには思い当たりません」


「おや、そうですか? さっきはいつも随分気を張って被っている、その可愛らしい猫を脱いで楽しそうにしていたじゃないですか。彼女の存在は拗れきり、険悪だった人間関係の改善にとても役立っている。勿論その他の分野の才能でも申し分ない。彼女はこのまま田舎に帰すには惜しい人材だ」


 普通の女子生徒が見たら蕩けるようなその微笑みに、けれどわたしは心底苛立った。それは、言いたいことは分かるよ? 


 アルバート様とメリッサ様の破局寸前だったカップルが復活したり、このままだったら被ってる猫で窒息しそうになってたわたしを助けてくれたりしたのはイザベラだもの。だけどそれを期待してあの子を王都(ここ)に留めておく理由にはならない。


「でも……あの子には故郷で待っている婚約者がいるわ。彼女の大好きな、彼女を大好きな婚約者が。あの子が必死に勉強しているのだって故郷に帰って婚約者の役に立ちたいからよ」


 いつの間にかわたしは猫を脱ぎ捨ててクリス様を睨みつけていた。


「ふぅん……でも、彼女が帰ってしまったら貴女は一人になるでしょう?」


「そんなことない、メリッサ様だっている――」


「はは、お馬鹿ですねアリス嬢。メリッサ嬢は第二王子であるアルバートの婚約者で、メリッサ嬢の生家の家格も高い。学生時代は良いけれど、いざ結婚してしまったら、男爵令嬢の貴女とそう簡単に顔を合わせる機会も――、」


 ――止めて、聞きたくない! そうわたしが耳を塞ぐ直前……。


「あー、やっぱここにいたのかクリス! 何アルバートと二人してオレを置いて学食に来てんだよ! あとお前みたいな歩く十八禁が勝手にアリスに近付くな。アリスが穢れるだろうが! シッシッ」


 大きな声と、大きな身体がわたし達の方に大股で歩いて来た。いつも賑やかなハロルド様の登場に、わたしは知らないうちに強ばっていた身体から力が抜けて、思わずポロッと涙が一筋零れてしまう。


 普段は出し入れ自由な涙が、今日は勝手に零れたことに自分でも驚いていたら、ギョッとした表情を浮かべたハロルド様が手を伸ばしてご自分の方にわたしを引き寄せる。


「クリス、お前、何アリスを泣かしてんだコラ。返答によっちゃいくら幼なじみでも容赦しねぇぞ?」


 頭上から落ちてくる低くて迫力のある声にビクリと肩を震わせると、それを見たクリス様が「いえいえ、むしろ今アリス嬢を怖がらせてるのはハロルドだよ」と苦笑混じりの声が落ちてきた。


 その声にさっきまでの冷たい宰相の息子としての影は感じられず、小さい頃からの親しみを感じる。


 わたしは思わずソッといつも“恋愛ごっこ”に付き合ってあげている熱血漢のお坊ちゃんを見上げた。わたしの視線に気付いたハロルド様が「もう大丈夫だからな?」とニッと笑いかけてくれる。


 “恋”は一人でするもの。


 “愛”は二人で育むもの。


 わたしは母さんみたいには絶対にならない。振り向かれることのない、想いを返される宛もない“恋”に溺れるなんて真っ平。


 一度“あの男”にしてみれば、珍しかっただけだろう手作りのクッキー。


 たった一度褒められただけのそのクッキーをせっせと焼いていた母さんの姿は、幼い頃のわたしにも哀れに見えた。


 もしも好きになれる人が現れたら……メリッサ様みたいに“恋”をして、イザベラみたいに“愛”するの。


 だから、この際――誰でも良いわ。


 あの二人みたいに、わたしが壊れてしまうような“愛”を頂戴よ。


 そんならしくもなくロマンチストなことを考えていたら、思わず真剣にハロルド様を見つめてしまい、それに気付いたハロルド様と視線が絡む。


 するとわたしの唇は獲物を見つけた猫のように、自然と笑みの形に持ち上がって相手(えもの)の頬を赤く染めるの。


 “恋”をしたいの。


 “愛”が欲しいの。


 ――ねぇ、あなたがそれをくれるなら“恋愛ごっこ”を止めても良いよ?

 


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