108 鳴動する火山
ここはエトナ火山。
魔導帝国セックの中央部にそびえる魔物の領域だ。
標高6000mを超える大山であり、同時に火山活動が非常に活発な危険地帯でもある。
そこら中からはマグマが噴き出しており、一帯はどこもかしこも肌がひり付くような熱気に包まれている。
そのあまりの危険度の高さから、身体強化を扱えない者には内部への入場は許可されていない。
そのような事情もあって平民中心の冒険者ギルドは、テイワズほどの規模も熱気も持たなかった。
必然、領域内の探索や素材収集の役割も、ギルドではなく国家が主体となって取り仕切るようになっていた。
そしてその長ともなれば、そこらの冒険者よりも余程この地に精通していた。
「まったくお主は妾のことを何だと思っておるのやら」
そう呟くは、年の頃なら15、6。
成人前後の見た目の美しい少女であった。
赤を基調とした豪奢な魔術礼装に身を包み、専用の炎を象った剣を腰に携える。
焼けるような赤髪を熱風になびかせながら、背の低い彼女は赤熱の大地を歩いていた。
いや正しくは彼女は少女では無かった。
実は2人の息子と1人の娘を生んでおり、長男に至っては既に成人を迎えている。
もっとも彼女に歳を問えば、帰って来るのは獄炎の歓待であったため、誰も彼女の正確な年齢を知らない。
まあ、そういう事になっていた。
「無論、我らが戴くに相応しき皇帝陛下であると存じております」
彼女の隣を歩く配下らしき大男が表情を変える事なく、淡々とそう答える。
そう。彼女の名はアーデルハイト。
火の大聖印を有し、魔導帝国セックを治める女帝アーデルハイトその人だった。
「まったく……妾とてそう暇な身ではないのだぞ?」
「それは申し訳ございません。ですがあの方が外に出ている今、陛下のご出陣を願うのが最善かと」
鋭い視線をぶつけられるも、大して申し訳なさそうな素振りで男はそう返す。
そんな2人の後方には、更に数十名もの騎士たちが黙々と行軍を続けている。
「ふんっ、そのようなこと分かっておるわ。それとも何か? 妾には愚痴を吐く事も許さぬと、そなたはそう申すのか?」
「決してそのようなつもりでは御座いません」
主の不機嫌な声を受けても、男は眉一つ動かしはしない。
そんな態度を見て、いっそう不愉快そうに彼女は毒づく。
「ふんっ、見た目はテイワズ騎士のようでも、中身は随分と違うものであるな。まったく……」
「陛下は暑苦しい方がお好みでしょうか?」
そう答える男の名はトレイズ・フュルスト・クリスナーダ。
彼は筋骨隆々の肉体に加えて、左手の甲に雷の小聖印を宿していた。
それだけ見ればテイワズ貴族だとつい誤解しそうになるが、彼はれっきとしたこの国生まれの貴族であった。
それもセックが誇る六大侯爵家の一つ、クリスナーダ家の現当主である。
その証拠か、彼は実に紳士らしいエレガントな服装にその身を包んでいる。
もっともガタイが良すぎるせいで筋肉でパツンパツンとなっており、あまり似合っているとは言い難かったが。
「そういえばトレイズよ。そなたの娘もたしか今年入学の予定であったな?」
「ええ、不肖の娘ではありますが、レリーナ様の御傍に仕えさせたく存じます」
2人の娘は同じ年齢だ。
互いの面識こそまだ無いものの、エンプティオ魔導院での生活においては学友同士となる。
しかもアーデルハイトの長女レリーナは、魔導師として特段に優れた資質を有しており、いずれ火の大聖印を受け継ぐ事が内定している。
すなわち彼女こそが次期女帝であり、是非お近づきになりたい相手でもあるという訳だ。
「それは本人同士が好きにすれば良い話だ。妾は口を挟まぬよ」
「陛下ならそう仰るかと」
2人の付き合いは長い。
その始まりを探れば、それこそ魔導院時代へと立ち戻る必要がある程にだ。
なので一連の会話は、互いに分かりきった他愛も無い話であった。
だがそういったやり取りこそが、縁を長くつなぐ秘訣……なのかもしれない。
「さて、魔物たちの気配が妙であるな。そろそろかえ?」
「ええ、例のアンズーなる魔物の生息地が近いのでしょう」
テイワズ騎士国を大いに騒がした魔物――アンズー。
その魔物はこの地においても騒乱を引き起こしていた。
探索へと出向いた貴族が既に被害にあっており、すぐに討伐隊が結成された。
それこそがこの一団だ。
女帝アーデルハイトを団長とし、参謀役をトレイズが務めるいる。
騎士たちも数こそ少ないが精鋭揃いだ。
戦力に不足は無いと言えた。
「トレイズよ。あの魔物はユグドラル樹海産だと聞いておるが、果たして何処の仕業だと思う?」
アーデルハイトが密談用の魔道具を発動し、そう小声でささやく。
ウォーデン賢王国の魔物の領域――ユグドラル樹海。
本来ならばアンズーはそこの奥地に生息している。
そのような魔物が、誰にも気付かれずに他国の領域内へと侵入を果たす。なんとも奇妙な話だ。
「十中八九、ネルトゥスの仕業で間違いないかと」
トレイズが間髪入れずそう断定する。
その事自体にはアーデルハイトも特に驚きはない。
彼女もまた同じように考えていたからだ。
「まあそうよな。しかし奴らの目的が見えてこぬ。やっていることが少しチグハグではないかえ?」
ネルトゥス公国と国境を接するこの国では、近年星神教の活動が急速に活発化していた。
自由を標榜するセックとしては、その活動を表立って制することも出来ず、その対応に苦慮していた。
彼らは唯一神ステラの再臨を望み、その為に彼女が残した最大の遺物――ステラ魔導院の解放を求めていた。
そんな彼らのセック国内における主張は単純だ。
本拠地たるネルトゥス公国と手を携えて、ステラ魔導院の存在する双聖国の中枢都市――聖都ユングリングの占拠を行うべきだと。
星神教はこの国においても、決して馬鹿に出来ない強力な権勢を誇っている。
少なくとも平民の大半はその信徒であると言っても過言ではないのだ。
個々の戦力的には大したことなくとも、経済活動の多くを担うのはやはり数が圧倒的な彼らとなる。
である以上、どうしても一定の配慮は必要となってくるわけだ。
実際、彼らの扱いに失敗した結果、この国も辛酸を舐めた経験が何度もあった。
近年で言えば、それが10年戦争となる。
彼らの主張がウォーデン賢王国によって利用されて、セックの戦争参加に繋がった側面もあるのだ。
そしてそのウォーデンを煽ったのも恐らく……。
「……たしかに。今、我々の戦力を削って何がしたいのでしょうな」
そんな訳で現在のネルトゥス公国はセック側との協調路線を望んでいる。そう彼女らは考えていた。
星神教とネルトゥス公国側の繋がりなど一目瞭然であり、その実態が同一であるのは半ば公然の事実であったからだ。
なのに裏でネルトゥス公国側が、セックの戦力を削りに動いた。
一応、ウォーデンの仕業に偽装していたものの、彼女たちからすれば本当に隠す気があるのか、そう思えるほどの杜撰だ。
「まさか、双聖国との繋がりに勘付いたか?」
「……それは無いと思われます。もしそうならば、あの方から何らかの報告があるはずかと」
「そうよな。……流石に妾の思い過ごしか。だとしてもあの国の行動に解せぬ所があるのに違いはないの。諜報をいっそう強化せよ」
「かしこまりました。早速手配いたします」
魔導具の紙を取り出し、すぐさま女帝の意に沿うべく具体的な指示を認めるトレイズ。
その紙が小鳥へと形状を変え飛び去っていった。
「それで、気付いておるかトレイズ?」
「ええ、陛下ほどではありませんが、その方面には自信がありますゆえ」
アンズーは既に討伐隊の気配を察知していた。
そして奴の操る魔物たちが、ゆっくりとこちらを包囲しつつあったのだ。
「まだまだ衰えてはおらぬようだな。しかし、妾も舐められたものよな」
魔物如きが自分たちを罠に嵌めようとしている。
その事実を察してか、不快げに口を歪めるアーデルハイト。
「そうとは限りますまい。我々以外はまだ気づいておらぬようですし」
トレイズの言葉通り、他の騎士たちはまだその事実に気付いてはいない。
彼らとて周囲の警戒を怠ってはいなが、包囲網はその範囲外からゆっくりと形成されていたからだ。
それは同時に別の事実をも示唆する。
魔物に包囲戦術を取らせるほどの優れた統制と、こちらを十分包囲できるだけの数がその群れに存在しているという事を。
「それもそうかの。しかし妾を相手に包囲殲滅を気取るつもりかのぉ? はっ、笑わせてくれるわ」
そして現在、その網が徐々に縮まりつつあるのを彼女らは正しく認識していた。
遠からず包囲され討伐隊は一気に不利な状況へと陥る。
しかしそれらは全て承知の上での行動であった。
彼女たちは魔物の動きに気付かない振りをして、わざわざ包囲が容易な地形へと向かっていた。
大群の数の利を存分に活かせる開けた場所へと。
しかしそれは同時に、彼女と魔物との間を隔てるモノが少なくなることをも意味していた。
「主力はやはり巨人どもかの。大体500ほどはおるか。それにトカゲも100近くおるようだの」
「ムスペルが500に、ブレイズリザードが100もですか。並みの部隊では一瞬で焼け死ぬような大戦力ですな」
ムスペルは全身に炎を纏った巨人だ。その全長は平均して3mを超える。
動きこそやや鈍重なれど、繰り出すその拳の一撃は非常に重く、近接戦闘はまず避けるべき相手だ。
しかし厄介なのが集団戦をも得意としており、炎弾によって弾幕を張ったり、逆に囲んでの集中砲火などを行ってくる事だろう。
近づいても距離をとっても面倒な相手であった。
一方でブレイズリザードの方は、翼をもたないドラゴンのような容姿の魔物だ。
もっとも、雷平原に生息するドラゴンたちのように鋭利なフォルムではない。
丸々と太った地を這うトカゲ。そう形容する方がより近いかもしれない。
こちらのメインウエポンは炎のブレスとなる。
ワイバーンが放つブレスと比べれば、単純な威力そのものでは大きく劣る。
しかし長時間の放出が可能なため、数が多いほどにその対処はより困難なものになる。
彼らが一度戦闘態勢に移行すると、そこら中で炎の渦が吹き荒れて、一面が瞬く間に火の海と化してしまうからだ。
もちろん仲間同士で巻き込みあう事も良くあるが、炎に対する高い耐性を持つ彼らはそれを気にも留めない。
「ふむ。他に面倒なのは、精々焼き鳥が数体おるくらいじゃな」
焼き鳥――その言葉は、フレアバードをという魔物を指していた。
文字通り燃え盛る鳥の魔物であるが、2つの厄介な性質を持ち、嫌われていた。
一つは異常なまでに高い再生能力だ。
頭さえ残ってれば、どのような損傷からでも復活を遂げるため、始末が非常に面倒な魔物なのだ。
より上位種ともなれば、例え灰になっても復活してくるが、こちらはそこまでではない。
もう一つは、その名に反した特異な性質だ。
余り見られる現象ではないのが、何度も再生を繰り返させると、纏う炎が反転し蒼く冷たい炎を纏い始める。
この状態になると、放っておいても遠からず勝手に自滅するのだが、しかし問題は放つ冷気によって周囲を凍らせてしまう事だ。
その凍結力は凄まじく、溶岩地帯さえもあっという間に氷原へと変えてしまう。
「数体ならば誤差範囲ですな。我らの戦力ならば殲滅に支障はありません」
魔物の大群は確か手強い。
しかし、この場の戦力はそれ以上だ。
生憎とフランメリッターが誇る最強の6人――六魔王のメンバーは、トレイズしかこの場には居ない。
だがそんな彼らを統べる女帝――公式では聖王アレクシスに次ぐ魔術適性を誇るアーデルハイトが居る以上、戦力に何ら不足はなかった。
「うむ。だが今回は全て妾に任せるが良いぞ」
しかしそんなトレイズの思惑を、当の女帝本人があっさりと打ち砕く。
ムスペルやフレアリザードあたりは、強さ的にはワイバーンと同じくらいです。
アンズーの脅威にもし気付けなかった場合、これ以上の規模の大群に戦都も襲われていたはずでした。




