第七話 ~捕縛された者の末路~
「む……」
耳の辺りにひんやりとした感触を覚え、俺はうっすらと目を開けた。
視界に移るのは橋原の顔と金属の器。…やかんだ。
「あらら、起きてしまいましたか。残念ですねえ。」
橋原は笑いながらそう言うと、ぱっと上体を起こし、俺から離れた。
「……おい。」
俺は布団をどけて起き上がりながら、橋原に声をかけた。
「まずは挨拶が先でしょう?」
橋原が言う。
「…………おはよう。」
「おはようございます。」
満足げに頷いた橋原が挨拶を返す。素直に返した俺も俺だが、何なんだこの会話は。
「で、何ですか?」
「そのやかんは何だ。お前、何をするつもりだったんだ」
「ええっと、」
橋原がやかんを顔の横に持ち上げると、ちゃぽんという音がした。どうやらやかんの中には、水がたっぷりと入っているらしい。
「『寝耳に水』を実践してみようかと思いまして。」
「文字通りに?」
「えっと、すみません。正直言うと、起こしにきたついでにイタズラしようと思ってました。」
「…だろうな」
無邪気に言う橋原。俺はため息を一つ吐いた。
「いくら『大人しく寝てろ』と言われたからって、こうも無防備に寝ているとは思わなかったものでしてね。つい。」
「だからってわざわざ水を持ってきたと?」
「いえ、これはたまたま持ってきていたんですよ。」
「それはどういうたまたまだ。お前、元からそのつもりで来やがったな。」
橋原は、すごく楽しそうににこにこと笑っていた。本当に嫌な奴だ。俺は多分、こういうタイプの人間が嫌いなんだと思う。見るたびに苛々させられる。
「で、今日は深刻な話をするんじゃなかったのか」
それには何も答えずに、橋原は少し肩をすくめる。
「そろそろ朝ごはんの用意もできている頃ですから、早く着替えて出てきなさい。」
「え…いや、あの、俺は」
まさか、そこでいきなり朝飯の話をされるとは思っていなかったものだから、少し戸惑ってしまった。
「この部屋を出て左に行ったところの階段を下りれば、食堂があります。」
「だから、俺は別に」
「君に拒否権などありませんよ。何をするにもとりあえず、食事はきちんと摂らなければなりませんからね。朝ごはんは大事です!」
「あ、ああ…」
橋原はそう言い残すと、さっさと部屋から出て行ってしまった。全くこちらの話を聞く態度がない。ああも徹底されてしまうと、もはや怒る気にもなれない。むしろ天晴れだ。
断るつもりだった俺は、唖然として橋原の後姿を見送った。
「…いったい何だっていうんだよ…。」
暢気なものだな。捕まった当事者の俺としても、まさか和やかに朝飯まで食わされる羽目になるとは思っていなかった。
…しかし、お泊りでもあるまいし着替えなんて持ってきてないぞ。
俺はベッドから降りて、ベッド脇にある洋服箪笥に歩み寄る。
洋服箪笥の戸を開くと、擦れるような音と古臭い木の匂いが広がった。その中には、何着かの服がぶら下がっていた。全く掃除がされていないらしく、隅のほうには埃が溜まっているが、服自体はわりと綺麗だ。
「丁度良い、これでも借りるか…あ。」
そういえば、ここは河村の部屋だったな。だったら、一応河村にも許可はとっておいた方が…
「………面倒臭いしまあいいか。」
最低限のマナーなんてものは、余裕のあるとき…すなわち面倒ではないことにだけ適用されるものだと思う。
俺は思考をそう片付けると、少しサイズが大きいパーカーを手に取った。
(主人公の世界は、主に「めんどくさいこと」と「めんどくさくないこと」に二分されてます)