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終末三千年。  作者: 高倉 悠久
第一章
16/20

幕間② 伝えるということ。

※狂気とそれに伴う残酷な描写があります。要するにヤンデレです※

苦手な方はご注意下さい。

 

+++++

 

 

 あの時ちゃんと伝えていれば、僕の世界は違っていたのだろうか。

 言葉にして、届ける。「伝える」ということの正しい形は、その他にだってあるはずだ。…僕は、そう信じていた。

 本当に僕は、幼かったのだ。

 

 

+++++

 

 

 主人から切り離された艶やかな長い黒髪を、撫でた。それは流れるようにして、腕の間から床へと垂れる。

 少し離れたところに、血溜まりに抱かれて女性が横たわっていた。その傍には、汚れを完全にふき取られて異様な光を放つ、果物ナイフが落ちている。

 

 その女性は僕の恋人だった。僕よりいくつか年上の、美しいひと。だけど時折幼さを感じさせるような無邪気な笑みを見せてくれて、そんなところが大好きだった。

 僕はそのひとのことをあまりよく知らない。血を分けた姉弟だとか、唯一の僕の家族なのだとか、その人の名前が××だとか、そんなものは全て、そのひとの本質を知るためには全くの無意味だ。

 だから僕が唯一つ知っているのは、そのひとが僕の初めての恋愛感情の対象だったということだけだった。

 

―――ねむっている。それはとても、とても穏かに。

 

 子供のように、僕はそう思った。いや、強く願った。そんなわけないのに。

 貴女はやはり、短い髪もよく似合う綺麗な女性だ。そんなどうでもいい口説き文句さえ思い浮かんでくるぐらいに、僕の感覚は麻痺しきっていた。

 手をそっと、開いてみる。黒髪がはらはらと足元に落ちた。しかし何故か手の内に残っていたのは、柔らかな髪の感触ではなく、愛するひとを刺したナイフの手触りだった。

 

―――ああ、もうここにはいられない。早く出て行かなければ。

 僕の愛するひとは、一体誰に見つけられるのだろうか。それまでその眠りが覚めることは、ないのだろうか。

―――…早く出て行かなければ、いけないのに。

 僕は横たわる恋人の元まで、ふらつきながら歩み寄った。

 

 

+++++

 

 

 僕はいつからか、そのひとに恋愛感情以外のものを抱いていた。

 それがどうしてなのかは分からない。別にうまくいっていないことがあったわけでもなし、僕はそのひとと確実な段階を踏んでいたはずだった。それには一切不満がない。そんな日々がずっと続けばいい、とさえ願っていたのに。

 

―――刺したい。

 ただ、そんな欲求が湧き上がってくるのに、僕は戦慄した。

―――殺したいんじゃなくて、刺したいんだ。

 愛してるとはいっても傷つけてでも手に入れたい、というほどの情熱があるわけでもない。正直言えば、僕がそのひとを刺したいのは何となく、だった。

―――何となく、あの背中に刃物を突き立てたい。背中の肉に押し返されるようにしながら、ずぶりと奥まで。

 その人の後ろ姿を見ながら、僕はいつもそんなことを考えていた。

 なんで?

―――わからない。ほんとうになにもわからないんだ。

 

 これが幼い僕の愛なのだと気づいたのは、いったいいつのことだったか。つい最近のことだった気もするし、ずっと前のことだった気もする。

 ただ確かなのは、この愛が歪んでいると知ったのが、それが愛だと気付いてから間もなかったということだけだ。

 

 ぼんやりとした衝動に、突き動かされる。

 何度も触れ合った、あたたかいからだ。

 刃物を突き立てながら、どさくさ紛れで倒れ込むようにして、もう一度その温もりに触れてしまおうか。

 

―――愛してる、愛してる。

 これは、愛なんだ。

 苦しいわけじゃないし、寂しいわけでもないのに。もやもやとした霧が、僕の心の底を包み隠そうとする。

 これが、恋なんだ。

 僕はこんなにもそのひとのことが、好きなんだ。

 

 

 幼い僕は衝動を抑え切れずに、性急ともいえるほど強引にそのひとを押し倒した。

 僕の振り上げるナイフを見つめるそのひとの目は本当に純真で、恐怖など微塵も含まれていなかった。その時になって初めて、僕がそのひとに心から信頼されていたことに、気付いた。

 きょとんとしたように表情に、愛しい、という気持ちが強く湧き上がる。…それと同時に、薄汚れた僕の独占欲も垣間見える。少しだけそのひとを、かわいそうだと思った。こんな僕に囚われて、あなたはきっと幸せにはなれない。…かわいそうな、僕だけのお姫さま。

 

 ぎゅっと抱きしめると、そのひとはいつものように僕の髪を優しく撫でた。

 いつものように。

 

 

+++++

 

 

 そのひとは、前に僕を「わたしによく似ている」と言ったことがあった。詳しく聞き返したりはしなかったのだが、おそらく性格のことではないはずだ。そのひとは僕なんかと違って、いつだって明るく笑っていた。

 だからきっと、似ているというのは容姿のことだろう。実の姉弟だというならば、顔は似ていて当然だ。だけど僕は自分自身の顔をよく見たことがなく、いまいち実感は湧いてこなかった。

 血溜まりを覗き込む。どんよりと濁った赤い水は、愛するひとに似ているという僕の顔を映してはくれなかった。

 

 最後に少しだけ、貴女をあいしたい。

 口付けた先の皮膚はとても冷たくて、僕は自分の部屋から毛布を持ってこようかと一瞬悩んだ。

 が、それよりも自分の身体で温めようと思い、冷えたそのひとを胸に抱く。カーディガンにべっとりと赤い染みがつくのも気にならない。そのひとに触れていたかった。

―――ああどれだけ抱いても、あたたかくならない。

 それどころか僕の愛までもが凍らせられていくような気がして、僕はそっとその人を床に降ろした。血に塗れたカーディガンを脱ぐ。中に着ていたワイシャツはそれほど汚れておらず、これならば人に会ってもそう不審がられはしないだろう。

―――ごめん、あたためてあげられなくて。

 そのひとはすごく優しいから、僕がそう呟いたら返事をしてくれるような気がする。僕は絶望という感情を、どこかに落としてきたようだった。最後にひとつだけ、その額に小さくキスをする。

 

―――さあもう、行かなくちゃ。

 

「さよなら。僕はもうここには帰らないよ。」

 そっと囁いて、僕は静かに立ち上がった。「ねむっている」そのひとを起こしてしまわぬように、そのままゆっくりと部屋を出る。

 玄関まで続く廊下をぺたぺたと歩いているうちに、胸の内で不安が膨張した。

―――大丈夫、今は真夜中だ。気付かれないうちに、どこか遠くの町まで行こう。

 行くあてなんてない。けれどももう、僕はここにいる資格を失った。僕が暮らしてゆける場所を、探しに行こう。

 

 ポケットには、いつかそのひとが僕にくれた、黒皮の財布。2・3枚の札と一緒に、君と撮ったたった一枚の写真が入っている。

―――財布はいずれ、売ってしまおう。少しは生活資金の足しになるはずだ。

 貴女の思い出だけれど、仕方がないね。僕がそう言ったら、そのひとは悲しげな表情をしてくれるのだろうか。

―――写真も、捨ててしまおう。

 それは、仕方がないから?いや、違う。写真一枚捨てたところで、僕には何のメリットもないはずなのだ。

 じゃあ、一体何故だろう。僕はこんなにも、君の記憶を手放したい。

―――苦しい。

「ああ、そっか。これが恋なんだな」 

 自嘲気味に零して、ふふっと笑った。

 

「大好きだよ。」

 

 思わず口を吐いて出た言葉。


 そして僕は、やっと気付いた。

 僕がその気持ちを言葉として声に出したのは、これが初めてだったのだ。

 

(橋原さんの過去話でした)

(設定としては、このときの橋原さんが17歳で、お姉さんが21歳です)

 

(普段橋原さんがニコのことを「お子様」呼ばわりしているのは、ニコと同い年だった当時の自分に対する、侮蔑のようなものも含まれていたのかもしれないです)


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