おかえり
僕の名前は身上光一。2年ほど前に生体神ゲノムと闘いを繰り広げ、世界を救った一般人だ。現在は博士号を取り、微生物研究者として今を生きている。
毎日多忙な日々ではあるが、子供のような生物が家にいるから差程気になるということでもない。
勿論僕には妻もおらず、人間を養子に貰った訳でもない。「作り出した」と言った方が正しいのかもしれない。
「光一、まだ?」
「あぁ待ってろ、今行くからな」
彼女の名前は身上仁子。僕が昔作った「超生物進化薬」により進化した微生物である。
その名の通りミジンコから派生して人形に変化した彼女は今ではすっかり中学生らしい姿へと変貌していた。
時には分裂したり、わがままを言ってしまう所はある意味昔とは変わらないが、それでもかけがえの無い僕の娘だ。
「わ、私もまだ準備できてないから……っ!面目ない!」
「だからいちいち改まらなくてもいいって!ここで過ごして何年経つんだよ!」
彼女の名前は戸田福利。彼女も僕の「進化薬」から進化したゾウリムシだ。彼女と彼女の姉はゲノムの手によって酷い仕打ちを受け、行き場所がなく、福利は僕の元へ訪れた。
今も昔も僕に対して敬語で丁寧なのは変わらず、仁子に対しても愛着を持っていることも変わってないだろう。
この娘も大分大きくなったが、僕の自慢の愛娘だ。
「お待たせ、仁子!とは言ってもお前買い物行くだけなのに何でそんな着飾ってるんだよ」
「私にとって買い物は聖戦よ」
「いい事言いますね……仁子さん!メモメモ」
「いや、お前はさっさと支度しろ!」
どこの家庭にもありそうでない、ヘンテコな毎日が続いている。
遠い昔に経験した儚い記憶を思い出し、少し寂しいながらも今ここにある幸せを噛み締めた。そんな夕暮れ時の黄昏だった。
「おぉー思ってたより広い」
「こんなショッピングモール来たことなかったです……パシャパシャ」
「いや、お前ら田舎の中学生かよ……少しは成長したんだし、友達でも作って遊びにでも行ったらいいじゃないか」
「私の友達は光一と福利だけ」
「ですわ」
「ぼっちも真っ青だなこりゃ」
会話している内にテンションが上がったのか2人ともモール内を駆けて行った。
僕はため息をつきながらも彼女達が楽しんでくれるなら何よりだと思った。
「見て見て、光一」
「何だ仁子……これは……」
モール内にあるゲームセンターの人混みを掻き分け進むとぬいぐるみのクレーンゲームが。
特別有名なキャラクターという理由でもないが、何故か心が熱くなった。
「やっていい?」
「あぁ、お小遣いあげたろ?それでいけるか?」
すると仁子は少し頬を膨らませたので臨時収入を出してやることにした。
「ほい、1000円」
「えぇ、いいの?」
「それぐらいあったら流石に取れるだろ、その人形」
僕が彼女を言い転がすと夢中になってゲームを始めた。どうやらこの交渉で満足してくれたらしい。
「さて、福利は……?」
辺りを見回してみたが、彼女の姿はいない。流石に中学生くらいの年齢で迷子はないだろ、と思ったが姿形も無い。
僕は焦って探し続けて……やっと見つけた所は、化粧品売り場だった。
「お前、結構ませてんな」
「うわぁ!光一様!これは……出来心で……」
誤魔化そうとする福利に対し、僕も流石に可哀想だと思い、補足する。
「いや、そんなつもりで言ったわけじゃないんだよ。むしろ大人になったら女性の嗜みだ。今から慣れておいて損は無いぞ?」
「いや、でも……」
「つべこべ言わず欲しい化粧品言ってごらん。どんな高くても一応僕は手に職持ってるんだから」
「それじゃあ……お言葉に甘えて……!」
彼女が差し出したのは化粧品BOXのような物だった。その金額は何と……5万円!?
「……前言撤回」
「えぇ!?さっき買ってくれるって……」
「嘘だよ、値段を見て少し衝撃を受けただけさ。お前も1人前のレディーだもんな、買ってやるよ」
「あ、ありがとうございます!光一様!」
「いや、化粧品売り場で土下座するなって!色々と勘違いされるだろ!」
彼女もまた、大人の階段を少しずつ登ろうとしているのかもしれない、心が踊る分、また少し悲しくなった。
上機嫌な福利を連れて、財布が厳しくなった僕は仁子の様子を見に行った、どうやらまだ取れてないらしい。
あれだけ消費して取れてないってどれだけ調整台なんだよとも思ったが彼女の諦めが付くまで様子を伺うことにした。
「光一様、行かなくていいのですか?」
「いや、福利、よく考えてみろ、ゲームセンターで楽しく遊んでいる時に保護者が訪れてきたら焦って余計楽しめなくなるだろ?微生物のお前には分からないとは思うが、これが人間の気遣いってもんなんだよ」
「なるほど、光一様は気遣いができる男な訳ですね」
「いや、そう言われると何か違う気もするけど」
2人でのんびりと話している間に、仁子の持ち玉が切れたのか、軽く絶望した顔をしている。
余程あの人形が欲しいのだろうと思うと少し心が痛くなった。
「仁子……帰るか?」
「嫌!あの人形取る!」
「言っても……だってお前100円も無いんだろ?諦めた方がいいって」
「絶対いるの!あれがないと……」
若干半泣きになっている中学生ぐらいの女の子に僕はまた心が痛くなった。彼女が顔を伏せたその瞬間、僕は筐体に100円を入れていた。
「光一……?」
「ほら、取れるまでやれよ」
「でもそんなことしたら、光一のお金が……」
「お前がそんな悲しい顔して帰ってきたら僕達まで悲しくなるだろ?気が済むまでやりな」
「うん!」
僕の少しばかりの慈悲に心を良くしたのか、大声で返事をした。一方僕は今後1週間の生活費の心配ばかりしていたのは内緒だ。
この後2000円かけてようやくその人形は手に入った。仁子の全財産+3000円かけて取れる台とは余程の詐欺台だとは思うが仁子の笑顔が見れただけで幸せだった。
「良かったな、仁子」
「うん、でも今週の雑誌もお菓子も飲み物も買えない」
「それくらい我慢しろ」
「うぅ」
少しだけ厳しくしたがどうせ彼女が要求しに来たらその金額分出してやるつもりだ。
すぐ甘やかしてしまうが、こいつらも微生物から進化していつまで命が持つかはわからない。だから、精一杯今を楽しんで欲しいという僕の心からの願いだった。
「光一、何か険しい顔してる」
「ん、あぁ、少し考え事してた、今日の晩御飯買い物して帰るか?」
「「賛成!」」
彼女達の元気な声が響いた。まだまだ無邪気だが、その内反抗期等の問題もあるかもしれない。
今熱心に愛情を注いでおかなければならないという親なりの信念がそこにはあった。
買い物を終えて、帰路を歩く僕らは少しばかり誇らしげだった。全員満足いく結果に終えて幸せだった。
「あのね」
「どうした?仁子」
急に話しかけてきた仁子に少し動揺しながら僕は応えた。
「クレーンゲームの事、ありがと」
「あぁ、当たり前だろ?一応僕はお前の保護者だ」
僕の言ったことに頷きながら少し間を置いて、彼女は話し始めた。
「実はね、この人形緑ちゃんに似ててね」
「えっ」
仁子の言う緑ちゃんというのは僕の悪友であった山中の作り出した微生物である。
ミドリムシであった彼女は山中に対してキツくあたっていたが、仁子、福利共々仲良しであった。しかし、その肝心の山中は現在、SPの仕事の事情で緑ちゃんを連れて海外を転々としている。
「あの娘どうしてるかなって思うとつい欲しくなった。山中にも会いたい」
彼女のさりげない発言に僕の目頭が熱くなった。彼女の口からそんな言葉が出るとは思っていなかった僕は返す言葉がわからなかった。
「あのな……仁子……」
「光一?」
仁子は何気なく話していたのかもしれないが、僕の方は今にも泣き出しそうになっていた。
「僕だって会いたいよ……あいつらともう1度、同じ時間を共有したいし、同じ場所で遊び続けていたい……」
僕の中で抑えられていた何かが壊れた。その場に座り込み、大粒の涙を流していた。ほんの些細なことである。
なのにその時だけはその時間が死ぬほどかけがえのない時間に感じたのである。繊細な僕の心でそれを抑えきるのに精一杯だった。
「光一……」
「仁子……僕、どうしたらいいんだろう」
動揺している仁子に変わり、福利が口を開いた。
「そう思っているだけで、十分だと思います」
「福利……?」
「私達は光一様にゲノム様を倒してくれた事に感謝しています。ですが、どんなに酷いことをされても、ゲノム様は私の父親でした。倒してもらいたくなかったのです」
「お前……何を言い出すんだ……」
「あの人は倒される運命だった、仕方の無い事ですが、あの後、私はどうしてもその事実を受け入れる事ができませんでした。
いつまで経っても気持ちを抑えられなかった私は何とか気持ちを落ち着ける為にこう考えるようにしたんです、『私達が感謝していれば、いつかきっと伝わる』と」
「福利……」
「実際、私は死んでからでもゲノム様に会えると信じています。だから光一様にも理解してほしいのです、山中様や緑ちゃんを想い続ければ、絶対に皆一緒に過ごせます、その時は……」
彼女が言い切る前に僕は立ち上がっていた。彼女の言葉に慰められた事実は変わらないが、何となく僕の心の奥底に眠る何かが僕を引き立ててくれていた。
「わかった……ちょっと元気になれたよ、ありがとな」
「光一様……!」
「光一、お腹減ったから早く帰ってご飯にしよ」
「……っ!お前、人が感動している時に……!わかったよ、今日は沢山食べろよ、皆!」
「「はーい!」」
日の入り前の夜が迫ってくるその時間に僕達の元気な声が響いた。いつかきっと一緒になれる、そんな日を信じて───。
「もしもし……おう、光一か!ほんと久しぶりだな!」
「山中……少しお願いがあるんだが」
僕達は夕飯を終え、静かな夜を過ごしていた。仁子と福利が寝静まった頃にこっそりと山中に電話をかけたのだ。
「またお前、神妙な声出しやがって……何だ、言ってみろ」
「今度さ……また皆でバーベキュー行かないか?」
「あぁ!?馬鹿言え、俺にそんな時間と金があると思ってんのかよ?」
「だよな……ごめんな、やっぱ無理かもしれないよな……」
そう言って電話を切ろうとした、その時だった。
「おい、まだ話は半分だ、次の軍の仕事の依頼が来たんだけどよ、あのクソ司令、次は日本に飛べって言うんだよ」
「嘘だろ!?」
「つまり、滞在時間もあるしお前らと鉢合わせできるかもしれねーな!」
「いや、待てよ!詳しい日程を聞かせてくれ!頼む!」
「すまん、それは次の機会にしてくれ、俺は今の時期が一番仕事立て込んでるんだよ、休日の話は後だ、それじゃあな」
「おい、山中……山中ァァァァ!!!」
少しばかり叫んでしまったが、既に電話は切れていた。僕の絶叫を聞き目が覚めたのか、仁子がまた、僕の部屋を申し訳なさそうに開いた。
「光一……どうしたの?」
「い、いや、こっちの話だ!今微生物にどれだけ音量を与えれば分裂するかの実験をしててな、アハハ……」
なけなしの誤魔化しをやり遂げた僕は冷や汗をかきながら彼女を見つめた。どうやら疑っている様子は無いらしい。
「そっか、光一も早く寝てね、おやすみ」
「おう、おやすみ……」
そう言って扉が閉まった瞬間僕は膝から崩れ落ちた。寝よう。前と同じように何も考える暇もなく床の間に着いた。
社会人になってから皆忙しい。当たり前の事なのにそれが何故か虚しく感じてしまう、そんな深夜の出来事だった。