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旅人

作者: 雨ノヒ

これは旅人と少年の長い旅の物語。

ガヤガヤと煩い店内には酒や煙草の香りが充満している。夜が更けるにつれて客たちの騒ぎ声が大きくなる。これは酒場の一人息子である少年が知るこの店のいつもの光景。手を休める間もなく酒と摘みの注文が殺到する。

「はいよ!麦酒に焼酎、それとタコワサだ!」

「おーおーマヒル。今日も頑張ってんな、ほら駄賃だ駄賃」

酒の回った大人は気前がいい。もらった銅貨をこの酒場女主人である母さんにバレないようそっと懐に仕舞う。

「ちょっとマヒル!」

ギクリ、と肩を揺らす。母さんの声だ。隠したのを見られてしまったかと思い恐る恐る振り返れば目の前に生ゴミの入った袋を差し出された。

「ゴミ箱いっぱいになってるじゃないの」

「捨ててきます!」

どうやら見つかってはいないらしい。母さんは赤毛の髪で少しふくよかな体型だ。性格はサバサバした所があるが明るく、客からは好評だ。遺伝により僕の髪も赤みがかっている。店に出す料理は母さんが一人で作っているため、その他諸々の雑務はすべて僕の仕事だ。こんな小さい酒場でもたった二人だけで切り盛りすれば休む間もない。まして、非力な女と子供だ。

渡されたゴミ袋を抱えて裏口から出る。酒場を出れば先程の騒ぎ声は嘘だったかのように静寂がやってくる。ここラテノアは僕が生まれる前まで荒れ放題の町だったらしい。だが、昔旅でこの村に立ち寄った男がその豊富な知識で僕らの町を整備してくれたんだとか。まだ荒削りな所も多いが酒場を見ていれば皆笑顔が絶えなく、いい町だと思う。

空を見上げれば星が瞬いている。

近くのゴミ捨て場まで走る。すると遠くから人がやってきた。黒いマントを羽織った細い男だ。背には大きな袋を背負っている。恐らく、旅人だろう。すれ違う時、手に持っていた生ゴミと混ざり何とも言えない汗臭さがした。

僕は思わず早歩きで過ぎ去り、そのままゴミ捨て場にゴミを置く。振り返れば男は通りの角を曲がる所だった。旅人だから暫く風呂に入れていなかったのだろうと思いつつも、あれはないだろうと突っ込みたくなる衝動に駆られる。

酒場に戻る途中、何かキラリと光るものを見つけた。拾ってみれば小さな鍵だった。来る時は気付かなかったが誰かの落し物だろうか。ふと、鍵に皮のキーホルダーが付いていて、そこからあの男からした汗臭さが漂ってきた。間違いなくあの男のものだ。慌てて男の曲がった角を見るがもう姿は見えず、仕方なくポケットにカギをしまった。


次の日、僕は買い出しに出ていた。母さんの方は酒の取引に行っている。大きな袋に買った新鮮な野菜や魚を袋に放り込んでいく。粗方買い終わると店に向かう。店の裏口に差し掛かった時、通りの向こうに昨夜の鍵を落とした男を見つけた。買ったものを適当に中に置き、慌てて男を追いかけた。

背のスラリと高い男は脚のリーチがあり、僕が走ってもなかなか追いつけない。景色はいつの間にか町中から森の中へと移り変わる。何処へ向かっているのだろう。

「おい、おい!」

呼び掛けても、息を切らしている僕の声は届かない。

男に追いついたのは森の奥の小屋の前だった。

「はあっはあっ」

「あれ、君どうしたの」

男が振り返る。昨夜は暗くてわからなかったが、透き通るような肌に夜を詰め込んだような黒い髪をしている。瞳の色は僕と同じモスグリーンだ。昨日のような汗臭さはせず、この整った顔は町の女共が放って置かないだろう。

少しの間見とれてしまったが、不思議そうな顔をした男を見て僕は慌ててポケットに手を突っ込んで鍵を差し出す。

「え、あ、この鍵なくしたと思ってたのに。これをわざわざ?」

僕はこくこくと頷く。なかなか息が整わない。

「ありがとう。あ、よかったら寄っていくかい?」

僕は戻ろうと思ったが、男は返事を待たずに小屋の戸を開ける。

「う、わ」

戸の向こうには外観からは想像もできないような床から天井まである本棚が所狭しと並んでいた。

「どうだい、なかなかだろ?」

「何で、こんなに」

紙は高級品だ、一体どこからこんなに大量の本を持ち込んだのだろう。

「俺はイオリ、旅人さ。旅費を貯めたらあっちへふらふらこっちえふらふら気の赴くままに旅をするんだ」

「でも、こんなに大量にどこから。お前まだ若いだろ」

「ああ、ここの本の殆どは父が集めたんだ」

それからイオリはここにいる間は小さな診療所をやっていること、また旅先でも病人や怪我人の手当をして生計を立てている事を話した。

「君は本は好きかい」

「いや、文字が読めないんだ」

そう言うと彼は本棚の奥から二冊の薄い本を取り出した。

「これを貸してあげる。暫くはこの町にいるつもりだから」

「でも、字が」

「大丈夫、ほら」

イオリが手に持つ本の表紙を捲れば多彩な色を使って描かれた絵が現れる。その横のページには数行の文字が書かれている。

「こ、こ、は、ゆ、め、の、く、に。ここは夢の国?」

「そうそう、これは絵本と言ってね、絵と簡単な言葉で書かれている本なんだ。これくらいなら君にも読めるだろ?」

「うん」

そう言って僕は本を受け取る。

「いつでも来ていいからね。俺の診療所は君のとこの酒場から左から二つ目の角さ」

「どうして僕の家を知ってるんだ?」

「前に酒場で君を見かけたからね、君がマヒルって名前なのも知っているよ」

なるほど、僕は一度来た客は顔を覚えているつもりだったから少し気落ちした。


それから僕は酒場にその絵本を持ち帰る。

「マヒル、あんたどこいってたの。もう開店時間じゃないか」

「ごめん!今支度するから」

それから、いつもの如く僕は雑用をこなした。あの男に貰った絵本を暇な時間を見つけては読みながら。

僕は本に熱中した。そこにはこの町しかしらない僕には信じられないほど広い世界が広がっていた。

翌日の明け方、僕は静まり返った酒場を抜け出して男の言った診療所の前にいた。戸をそっとノックするが返事はない。流石に時間が早すぎただろうか。

「あれ、確か君は」

診療所からではなくイオリは背後からやってきた。

「この本、面白かった。もっと読みたい」

僕は初めて出会った物語という世界に魅了されたのだ。

駆け寄って本を差し出せば彼は目を丸くする。

「そんなに気に入ったかい、ならこれはどうかな」

イオリは抱えていた袋の中から少し厚い本を取り出した。

「僕が昔何度も読んでいた本を思い出してね。君も気に入ってくれるかと思って、ちょうど今持ってきたんだ」

彼はそう言って笑った。

それから毎日僕は酒場と診療所を行き来した。わからない文字があれば本を借りるついでに聞いた。そんな日々を過ごしていると。すぐに一ヶ月が経過した。その頃には絵は挿絵程度にしか絵がないが、比較的読みやすい本なら読めるようになっていた。

ある日診療所に行くと、イオリが旅の身なりをして森の方からやってきた。

「何してるの」

「ああ、今からまた旅に出ようと思ってね」

もう本を借りられないとか、文字を教えてもらえないとか、そういうことより先に、会えないという事実が僕を動揺させる。

「なんで、そんないきなり」

「言っただろ?旅人は気の赴くまま旅をする。数ヶ月で戻ってくるさ」

「行くなよ」

駄々を捏ねてもどうしようもないとわかってはいるけれど、イオリと別れたくなかった。彼は少し困った顔をしながら鍵を差し出した。この前の小さな鍵ではない。

「これは」

「小屋の鍵さ。俺がいない間、部屋の掃除や管理を頼む代わりに好きな時に使っていいよ」

そう言ってイオリは行ってしまった。

それから僕は酒場の手伝いがない時は小屋に入り浸っていた。手伝いがある時でも小屋から数冊持ち去って読んでいた。


「おい、お前この紙読めるか。ダチのルルヒネにサイン書いてくれって頼まれたんだが」

「俺は文字なんて読めねえよ」

酒場でオーダーを聞くために走り回っているとそんな会話が聞こえた。二人の背後から顔を覗かせて紙を見つめる。

「おじさん達何の話?」

「お前は働いてろ。子供にわかるもんじゃねえ」

「なになに。私はルルヒネの百三十銀貨分の借金の保証人となります」

「あ?」

紙に目を走らせればガタガタの文字でそう書いてあった。きっとこれを書いた人間もそれ程書く事が得意という訳ではないのだろう。

「おじさん達、これにサイン書いちゃだめだよ。文字読めないのわかってて騙そうとしてるから」

「お前読めるのか!」

イオリが旅に出て五ヶ月。イオリの教えなしに小屋で見つけた辞書を使いこなして、暇さえあれば本を読んでいたマヒルは大体の文字なら読めるようになっていた。

「ちょっと、マヒル。手を止めてないで料理運んで!」

「ごめん、今やるよ!」

次の日、酒場は僕が文字が読めるって話で盛り上がっていた。それを聞いた母さんに問い詰められてイオリの事を話す。酒場があるのに何をやっているんだと言われてしまうだろうか。

だが、母さんの反応は思っていたものとは違った。

「あの男の息子がねえ」

懐かしいものを思い出すかのようにため息混じりに言った。

「あの男?」

「前に話したでしょう。旅でこの村に立ち寄った男が、荒れ放題だったこの町を今の町まで立て直したって話」

母は語り出した。二十年以上前、国にも見放される程荒れていたこのラテノアの町は、治安の悪さに通りはごろつきで溢れかえり、仕事がなく貧しかった。そんな中、幼子を連れて突然現れた男。男の荷車いっぱいに本が積んであった。男は賢く、ラテノアの現状を聞くと数日後に町長の所に赴いた。そして、本から蓄えたであろう、この町の、この国の誰にも負けない知識を駆使して、家や店の建設、制度の改革を次々に行っていった。最初は反対していた町の人達も彼の手腕の見事さを見て、その手に町の未来を託した。そうして三年かけて町をあるべき姿にした男は三歳になった息子を連れて再びこの町を拠点に旅を始めた。

「その男、リオウが連れていた幼子がイオリよ。母親はどこの誰かもわからないわ。なにせリオウは女癖が悪かったもの。しかもあの顔、女が黙ってても寄ってきたわ。ほら、イオリの顔を見たでしょ?本当に父親に似ちゃって」

母さんは酒場をやっている手前、お喋り好きだが、こんな風に昔の事を一つ一つ大切そうに話すのは珍しい。

「リオウさんのことが好きだったの?」

「昔の話よ」

そう言うと母は悩ましげに笑みを浮かべた。

「リオウは旅先の流行り病で死んだわ。当時十三だったイオリを残してね」

そう言うと、この話はお終いとでも言うようにガタリと立ち上がった。

「皆ごめんなさいね、こんな昔話に付き合わせちゃって。今日の飲み代は安くしておくわ」

その言葉に、珍しく空気を読んで静かにしていた男達が一斉に沸き立った。酒の注文が殺到する。

「マヒル、早く動きな!」

「あ、うん!」


そんな話をした数週間後、いつものように森の奥の小屋を訪れると戸が少し開いていた。昨日閉め忘れてしまったのだろうか。中を除けば、部屋の隅の椅子に人影がある。

「イオリ?」

声を掛ければ、人影は閉じた本を机に置いて振り返った。

「やあマヒル、部屋の掃除ちゃんとしてくれていたんだね」

「イオリ!」

一目散に彼の元へと駆け寄った。

「おかえりなさい!」

「ただいま、マヒル。いくらか本は読めるようになったかい」

その質問に対して、僕は本棚の前に立つ。

「ここからーここまで読んだよ!」

左の下から二番目の段を指さしてから一列ずらっと歩いて一段下がった右下の隅を指す。

イオリは目を丸くする。そこには二百冊近い本がある。いくらほとんどこ本が絵本や簡単な本だからといっても一日一冊以上は読んでいた事になる。それに今示した場所の後半の本はこの町の識字率からして大半の大人は読めないだろう。

「読めない文字はどうした?」

「そこの分厚い本に全部書いてあった」

マヒルが示したのは辞典だ。

「これは驚いた」

イオリは楽しそうに笑う。

「君にこの小屋を頼んでよかったよ。いつか医学書も読ませてみたいもんだ」

「医学書?」

「診療所を開くのに必要な知識さ。ほら、これとか」

イオリは手身近にあった本を手に取りマヒルに見せる。難しかったり、明らかにこの国のものではない言葉の羅列にマヒルは顔をしかめた。それを見たイオリはまた楽しそうに笑った。

その日からまたマヒルはイオリに言葉を学び始めた。


年に二、三度帰ってきては一ヶ月程度滞在し再び旅に出るイオリ。彼は旅先での話やかつて父であるリオウについても話をしてくれた。マヒルはマヒルで一年後にはイオリが町にいる時は異国の文字も学びだした。診療所もこの町には真っ当な医者がいないため、彼を頼って沢山の人が来ていた。

そんな日々の中、気付けば二人が出会ってから十年の月日が流れた。マヒルは十九、イオリは三十歳になった。

午後の日差しの中、イオリの診療所でマヒルは医学書を捲る。

「マヒル、俺が居ない間代わりに診療所を開かないか」

「は?」

「王都やその近隣でなら医者としての免許が必要になるけど、ラテノアのような小さな町は医者不足で知識がある者なら誰でもなれる。だから禄な知識も持っていない奴らが医者を名乗るんだけど」

「いやいや、俺が医者なんて無理に決まってるだろ。馬鹿なのか?」

「お前、また口悪くなったな。まあいいや。青カビから採れる抗生物質」

「ペニシリン」

答えてからハッとする。思わず条件反射で答えてしまった。

「不安なら怪我の手当てだけでもいい、頼む」

イオリはパチンっと両手を合わせた。真剣な眼差しに俺は頷く事しかできなかった。


「母さん、俺次にイオリが旅に出たらあいつの診療所代わりにやることになった」

「よかったじゃないの」

「え?」

「え、ってあんた、ずっと診療所手伝いたそうにしてたし、医学書ばっかり読んでさ。イオリもそのつもりで教えてたんじゃなかったの」

よく考えてみればいつの間にか医療に必要な言語や知識の本をさり気なく読まされていた。俺もその手の本は好きだったし、夢中で読んでいたが。

「あいつ謀りやがったな!」

結局、イオリは謀った覚えはない、何のことかと誤魔化しながら数日後には町を去ってしまった。俺は渋々診療所を朝から晩まで開き、患者がいない時は本を読み漁るという日々を過ごした。最初は訝しがられたものの、すぐにイオリが開いていた時に近い数の患者がやってくるようになった。酒場の方は母さんが従業員を雇ったようで、俺抜きでやりくりしている。正直、こちらの方が読書がはかどっている。

診療所はさすがに本だけで身につけた知識だけでは限界があり、今度イオリが来たら聞かなければいけない事が増えていく。だが、奴は一年経っても帰って来なかった。

仕方なくわからない事は王都からふらりと来た医者に聞いたりもして何とかしてはいるが、イオリがこんなに留守にする事は初めてだ。あいつの事だから気の赴くままに旅先の町を気に入って、長く滞在しているのかもしれないと思い、さして気にしてはいなかった。

更に一年の月日が過ぎた。一時期、感染病が流行ったりもしたが本から得た知識で調合した薬が偶然にも効果があったようで、すぐに収めることが出来た。

そんなある日、診療所に一人の旅人が訪れた。

「どこか怪我でも?」

男はゆっくりと顔を横に振る。手をポケットに突っ込み、そこから一通の手紙を差し出した。差出人を見ればイオリと書いてある。二年も消息不明だった男が漸く連絡か、と呆れながら中から紙を取り出す。

「マヒルへ、久しぶりだね、診療所はどうだい。俺は旅先の村で流行り病の治療をしていたんだけど、うっかり俺もかかってしまったようでね。先は長くなさそうなので、これを君に、俺と君が出会えた、大切な、思い出……」

最後に差し掛かると声が震えた。封筒の中からは小さな鍵が出てきた。俺は以前イオリがこの鍵で小屋の机の引き出しを開けているのを見たことがある。

「あんた、イオリはどうした」

男は再び首を横に振った。

「俺が村をたつ時にはもう二、三日の命だったよ」

「そう、か」

そのまま俺はふらふらと小屋に向かった。


バサバサバサッ。

頭が混乱して理解が追いつかない。小屋にあるどの本を読んでも何も頭に入ってはこない。ここにある本の四分の一はまだ読み切れていないのに、どれを読んでも面白いとは思えない。

「死んだ?イオリが?」

開いていた本にポタポタと水滴が落ちる。そこで漸く自分が泣いている事に気が付いた。

もっと沢山の事を話したかった。もっと沢山の事を教えてもらいたかった。俺が知らなくてあいつが知っている事はまだまだあったはずなのに。

握りしめていた手を開く。小さな金色の鍵。よろよろと机に向かい、それを鍵穴に差し込む。右に捻ればカチリと開く音がした。引き出しを引けば、中から一冊の本が出てきた。

分厚いそれを開いてみる。そこには様々な景色の絵がある。何かで読んだことがある。確か、これは、

「写真だ」

一ページ捲る事に全く違う世界が広がる。写真の下にはアムセイヌやフリイユといった町や村の名前が書いてある。アルバムと呼ばれるものだろうか。最後まで行くとラテノアと書かれた写真が二枚あった。正確には昔の荒れていた頃の町の写真と今の町に似た写真が並んでいる。

「一体誰が?」

次のページを捲ると家族写真と思われるものが貼ってある。四人家族なのだろう。

「あ、れ?」

一人は若い頃の母さんと思われる人が写っている。今より細く、赤毛は短く切りそろえられている。その手には生まれたばかりと思われる幼子を抱き抱えている。まさか、これが俺かと思うがイオリが俺と母さんの写真を持つはずがない。他人の空似だろう。

幼子の父親と思われる男の顔を見つめる。

「イ、オリ」

イオリそっくりなモスグリーンの瞳をした男が立っていた。いや、イオリをそのまま老けさせたような顔つきだ。男片手の前に立つ少年に目をやる。これまた男と瓜二つの顔をした少年、というかイオリをそのまま小さくしたような顔つきだ。どういうことなんだ。写真の下に記載された日付を見れば今から二十年以上前に撮影されたもののようである。そしてその横には小さく、ヨナ、リオウ、イオリ、マヒルと記されている。ヨナは母さんの名前だ。

最後のページを捲り終えて閉じると、背表紙にはリオウと記されていた。


バンっと酒場の戸を開け放つ。

「マヒル!あんたなんて開け方して……マヒル?」

「イオリが旅先の流行り病で死んだ」

母の手から皿が滑り落ちる。

「なあ母さん、リオウは俺の父さんなのか?」

割れた破片を拾い集めながら尋ねる。母さんは額に手を当てながら近場の椅子に腰掛けて言う。

「……そうよ。母親は違うけど間違いなくイオリとあんたは血の通った兄弟よ」

リオウは町を再建してからイオリを連れて旅をしてはこの町に帰ってきた。リオウにホの字だったヨナは彼が町に滞在する間、猛アタックした。その甲斐あってか紆余曲折の末二人は愛でたく夫婦になった。そしてマヒルが生まれた。夫婦になってから旅を辞めて大人しく診療所をしていたリオウだったが、ヨナは旅に行きたがっている事に気付いていた。だから行きたいなら行けばいいとヨナは言った。リオウはイオリとマヒル、それにヨナを連れて行こうとしたけれど、まだマヒルは幼くてヨナと留守番をしていた。そして二人はそのまま二年経っても帰って来なかった。ヨナは金を稼ぐために酒場を始めた。その一年後に店にイオリが来た。イオリの口からリオウが流行り病で死んだと聞かされた。それからイオリは一人で旅をするようになった。そして何度目かの旅に出て帰ってきた時、イオリは言った。旅人に待たせる家族はいらない、と。それから旅から帰った後でもイオリはヨナの前に姿を表す事はなくなった。そしてヨナも唯一残された愛する人との子に彼と同じ道を辿っては欲しくないと思い、マヒルをイオリに会わせることはしなかった。

そう言い終えて前を見据える顔には寂しそうな笑みが浮かんでいた。

「だって出会ってしまったらこうなるってわかっていたからね。ああ本当に、お前のその目はリオウそっくりなんだから」

どうやら母さんは俺の事なら何でもお見通しらしい。

「俺、行ってくるよ。リオウとイオリが辿った道を辿りに」

マヒルのモスグリーンの瞳は強い意思と決意に満ちていた。

「行ってらっしゃい。でもね、流行り病で死ぬのだけは勘弁よ」


それからすぐに荷物を纏めて、マヒルは写真にある場所を人に尋ねながら各地を回った。写真と景色がピタリと一致した瞬間、同じ景色を見たであろうリオウとイオリが残してくれた欠片を拾ったような気持ちになれる。

行く先々で出会う人々や文化に魅了されながら、本の中でした事がなかった旅を重ねていく。そこに広がっていたのは本の中以上に広い世界。医療知識があるという事でどの町でも病人の治療をし、必要最低限の旅費を稼ぐこともできた。

旅を続けるにつれて、母さんが俺とイオリを会わせたくなかった理由がわかってきた。一度旅を知ってしまえば、長期間同じ所には留まれなくなってしまう。旅人とはそういう性分なようだ。


そうして五年近くの歳月をかけて遂に、最後にイオリが辿り着いたであろう村に足を踏み入れた。海の傍の漁村だった。潮風を胸いっぱいに吸い込む。

幼い子供たちが俺の横を駆け抜けていく。村の人達の顔には笑みが浮かんでいる。どうやら流行り病はもう終息したらしい。

そうとなれば俺の旅はここでお終いだ。もっと他にも周りたい場所はあるがそれでも残された診療所が俺の居るべきところ。イオリに任された大切な場所だ。

村を去る前にイオリの墓を参ろうと、近くにいた女性に墓の場所を訪ねる。

「あら、流行り病の治療をしてくれたイオリさんよね?確かにあの人は流行り病にかかったけれど、もうダメだって時に奇跡的に助かって。それから村の病が落ち着いた後、弟に会いに行くんだって言って五年近く前にラテノアに去ったわよ?」

「は?」


長い道のりの果てに、ラテノアに辿り着けば変わらない温かみが漂っていた。俺が生まれ育った町。

様々な町を見てきたからこそわかる。リオウがこの町を救おうとした理由が。

酒場に行く前にあの村で女性に聞いた話の真相を確かめなければと、森の中を歩く。沢山の人に出会ったものだ。気が急く中、一歩踏み出すごとに旅の思い出が一つ一つ思い起こされる。

小屋の前に着き、鍵穴に鍵を差し込もうとすれば鍵は開いていた。まさか、本当にイオリがいるのだろうか。恐る恐る戸を開けば懐かしい紙の匂いで胸の中が満たされる。

すると、椅子の所に昔と変わらない背中が座っていた。

戸が開いた音に気が付いた人影が本を閉じてゆっくりと振り返る。

「やあマヒル。おかえり」

記憶の中より少し老けたその顔。

「イオリ、どうして……」

「ああ、その事か。君が旅を出る前の年にこの町で流行った感染病があるだろ?俺もさ、とある村でその病気の人の治療していたらそれに感染してしまってね。もう駄目だと思って君に手紙を書いた数日後に、その感染病に効果のある薬が村に届いたのさ。その後風の噂でその薬を作ったのは君だと聞いてね、楽しみに帰ってきたら君は旅に出てしまった後だった」

確かに俺はあの流行り病に効果のある薬を完成させた。でも、まさか、そんな事が起こり得るのだろうか。

イオリと同じモスグリーンの瞳は潤い、やがて涙が頬を伝う。

「さあマヒル、旅の土産話でも聞かせておくれ」


旅人と少年の旅はまだ始まったばかり。

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