いそうろう
僕の名前は身上光一。他の皆よりも一足先に起きて今日のバーベキューの支度をしている。
何より僕の大切な親友が帰ってきたので、用意は欠かさずしておく。準備をしながらはやる気持ちを抑えていると、インターホンが鳴った。
「はい、身上ですけど」
「貴方が光一ね、早くドアを開けて」
「随分とおこがましい態度だな、押し売りなら帰ってくれ。僕は今忙しいんだ」
「わかった、じゃあドア蹴破らせて貰うわね」
「おまっ、何言って……」
瞬間、玄関先から大きな物音がした。
急いで行ってみると、確かにドアは破壊され、リビングの手前まで吹っ飛ばされていた。
立ち上る白い煙から現れたのは……仁子と同じくらいの背丈、肌色、髪型の青白い女の子だった。
「おいおい、冗談きついよ……お前は誰だ」
「私の名前は飴宮バニラ。アメーバの突然変異体よ。身上光一、貴方を拘束しにきた」
突然現れた新手の微生物進化体に僕は困惑を隠せない。
まさかゲノムの手先かとも思ったが、そうとも考えられない。彼は既に死んでいる。
「困ったなぁ……今日は僕バーベキューの準備で忙しいんだよ。それよりも先に玄関ぶっ壊したなら弁償してくれ、いくら手に職持ってても僕の家計ピンチなんだよ」
「とぼけるな!身上光一!私はリボソム様に命令されて貴方を捉えに来た!あわよくば殺せと!」
「そんな事言われてもな、こっちはこっちの事情がある。それに……お前みたいな幼女が僕を殺すなんてもっての他だ。やるなら勝手にしてくれ」
「言ったわね?後悔するんじゃないよ!」
僕が準備に戻ろうとした途端、彼女は無数の触手のようなものを伸ばし始め、僕を取り囲んだ。
「いや……冗談キツイよ、って何だこれ」
「冗談な訳無いじゃない、これは私の分裂した腕。もっとも、アンタぐらいの人間に解かれるものじゃないけどね、私は本気で貴方を殺す」
そういうと彼女は不敵な笑みを浮かべ、その僕の首を締め上げた。
「ぐぁぁぁぁ!!!」
「すぐ楽にしたげる」
どんどん力が強くなり、次第に声も息も途切れていく。油断していたがこの生物、滅茶苦茶強い。
「光一、何してるの」
唐突に現れた仁子に僕は驚いた。しまった、次は仁子に危害が及ぶ……。
と思ったが段々と首が締まる力が弱まっていく。どうやらコイツは仁子に興味を示したらしい。
「何ですか、あの可愛い生き物は!光一!教えなさい」
「……アイツは僕の薬で進化させた仁子って奴だが」
「滅茶苦茶可愛いじゃないですか!こんな生物を生み出せたなら光一は神か何かですか!?」
「……え」
唐突に褒められて困惑している僕に目もくれず仁子に抱きついている。それはもう殺意など無くむしろ愛着があるレベルに。
「光一、こいつ凄くうざい」
「だろうな」
「酷い!私は仁子ちゃんに一目惚れしただけなのに……」
凄く泣きじゃくってる彼女にはやはりアメーバ並みの知能しか無いようである。
「仁子、ちょっといいか」
「どしたの光一」
僕はその間に仁子に耳打ちである事を伝えた。
「えぇ!?そんなの無理!」
「いいから、アイツ結構力強いし成功したら僕が殺されるのも何とか避けれる」
「でも……」
何か言いたげな仁子の視線を感じながら僕はバニラに言い寄る。
「な、なぁ、落ち着いて聞いてくれるか?」
「何よ!まだ私を辱めるつもり!?光一!」
「そうじゃないんだ、ほら、お前仁子と仲良くしたいんだろ?」
「そうだけど」
「じゃあある取引があってな、取引の条件は"僕を攻撃しない"」
「えぇ!?でもそれじゃリボソム様の命令が……」
話に食いついた。僕は顔色を変えず続ける。
「その点については安心しろ、あのクソ野郎の所にわざわざ居なくてもこっちに居候すれば飯も食わせてやるし、住まわせてやるし、仁子とも仲良くできる」
「ほんと!?」
「その代わり僕は殺すなよ、これは約束だ」
「うぅ……でも……」
どうやら少ない頭なりに一生懸命考えているらしい。そこで助け舟程度に仁子が助言を入れる。
「バニラちゃん、大好き」
この一言がどうやら彼女の心を貫いたらしく、一目散に仁子の元に近づいていって抱きしめた。凄く仁子の顔は嫌そうではあったが。
「じゃ、交渉成立ということで!」
「光一、後で覚えといてよ」
今までの仕返しで半泣きになりながら包容に耐える仁子を見ながら少しだけ笑った。
何故だか知らないが我が家にまた新しい家族が増えてしまった。
「おいおい、何だそいつ、仁子に肌色とか見た目はそっくりだが……何の進化体だ?」
朝のいざこざに巻き込まれなかった山中は僕に質問する。
「アメーバって本人は言ってた。名前は飴宮バニラ。この流れからいくとリボソムが何らかの形で進化薬を再現して作り出したんだと思う」
「でも何か変だよな、光一」
「何がだよ」
「お前が何年もかけて作り出した傑作を奴は作ってしまったんだろ?だとしたらどうやって作ったんだ?」
「さぁ、ゲノムだって作れないとは言っていたが、確かにそれは不可解だな」
「ま、それはいいとして、そろそろ行くか!おいバニラちゃん……だっけ?」
「はい、そうですが」
「お前も来るか?」
「いえ、私は別に……」
言い終わる前に腹が鳴った。
どうやらあっちの生活でも相当苦労してたらしい。
「ハハ、それが物語ってるぜ」
「う、うるさい!」
顔を赤くしながらバニラちゃんは返す。さながらストロベリーアイスの様でもあった。
「それじゃあ、行くぜ」
荷物をトランクに詰め込み、車は動き出した。
この時楽しいと同時に少し淡い感情が湧き出たのを覚えている。
道中も何事もなく進んでいった。山道だけではなく、湾岸線等も見えた為、僕らの娘達は喜んだ。
「光一様!海ですよ!海!」
「言われなくても分かってるよ」
「光一、行かなくていいの?」
「今日の目的はあくまでバーベキューだろ?また来年な」
「おいおい、緑ちゃん!ウィンドウから身を乗りだすな!危ないだろ!」
「山中の癖に生意気よ」
数年ぶりの狂騒に僕達は胸を弾ませた。
しかし、ふと見た横に座っていたバニラちゃんはずっと外を眺めていた。
「どうしたんだ?バニラちゃん」
「光一は……いつもこんな感じで楽しそうなの?」
「まぁ、いつもって程じゃないよ。日常的にはこいつらに教えることが一杯だし仕事もあるしでてんやわんやだ」
僕が話してても相変わらず視線は僕の方に向かず、海に向かっていた。
「私、こんな景色見たの初めて」
「そうか」
「汚れた工場にありそうな配管と腐った水しか見てきて来なかったから」
「お前……色々と壮絶だったんだな」
彼女の知られざる私生活を聞いて反応に困るが、彼女は続けた。
「光一って幸せ者ね」
「何でだよ」
「こうやって皆とおしゃべりして、色んな場所に行って、楽しそうに笑ってて……私とは全く違う」
顔を落とす彼女に僕はいたたまれなくなったが、僕からも声を上げた。
「辛かったとか苦しかったとか同情する気はないよ」
「どういう事?」
「でも、君と僕とが全く違うという事じゃない。君も僕らと同じで幸せになりたい生き物なんだと思う」
「光一……」
感動した彼女は少しだけ頬を拭った。相変わらず仁子達は賑やかにしているが、今日だけは一段と周りが静かに感じられた。
「でも私、光一を殺さないと……抹消される」
「何だと?」
「ずっとリボソムに脅されてきて、洗脳されて……でも従わきゃいけなかった。そんな日々が続いて、リボソムに命令された。光一を殺せ、さもなくばお前を亡きものにするって……でも、もう光一は殺せない。」
「心配する必要ないよ」
「え?」
「君は僕を殺さなかった、だから今度は保護者である僕が君を殺させない」
「そんな……無茶よ!リボソムはありとあらゆる汚い手を使って光一の心を蝕む。それに人間である貴方が耐えれる訳が無い」
ポツポツと雨が降るように語りかける彼女の顔はどんどんと暗くなる。僕はそれに付け足した。
「耐えれないだろうな」
「うん、無理」
「でも、心が折れたとは言わない」
「何が言いたいの……」
「僕はそうやっていつも乗り越えてきたんだ。それは根拠の無い自信だ。でも人間の魂がある限り、僕は諦めない」
少しの沈黙の間に嗚咽が流れた後、彼女は涙を一粒流しながら口を開いた。
「ほんと人間って……わからない」
少しだけ笑いかけた彼女を見つめた。希望に満ちた目をしている。
この娘はずっと何かにすがりたかったのに何もすがるものがなかった。
だから僕が助け舟を出そうと思った。かつての山中が僕を助けた時の様にただそれだけのことだった。
「おい、光一!さっきから何新入りとボソボソ話してんだよ!」
「お前……人がいいこと言った時に限って……!」
「まぁまぁ落ち着けって、そろそろ着いたぜ」
到着したのはあの時と同じキャンプ場だった。やはりここに来ると空気が美味しくて、安心する。
「光一様!光一様!こんな素敵なところがあるなんて聞いてませんよ!」
「あ、そうか福利、お前はまだここに来たこと無かったんだったな」
「懐かしいわね……あの時山中が獅子舞みたいな化物をぶっ倒して結構活躍してたような、気のせいか」
「山中、そろそろ始めよ」
「おお、仁子ちゃんももう腹ペコか!わかったよ、お前らも手伝え!」
「「「はーい!」」」
3人は山中の準備のために行ってしまった。なかなか行けずに戸惑っているバニラに僕は声をかけた。
「行かなくていいのか?」
「はい、私みたいな居候があんな所に混じってもいいのかなって……」
「何言ってんだ、仁子も福利も居候みたいなもんだぞ」
「え!?じゃああの緑ちゃんと山中さんは……?」
「アイツらは山中のFBIの仕事で全世界を転々としてる。最近は軍の方も忙しい中やっと来たってな」
そう言うとバニラちゃんはクスッと笑った。
「面白いですね、本当に多種多様です」
「全くだ、ほらボサッとしてないで、僕達も準備するぞ」
「はい!」
準備も終わり、木炭に火を点ける。パチパチと燃え上がる木炭を見てると、遠い昔の暖炉の前に座ったおばあちゃんの記憶を思い出して名残惜しい。
「よーし、野菜ばっか食ってないでこっからは早いもの勝ちだ!肉投下!」
「山中様、ナイス!」
「いや、野菜も焼けよ!」
ツッコミを入れている間にどんどんと肉が減っていく、主にバニラちゃんの方に。
「……お前よっぽど腹減ってたんだな」
「い、いやっ、違っ……」
「誤魔化しはいいから一杯食えよ。もう遠慮しなくていいんだから」
「ほんとですか!」
僕が慈悲で言い切った言葉を間に受けて、どんどん箸のスピードが上がっていく。
「何というスピードだ……焼肉取りの山中の異名を持つこの俺が……!」
「いや、流石にこれは酷いでしょ、ちょっと」
「バニラちゃんばかりずるい、光一、どうする」
「いやどうするもこうするも……前言撤回!お前少しは遠慮というものを知れェェェっっっ!!!!!」
夕方になり、僕達はテントを貼った。
今日という一日はあっという間に過ぎ、眠くもなるがむしろ今日一日自体が僕にとっては夢の中同様みたいなものだったので何故か眠くならなかった。
「光一!起きろ!」
「何だよ、山中……眠くないとはいえこっちは既にレム睡眠入ってるんだけど」
「今枕投げ大会起こってるんだよ!バニラちゃん滅茶苦茶強いんだ!お前も加勢してくれ!」
「おやすみ」
「おい!お前今"馬鹿はほっといてさっさと寝よう"みたいな顔したよな!?光一!光一ィィィィ!!!」
山中は大分騒ぎ立てたが、諦めて枕投げに没頭していた。余程の筋力と体力バカなんだろう。多分。
そういえば今考えるとあの頃と変わった所もあれば変わらないところもある。
こうして明日が訪れるかどうかもわからないこの世界で僕は少しばかりの希望を背負って生きていくことを誓った。