141 エステルの新魔術
「それでは、これより新魔術"分身の術"の実験を開始したいと思います」
エステルのそんな宣言と共に各人が、持ち場へと着く。
「やはり俺がやらねばならぬのか……」
以前にエステルに貰った切れ味に特化した大剣――ベガルタを手に持ったグラント。
その刀身をジッと眺める彼だったが、その表情は酷く陰鬱なものだった。
「仕方がありませんわ。わたくしは剣の扱いはそれほど得意ではありませんし、シエロ様にはフォローに集中して頂かなければなりませんから」
グラントに対し、エマがどこか嫌らしさを感じさせる笑みを浮かべながらそう告げる。
「……分かっている。分かってはいるのだが……」
現状、自身がその役目に適任である事は彼もちゃんと理解していた。
だが感情が拒絶して止まないのだ。
「グラントさんは私に協力するのがお嫌なのですか……?」
そんな彼に対し、エステルがそう尋ねる。
憂いを帯びた表情を浮かべて、やや上目遣いで。
それはグラントにとっては女神の啓示に他ならなかった。
実際のところそれは全てはステラの指示であり、ただの演技に過ぎなかったが、しかし恋に盲目な中年男性を騙すには十分だった。
「くぅっ、了解した。俺も覚悟を決めるとしよう……」
苦しみながらも、ようやくグラントは腹をくくる。
「シエロさんの方はどうですか?」
「生命維持の結界は既に限界まで展開している。後は貴様次第だな」
数多くの輝く魔方陣が一帯に所狭しと敷き詰められている、
それらは全て、これから死ぬ目に遭う少女を、どうにか生かすための処置だった。
この結界内であれば、並み大抵の傷では死ぬことはあり得ない。
にもかかわらず、シエロの表情に一片の緩みさえも生じる事は無い。
「ではエマさんの方は?」
「わたくしは準備万端に御座いますわ。エステル様に与えられたこの役目、完璧にこなして見せましょう」
そう告げる彼女の頭上には、大量の血によって形作られた巨大な球体が浮かんでいた。
供出元はエステルであり、これから行われる実験のフォローに使われる予定だ。
「ええ、お願いしますね」
エマの参加は予定外ではあったが、それによりシエロの役割が一つ減り、少しだけ余力が生じることとなった。
その事に対し、素直な喜びを見せるエステル。
何もかもが初めてであり、失敗の公算が高い実験ではあったが、それでも彼女は一発成功を狙っていた。
それでなくとも、せめて次の成功に繋がる何かを得たいと考えていた。
彼女とてそう何度も試したい実験ではなく、僅かであってもプラスの要素は多い方が良いのだ。
「皆さん問題は無さそうですね。では、そろそろ始めましょうか。グラントさん、よろしくお願いしますね」
「……ああ」
腹は括ったはずのグラントだが、滲み出る汗は止められない。
これから自身の行うこと、それを想像した彼は恐怖に怯えていた。
そんな震える彼の手に、エステルがそっと手を添える。
「大丈夫ですよ。グラントさんならきっとやれます。そして私を信じて下さい。その程度で私は死にませんから」
重ねられた少女の手から伝わる体温が、グラントに力を与えた。
それは女神の加護であり、そして勇気となった。
「ああ、すまない。君はやはり俺にとって女神そのものだ」
恐怖に怯えさせた元凶もまた彼女である事など、もうすっかりと忘れてグラントは舞い上がっていた。
「我が女神のため、生涯最高の剣を今ここで振るって見せよう!」
両手で大剣を握りしめ、それを上段へと構える。
「ええ、期待していますね」
一方でそんな彼の目の前に立つエステルは、微笑みを浮かべながら魔術防壁を完全に解き、身体強化の制御のみに集中する。
身体の重心線付近は薄く、それ以外は強くといった具合に。
『さてと、どうなるかなー?』
理論の上で語るならば、九分九厘エステルが死んでそれで実験は終わるだろう。
しかしその一方で、彼女ならば残りの1%を引き当てそうだとも考えていたステラ。
その予感が正しいかどうか、もう間もなく判明する。
「では行くぞ!」
グラントの身体強化が極限まで高まりを見せた。
それは後先を考えない死力を振り絞った、まさに彼の全力であった。
「はぁぁぁぁ!!!」
そんな膨大な力が籠められた剣が、神速の勢いでもって振り下ろされた。
少女の――エステルの頭上へと。
少女の頭部に触れた剣は、そのまま頭蓋を割りながら顎をも抜け、その勢いのまま胴体をも切り裂いた。
グラントの剣によって、少女の肉体は真っ二つに割られた。
だがベガルタの脅威の切れ味と、振るうグラントの卓越した剣の技。
それにより傷口から滲む血はごく少量で済み、別たれたはずの胴体もすぐには離れようとはしない。
そして何より少女はいま尚生きていた。
その瞳が僅かに動き、エマに次の行動を促す。
「お任せ下さいませ」
エマが頭上の血を操作し、少女の傷口へとゆっくりと浸透させていく。
そして浸透が十分となった頃合いを見計らい、そのの肉体全てを血で覆い、そのまま2つへと分離した。
血の膜で覆われて止血されたため、噴出こそ起きないが、しかし生命の維持には明らかな齟齬が生じているはずだ。
にもかかわらず少女の瞳はどちらもいまだ見開き、僅かながらに動いている。
「……まだ意識があるのか」
その姿を見て、驚愕の色を隠せないシエロ。
いくら結界による生命維持の補助があっても、この状況では生きているのさえ不思議なのだ。
本当に人間なのか、そう疑わずにはいられない。
そんな中、2つのエステルが更なる脅威を見せつける。
それぞれの腕が微かに動き、そこから魔術の発動を示す光が溢れだしたのだ。
それは再生魔術の光だった。
「流石はエステル様……。ホント素晴らしいですわ」
2つに肉体を別たれて尚その意識を保ち、あまつさえ魔術の発動を行ってしまう少女。
そんな今の主に対し、エマは心からの敬愛を寄せつつあった。
「エステル、君になら必ずやれる」
一方で愛する少女を自らの手で分断してしまったグラントは、祈るようにそう呟く。
エステルの頼みでそれをやり遂げた彼だったが、やはりその事実が彼にもたらした衝撃は大きかった。
このままエステルが死んでしまえば、彼は当分立ち直れないだろう。
その事を無意識に察したのだろうか、必至の形相でただただそう祈り続ける。
周囲が三者三様の表情を浮かべて見守る中、少女が行使する再生魔術が徐々に効果を表し始める。
「むっ、まさか……本当に成し遂げてしまうのか?」
シエロが驚愕に声を震わせながら、そう呟く。
出血を抑える血の膜を押しのけながら、徐々にその肉体が修復されつつあった。
別たれた2つ、その両方ともがだ。
半身を失ったそれぞれが、再生魔術によって欠損を補っていく。
「ああ……エステル様。かつてのわたくしの愚かさをどうかお許しください。あなた様こそがステラ様の魂を宿すに相応しい存在でしたわ」
エマが膝を付き頭を垂れながら過去の罪を懺悔し、そして少女たちへと祈りを奉げる。
「まさか人間にこのような真似が可能だとはな……。正直、怖れいったぞ」
シエロもまたこの異常に過ぎる光景を目にして、ただたた感服した表情で、素直な称賛の言葉を送る。
「……我が女神よ。本当に……良かった……」
グラントは膝を落とし、そのまま下を向いて歓喜の涙を垂れ流す。
喜びと安堵と、そして何より少女に対する賞賛の感情が、彼にそうさせたのだ。
そしてついに。
再生の光がゆっくりと消えて、その魔術は完遂された。
そこには血にこそ濡れていたが、完全な姿を取り戻した少女が2人、立っていた。
色々と頭のおかしい展開ですが、まだ終わりではありません。
次回は何をやったのかの解説と、その副作用なんかについてです。
それと連絡です。
3章が余りに長くなり過ぎた上に、章タイトルである「魔導院の下級最強魔術師」まで全然到達しないので、章を分割する事にしました。
なので次の4章が「魔導院の下級最強魔術師」となります。ご了承ください。
尚3章はもうちょっとで終わる予定です。




