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アンリアルロジック  作者: どめし
第五話『非現実への抜け穴』
33/33

scene7 白い奈落

 とりあえず、渡り廊下へと向かう。

 と、

「おお、神崎じゃん」

 高めの、脂の乗ったような、男声。

 油断していた。渡り廊下の先は、三年生の教室のある棟だった。

 足が止まる。咄嗟のことで、逃げることはできなかった。

 咄嗟のことで、ということにした。

 足が竦んだから、だなんて認めたくなかった。

 声を出せずにいると、副部長は取り巻きを引き連れてこちらへ向かってくる。取り巻きは四人。一人は、演劇部の三年生。他の三人には見覚えがなかった。

「何やってんの、こんな所で」

 副部長が声をかけたので、取り巻きの興味深げな視線が私に集まる。多くの生徒が帰る時間とは言え、別棟へ行くような者は少ないらしく渡り廊下の人通りはまばらだ。

 固まっちゃってんじゃん、とか、知り合い?だとか、取り巻きの無遠慮な話し声が私のことを更に射竦める。

「おぉい、何か返事しろよ神崎ぃ」

 気軽な感じで、親しい友達をからかうみたいな感じで、副部長が顔を覗き込む。覗き込まれてはじめて、私は自分が下を向いていたことに気づいた。

「こいつ、部活の後輩。なんか無視してくるんだけど。むかつくだろ?」

「お前がなんかしたんじゃねぇの?」

 取り巻きの軽口。副部長が「なんもしてねえって」と笑うと、取り巻きもどっと笑い声をあげた。

「こいつ昨日突っかかってきたのにさあ、なんか今は被害者ぶってて意味わかんねぇよ」

 笑い声。笑い声。

「あんた、また後輩にちょっかいかけてんの?」

 女の人の声。思わず視線を上げると、見覚えのある三年生が副部長に呆れたような目を向けている。

 あの人は――

「だから、そんなんじゃねえって」

 副部長の、悪びれる様子もない口ぶりに、女の先輩はけらけらと笑いだす。

「ほどほどにしときなよ」

 あの人も、よく副部長と一緒にいる先輩だ。

 ここは、敵だらけだ。

「なあ神崎」

 声が、近づく。

 整った顔立ち。

 すらりとした、大きな手、が。

「明日はちゃんと、部活来いよ」

 肩に乗った。

 暴力的に、掴むように。

「ていうかさ、今日は慧真と一緒じゃねぇの?」

 全身に、鳥肌が立った。

 ひときわ大きな、副部長の笑い声が、無力な私とすれ違って行く。

「神崎が相手してくんねぇから慧真探しに行くわぁ」

 なに、それ。

 ちょっと、待って。

 出かかった言葉が、喉に引っかかって、出てこない。思い出す、昨日の感覚。涙が、反射的に溢れ出す。

 待って。

 言った方が良いのか。言わない方が良いのか。

 見捨てた方が良いのか。

 慧真を。

 選ぶ勇気もなかった。

 そんな私は、無力な私は、耐えきれなくて、その場でへたり込んだ。

 副部長たちの視線が集まるのを肌で感じる。その視線は困惑であり、だけどすぐに好奇に変わった。

「おいおいどうしたんだよ神崎ぃ。調子悪いの?」

 腕を掴まれて、無理やりに立ち上がらせられた。肩を貸してもらうかたちになった私は、制汗剤の香りに思わず息を止めた。取り巻きが副部長に対して、優しーだなんて茶々を入れている。

 ああ、よかった。なんて考えた。慧真を見捨てることにならなくて、良かった。

「神崎」

 耳元で、憎い声。恐ろしい声。

「昨日のこと、謝る気になった?」

 優しい声。

 私は、声が、出なかった。

 謝ったらどうなるんだろう。

 謝らなかったらどうなるんだろう。

 嗚咽だけが漏れた。

「はっきりしろよ」

 副部長の怒声は、たぶん、そう言っていた。

 怒声とともに床に打ち捨てられた私の耳には、はっきりとは届かなかった。

「こいつ慧真より根性ねぇじゃん」

 視界には、黄緑色をしたビニル製の床。床に広げられた自分の手。そこに、ぼたぼたと涙が降っていく。

 慧真は、

 これよりも嫌な目に遭ったのだろうか。

 私は、これからもっと嫌な目に遭うのだろうか。

「せんぱい」

 やっと声が出る。どうしようもなく、涙声。

「嫌なこと、しないでください」

 どっ、と笑い声が上がった。

 ああ、まったく、聞く耳を持たれていない。

 なんて、なんて無力なんだろう。

 床を見下ろす視界の縁に、先輩たちの脚が並んでいる。取り囲まれているんだ。

 こんな場所じゃ、だめだ。

 息が、詰まる。

 鼓動が、早まる。

 なんだって、こんなことになったんだろう。

 答えは、分かっていた。答えを、思い出した。

 無力じゃないからだ。私は。

 頭の中で、何かがぶちんと断ち切れた。

「うわああああああぁぁぁぁぁぁ!」

 叫びながら、取り巻きを掻き分けて走り出す。「待てよ!」という副部長の声とともに誰かの手が私に追い縋って、ブレザーが引き剥がされた。それでも、走った。

 高三男子の脚は速い。すぐに追いつかれるだろう。捕まったら、酷い目に遭うかも知れない。いや、私はもう酷い目に遭っているし、あいつらは私を酷い目に遭わせようとしているんだ。

 だったら。

 渡り廊下の端で、私は振り向いた。

 一瞬。ほんの一瞬で、彼らは私に追いつくだろう。そんな距離。

 やったことはなかった。

 やったことはなかったけど、できる気がした。頭の中で断ち切れた何かの代わりに、別の何かが繋がった気がした。精神は昂って、そして、笑えるほどに澄んでいた。

「ホワイトアビス」

 だってほら、授業中に技名だって考えたんだ。

 できるに決まってる。

 精神を集中させて床と天井とを交互に睨み付けると、直径一メートルほどの穴が空間を穿ち、走って来た先輩たちはそこに吸い込まれるように落下した。

 その瞬間の間の抜けた顔と言ったらない。

 なんだ、やっぱり、間抜けだ、こいつは。

 床の穴は天井に繋げていた。落ちたはずの副部長たちは、私の目の前で天井から振って来ると、再び床の穴に落ちていく。穴を閉じてやると、天井から二回目の落下を果たした五人組は、大げさな音をたてて床に叩きつけられた。

 渡り廊下の向こうで、さっき私のことをあざ笑っていた女の先輩が悲鳴をあげている。

 ああ、なんて、笑える。

 私がこんなに強いだなんて。

 慧真、これで私、あなたを守れるよ。

 床で虫けらのように呻き声をあげている間抜けたちに背を向けて、私は頬を押さえて、それでも抑えきれない笑みを浮かべた。



第七話 おわり

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