第十三話 ~滅んでもいい世界と、滅んではいけない世界~
食堂の扉を開けると、食事の時の喧騒とは打って変わって、そこはとても静かな世界だった。
薄暗い室内にいるのは橋原ただ一人、中央の椅子に腰掛けている。
「やあニコ君、遅かったですね。どうです、あれはとても良い子だったでしょう?」
「本当にな。あいつに言わせりゃ、あんたも『良い人』なんだそうだぜ」
俺は皮肉で言ったつもりなのだが、橋原はさも可笑しそうにくすくすと笑った。
「だから、僕は元から良い人なんですってー」
「俺はあんたのそういうところが嫌いだよ。」
言動に全く謙虚さが感じられない。河村弟を見習ったらどうだ。…俺がそう言うと、橋原は「君は正直者ですね」と言ってまた笑った。
橋原の向かいの椅子を引いて、座る。
「あ、ニコ君」
俺はいつもの癖で足を組んでいた。橋原はそれを指差して「組んで座ってると、足が太くなるらしいですよー」と言った。無機質な金属の脚を見破られたような気がして、「女でもあるまいし、いちいちそんなこと気にしてられるか」と返す。それにも、橋原は無表情な笑みを浮かべているだけだった。
「さて、ではお話を始めましょうかね」
不意に表情を消して、橋原が言った。
「…本当に、ようやくだな。」
「そうですね。僕としては、ここまで君と関わるつもりはなかったのですけれど。」
まあそれも、何かの縁でしょう。珍しくも橋原は、にこりともせずに言う。
「簡潔に言いましょう。僕達義勇軍は、『生き残るため』に作られた組織です。」
「………?」
きょとんとした俺に、橋原は「ああすみません、ちょっと簡潔すぎたようですね」と肩をすくめた。
「要するに、君には生き残るために必要なお仕事を一つ、受け持ってほしいのですよ。」
「何のことだ。」
「まだ分からないんですか?頭の回転は速いようですが、君はまだお子様ということですね」
呆れたように笑った橋原に、「お前の話では、重要な部分がぼかされ過ぎていてよく分からねえんだよ」と返す。こんなことでいちいちお子様扱いされていたんでは、実年齢が行方不明になりそうだ。
「まず、『生き残る』という言葉を詳しく説明しろ。それは、三千年戦争の中で生き残る、ということか」
「うーん…そうといえばそうですけど、違うといえば違うのかな」
俺の問いに、橋原は尚も曖昧な答えを返した。
「……これじゃ話にならないぜ」
「ふふ、それでは今度は僕から問いましょう」
ふっとため息を吐いた俺を、橋原は指差す。…全くもって、話の流れが飲み込めない。
「ニコ君、君はこの戦争が、どうやって始まったものだか知っていますか?」
「は…?」
橋原の言葉に、俺は改めて記憶を辿った。
「確かそれは、新たな資源を求めた惑星が、地球への侵攻を開始したことで…」
「本当に、そんなことを信じているんですか」
たどたどしく説明する俺の言葉を遮って、橋原は「それだから君はお子様だっていうんですよ」と嘲笑した。
心がざわりとした。信じていた?…いや、そんなはずはない。だったら、真実は何だ?
「考えたことがなかった、でしょう?」
橋原がゆっくりとした口調で言う。
「…っ、あんたはひとの心が読めるってのかよ」
またも見透かされた。
「無表情なようでいて、実のところ君の本音は見え見えなんですよ」
橋原の柔らかな微笑を、思いっきり睨みつける。橋原はそれを意にも介さず、話を続けた。
「いうなれば先程君が言った出来事は、第一話です。それよりも前の、プロローグというものがあったのですよ。」
「プロローグ…?」
「ズバリ!…端的に言うと、」
橋原はそこで言葉を切って、もう一度、今度は圧迫感を感じさせるほど緩やかな動作で、俺を指差した。
「始めに戦争を仕掛けたのは、君達政府の人間ですよ」
なんで、どうして?そんなことをして俺達に、どんな得があるっていうんだ。
その問い掛けを、無理矢理に飲み込む。それはきっと、政府に翻弄される国民達こそが言うにふさわしいものなのだと知っていた。
「といっても、政府が主体だったのではなく、政府の重役の独断だったようですがね」
「…なるほど。下の者が振り回されるのは、世の常だからな」
橋原の言葉に、諦めたような返答をする。途端、橋原の目つきが豹変した。
「それ、本気で思っているんですか?」
「は?いや、だって」
混乱してしどろもどろになりながらも、何か言い訳を探そうとする。橋原はそんな俺を、深淵のように深い色をした、軽蔑を湛えた瞳で見つめていた。
「………全ては、止め切れなかった下の者達の責任ですよ」
こんな世界は、早々に滅んでくれたって構いません。橋原は、いつかの俺のようなことを零した。…そうだ、俺だってそう思っている。そのはずなのに、何故だか少し胸のうちが締め付けられるような気がした。
「それならお前は、どうして義勇軍を組織するほどに生き残りたいんだ」
橋原は我に返ったように目を開き、それから一寸後には普段通りの余裕を醸し出していた。その瞳は軽蔑どころか、もう何の感情も映し出していない。
「単なる僕の我侭ですよ。…愛する者を、この手で護りたいんだ。」
それは単純で、純粋で、誰もが持っているはずの感情。だが、橋原が続けた言葉は、その全てを瓦解させるほどに異様なものだった。
「僕はかつて、愛する者をこの手で殺した。だからその償いのために、今度こそ愛する者を生き残らせる。」
それが当たり前だとでも言わんばかりに、橋原は無表情のままさらりと言う。俺は橋原が何を言っているのか分からず、その無表情を阿呆のように見つめていた。
「その他のことは、…僕自身だって例外ではなく、どうなったっていいのですよ」
橋原の乾いた笑い声に、悪寒が走る。
何故、愛する者を殺す?全く無縁な者を殺したという俺ですら、理解できない。…それとも、愛する者のいない俺だからこそ理解できないというのか。
「義勇軍を組織した理由なんて、その一つだけで十分ですよ。隊員達とて皆それぞれに、『自分が生き残りたい』という我侭を抱え込んでいるのですからね。」
事も無げに告げられた言葉。きっとこの組織は、世間には十分に知られていないのだろう。生き残りたいと願うもの全てがここに集まったとしたら、1国が成立する人数、どころの騒ぎではなくなるはずだ。
「もし生き残れるのがたった一人だけだというなら、僕はきっと他の隊員達のことも殺してしまうのでしょうね」
橋原は、まるで何とも思っていないかのように平坦な声色で「残念です」と言う。
「…あんたやっぱり、狂ってるよ」
橋原は、つまらなさそうな表情で「そんなこととっくに知ってますよ」と呟いた。




