94 叙任式
いよいよ叙任式が始まる。
会場は玉座の間だ。
最奥の豪奢な椅子に騎士王ブラッドが腰掛け、その左右に騎士団長ブルーノと王妃カトレアが並び立つ。
その手前には、騎士や文官たちがズラッと列を成して新参者を出迎えていた。
エステルやグラント、それに付き添い役のドルヴァンらは、列の一番手前で騎士王と向かい合う形で膝をつく。
「ではこれより叙任式を執り行う」
まず騎士王ブラッドの挨拶から始まり、続いて文官たちが今日新たに貴族の列に加わる者たち――エステルとグラントの2人の紹介を行う。
貴族に加える価値を持った優秀な者である事を改めて周知するためだ。
『へぇ、未成年でSランクになったの。君が初めてらしいよ?』
そもそもの話、未成年が冒険者登録を認められる事自体が稀なことだ。
ましてそこから更にSランクと昇りつめることまず前例がない事だった。
エステルの弛まぬ努力と、なによりステラの尽力あってこその結果だろう。
「(少し意外ですね。ですが、どうやら功績を多めに積んでおいて正解だったようですね)」
話の中で、エステルの昇格が異例の出来事があることが語られる。
それと同時に新たな前例をつくるだけの価値が彼女にはあることが強調されていた。
前例を覆すには、ただSランク相当の実力であると認めさせるだけではダメだったろう。
恐らくは成人を待ってからという話となったに違いない。
エステルの功績稼ぎは少々過剰なように見えて、実はそうでもなかったようだ。
文官たちによる紹介が終わり、いよいよエステルたちの出番がやってくる。
「では新たなる同士、エステルよ! 王の御前へと進め!」
多くの貴族が立ち並ぶ中をエステルはゆっくりと進んでいく。
様々な種類の視線が彼女へと降り注ぐが、一顧だにせず優雅な足取りにて玉座の傍まで辿り着く。
『わー。ホントに王と2人きりだねー』
見ればブルーノとカトレアの2人も、いつの間にか王の両隣りから離れていた。
エステルと玉座の前に立つブラッドとの間には、誂えたような広い空白地帯が出来上がっていた。
『ミョルニルドンナーも持ってないし、これは絶好のチャンスだね』
ブラッドは腰に剣を刺してはいたものの、厄介な戦槌は持っていない様子だ。
このまま不意を付けばエステルの暗殺が成功する可能性は高い、そう思える状況だ。
「(ええ。勅許状を受け取る際に仕掛けます)」
これから貴族へと任じる書状が、ブラッドから直接手渡しされる事になっている。
もっとも自然に最接近するチャンスであり、そこで隠し持った短剣でその首を狙うつもりであった。
いちおう事前に身体検査を受けたエステルだが、武器の持ち込みがバレる事は無かった。
ステラの魔導具の一つに透明の小型マジックバッグが存在し、それを服に仕込んで検査を逃れたからだ。
服を借りずにわざわざ新調したのは、そのためもあった。
もっとも危険物や魔導具はともかくとして、通常の武器類は持ち込みが許可されていたらしく、少し肩透かしを食らったりもしたが。
「前へ!」
そんな指示を受けて、エステルはブラッドのもとへと進んでいく。
書状を手渡しで受け取れるほどに近くまで。
『さてさて、どうなるかな?』
これから起こるだろう出来事へと期待を馳せながらそう呟くステラ。
「エステルよ。お主のような将来有望な若者を迎えられて嬉しく思うぞ」
「光栄の至りに存じます」
「うむ」
エステルの答えに満足気な表情を浮かべるブラッド。
それから書状を手に持ち、エステルへと手渡す構えを取った。
「では……」
ブラッドは肉付きの良いテイワズ騎士の中でも特に大きい背丈を持つ。
対するエステルは年齢相応の身長しかない。
2人には軽く50cmを超える身長差があり、必然エステルが見上げる形となる。
だが彼女の視線はブラッドの顔ではなく、その下にある首元へと向いていた。
次の瞬間、前に差し出された書状ではなくその更に奥――ブラッドの首元目掛けてエステルの右手が振るわれた。
短剣を握り締めて、高速で。
「ふんっ!」
エステルが放ったその渾身の一撃は、しかしあっさりとブラッドの手甲によって弾かれた。
「っ!? タイミングは完璧だったはずですが……」
しかも書状によって出来た死角からの一撃だ。
いかに騎士王といえど、そう易々と反応出来るはずは無かった。
「なに。そう来ると思っておったからの。確かに素早い一撃だが、分かっておれば防げぬほどではない」
「……私が攻撃を仕掛けてくると知っていたのですか?」
「む? まさかお主の方こそ、何も知らずに仕掛けてきたのか? ……なんという奴よ! ガハハッ!」
つい今しがた命を狙われたばかりと言うのに、ブラッドはそう笑う。
決して嘲笑などではなく、心底嬉しそうな可笑しそうな、そんな笑い方であった。
『……おかしいね。周りもとっくに気付いているはずなのに、誰も止めにこないよ』
ステラが訝しむ声をあげる。
見れば広間にいる騎士たちが列を崩してエステルたちを取り囲んでいた。
だが彼らの表情に浮かぶのは驚きや感心などばかりで、彼女に敵意を向けている者などほとんどいない。
「……これはどういう事でしょうか?」
「ふむ。知らぬようだから教えてやろう。我が国の伝統でな。貴族へと叙任される際、騎士王への挑戦権が与えられるのだ」
正確には今回のような場合だけでなく、成人を迎えた貴族や、爵位を得たり陞爵した場合などにもその権利は与えられる。
「そのような話聞いていませんが……?」
「ふむ。まあ明文化されたルールではなく、飽くまで暗黙の了解に過ぎぬからな。それに廃れつつある伝統でもあった」
騎士王を倒せるような実力者ほど、この国ではその座を忌避する傾向が強かった。
大聖印や王器は魅力的だが、その一方で政務が山積みとなり鍛錬の時間を多く削られるからだ。
彼らはそれを嫌うのだ。
そしてそれ以外の者たちは実力差ゆえに無謀な戦いを避ける。
実際、ブラッドが王となってからその権利が活用されたのは、今回が初めての事であった。
「では何故、私がそうすると?」
「リオンの奴がうるさかったのだ。お主なら絶対にそうするとな。実際にそうなった訳だから、あやつの見る目も案外馬鹿に出来ぬものだ」
『はー。なんていうか、やっぱりテイワズの子孫なんだねー』
世間では割と誤解されがちだが、テイワズの騎士達は不意打ちなどの、ある意味では卑怯や姑息とも揶揄される手段を特別否定はしていない。
そういった手段をあまり好まないは事実だが、それは単に小細工にばかり頼り過ぎると地力の成長に差し障る。
そう信じているからに過ぎなかった。
「では、このまま攻撃を続けても構わないと?」
「うむ。むしろそちらの方が皆にとっても嬉しいことだろうな。無論わしにとっても、な」
『はぁ、なんか妙な展開になっちゃったねー』
「(ええ、ですが私にとっては好都合です)」
ある意味では合法的に雷の大聖印を奪い取る機会を与えられた訳だ。
あとはこの戦いに勝利するだけ。
そうしてエステルと騎士王ブラッドの戦いの第2幕が始まる。
エステルの暗殺の肝は、殺意も何もない状態でいきなり攻撃が飛んで来る辺りです。
彼女の父ハインリヒもそのせいでやられました。
なので攻撃自体を予想されていたら、実はそこまで脅威でもなかったり。
まあブラッドほどの実力者だからこそ防げた部分もありますが。




