23 目覚めた先に待つは悪夢
現在ユングヴィ王城内は混乱の極致にあった。いやそれは何もこの王城内に限った話ではない。隣接するステラ魔導院や更にその先のヴァナディース王城側も相当な混乱に見舞われていたし、それに輪をかけてその外側の都市部は大変な事となっていた。
ユングヴィ・ヴァナディース双聖国の中核都市であり、美しい街並みを誇っていた聖都ユングリングは現在、そこかしこに火の手があがり建物は焼け落ち、見るも無残な姿へとなり果てていたのだ。また、それに巻き込まれて多くの人死にも生じてしまっている。
「何があったというのだ! 状況を説明しろリーンハルト!」
そんな大惨事の真っ只中で、急遽ユングヴィ聖王の座に就く事となったユリウスの嫡子アルヴィス。だが彼は成人さえまだの半人前に過ぎず、実質的な指揮は部下達が行っていた。
しかし彼はお飾りの立場など望んでおらず、なんとかこの大惨事への対処について主導権を握るべく情報を求めていた。
「はっ。実は――」
その発端となった出来事は聖王ユリウスの死であった。これは双聖国が誇る三英雄の一人にして、ユングヴィ最強の騎士ハインリヒの仕業であった。その結果、宿主を失った闇の大聖印は次の宿主として彼を選び、ユングヴィに新たな王が誕生した。だがその直後にどうやってか玉座の間へと転移してきたその愛娘エステルが、彼を不意打ちによって殺してしまったのだ。
遅れて現場へと駆け付けた騎士団長リーンハルトが一時はエステルの身柄を捕えるも、魔術によって完全に意識を失ったはずの彼女の身体がなぜか再び動き出す。そして喋る声も発する雰囲気も何もかもが別人のようになった彼女は、禁呪と思しき大魔術によって聖都ユングリングの住民たちを眠らせてしまったのだ。
魔術による強制睡眠には、実は受けた者に対し大きな危険をもたらす事となる。
例えば馬に乗っている者が眠ってしまえば、間違いなく落馬してしまうだろうし、そうなれば命にだって関わる。実際その当時に馬上にあった者達のほとんどが魔術を使える貴族であったのが、眠らされて尚魔術障壁を維持できるような猛者はおらず、その多くが帰らぬ人となっていた。
また禁呪が行使された時間も悪かった。夕食の準備をしていた家庭も多く、火を扱ったまま意識を失った平民たちも数多くいたようで、それが出火元となり、いくつもの大火災が聖都の各地で巻き起こる事態となってしまった。本来ならばすぐに消火されるだろう小火でさえ、消すべき人間が眠ってしまっていたせいで、被害の拡大を招いてしまったようだ。そんな状況を鑑みれば、聖都全体が焼け落ちなかっただけ、まだ運が良かったとさえ言えるのかもしれない。もっとも眠ったまま火炙りに処された人々にとっては、そんな事実などなんの慰めにもならないのだろうが。
「申し訳ありませんアルヴィス殿下、わしがハインリヒの手綱を握り切れなかったばかりに……」
「全くだぞリーンハルト! その様で良くこれまで騎士団長などが務まったものだな!」
アルヴィスがリーンハルトに対し強く当たるのは、先の見えない状況に対する憂さ晴らしという側面ももちろんあったが、それ以上にリーンハルトの存在を彼が危ぶんでいたからだ。
ユングヴィ聖王として闇の大聖印を受け継ぐ資格を持つ者――すなわち闇の小聖印の所持者は元々ハインリヒ、アルヴィス、リーンハルトの3人しかいなかった。そしてそのハインリヒが死んだ今、アルヴィスの地位を脅かす存在はもはやリーンハルトだけとなる。
無論、リーンハルト自身にユングヴィ聖王を目指す意思など一切無いのだが、猜疑心の強いアルヴィスにとって彼がいくら否定の言葉を重ねようとも信じきれないのだ。またそのように不安に思うのには彼自身の置かれた立場の不安定さにも原因がある。
彼は父親のユリウスとは違い古い貴族達の薫陶を強く受けており、彼らを優遇し逆に新興貴族に対しては辛辣であるともっぱらの評判であった。そしてそれこそがハインリヒによるクーデターが半ば成功寸前まで上手く進んだ理由でもあった。
本来ならばハインリヒへと与した貴族達をその係累もろとも処分したいと考えていたアルヴィスだったが――実際当初はそう主張していた――リーンハルト他、多数の部下達の強硬な反対に遭い、一旦は取り下げている。2人の強者を一度に失ったユングヴィにとって、ここで更に多くの騎士たちを処分する余力など、もうどこにも残されていないのだ。大戦は終わったとはいえ決して双聖国が一方的に勝利を手にした訳ではない。特に東側諸国の被害は少なく済んでおり、まだ十分な余力が残されていると考えられる。そんな状況下で他国に隙を見せる事など許されないのだ。
そして何より一番の理由はアルヴィスが闇の大聖印を持たない事にあった。それも父ユリウスとは違い、疑似大聖印すら彼は有していないのだ。緊急時に際して国家を纏める必要上、暫定的にその座に就いているだけに過ぎず、彼が聖王として君臨する根拠は本来どこにも存在しない。これは父ユリウスよりも更に危うい立場であると言ってもよかった。
加えて双聖国のもう一人の長たるヴァナディース聖王アルヴィスは、大戦を共に戦い抜いたハインリヒの戦友であり、アルヴィスに対してもともと余り好意的とは言い難い事実もマイナスへと働く。ユングヴィの古参貴族達の多くはアルヴィスを支持するだろうが、彼等は権力は有していても、純粋な戦力という面では新興貴族達に大きく劣っていた。魔術の才には秀でていても、それを実戦で扱えるかはまた別物なのだ。特に今生き残っている古参貴族たちは、そのほとんどが大戦に際して尻尾を巻いて逃げだした連中ばかりであるのだから尚更の事であった。
「エステルの奴はまだ見つからぬのか!」
「はっ、兵士たちを動員して捜索に当たらせておりますが、今の所芳しい報告は上がってきておりません」
「おい! なぜ騎士たちを使わぬのだ!」
「……彼らは皆、貴重な魔術師です。災害に見舞われた聖都の手当てだけで今は手一杯なのです」
現在、唯一禁呪の魔の手から逃れた聖王アレクシスを中心に、現地では救助活動が今なお続いている。リーンハルトもまた、つい先程までそれを手伝っていたのだが、アルヴィスの命令で呼び戻されたのだ。
「馬鹿か! 平民どもを救うよりも、大聖印を取り戻す事が最優先だろうが! 耄碌したかリーンハルト!」
アルヴィスのその言葉は表面上は確かに正しくあり、それはリーンハルトも理解していた。
だが明らかに様子の変化したエステルと対峙したリーンハルトは、彼女を力で捕える事はまず不可能だと判断していた。それよりも下手に騎士達を差し向けて、実力で取り押さえようとすれば、貴重な戦力を悪戯にすり減らす結果になってしまうだろうと考えていた。
ただ探し出すだけならば騎士でも兵士でも実はそう大差はない。むしろ平民の兵士達の方が一応貴族であるエステルに対し命じれば下手に出て対応してくれる為、彼女にこちらへと戻って貰うよう説得する上ではまだマシであるとさえ考えていた。
だがそんな事を懇切丁寧に説明してもアルヴィスが納得するなどとは到底思えなかったリーンハルトは沈黙を選択する。彼自身、エステルが目の前で見せたとてつもない実力に対し、いまだ信じ切れずにいるのだ。間近で見ていない者ならばそれは尚更の事だろう。
「……まだやるべき事が残っておりますので、これで失礼させて頂きます」
「ふんっ、勝手にしろ」
ぞんざいなアルヴィスの態度に対してもリーンハルトは眉一つ動かす事なく、一礼してその場を辞していく。
「(ユリウス陛下、貴方は偉大な王でしたが、一つだけ大きな失敗をしたようですな)」
ユングヴィに残されたたった2人の闇の小聖印所持者。彼らの間に横たわる亀裂はこうして深く大きくなっていく。




