*13* 君のやることは本当に……!
「うぅ……あ痛つつ……」
一瞬、何も考えずに伸びをした自分の愚かさに悶絶する。
今朝方はこの季節でも特別冷え込みがキツかったせいか、ここ数日間で一番全身の軋みが酷い。
全身の軋みの原因は件のポインセチアにかけた祝福分の労働のせいなんだけど……何も今朝こんなに身体がバキバキにならなくても良いのに。しかもまだ返済の半分にも満ていないので当分は肉体労働の刑だ。
あの三重に重ねた祝福は思っていたよりも高度なものだったらしく、後日教会から分厚い領収書が届いたときは開封する手が震えた。最初からあの見積りを教えてくれていたら心の準備も出来たのになぁ……。
それとも教えたら止めるとでも言い出すと思ったのだろうか? そんなことイザベラの危機を回避出来るなら構わないし、多少仕事が厳しくても分割を許してくれるのなら全部返済するのに。
昨日は雪の下に貯蔵してある人参を掘り出したいというので、シャベル片手に教会裏の畑に行ったのだけれど、管理している修道士が肝心の人参の貯蔵してある箇所に目印を忘れていたせいで、長い畝の端から端まで掘り返す羽目になってしまった。
お陰で昨日の晩から背中と腕が痛くて堪らない。おまけに掘り返し作業が終わると、教会の人が待ちかまえていたように疲労回復の祝福はどうかと申し出てくれた。無論有償でだ。
教会のくせにマッチポンプをしてくるのかと戦慄しつつも、さらこれ以上の労働を上乗せさせられては堪らない。
それにその日のうちに筋肉痛になるうちは回復も早いとお医者が言っていたのを憶えていたので、丁重に断って自然治癒にまかせることにした。
とはいえ教会側も貧乏貴族の僕からそこまでの回収は酷だと思ってくれたのか、何とか労働を対価にすることで現金の方は少しだけお安くしてくれたのは助かった。
けれど何といってもこの季節だ。僕程度の少ない魔力では大したことなど出来ない。そこで交渉の結果来年度の農地への“お願い”を教会裏手にある畑を一番手にするとの約束で、どうにか許してもらえた。
とはいえ、うちみたいに自然環境が厳しい領地だ。修道士達は飢饉に備えて結構な広さを耕しているから骨が折れるけれど、そうするように父に提案したのは僕だから自分の責任とも言える。
「先日届いたイザベラの手紙には、保険でかけておいたあの祝福が役に立ったとしかなかったけど……それ以上何も書かれていなかったから大事にはならなかったのか……な?」
そう声に出して呟いてはみたものの、不安だ。彼女の性格からして、トラウマになるような怖くて危険な目にあってても、絶対に手紙には書かなさそうだし。
僕がイザベラの手紙にあった帰還予定時刻を、暖炉の灯った応接室でソワソワと待っていると、雪で真っ白に閉ざされた世界の中を屋敷に向かって一台の馬車が走ってくるのが窓から見えた。
質素な馬車ながら、この季節にこの辺境領へとやってくる物好きはそうはいないことから、あれは間違いなくイザベラの乗った馬車だろう。
ここ数日領地の親しい人達が手伝ってくれたこともあって、馬車道だけは確保されていたから、イザベラを乗せた馬車はすぐに屋敷の門をくぐって停車する。
僕は執事のアルターが玄関先で出迎えの準備を整えるよりも先に、筋肉痛であることも忘れて屋敷の外へ飛び出した。マフラーも上着も忘れて飛び出した十二月も末に近付いた辺境領の空気は、容赦なく僕の皮膚に突き刺さる。
さっきまで暖炉で暖めた談話室にいたものだから特に堪えるけれど、毎回のことだから余り気にしない。それというのも――。
「ダリウス! あなたまたそんな格好で出てきて……馬鹿なんですの!?」
そう血相を変えたイザベラが馬車から飛び出してきて、自分をくるんでいた毛布ごと抱き付いてくれるからなんだけど……言ったら怒られそうなので言わないことにしている。
「誰より先に君にお帰りって言いたくて」
「も、もう……そんなこと毎年言っているではありませんの!」
「うん、だけど今年の“お帰り”はこれっきりじゃないか」
毎年繰り返されるこのやり取りが早く終われば良いのにとは、王都で真面目に学んでくれているイザベラには言えないけど。毛布ごと抱き締め返したイザベラの頬が、見る見る赤く染まって行くのを目の当たりにすると、今年も無事に終わったのだと実感するなぁ。
「早く中に入って、料理長に温かい飲み物と甘い焼き菓子でも用意してもらおうか?」
額を合わせてそう囁くと、イザベラはまだ赤い頬でコクリと頷く。本当なら真っ先に実家に帰るべきなんだろうけど、イザベラは毎年真っ直ぐにこちらの屋敷に来てくれる。
ルアーノ様とハンナ様のお二人には申し訳ないなと思いつつも、僕から彼女に先に実家に戻るべきだとは言い出せなかった。だって一番最初に王都から戻った彼女に逢うのは僕であって欲しいから。
この真っ白な景色の中で、イザベラの艶やかに波打つ黒髪は一等映える。その肩口に頭を預けると、イザベラが一瞬身体を緊張させた。
……ポインセチアが役に立ったのは間違いないな……。
「あぁ、ごめんねベラ。こんな寒い場所に長々いたら二人揃って風邪をひいてしまう。談話室を暖めてあるから早く行こう?」
なるべくゆっくりと抱きしめていた身体を離して、安心させる為に愛称で呼べば、イザベラはホッとしたように淡く微笑んだ。
二人で手を繋いで談話室に向かう間の短い廊下でも、僕達のお喋りが止まないのはいつものことで。使用人と呼べる人達がほとんどいないうちの屋敷の中は、その気安さから彼女にとって第二の邸宅みたいになっている。
談話室に入って暫くすると、アルターがお茶とお菓子をワゴンに載せて運んできてくれた。揃えたのは王都では見ないような素朴な形と味の物ばかりだけれど、この領地で採れた物だけで作ってある。
イザベラの為に暖炉の傍に寄せておいた小さなテーブルの上に、アルターが持ってきてくれたお菓子とお茶をセッティングして、イザベラの座る椅子を引く――と。
「あぁ、そうだわダリウス、お茶の前にちょっとこちらにいらして?」
そう可愛らしく小首を傾げたイザベラが、扇を持った右手をクイッと自分の方に寄せる。そのこちらに来いとの合図に、今度は僕が首を傾げながら近付く。
「――両手を上向けてお出しになって下さる?」
あれ……おかしいな……やや険しい表情のイザベラからは怒りの気配がする。僕はその良く分からない指示に、それでも逆らわない方が懸命だろうと言われた通りに掌を上にして両手を差し出す。
「全く……こんなことだろうと思いましてよ。何ですの? いくらここが辺境領とはいえ、一貴族がこのようなみっともない掌をして」
眉根を思い切り寄せて不機嫌さを滲ませたイザベラの声に「……仰る通りです」と返すことしか出来ない僕の掌に、不意に彼女が手に持っていた扇を床に落としてその両手を重ねてくる。
てっきりこの後お小言が続くと思っていた僕がキョトンとしていると、イザベラは急にふにゃりと泣き出しそうな顔をしながら言った。
「こんなにあなたの手をボロボロにさせて……ごめんなさいダリウス」
伏した紫紺の瞳が涙で潤んでいるのを見た僕は慌ててしまう。
「そんな――違うよイザベラ! 大体僕の手はいつもこんなだし、学園の剣術の授業なんかこっちにはないから知らないけど、あっちにいる人は皆もっと酷い掌をしてると思うよ? 剣を握ったこともない僕が言っても説得力がないけど……」
「まぁ、ふふ、馬鹿ね……ダリウスに剣術の稽古なんて似合いませんわよ」
良かった! 捨て身の冗談が受けたのかイザベラに少しだけ笑みが戻る。
――が、やはりすぐにしょんぼりとしてしまった。
「それに掌だけじゃなくて、さっき抱き付いた時のあなたの背中……板みたいに固かったわ。凄く身体に無理をかけているのでしょう?」
「いや、あのねイザベラ……」
「だから私、魔法の授業であなたみたいに無茶をする婚約者がいても平気なように、微力だけれど癒やしの魔法を憶えて参りましたのよ!」
「……へ?」
急に顔を上げたイザベラの瞳には、すでにさっきまでの翳りは微塵もなくて、変わりに使命感に燃えていた。あまりの急変ぶりにオロオロとしている僕を無視して「今から私が言う通りにして下さる?」と指示を出される。
「まず目を瞑って両手で水を掬うイメージをして。そうしたらその手を口許に持って行って掬った水を飲むイメージを……そうですわ。その水が身体中を巡るイメージをして――そう、もう手を下げて下さって結構でしてよ。ただし、目はまだ閉じていて頂戴」
向かい合った気配を感じながら、イザベラに言われるままに指示された動きをなぞる。
「――――……い、いきますわよ? 目はしっかり閉じていて?」
やや緊張気味なイザベラの声。もしやこの魔法が彼女の身体に何かしら害を与えるものなのか?
心配になった僕が“大丈夫?”と口を開く前に、イザベラがグッと僕の身体を支えにして背伸びをするような気配がした。
直後に、僕の唇に何か柔らかいものが触れる。
すぐ近くから感じる鼻に抜ける爽やかなミントの香りと、痛みが和らいでいく感覚に驚いて少しだけ目を開けると……何故だか目蓋を閉じたイザベラの顔がすぐそこに――……?
「――――!?」
今度こそ本当に驚いたけれど、今ここで目を開けたと気付かれたら……少し、勿体な――いや、これは治療なんだし……彼女に恥をかかせるから……とか何とか、自分に言い訳をしてもう一度目蓋を閉じた。
手紙で触れられなかったことで、ほんの少しだけ心配になった自分の狭量さを情けなく感じると同時に、今度は彼女がどんどん新しい能力を開花させていくことに対する焦りを感じる。
――時間にしたらほんの数分、いや、数秒?
どちらにしても照れくさい治癒魔法を終えたイザベラに「もう目を開けてもよろしくてよ」と言われて目蓋を開く。
するとそこには若干頬を染めたイザベラが、僕を見上げたままモジモジとしている。瞬間、その頬の熱が僕にまで伝播して顔が熱くなった。
そんな僕を見たイザベラは、怒ったような、してやったりといったような表情を浮かべて「約束を破って途中で目を開けましたわね?」と、さっきまで重ねていた唇を尖らせる。
僕が「ごめん……」と小さく謝れば、彼女は今度こそふにゃりとした微笑みを浮かべて「これでおあいこですわね?」と勝ち気に宣言した。
そうしてようやく大人しく僕がひいた椅子に腰を下ろしたイザベラは、まだドギマギしたまま向かいに座った僕を見て、
「どれも美味しそうですわね?」
と、ほんのり頬を赤らめたまま悪戯っぽく、どこか蠱惑的に微笑んだ。