第六話 ~パシリとタイミングの良し悪し~
「これで一息つけますね」
男はそう言うと、一仕事終えたような表情で俺の方を向いた。
「あんた、もしかして河村と仲悪いのか?」
「いえ、別に良くも悪くもない、ただの幼馴染ですよ。何となくいじめてやりたかったからああ言ってみただけです」
本当に愉快そうな表情でそんなことを言うこいつは、きっと俺とは完全に違う人種だ。
「…あんたはまるで、悪魔だな。」
俺は吐き捨てるように言う。
「ええと、それって嫌味のつもりで言ってるんですか?それならばそれは偏見というものですよ。悪魔のどこが悪いんです?僕なんかは特に、とーっても優しい悪魔じゃありませんか。」
男はにこやかに言葉を返してくる。今までの流れを思うと、『優しい』などという形容詞はこいつの中にカケラも見当たらなかった気がするが。
「…後半はただの自惚れじゃねえかよ」
「自分に自信があるのは良いことですよ。」
呆れたように言ってみるが、やはり微笑んだまま肩をすくめて返される。何というか、飄々としてつかみ所がない。
「・・・ああ、申し遅れました。私は、ここで義勇軍隊長をつとめている橋原伍郎と申します。以後、お見知りおきを。」
・・・義勇軍。聞いたことはないが、どのような組織なのだろうか。俺を捕縛したのが組織単位での計画だとすると、これは結構厄介かもしれない。
「ふん、捕虜としての扱いは心得ているくせに、そういうところはやけに丁寧なんだな。」
「まあ、性格ですかね。わりと礼儀正しいんですよ。」
橋原は、俺の横たえられているベッドに腰掛けた。ベッド内部でスプリングの軋む音に、何故か心がざわりとした。
「・・・目的を」
橋原が、ぽつりとその言葉を漏らした。
ざわりと身の毛がよだつような悪寒が、背筋を駆け抜ける。悪い予感というものほど、やけに的中しやすいのである。
―――きっとこれは、俺にはメリットのない交渉だ。
「・・・何だ」
「そろそろ、君を捕らえた目的を、お話しましょうか。」
俺は、動揺を悟られないようにして、ゆっくりと頷いた。
「・・・やっとだな。」
―――聞きたくない、聞きたくない。
甘えた俺の心が悲鳴を上げる。雰囲気に流されたと言えばそれまでだが、このままでいられるのなら、どんなにかいいだろうと思った。先程のような気の抜けた会話もそうだが、ここには平穏がある。
俺の日常はとっくに崩壊しているというのに。
―――どうか俺を、穏かな日々から連れ出さないでくれ。
こんなことを考えるのも妙な感覚だが、縛られていてよかった。耳を塞ぎたくなる腕を、自身で押さえなくても済むのだ。
「実は僕たち義勇軍は、・・・・・・」
橋原が話し始める。
・・・と、その時。
「買ってきたで!!!」
河村が、突如部屋に乱入してきた。手には買い物袋。一週間分では済まないほどのタバスコ瓶が無造作に入れられている。…あんなに食べたら、胃に毒じゃないのか…
「え、ちょ…わずか3分で!?」
「だって5分以内って言うたやん!」
「このKY!KY!!・・・まあ確かにそういう指示を出したのは僕だけどな!フリだよそんなの!」
噛みつくような剣幕で、橋原が河村に怒鳴る。
「え、ええー?俺が悪いん?」
パシらされたあげくに罵倒される理由が分からないらしく、河村が困り果てた顔をして、俺の方をみる。
「全然状況が分からんのやけど」
「いや・・・、だからって俺に助けを求められてもな」
俺は、ため息をついて首を振った。本当に、今日一日だけで何度ため息を吐いたかわからない。
「あれ?何か顔色悪いけどどうしたん?」
唐突に河村が、俺の顔を覗き込む。何故かそういう所は鋭い。馬鹿のような振る舞いも実は演技でした、何てことも有り得るかもしれない。
「何かあったん?」
河村は橋原の方を振り向き、尋ねた。本気で心配しているようにさえ見える表情が、余計に違和感を煽る。
「いえ、何もありませんでしたよ。」
まるで電池が切れたように、急に落ち着きを取り戻した橋原が否定する。そこまで露骨な変わりようだと、流石に疑われるんじゃないか。
「そう、それやったらええねんけど・・・」
多少怪訝そうではあったけれど、河村はもうそれ以上の追求はしなかった。
「お前は、3分で買い物に行ってきたわりには元気だな。・・・というか、嬉しそうなのは何でだ。」
「そういう扱いには慣れてますから!!」
俺の質問に、河村は目をキラキラと輝かせて答えた。
…やっぱりただの馬鹿だったかもしれない。
―――俺は橋原に目的を聞かなければならないのに。橋原もどうやら、河村にはその目的を隠したがっているようだ。面倒な話だ。
本当は聞きたくなかったくせに、こうして自分のペースをかき乱されると、心とは裏腹のことを思ってしまう癖がある。今になると、さっさと目的を知って片付けてしまいたいような気分でさえいるのだ。
俺が黙ってそんなことを考えていると、橋原が唐突に言った。
「・・・かくなる上は仕方がない。君、今日はここに泊まっていきなさい!!」
「・・・・・・・・・は?」
あまりに話が飛躍しすぎていて、言葉の意味が分からない。どうしてそうなるんだ。
俺が首を傾げるのも無視して、橋原はどんどん話を進める。
「とりあえず、逃亡を図るもとるに足らない相手だとは分かったんだし、特別に縄も解いてあげますよ。」
「…それは、暗に俺を『弱い』と言っているのか?」
「別に暗じゃないですけどね、まあそういうことです。」
嫌みったらしいことを言う時の橋原は、本当に輝いていると思う。何というか、平常時とは違う生気に満ち溢れている。
しかしまあ、ずけずけと失礼なことを言ってくれるもんだな。別に、さして腹は立たないが。
「宿泊用にこの部屋を貸してあげますから、ゆっくりくつろいでください。」
「え、ちょ、伍郎・・・!ここ俺の部屋なんですけ」
「KYは黙ってろ。」
最後の「ど」まで言い切ることなく一蹴された河村が、小声で「すみません」と言ってうなだれる。
「とりあえず今すぐ出てけ。」
半強制的に河村が退室した。俺にはそんなものがいなかったからよく分からないのだが、これが幼馴染というものなのか。
…可哀想に、河村は今夜どこで寝るんだろう。そうは思ったが、口には出さない。半端な同情は、せっかく手に入れた寝床を棒に振ってしまうような愚かな行為だ。勿論の事ながら、俺は他人の寝床よりも自分の寝床を優先したいと思う。
目線を上げると、橋原が俺を見下ろしていた。
「おい。ぼーっとしてないで、とっととこの縄を解いてくれ。」
「一応言っておきますが、夜のうちに逃げ出そうとしても無駄ですからね。無様な姿をさらしたくなければ、子供らしく大人しく早めに就寝することですね」
橋原はかなり柔らかい口調で言ったが、その言葉には、やはり皮肉がたっぷりと含まれていた。
「…どうせあんたには適わないだろうからな。俺は、無駄な努力は一切しない主義なんだ。」
「へえ、それはとんだ根性無しですね。」
つまらなさそうに、ため息交じりで返される。
「あんたは俺に抵抗してほしいのかしてほしくないのか、一体どっちなんだよ。」
「別にどっちでもいいですよ。君の選択肢を広げるために、矛盾することを言ってあげただけです。お子様の頭では少し難しかったですか?」
見下すようにして、橋原がくすりと笑う。童顔なことを覗けばわりと端正な顔立ちだからこそ、橋原のその表情はけっこうイラつく。
「誰がお子様だ。でもまあ、支離滅裂な言葉を恩着せがましく言い換える話術は学べたぜ。あんたのおかげだ、ありがとよ。」
「いいえー、どういたしまして。」
その会話をしている最中、表情こそいろんな微笑を使い分けているが、橋原の目には何の感情も浮かんでいなかった。まるで人形のように、ただ微笑だけ。俺は俺で無表情のままだったから、人のことを言えたものではないのだが。
―――こいつはいったい、何者だ。ただの温室育ちかと思いきや、存外冷徹な人間なのか。
橋原が、そっと縄に手を掛ける。そして、小さく呟く。
「・・・明日には、」
分かりますね?といわんばかりの笑顔を浮かべると、橋原は縄の端を握った。
(会話パートが楽しすぎて話がなかなか進まない)