140 シエロ
帝都エレフセリアを目前にしたエステルたち一行。
その行く先を一人の女性が待ち受けていた。
「お待たせして申し訳ありません、シエロさん」
赤い長髪に、切れ長の目をしたスレンダーな美女だった。
彼女こそが本来の同行者であるシエロである。
「まさか女性だったとはな」
その正体がヘヴンリードラゴンである事は教えられていたグラントだったが、しかしそれが女性だとは思っていなかったらしい。
「……何か問題があるのか、人間よ」
そんなグラントの反応を訝しみ、威圧の視線を向けるシエロ。
「い、いや。すまない。ただ純粋に驚いただけなんだ」
大してグラントは若干しどろもどろになって、そんな弁明の言葉を述べる。
「まったく、随分と我を振り回してくれたものだな。だがまあいい。しかし、見た目が少し変わったか?」
「ええ、今後のためのちょっとした小細工ですよ」
エステルは、別のエステルへと成り代わるべく変装を行っていた。
星のように煌く銀色の髪は、ややくすんだ金髪へと変わり、雪色の肌は標準的な白さへと色素を増していた。
とはいえ、顔の造形などはあまり弄ってはいない。
もともと似た系統の顔であったので、痩せたせいで変わったと、そう言い張る事にしたのだ。
エステルくらいの年頃ならば、成長すれば顔の造形などすぐに変わる。
となると残る懸念は声の変化だが、こちらは声変わりをしたと言い張る予定だ。
男性ほどではないが女性にだって声変わりは存在し、稀ではあるが分かり易い変化をする女性もいる以上、それで問題ないはずだ。
無論、常に彼女の傍にあった者たちならば、すぐに違和感を覚える事だろう。
だがそういった者たちはみな先程の襲撃で死んでおり、生き残った数名もみな彼女の仲間たちが成り代わった者たちである以上、その事実が露見する可能性は低いと言えた。
「やはりか。人間の容姿の区別はどうも苦手なのだ。おかげで随分を苦労させられた」
人化の術によって、その見た目が人間同様となってはいても、その本質はやはりヘヴンリードラゴンなのだ。
人間が他種族の細かい差異が分からないのと同様、彼女もまた人間の個体ごとの区別を不得手としていた。
だがそんな彼女に対しステラが命じたのは、魔導帝国セックの現状についての調査だった。
時には人間の中へと混じり交流を持つ必要もあったため、色々と大変な思いをした様子だ。
『ふぅん、頑張ったんだねぇ。それで、テュポーンとは会えたのかな?』
ステラの指示の一つに、テュポーンとの接触があった。
この国の魔物の領域たるエトナ火山。その長であるテュポーンを味方に付ければ、何かとやり易いからだ。
そんな問いをぶつけられたシエロは、非常に嫌そうな顔を浮かべた。
「……すまない。人間どもがうじゃうじゃと徘徊していたため断念した」
ムジョルニア雷平原と同様に、エトナ火山にもアンズーが送り込まれており、騒ぎを起こしていた。
その討伐のために多くの騎士たちが、入山していたせいだった。
『ふぅん。君なら人間の探知なんて簡単に誤魔化せそうだけどね?』
ヘヴンリードラゴンたるシエロの力は絶大だ。
純粋な個体性能ならば各国の王たちさえ大きく上回る。
そんな彼女ならば、人間の探知を避ける隠形の技も当然身につけているはず。
そんなステラの主張だ。
「……星器持ちが居たのだ。今の我ではその探知から逃れるのは困難だ」
『ああ、ガラティーンフランメかぁ。なら仕方ないかなー』
アンズー討伐隊の中には、女帝アーデルハイトも混じっていた。
彼女は真なる王の一人であり、火の七天星器を有している。
その権能の一つに、広範囲をカバーする強力な探知能力が存在した。
シエロの隠形さえも破れる程の。
「……やけにあっさりと納得するのだな」
自身の言い分に理解を示し、特に罰を与えようとしないステラ。
そんな態度をつい訝しんでしまうシエロ。
「あの……ステラは理由をきちんと話せば、ちゃんと分かってくれる方ですよ?」
そこにエステルのフォローが飛ぶ。
それは本心からの言葉だ。
『そだよー。ボクを何だと思ってるのさ、もう』
それに乗っかるステラだが、実際のところシエロの懸念は何も間違ってはいない。
気分屋な彼女は、その機嫌次第では例え理不尽な理由であろうとも、それに対し罰を与えようとするだろう。
僅かな交流の時間と、何より主たるリントヴルムから色々と話を聞いており、その事をシエロは十分理解していた。
もっともステラは見栄を張るため、エステルの手前では割と寛大な存在であるのも、また事実ではあるのだが。
「……そうか。それは失礼な事を言ってしまったな。申し訳ない」
色々と納得いかない気持ちを抱くシエロ。
だがこれ以上下手に突っついて藪蛇となる前に、頭を下げて話を終わらせる事を選択したようだ。
『まっ、分かってくれればいいよ』
「ではシエロさんと合流出来たことですし、そろそろ……」
一方でどこかウズウズとした様子のエステル。
『はぁ……。やっぱり諦めて無かったの? 難しい事は十分に分かったでしょう?』
先程、エマから引き取った実験体を使い、エステルは自身が考案した魔術の予備実験を行っていた。
その結果、彼らは全員物言わぬ死体となり果ててしまった。
同じ事を自身の身に施せば、彼女もまた死へと至る危険は非常に高い。
「ええ、ですがシエロさんなら、最悪死んだ直後であれば蘇生も可能なのでしょう?」
「……蘇生魔術か。一応心得はあるが……」
エステルの言葉だけを聞いたシエロは、何の話だと不思議がる。
「ええ実は――」
これから行おうとしている新魔術――その内容がシエロに対して語られる。
「――馬鹿か貴様は! 私のフォローがあっても十中八九死ぬぞ!」
「ええ、それは理解しています。ですのでシエロさんには、もし私が死んだ時のフォローをお願いしたいのです」
自身の死さえあっさりと受け入れて、それを前提として続きを語るエステル。
「おい、お前たちもこの馬鹿を止めろ! 自殺行為などではなく、もはやただの自殺だぞ、それは!」
狼狽したシエロが、グラントへと助けを求める視線を向ける。
だが既に一度反対し、警告を受けてしまった彼はそれに乗る事が出来ない。その心情がどうであってもだ。
結果、彼はただ黙って顔を背ける。
グラントが頼りにならないと判断したシエロは、今度はエマへと視線を向ける。
「それがエステル様の望みなのですもの。ならばそれをただ黙って支える事こそが、わたくしの役目ですわ」
すっかりエステルの忠実なしもべと化した彼女は、涼し気な表情でそう答える。
「くっ! 貴様ら頭がおかしいのではないか! それで良いのかステラよ!」
『ボクに言われてもねぇ。反対したんだけど聞かないんだもの。だったらせめて万全な体制でフォローしてあげるしか無いじゃない? それにボクもさ。結果どうなるかは、少し気になってはいるんだよねぇ』
ステラの制止の言葉も最初は本気だったが、今では半ば口だけとなりつつあった。
何を言ってもエステルは止まらないし、それに彼女の言う魔術が本当に成立するのかどうか、そちらへの興味の方が高まりつつあった。
エステルが行おうとする魔術は、全盛期のステラでさえ不可能なモノだったからだ。
いや技術的な面で言えば彼女にとってそう難しい事ではないし、何よりステラなら死の危険なく成功させる事は出来るはずだ。
だとしても自分で試すのは御免だと、彼女にさえそう思わせてしまう異端の魔術であったからだ。
「くそっ……。我はどうなっても知らぬからな!」
『それは許さないよ。エステルを出来れば死なせないように。もし死んでもすぐに蘇生させてよね。じゃないと君も君の主も、ボクが絶対に殺すから』
やけくそなシエロだったが、しかしそれはステラが認めない。
死力を賭して、万全を尽くす事を強要する。
それに対しシエロに抗う術はない。
「……分かった。全力を尽くすことを誓おう」
かくして舞台は整った。
これより少女がその身を――命を賭した新魔術の実験が始まる。
次回はずっとエステルが試したがっていた新魔術のお披露目回です。
2章から積み重ねていた色々の、一つの終着点となる魔術ですね。
シエロの言う通り、馬鹿みたいな発想の魔術なので、まあ笑ってみて頂ければなと。
いやまあ、笑いごとじゃないんですけどね。




