166 少女たちの想い
レリーナのお茶会から退席し、自室へと戻ったエステル。
「その……あれで本当に良かったのか?」
いつもと何ら変わらぬ少女へと、グラントが不安そうな面持ちで尋ねる。
「ええ、最初の印象がやはり大事ですからね。普通の出会いでは、記憶の片隅に埋もれてしまった事でしょうし……」
それは思い違いであり、実のところ既にレリーナからは多大な関心を寄せられていたのだが、好意に類する感情に疎い少女はそれには気付けずにいた。
「しかし、女帝の娘に対し……問題とはならないだろうか?」
「いえ、そこは大丈夫ですよ。序列としては私の方が上なのですから」
「まあ、そうなのだが、それは建前の部分も……」
魔術の実力によってのみ定められた序列こそが最優先という魔導院独自のルール。
だがそれが果たしてそれが一体どこまで守られるか、そこは正直微妙なところであるとグラントは考えていた。
「大丈夫だと思いますよ。アーデルハイト様も多く顔を出しますし、ここで大っぴらにルール破りをすれば、あちら側の不利益の方が大きいでしょうし……」
ルールを守らせる側が率先してそれを破る行為は、その求心力に悪影響を及ぼす。
なので、特段の事情が無い限りは、ルールの遵守が優先されるだろう。そんな予想だ。
「それに……レリーナ様も親に泣きつくような真似を為さる方ではないようですし」
「そうなのか? その割にどうも大層ショックを受けた様子だったが……。涙もボロボロと流していたしな」
グラントから見たレリーナは、どう見てもエステルの所業に心を痛めてすすり泣くか弱き深窓の令嬢の姿であった。
「そうですか。グラントさんにはそう見えたのですね。エマさんはどうでしたか?」
グラントの見解を聞いて、今度はエマへと意見を求める。
「わたくしもグラントと同じように見えましたわ。ですが、お嬢様がそうおっしゃるという事は違うという事なのでしょうか?」
「ええ、まあ私の勘が正しければ、ではありますが……」
◆
「レリーナ様! 申し訳ありませんでした!」
お茶会が終わり、自室へと戻り側近だけとなったレリーナたち。
そこで彼女の護衛騎士であるエドガーが、ガバッと大きく頭を下げた。
「……何のお話かしら?」
「妹の……我が愚妹エステルの事に御座います」
レリーナの素っ気ない言葉を怒りだと判断したエドガーは、益々恐縮した様子でそう頭を下げ直す。
「ああ……。あの方は、貴方の妹君だったのでしたわね……」
「(やはり怒っていらっしゃるのか?)」
エドガーにとって、主の少女があのように涙を流す姿を見たのは初めてのことだった。
現皇帝の末娘にして、突出した魔術の才を生まれ持ち、ライバルであるはずの実兄二人から寵愛を受けたレリーナは、次期皇帝として盤石に過ぎる存在だ。
そんな彼女の不敬を買ってはこの先やっていけないと、面と向かって非礼な態度をとる者などこれまで存在しなかった。
だが彼の妹エステルは、それをやってしまう。
周囲から言葉の刃を向けられたことがないレリーナにとって、それは大変ショックな出来事であったのだろう。
これまで常に穏やかな表情しか見たことがなかった仮面が、ついに剥がれる時が来るのかもしれない。
そんな未知の恐怖に包まれるエドガーだったが、話は思いもよらぬ方へと向かう。
「エステル様……ああ、本当に素晴らしい方でしたわね。他人を道具だとしか思っていないその瞳、本当に素晴らしかったですわ……!」
「はっ?」
エドガーの予想に反し、レリーナは明らかな喜色を見せていた。
その表情は歓喜に満ち溢れており、全身を震わせながら、いかにエステルが素晴らしいかを、ひたすらに詠い続けていく。
「あの凛とした声で、告げられた死の囁き。あの瞬間、わたくしは自分が女である事を初めて実感致しましたわ」
あの時、彼女が濡らしていたのは眼窩だけではなかった。
喜びの余りに、その秘部までもじっとりと湿らせていたのだ。
「あ、あの……レリーナ、様?」
「わたくしはあの方の傍に居たいと思います。そうして、その冷たい瞳をずっと向け続けてくれたなら……」
エドガーだけでなく、他の側近たち全員がドン引き状態だった。
主たる少女が何を言っているのか、もはやサッパリついていけず、しかし明らかに異常な事だけは見て取れる。
その姿に何を言っていいか分からず、誰も彼もが一様にただ押し黙る。
そんな彼らに気付いた様子もなく、レリーナの独壇場は続いていく。
「まずはあの方と友人にならなければ。そして恋人となり、やがてはその奴隷となりましょう!」
ついには無茶苦茶な計画を立案し始めるレリーナ。
もはやその暴走は留まる気配は無い。
唯一それを止められるのは、母親たる女帝だけだったが、今の有様をそのまま報告すれば自分たちの首が飛びかねない。
いや自分たちだけで済めばいい。
普段は穏やかに見える女帝だが、その本質は苛烈の一言だ。
実の母親を殺し、双子の妹さえも殺して、皇帝の座を奪い取った女傑なのだ。
その罪は一族郎党にまでも及びかねない。
次期皇帝の教育に失敗した事実はそれ程に重く、側近たちは昏い表情を浮かべただ口を閉ざす他なかった。
◆
「やっぱり皇族の御菓子は、別格の味だったねぇ」
お茶会で一人、お菓子の味ばかりを楽しんでいたステラ。
今の彼女の地位でも十分に美食は手に入るのだが、皇族が食す料理の入手は流石に難しいと言わざるを得ない。
食材自体が手に入らない訳ではない。これは単純に料理人の腕の問題だった。
侯爵家の料理人とて一流だったが、皇族の料理人は更にその上をいく。
何より帝国中の食材が集まるこの都で、長年蓄積した数多のレシピの中には、外部には秘された存在も多く、それを得るのは常道では困難を極める。
「てわけでさ、ちょっと数人連れてきてよ。シエロ」
とはいえ、彼女が常道に拘るわけもなく……極自然に料理人たちの拉致を命ずる。
「はぁ……。少々我を酷使し過ぎではないか? いかに我が疲れ知らずとはいえ、その身は一つしかないのだが?」
「うーん。だったら分身の術、使ってあげよっか? 君なら維持もできるでしょ?」
「それだけは勘弁してくれ。我は真っ二つになどなりたくない……」
そんなステラの言葉に、ぶるぶると首を振るシエロ。
「そっ、だったら頑張ってよ」
「……了解した」
結局、いいようにステラに扱き使われるシエロ。
その一方で片割れたるカエルムが、戦都で楽しそうにやっている事を思い出すと、得も知れぬ怒りを覚えてしまうのを禁じ得なかった。




