114 ステラの寝具
ウォーデン賢王国へとひっそりと侵入を果たしたエステルとグラントの2人。
彼女達は現在、進路を北西へと向けてセックの国境へと向かっていた。
「昨日は良く眠れましたか?」
「……あれは大変見事な寝具であったな」
「そうですね。しかしその割にどうも眠そうな様子ですけれど……」
別にグラントは嘘はついていない。
彼に用意された寝具は、高い技術によって製造された優れた品であった。
だが寝具の快適さと、睡眠の質がいつも比例するとは限らないのだ。
その理由を語るには、少し時間を遡る必要があった。
◆
エステルに促され、携帯別荘の中へと入っていくグラント。
一見小さな一軒家くらいのサイズに見える建物だったが、その内部は見た目よりもかなり広かった。
「これは……」
内部には一軒家どころでは無く、大きめの宿と比較しても遜色はない空間が広がっていた。
入り口は丸いエントランスホールとなっており、ソファーやテーブル、椅子などが並べてあり、くつろげる空間となっていた。
その奥や階段を昇った先には、大小合わせて20近い個室が存在する。
「この広さは一体何なのだ? 外見と明らかに違うのだが……?」
「中の空間が歪んでいる、とのことです」
「空間が……歪む?」
エステルの言葉を上手く噛み砕くことが出来ずに、呆然と考え込むグラント。
実はこの機能は量産品には見られない特殊な性能だ。
もっとも量産品さえ消失してしまった今の時代では、それを理解できる者はステラの他には誰もいないのだが。
「グラントさんはこちらの部屋を使って下さい。私は3つ隣の部屋で寝ていますので、何かあればどうぞ」
そんな彼に構うことなくエステルはそれだけ告げて、自室へと消えていく。
「あ、ああ……」
混乱しつつも身構えながら与えられた個室へと入っていくグラント。
その中には新品同様の綺麗な部屋が広がっていた。
備え付けの家具はどれも高級品が取り揃えられていたが、これといって特筆すべき点は見当たらない。
「ふむ。ベッドが一つに机と椅子か。部屋の中は思ったよりも普通なのだな」
中にも何かあるのかと、身構えていたがどうやら杞憂だった。
その時はまだ彼はそう思っていた。
だがそれが勘違いだった事を、すぐに思い知ることになる。
最初に彼を驚かせたのは、ベッドの寝心地だった。
備え付けのセミダブルベッドにおもむろに寝ころんだグラントは、初体験のその感触に驚くことになる。
「なんだ……この柔らかさは? まるでベッドにゆっくりと取り込まれていくかのような……」
あまりに柔らかく、しかして自重に押しつぶされない不思議な弾力を有していた。
その理由はマットレスにあった。
そもそも庶民にマットレスを使う文化は存在せず、用いているのは貴族や一部の商人などの富裕層に限られる。
しかし彼らが使うマットレスは、藁や綿を敷き詰めたモノが多い。
高級品だと中身が獣の毛や鳥の羽なんかに変化するが、寝心地に実はそこまで大きな差はない。
「何がどうなっている? 単に柔らかいだけではこうはならぬぞ……?」
だが今彼が寝ているベッドは違った。
もともと人体には凹凸が存在し、綺麗に横になったつもりでも、肩や腰など特定の箇所にばかり負担がかかってしまう。
その負担を軽減するためのマットレスなのだが、ただ柔らかいだけではその箇所ばかりが沈み、荷重そのものは分散されても姿勢が崩れてしまう弊害があった。
「これは……まるでベッドそのものが生きているようではないか!」
特定箇所の沈みこみ過ぎを避けつつも、程よく荷重を全体へと分散させている。
部分部分がグラントの体形に合わせて硬さを変化している。そうとしか思えない感触なのだ。
「それはですね。ポケットコイルマットレスというものが、下に敷かれているからだそうですよ」
声が聞こえた方へとグラントが視線を向けると、部屋の入り口にパジャマ姿のエステルが立っていた。
「か、可憐だ……」
彼女が身に着けているのは、何の変哲もない無地の紺色のパジャマだった。
だがその色合いが、星の煌くような銀髪と合わさることで、闇夜を流れる流星のごとき美しさを演出していた。
その姿を見てグラントは言葉を失ったように彼女を見つめる。
「……はい?」
対してその反応の意味が理解出来ず、エステルは首をかしげる。
「ゴホン、いや何でもない。それでそのポケットコイルマットレスとは、一体何なのだろうか?」
「ステラが開発したマットレスだそうですよ。このベッドそのものが魔導技術を使って作られているそうです」
グラントが横になったベッドだが、概ね以下の要素で構成されていた。
下からベッドフレーム、マットレス、ベッドパッド、シーツの順だ。
それらのいくつかに魔導技術が応用されており、それこそが圧倒的な寝心地の良さを実現していた。
『そのマットレスはね。中にスプリングが沢山並んでるんだよ』
マットレスの中には、布で包まれたコイルスプリング――それらが千本以上、千鳥配列にて敷き詰められていた。
スプリングの反発力は、与えられた荷重によって変化する。
その性質を利用することで場所ごとの硬さ――弾力の違いを実現しているのだ。
「……そうだったのか。ではそのスプリングとやらが魔導具なのか?」
彼の故郷テイワズにもスプリング自体は存在するのだが、冒険者だった彼とはあまり縁がない存在だ。
少なくともその仕組みについて知識はない。
『まあ……一応そうなるのかな? 色々と細かい調整とか維持とかを、その辺を全部自動でやってくれるんだよ』
使用者の体重や体格に応じてスプリングの性能なんかを調整したり、使用による劣化を防止したりといった内容だ。
より具体的に言えば、ばね定数がより適切な値となるようコイルの巻き数やコイル径を変化させたり、過負荷による塑性変形を除去したりなどだ。
「――だそうです」
エステルも何となくしか仕組みを理解しておらず、ステラの言うままをグラントへと伝える。
「やはりステラ様とは凄いお方なのだな……」
感嘆の声を漏らすグラント。
彼にも詳しくは理解出来ていないが、それでも目の前にあるベッドを体感すれば、とても否定などは出来ない。
「ええ、ステラはとっても凄い方なのですよ」
『えへへっ、でしょでしょー』
2人に賞賛された事で、ステラが満足気な声を上げる。
「して、何か用があったのではないか?」
「ええ、その大した話では無いのですが……。実はステラが寝具の使い心地について感想を聞きたいそうで……」
アズール商会の面々から聞き取りはしていたが、より多くの意見を欲していた。
彼女が封印直前に精力的に研究していた分野の一つが、実はこの寝具関連だったのだ。
魔力がなくとも研究が可能なためアズール商会にその技術を伝え、対価代わりに研究を進めてもらっていた。
彼らとて富裕層へと高価で売れること間違いなしの新商品に対し、熱を入れて研究開発を行っている。
近い将来、テイワズ内の寝具事情は大きく変化することになるだろう。
「そうだったか……。ふむ、そうだな。まずこのベッドは、これまでの常識を大きくくつがえす存在だと言えるだろう。これを用いれば睡眠の質は確実に上昇するし、そうなればより短い睡眠での体力回復も可能となるからな」
魔術によって身体能力がいくら強化されても、人体が睡眠を欲する点は変わらない。
精々睡眠不足でも多少無理が利くようになる、その程度だ。
だから貴族たちは睡眠の質に拘り、寝具にも力を入れる。
もっとも現在はその方向性が、いかに寝具を装飾するかに向いてしまっており、本質からかけ離れつつあった。
そう言った点からも、このマットレスは停滞する寝具業界へと一石を投じる存在となるだろう。
「ええ、私もそう思います。もうこれ無しでは眠れない身体になってしまいましたから」
戦都での宿屋暮らしでも、彼女は寝具一式を持ち込んでいた。
双聖国を出立してからずっと愛用し続けていたのだ。
「ああ……でもまだ掛け布団の方は使っていないのですね?」
「これか? まさかこちらにも何か仕掛けがあるのか?」
「ええ、実はですね――」
そうして今度は掛け布団に秘められた力が、エステルの口から語られる。




