第五話 ~乱入、タバスコ男~
―――俺の望んでいるのは、面倒ごとに巻き込まれず、無事生き延びること。ただそれだけだった。
「・・・いいのか、解いてしまって。俺は逃げるかもしれないぞ。」
「さあ、どうやろなあ」
河村というらしい男は、やはりヘラヘラしながら、言う。
「お前は政府に、恨みぐらい抱いてそうな気がしてなぁ。
政府に煮え湯を飲ませることができるハナシって、ちょっと興味もたへん?」
「・・・っ!?」
見透かされた。何だこいつは。
河村のいう「ハナシ」とやらより、何故俺の政府への憎悪を知られたのか。それだけが、気になった。
ヘラヘラして、一見油断しているように見せかけた、鋭い攻撃。なぜか俺は、強烈な既視感を感じた。
壁を背にして、攻撃にも防御にも出ることができるような構えを取る。
―――俺は、政府を味方だとは思ったことがない。むしろ、本当は敵なのだ。しかし、敵の敵が味方である確証などどこにもない。
「そんな警戒せんとってくれや。カマかけてみただけやのに」
「お前・・・・・・」
本当に何が目的なんだ、と言おうとしたところで、河村の後ろの扉が乱暴に開けられる。
「おい幸生!!タバスコ切らしてるじゃないか・・・」
甚平を着て赤い鉢巻をした男が、部屋に入ろうとして硬直する。
「え・・・それって、例の。」
「それって言うなよ!」
とりあえず、申し訳程度に怒鳴っておく。
そして、勘づかれないように、そっと目線を移す。
丁度、河村の視線は甚平の男に向いていた。多少は調子を狂わされたが、今、この状況は都合がいい。よくもまあ、こんなに堂々と隙を見せてくれるもんだ。
こいつらの関係性はよく分からないが、多分二人とも俺の敵だろう。
腕時計型のメタモルに、イメージを流し込む。それは一瞬で、真っ黒いの形に変形した。振りかざし、二人に向かって降り下ろす・・・
「!?」
視界が反転したと思うと、俺はベッドにうつ伏せに叩きつけられていた。いつの間にか、甚平の男が俺に馬乗りになっている。腕が背に回され、締めあげられる。
さっき、河村にも似たようなことをされたという理由があってのことか、俺はわりと落ち着いて状況分析ができた。
「ちょっと痛いかもしれないですけど、我慢してくださいね。」
「断る。我慢したって痛いもんは痛いんだ。離せ!」
もちろん、叩きつけられた衝撃は全然なかった。しかし、指が食い込むほどの怪力で握り込まれて、腕が痛くならないわけがない。
「聞き分けのない子ですねえ」
男は、感情の篭っていない薄笑いを浮かべたまま、やはり俺を放さない。これが普通の反応だ。河村のようにやすやすと縄を解いてしまうことなど、通常ありえない。
―――あの一瞬でここまで跳んだとすると、この男の運動能力は半端じゃない。
俺は、腕の痛みを堪えながらも、ひたすらに次の策を練っていた。
―――どうすれば、ここを脱出できる?
―――どうすれば、…生き延びられる。
とにかく、今は相手の隙を探さなければいけない。俺は、適当に話を続けてみることにした。
「何でお前・・・・・・そんな馬鹿力なんだよ」
「君は僕の予想より、遙かに非力でしたね。しかし、随分とこの状況に対して冷静だ。」
「俺は逃げだそうとした。あんたはそれを阻止した。ただそれだけのことなのに、どこに冷静さを欠く要素があるっていうんだ。」
本当に、ただそれだけのことだ。その程度でいちいち取り乱していては、俺はきっと生き残ってこれなかっただろう。
それなのに、その男は、感嘆したような声を上げる。俺のような戦争孤児とは違って、こいつはきっと温室育ちだったのだろう。…それにしては、身体能力だけは妙にチートがかっているが。
「まだ若いのに、適応能力がすごいですね」
「いやあ、それほどでも。」
その男は、乱暴な手つきをしていながらも言葉遣いは紳士的だった。その余裕ぶりに完全なる実力差を感じる。
逃げ出すにしても、こいつがいないときを見計らわなければいけないと、俺の考えはまとまった。一時休戦のつもりで、俺は肩の力を抜いた。幾分か、上半身が楽になる。
―――何事にも、上には上がいるというものだ。ことに、ここにいる奴らは全員が全員、俺の上をゆく何かを持っているらしい。
「実は俺、あんたに尊敬の意さえ抱いてるんだぜ。すげえな、今の固め技。」
それなりにお世辞なんかを言ってみる。半分が本心、もう半分が下心、といったところか。
「ふふ、うれしいことを言ってくれますね。誉めても逃がしはしませんよ」
「それは残念だな」
やっぱり駄目だったようだ。予想はしていたから、言葉とは裏腹に、俺は別に残念でもなんでもなかった。だろうな、とでも言ってやりたい気分だった。
男はにこにこと笑いながら、俺の足下に転がっている縄を拾い上げる。
「一応縛らせてもらいますよ。会話はしにくいでしょうが、致し方ありません。君は随分と悪い子のようですからね」
その男は、慣れた手つきで俺の両腕を縛り上げていく。
「ああ、負けたのは俺だ。好きにしろ」
完全に脱力した俺は、されるがままに横たわっていた。
「・・・さてと。」
縄を全て結び終えた男が俺の背を降り、河村の方に向き直る。
「幸生・・・?」
その全身から黒いオーラを発しながらも、男は優しげな声で河村に呼びかけた。
「えっと・・・・・・あの・・・・・・・・・すみません」
「何で怒られているのかを承知しての言葉だろうな。」
「それは・・・えっと・・・うう…」
何だこれは。俺は呆れて、深いため息をつく。
「勝手に俺を捕縛しておいて、何でお前らは暢気にも親子のような会話を繰り広げているんだ。せめて俺の目の届かない、よそでやってくれ。」
男は振り向き、満面の笑みを浮かべる。
「捕らわれの身である君に気を使う義理など、こちらにはありません。負けたのは、君なんでしょう?」
「そういえば、それもそうだったな」
河村の気の抜けた応対のせいで、俺の常識もどこかが噛み合わなくなってしまったらしい。
男の言葉に納得した俺は、とりあえずその2人を見守ることにした。
「・・・で、幸生。君はなぜ怒られているのか、わかってるのか?」
「・・・・・・えっと、その、・・・タバスコ買い足しておくの忘れたから?」
「違うだろ」
河村の言葉に、俺はついツッコミを入れてしまった。天然にも程がある。
「いや、だいたい合ってましたよ、今ので」
男が俺のツッコミに、さらりと返答した。
「え、俺の縄を解いたから怒ってたんじゃじゃないのか?」
予想外すぎる反応に、俺は少し困惑する。
「それもまあ…ちょっとはありますけど。ぶっちゃけ君なんて、取るに足らない相手ですからね。縄が解けたくらい、そう不都合ではありませんよ。」
「あんたなぁ。俺の都合も無視してとっつかまえておいて、そんなぞんざいに扱うのは失礼じゃないか?」
「嫌ならとっとと逃げればいいじゃないですか。それができないなら、自分の運の尽きだったと諦めることですね」
「・・・・・・・・・」
なんだかこの男は、わざと俺をからかっているような気がする。
河村よりは常識人かと思っていたが、こいつはこいつで、別の意味での変人なのかもしれない。
「ごめんな、また今度買ってきとくから・・・!」
涙目の河村がそう言うと、男は露骨に不機嫌そうな顔をした。
「そんなこと言って、いつも忘れるじゃないか。今すぐ買ってこい!」
怒鳴りつけられた河村が、ビクッと肩を震わせる。力関係の差は、会ったばかりの俺にさえ分かるほど歴然としていた。
「ほら、さっさと買ってこいよ。5分で。」
「ご、5分!?」
もはやパシリのようだ。いや、パシリ以外の何物でもない。
「何か文句でも?」
「うっ。」
無表情で男に凄まれた河村は、震えながらゆっくりと視線を逸らす。俺は見たことがないが、蛇に睨まれた蛙もきっとこういう感じなのだろう。何というか、可哀相だ。
「・・・ごめんな、俺ちょっと行ってくるわ・・・」
涙目で俺にそう言うと、河村は急ぎ足で部屋を出ていった。
「・・・」
黙ってその背中を見送ると、俺は尋ねた。
「5分って、そんなに近くに店があるのか?」
「さあ、どうでしたかねえ。まあ、多少遠くても、全身の筋肉フル稼働すれば何とかなるんじゃないですか?」
男は、さっきの命令口調とは打って変わって、丁寧に言う。しかし、言っている内容は先程となんら変わりない。鬼のような奴だ。
「さすがに無理だろ・・・」
「無理かどうかなんて、やってみなきゃ分からないでしょう。何なら君も、挑戦してみます?」
「いや、いい。」
―――…やはりこの男は鬼だ。
俺は、静かにそう確信した。
(主人公は意外と順応が早い子です)