103 別れの挨拶
中断していた叙任式を今度こそ恙なく終えたエステル。
もうこの国において彼女のすべきことは残り後一つ。
『継承の儀式が終わったら、いよいよ次の国に移動だね。今度はどんな所なのか楽しみだねぇ』
「(ええ。この国は双聖国と違い、開放的な空気で楽しく過ごせました。次もそうだと良いのですけれど……)」
故郷では英雄の娘という肩書きを持っていても尚、迫害されていたエステルだ。
実力さえ示せば簡単に受け入れてくれるこの国の風潮は、彼女にとっても決して悪いものではなかったようだ。
『どうだろうねぇ。始祖の性格的にどんな国になってるのか、ボク的にいまいち想像がつかないんだよねぇ。テイワズなんかは割とそのまんまのイメージだったんだけどさ』
各国の特色は、それぞれの始祖の性格を引き継いだような性質を持っている傾向にあるが、それも絶対ではない。
何より外部から眺めるのと中で実際に過ごすのとでは、大きな違いがあるものだ。
「(まあどの道調査は必要ですし、判断を下すのは色々と情報を集めてからですね)」
そう結論付けてから、いつものように魔術の鍛錬へと向かおうとするエステル。
だがそれをステラが止める。
『その前にさ。大聖印を全部集めたらまたこの街に戻ることもあるかもだし、一応挨拶とかしとけば?』
この国でエステルを助けてくれた者たちについてだ。
もう彼らは既に用済みではあったが、かといって無駄に縁を切る必要性もない。
テイワズと繋がりを維持する以上、また何か役に立つ事もあるかもしれない。
「(……そうですね。時間もあることですし、参りましょうか)」
◆
「おおっ、突然どうしたよ? 商会長ー。嬢ちゃ――ゴホン、エステル様が来てますぜ」
エステルが最初に訪れたのはアズール商会だ。
この国での活動がすんなりいったのは彼らの助けに依るところも多く、それなりには感謝していた。
もっとも商会側としては命や商会の命運をも救われた上、売り上げにも大きく貢献してもらっていたのだから、感謝の度合いでは比較にもならないだろうが。
「おお、これはエステル様ではありませんか。本日はどのようなご用件で?」
ジョセフに呼ばれて、すぐに商会長のクリケットも姿を見せる。
「ええ、実はしばらくこの国を離れる事になりまして――」
一応、表向きの筋書きはこうだ。
騎士となったエステルとグラントの2人には、国外への派遣任務が与えられる。
重要な役割であり、平民出身の彼らに騎士としての実績を積ませるためだ。
時間は掛かるだろうが任務を終えて帰還した暁には、相応の地位が与えられる事が約束されていた。
「……そうでしたか。噂は耳にしていましたが、やはり本当のことでしたか……」
エステルの説明を受けて、ガックリ肩を落とすクリケット。
「そいつぁ寂しくなるなぁ。しかしあの国にゃ、うちの商会もほとんど伝手がねぇからなぁ……」
アズール商会の本拠地はこの戦都プロエリウムにあり、活動範囲も基本は国内に限られる。
その力が多少なりとも及ぶのは、精々国境を接する双聖国、湖畔国、賢王国の3つだけだ。
「まあ何とか頑張りますよ。ああ、一つお願いがあるのですけど、薬の在庫をある分だけでも全部売っては頂けませんか?」
「そりゃぁ、別に構わねぇが……。ああそうだったな」
アズール商会より購入していた薬品類の多くは、別に他国でも売っているありふれたものだ。
時間による劣化が存在する以上、買い溜めのメリットは薄いように思える。
だがそれを口にしかけてから、ジョセフは思い出す。
彼女が大容量のマジックバッグを所持している事を。
「ええ。不良品を掴まされると何かと面倒ですからね」
金はある以上、購入自体は可能だが、その品質などに不安は残る。
特にエステルが幼い少女である以上、その見た目からどうしても侮られ、粗悪品を掴まされる懸念があるからだ。
『ここみたいに信用できる商会をなるべく早く見つけないとだね』
「(ええ、全くです)」
◆
アズール商会との挨拶を終えたエステル。
次に向かったのは冒険者ギルドであった。
「あら、エステルさ――ゴホン。エステル様じゃないですか。本日はどのようなご用件で?」
エステルの姿を見つけた受付嬢のリリアナが、すぐさまこちらへと駆け寄ってくる。
ただその態度は、貴族へと接するそれだ。
「皆様にもお世話になりましたので、お礼の御挨拶をと」
「……ああ、そうでしたね」
彼女はエステルたちが当分この国から離れる事を知っている様子だ。
だからか若干気落ちした様子で目を伏せる。
エステルの担当者だったが、しかし特別な事は何も出来なかった。
その事を彼女は少し悔やんでいた。
ただエステルという少女は、ただ応対するだけでも割と大変な相手だ。
なのでその役割を大過なくこなしただけでも十分誇っても良い事なのだが。
「おっ、エステルく……もといエステル様。こんな所へどうしたのですか?」
エステルの姿を見つけた冒険者の一団が、傍へと寄ってくる。
ジャンたち4人だった。
「ああ、皆様お久しぶりですね」
「えっと……」
「いつも通りの言葉遣いで結構ですよ、カレンさん」
ちゃんと聞き取れさえすれば言葉遣いなどエステルは気にしない。
無論、そこに敵意や悪意なんかが混じれば話は変わるが。
「そ、そう。じゃあそうさせて貰わねねエステル」
他の3人も貴族への対応には慣れていないらしく、ホッっとした表情を浮かべている。
「ねぇ、ちょっと噂で聞いたんだけど。この街から出ていくってホントなの?」
声を潜めながら、エステルの耳元でそう尋ねるカレン。
「本当ですよ。正確にはこの国からですが……」
「ええっ」
そう大声を上げかけて、慌てて自らの口を塞ぐカレン。
「少々特別な任務がありまして……。しばらくこの国から離れることになります」
「そう……。私もまだ死にたくはないし、詳しい事情は尋ねないでおくわ」
騎士となった彼女が国から離れるなど、相当な大事だろうと察したカレン。
「要するに今日はその前の挨拶って事ね」
「ええ、この後カレンさんの御実家にも伺う予定でしたが、手間が省けましたね」
「……一応、私たちにも挨拶はしてくれるつもりだったのね」
驚いたような、でもちょっと嬉しそうな笑顔を浮かべるカレン。
「ええ、皆様には色々と勉強させて頂きましたので」
冒険者として活動するとっかかりを彼らが与えてくれたから、目的達成は早まったとも言える。
少なくともエステルなりに感謝の気持ちは抱いていた。
「ははっ、君程の人物にそう言って貰えると、こっちも鼻が高いよ」
ジャンたちとしては、先輩面していい所を見せようとして、結果的に彼女に尻拭いして貰った形だった。
誇らしい反面、色々と恥ずかしい気持ちも抱いている。
「エステル……あなたにはホントに感謝してるわ。だから一つだけ忠告しておくわ。あなたの使う再生魔術、やっぱり何か変よ」
「変とは……?」
「実はね……あなたに再生治療を受けた人たちの多くに異変が起きてるのよ」
「異変……ですか? 何か副作用でもあったのでしょうか?」
カレンの言葉を聞いて目を細めるエステル。
別に今更他人がどうなろうと構わないが、一番自分の再生魔術のお世話になっているのは彼女自身なのだ。
そんな話を聞けば当然心配にもなる。
「副作用といえば副作用ね。けど悪い方にじゃないから、安心して」
「そうですか。それでその副作用とは?」
「魔術に目覚めたり、あるいは魔術適性の急激な成長なんかね」
かくいうカレン達が正にそうだった。
ジャン、オットー、ヨハンの3人が魔術を扱えるようになった。
元から扱えるカレンもその実力を大きく伸ばしている。
「最初はね。単に修羅場を潜り抜けたせいかなって思ってたのよ……」
実際、修羅場を潜り抜けることで、その実力を大きく増した例はいくつもある。
人とは危地に際して、本来出せない実力を発揮することがままある。
そうして実力以上の力を扱った経験こそが、大きな成長の切っ掛けとなる訳だ。
だがそれは飽くまで自力で危地を脱した者たちに普通は限られる。
カレンたちはエステルにただ救われただけに過ぎず、本来以上の実力を発揮できていたかどうかは疑問が残る。
「でもここ最近になって同じような人たちが急増してたのよね。それで気になってちょっと調べてみたら……」
「ここ最近は何かと事件が多かったですし、修羅場を経験した人たちも多かった事でしょうね」
アンズーが送り込まれて以降、雷平原の魔物の動きが変わり、危地を経験した冒険者たちは多かった。
何よりその終幕たる戦都防衛戦に参加したものたちは、皆一度は自分の死を予期してしまう程の激戦だった。
「それもあるのでしょうね。でも修羅場を潜っていない人の中にも、何人もいたのよ」
「なるほど。その原因が、私の再生魔術だと?」
「そう。調べてみた結果、魔術の実力を急激に伸ばした人たちのほぼ全員が、あなたの再生治療を受けてた事が分かったのよ」
『ふーん。確かに妙な話だねぇ』
「なるほど。だから私の再生魔術は変だと……。ですが、私の再生魔術を受けた一番の人間は他ならぬ私自身です。けど特におかしな変化など感じていませんよ?」
いまだ属性魔術は使えないままであったし、無属性魔術の扱いが取り立てて楽になったという記憶も無かった。
『そだよねぇ。再生魔術にそんな怪しげな効果なんかないと思うよ?』
「……それについては正直良く分からないわ。ただ、やっぱり私には偶然とは思えないのよ」
そう言ってカレンがいくつもの紙が束ねられた資料を手渡して来る。
受けとったエステルがその中身に目を通す。
カレンが調べ上げた調査結果が、丁寧に纏められている。
「確かに……これが本当ならば興味深い事実ですね」
『そだねぇ。適当に実験体を調達して、色々と試してみたいね』
「(ええ、もしかすると私の属性魔術習得への足掛かりになるかもしれません)」
「あの、この資料は頂いても?」
「ええ、もちろんよ」
では有り難く、とマジックバッグ内へと資料を収納するエステル。
その後は、各人と簡単な別れの挨拶を交わして解散となった。
エステル的にはドルヴァンとも挨拶をしたかったのだが、生憎と彼は不在だった。
「それでは、皆様ご機嫌よう」
「ええ、きっとまた会いましょう!」
リリアナ、ジャン、カレン、オットー、ヨハンが見送られて、エステルは冒険者ギルドを後にするのだった。




