人の皮を被ったネコ
とある満員電車の中で、痴漢が摘発された。
「えい! ふざけんじゃないよ。俺の顔に何かついているとでもいうのかい?」
「お巡りさんこの人です!」
「なにふざけたこと抜かしやがるんですか? お嬢さん」
「あっしに、なにか落ち度があると、考えてる? そういうわけですかい。あんたが呼ぶから、本当にお巡りさんが来ちゃいましたよ」
「君、君~ぃ! ちょっと待ちたまえ。なにかトラブルでもあったのですか。君! 逃げないで話を聞かせてくれたまえ」
「お巡りさん、私こそ、この女にずーっとつきまとわれて困っていたところなんです」
「……」
「なんで、急に人の手をつかむのですか? 私が逃げるとでも思うのですか。私は、なんの後ろめたいこともありませんよ」
「しかし、それだったら、なんで急に走り出したりするのかね。そんなことするから、疑われてしまうのだよ」
「だから、手を放してく・だ・さ・い・よ! 私は、忙しいのです。だから、つまらないことで時間を無駄にはできないのです」
「おい! 静かにしろ!」
「野次馬のみなさん。これは、見せ物ではありません。ここで足を止めないでくださいね。後から来る人が、困るじゃないですか」
「私みたいに顔の知られた人間が、何か悪いことをすると思いますか」
「あんたのいうとおりだ。ここじゃゆっくり話しもできない。署で、じっくりと話を聞こうじゃないか」
* *
取り調べの警官たちが話をしている。痴漢の容疑者についてだ。
「しかし、強情なやつだ。自分がやっていることが、自分のためにならないことに気づかないのか。この件に関しては、証拠もあれば証人もいる」
「なにを言ってもダメでしょう。やつは、しらを切り通すことに関しては、どんな犯罪者にも負けないからな」
「そうだなあ、ここでしばらく頭冷やしてもらうしかないか?」
* *
留置場は、男の想像してしたもの以上なものでも、それ以下のものでもなかった。そして、話に聞いていたように、牢名主がいた。
「新入り~ぃ! お前~ぇ。あれ持ってるか?」
「……」
「新入り~ぃ! 先輩への挨拶はどうしたんだ」
「……」
「痴漢の現行犯だってな……」
「違います。ちょっと飲み過ぎちゃって、それで、親切なお巡りさんに保護されただけなんですよ」
「……、しかし、そりゃどうでもいいことだ。ところでだ! なぁ、あれ持ってか? さっきから聞いているだろう。どうなんだ?」
「酒ですか。そんなもん全部取り上げられちゃいましたよ」
「よわったなぁ」
「ないと何か困るんですか」
「俺は、困らないけどなぁ。ただ、ここの名主さんがなんとおっしゃるかなぁ……」
「名主って、……」
「ろうなぬし!」
「おーぃ」
誰かが、呼ぶ声が響いてきた。その声は野太い声ではあるが、迫力もありそうな声であるが、なんというか音量がなく、聞き取りづらかった。その声は、次第に大きくなり、声の主が男の前に現れた。
「お前~ぇ、最近噂をよく聞くな~ぁ。一度顔を拝んでみたかった。だから、ここに招待したんだ」
「ということは、あんたたちが俺のことを計略にはめてここに引っ張り込んだというわけですね」
「そうさ、俺は、お前と一度じっくりと話しをする必要があると思ったわけなんだよ。だから、招待したわけだ! 俺とお前は、切っても切れない縁の糸で結ばれている。俺は、そう考えているのさ」
周りを見渡すと、留置されている奴らが起き出していた。そして、男の方をみていた。
「しかし、どいつも人相の悪そうな奴らばかりだな~ぁ」
男は、思った。
* *
やがて、房に酒と肴が持ち込まれて、宴会が始まった。男は、新入りで、この大胆な宴会をただただ驚いて見守るだけだった。
やがて、宴会はお開きとなった。房の囚人仲間は皆ヒドく酔っていた。まだ、歌をつづけるものもいた。
「静かにしろ!」
牢名主が、号令をかけた。
「姿勢を正せよ!これから、この房の新人を紹介を行う!」
酔いつぶれて居眠りしているヤツは、ひっぱたかれて起こされた。
「起きろ! もう一発ひっぱたくよ!」
それでも、
「う――ん! 何ですか? 邪魔しないでください」
とか、言っているヤツもいる。
「フム、フム、ヒューヒュー! 酒は、温めのかんがいィー♪」
と、歌い続けるヤツもいた。
そのようなことにかまわず、新入りの男に向けて牢名主は次の号令を発した。
「新入りとしてのご挨拶!」
「あいさつ?」
牢名主は、急に、自己紹介のあいさつ促したので、男は戸惑った。
「そうだ、この房のしきたりとして、新入りは、娑婆であったおもしろい話しをみなさまにお聞かせするということになっておる」
「……」
新入りは、それでも、話しをするのをためらっている様子であった。しかし、結局は話しはじめた。
運に見放された殺し屋の話しをした。それは、真実、男の体験であった。
呪いがかかったように、なにもかもうまく行かなくなった殺し屋は、今も、殺しに失敗して逃亡中であった。この一週間。ろくな食事に預かっていない。男には、助けてくれる人間がいなかった。人生というか、殺し屋人生、行き詰まってしまった。しかし、殺しで捕まったんでは、殺し屋のプライドが保てない。ところが、痴漢でしかも誤認逮捕されてしまったのだ。
「なんといっても、俺は『人の皮を被ったオオカミ』という俺のニックネームに誇りとプライドを持っている。だから、殺人犯として捕まらなかったことだけは誇りに思えます」
そう言って、男は自己紹介の挨拶を終えた。
――俺たちは、人の皮をかぶったオオカミよりはましだと考えているがな……
牢名主は、そう小さくつぶやいた。そして、黙り込んだ。
いくらかあって、牢名主は男にたずねた。
「あんた、はめられたとは考えなかったのかい?」
男は、牢名主の入っていることが飲み込めなかった。
「……」
「あんた、大変な人生を送ってきたようだが、俺にとってはまったく好都合だ」
男は、牢名主の話の急展開について行けなかった。
「……」
「俺たちはこれから兄弟以上の間柄になるわけだから、キチンとこの盃は受けてもらわなければならない。とにかく、あんたのような極悪人でありながら、意外に早く出所できそうな人間の皮を探していたところなのさ」
そういうと、牢名主はネコに特有な鋭い爪で男ののど元をひとかきした。男は、何の抵抗も出来ずに殺されてしまった。
「この男は、本当に珍しい人間ですな。我々、人間の皮を被ったネコの話をまったく聞いたことがないという様子でしたが……」
死んだ男から、人間の皮を引きはがす作業をはじめながら、人の皮を被った子分ネコがつぶやいた。
「おしゃべりはいいから、人間の皮はくれぐれも丁寧に引っ剥がしてくれ。そして、のど元の傷はきちんと取り繕っておいてくれ。俺は、これを着て娑婆に戻れるような予感がしているんだ」
* *
ここは、都心のマンガ喫茶である。
痴漢容疑の男の皮を手に入れ、このたびめでたく出所した牢名主は、ここで仲間と落ち合う手はずになっていた。しかし、何とも世の中が変わってしまっていたので、牢名主は不安で仕方なかった。
そんな気持ちで、コーヒーをすすっていると、ある種ニャンコ臭のする人物がマンガ喫茶に現れた。
「あいつら、どこかでみたことがある奴らだぞ。しかし、名前が思い出せない。どこでみたか思い出せさえしたらなぁ……」
一人の客、娑婆に出てくるまで、とんだ手間がかかってしまった。どれくらいの正月を牢で暮らしたか、手足の指を使って数えてみようとしてが、手足の指ではぜんぜん埒があかなかった。
というのも、ケチのついた人の皮にばかり当たってしまったからである。
人間の皮と入っても、それをつけるネコとの非常に大事で、これが悪かったら人の皮はすぐにダメになってしまうものだ。
「旦那、あんたは『愛するって』いう言葉でどういう場面を思い浮かべますか?」
これは、面識のない人の皮を被ったニャンコどおしが交わす符丁であった。
「ひなたぼっこしながら、マタタビにほおずりするようなあの幸せ感でしょうか」
これは、まさしく符丁に対する正しい返しの符丁であった。
* *
廃校になった小学校に校長室である。
校長室の中では、人間の皮を被ったネコと野良猫が集会を開いていた。
「告発!」
「にゃんこ、にゃーにゃー、にゃんころり!」
「俺たちは、いつもの空き地で、大議論になったニャー!いつもムカつくことばかりしやがる人間野郎どもだが、今度ばかりは許せないニャー!」
そう告発したのは、タマという名のニャンコであった。
タマがなぜ怒っているかというと、濡れ衣を着せられてしまいそうになったからであった。
「あの人間野郎の探偵は、全く許せない野郎ニャー!」
* *
集会の終わりの頃背中に大きな袋を背負って、ひとりの人の皮を被ったネコが現れた。もと、最近娑婆に戻ってきた人の皮を被っていたネコである。
この元牢名主の人の皮を被ったネコは、校長室の一角にまつられている『戦いをもとめるニャンコ大明神』に一礼した。
そして、校長室に集っていた人の皮を被ったネコと野良猫たちに向かって、戦果の報告を行った。
牢名主は、袋をひっくり返して中のものを床に、広げた。なかには、無数のミカンが入っていた。どのミカンも、牢名主の鋭い爪で急所を引っかかれており、すでに絶命していた。
「よく、やってくれた! 牢名主さん! あんたは、たいした仕事人だ。このミカン野郎は、こたつと手を組みやがって、『ニャンコがこたつに入ると、ニャンコの毛でこたつ布団が汚れて不潔だ』と主張し、冬場の貴重な隠れ場をニャンコから奪おうとしている。とんでもなく腹黒い連中だ。だから、あんたがやったことは、まさに、天罰というヤツだよ」
そして、他の人間の皮を被ったネコも、野良ネコもミカンの死骸に罵りを浴びせかけた。
「ミカンの奴らを排除し、越冬のためのこたつをちゃんこのために奪い返せ!」
この場にあふれるミカンに対する嫌悪感はひどく激しかった。牢名主は、そこで調子に乗った。今度の仕事での苦労ばなしをを始めることになった。
* *
たとえば、ある家に入ったときのこと、家ネズミの気配を追い床下に潜り込んだ。そのとき、鼻から蟻どもが、進入してきた。それから、どうにもくしゃみが止まらなくなって困ったものだった。
しかし、全ての任務が成功裏に終了させた今となっては、牢名主にとってすべてのことが、すでに懐かしい思い出になっていた。
また、牢名主はとんだ怪物と出くわしてしまったことを、仲間たちに報告しなければならなかった。
「こいつは、凄い奴だぜ! いろんなものに化けやがる!」
思わぬ報告に、ニャンコどもは一同たじろいでしまった。
ささやかな居間という場所ではあるが、こたつを巡っての戦いはまだ終わりそうにはなかった。
「近頃年のせいか、名前をなかなか覚えられなくなって困っている。あいつの名前!」
野良のニャンコが、牢名主に助け船を出した。
「テレビだろう。第一、あんたが、人間の皮を手に入れるために牢獄に入った頃、あいつらはこんなでかい顔していなかったからなぁ。あんたが狼狽するのも無理はないぜ」
人の皮を被ったネコと野良猫たちの大型液晶テレビを巡る戦いは、こうして始まった。
了
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