120 無邪気な残酷
星神教全体で見れば、イーラエクステラはごく小さな組織と言える。
やっている事の規模は大きいのだが、正規メンバーは長を含めてたったの7名しかいない。
真なる始祖を自称する彼らは、それぞれが異なる小聖印を有した強力な魔導師だ。
また組織の大半は非正規メンバーで構成されており、その殆どが意思とは無関係にはその配下とされた者たちである。
そんな哀れな者たち――大量の実験体たちが、公都の一角にある大きな屋敷に集められていた。
屋敷の持ち主は、公国においてそれなりの家格を有した大貴族だった。
そんな彼らだが、今はイーラエクステラの配下となっていた。
より正確に述べれば、その意識を奪われ操り人形と化していた。
実験体に溢れたこの屋敷を取り仕切るのは、真なる始祖の一人だ。
眼鏡をかけたひょろい体形の中年男性で、その名をペレグリーという。
見た目通りに戦闘とは無縁な技術者肌なのだが、組織内では彼にしか扱えない魔術があった。
無属性魔術の一つ――"転移扉"だ。
入り口がなく外部とは隔絶された公爵家の隠れ家。
その力を使って、実験体たちを送り込んでいたのだ。
「ひょっひょっ。こ、公爵が、動いた、の」
滑舌の回らない声で、ペレグリーがそう呟く。
実験体の輸送と同時に彼は監視の役割を請け負っていた。
隠れ家の入り口周辺に設置した監視の魔導具で、公爵家側の動向をうかがう。
もしカエデの救出に向かう者がいれば、その足止めを命じられていた。
カエデの救出へと向かうツバキ。その妨害をすべく彼が動こうとしたその間際。
その背後から声が掛かる。
「おじさーん。なにしてるのー?」
声の方へと彼が振り返れば、そこには一人の少女が立っていた。
桜色の髪をしたまだ10歳前後と思しき少女だ。
幼いながらに整った容姿をしているが、その何もかも食らい尽くしそうな常闇の瞳が、憧憬よりも先に恐怖の感情を想起させる。
「ひょっ!? だ、だれじゃ!?」
直接的な戦闘力に乏しいペレグリー。
声を掛けられるまでその存在に全く気付いておらず、驚愕の悲鳴をあげる。
「サクラだよ?」
ペレグリーの半ば反射的なその問い掛けに対し、少女はキョトンとした表情でそう答える。
「お、おまっ、おまえが、あのこ、こ、公爵の娘、か?」
だがそれを聞いたペレグリーは驚愕の色をいっそう深めることとなった。
ネルトゥス公爵ツバキの唯一の子供であるサクラ。
次期公爵でもあるその少女の存在は厳重に秘匿されており、彼がその姿を直接見たのは実はこれが初めての事であった。
「……サクラはサクラだよー?」
「ひ、ひひっ。ひょ、標的の方から、や、やってきてくれるとはっ」
突然の事態に動揺しつつも、同時に思わぬ収穫が得られるかもと考えたペレグリーは、興奮した様子でそう叫ぶ。
「……ひょうてき?」
対するサクラは彼の言っている言葉の意味が分からず、ただ首をかしげる。
「そ、そうじゃ! お、おぬしは――」
更に何かを言い募ろうとしたペレグリーだったが、それは半ばで中断される。
「ひょっっ!?」
ペレグリーが瞬き一つした次の瞬間、サクラがいつの間にかその傍に立っていた。
細いながらも背丈はそこそこの成人男性であるとペレグリーと、10歳の少女の平均値程度しかないサクラ。
身長差は大きく、必然ペレグリーが見下ろす形となる。
「良く分かんないけど、おじさんも捕まえとくねー」
そう呟いたサクラは、手をニュッと伸ばしてペレグリーの顔面を鷲掴みにし、そのまま口を塞ぐ。
「ぐげえぇっっ!?」
ペレグリーの口から汚い悲鳴が漏れ出す。
少女の小さな手で成人男性の口を塞ぐ。
それによって顎の骨が大きく軋んだからだ。
「おじさんはかたいんだねー」
一方のサクラは、骨が砕けなかった事実に感心した様子だ。
しかし少女の行動はまだ続く。
男を掴んだまま、今度はゆっくりと持ち上げていく。
「ぐぅっ、げぇ……。は、はな……」
半ば宙づりの形となったペレグリー。
身長さによって、少し伸ばせ地面に足がつきそうだが、しかし痛みのせいか身動きがとれずにいる。
そんな彼へとサクラが残る左手を使って追い討ちをかける。
「ぎゃぁぁぁぁっっ!?」
ペレグリーが苦悶の叫びをあげた。
サクラが彼の右腕をへし折ったのだ。
「や、やめ、ぎゃぁぁ!? うぎゃぁっ! あぎゃぎゃぁっ!!」
だがサクラの凶行はそれで終わらない。
もう片方の腕を、両脚を次々と丁寧に手折り、その動きを封じていく。
「あ、そうだった。ちゃんと、とじこめておかないとだね」
曾祖母に習ったことを、少女は忘れてはいなかった。
魔術を使い、その場に即席の土の檻を生み出す。
そしてその中にペレグリーを放り込むのだった。
「ぐぇぇ、お、おまえたち、わ、わしをたすけろぉ!」
ボロボロの姿となったペレグリーだが、その口はまだ辛うじて自由であった。
彼は屋敷内にまだ数多く残る実験体たちへと自身の救出を叫んだ。
「ぐぉぉぉ!」「がぁぁぁ!」
ペレグリーの言葉に応じて、実験体たちが動き出す。
「わぁ、たくさんいるー。ぜんぶもらってくねー」
だがどれだけ数が居ようと、所詮は有象無象。
サクラの脅威とはなり得なかった。
「とりゃー」
彼女の手から魔術で造られた紫電の縄が大量に飛び出す。
それらはうねるようにして実験体たちへと襲い掛かり、次々とその体に巻き付いていく。
その拘束力は絶大で、捕まった者たちはみな骨をボキボキと砕かれていたが、それをサクラは気にも止めない。
そうして身動きを封じられた捉えられた実験体たちは、巨大な土の檻の中へと無造作に放り込まれ、積み上げられていく。
「うーん。これでぜんぶかな?」
「ひぃぃ、ばっ、化け物めっ!」
ペレグリーが怯えた声を発しながら、舌の裏に隠した自爆装置を発動しようとする。
このまま捕まり、拷問を受けるくらいなら。
そう考えた彼だったが、しかしそれさえも少女によって阻止される。
「あっ、ダメだよー」
サクラが男の咥内へと無造作に手を突っ込んでいく。
そして何かを掴み、それを勢い良く引き抜いた。
「ギャャァァァァァ!!!」
次の瞬間、本日一番の大きな悲鳴が上がる。
別にサクラは自爆装置の存在を知っていたわけではない。
何となく嫌な予感を察知して、ただ本能的に動いたに過ぎない。
だがその野生的な行動によって、ペレグリーは地獄の苦しみを味わっていた。
「ァァッ……ェァァァッ……」
未体験の痛みで、しかも舌を失ったせいで悲鳴さえもロクに発する事が出来ない。
ただ喉声が断続的に漏れ続けるだけだ。
そんな不快音を奏でるだけとなったペレグリーを見て、元凶の少女は顔をしかめる。
「ううっ、うるさいなぁ。もうねててよー」
騒がしいのは苦手らしく、強制睡眠を発動し、彼を無理やり夢の世界へと叩き込んで黙らせるのだった。
こうして公爵家の隠れ家を襲っていた大本は、一人の少女の活躍によって絶たれた。
事を終えた少女が、ふと遠くの方へと視線を送る。
公都の端のスラム街の方角だった。
「おばあ様がピンチみたい。でもお母様がたすけにいったからあんしんだね」
建物の内部からでも、その知覚は遠くの母や祖母の動向を捉えていた。
しかし少女は動かない。
それは実の母へと寄せる信頼ゆえか。
しかし少女は直ぐに視線を戻し、その意識を目の前に並ぶ肉の詰まった檻へと向ける。
「うーん。どうやってあそぼうかなぁ?」
今も戦う祖母の存在をもうすっかりと忘れて、戦利品の扱いへとその意識を向けていた。
兎にも角にも、これにてサクラの初陣は終わりとなる。
しかし楽し気な彼女をよそに公爵家とイーラエクステラの戦いは続いていく。




