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東方大精霊  作者: ティーレ
3.過去ノシガラミヲ越エ、未来ヘト進ム
51/55

舞風と稗田


試験の方が一段楽したので執筆しました。


前期の時点でギリギリまで単位落としといて、正直もう無理だと思いましたが、残り二つを除いて単位の会得に成功しました。まぁこの二つのどっちかでも落としたら終わりなんですけどね(笑)


結果のほうは分かり次第今後の進行等も含めて活動報告に載せます。



では……物語の新たなターニングポイントをどうか。




――五代目稗田乙女、稗田阿悟は、出会った時普通の少女であった。多少、天真爛漫であったが。


見ている分にしても、巻き込まれる分にしても、彼女の傍は飽きなかった。妖怪、人外を畏怖するものとして扱わず、一生命いちせいめいの舞風と扱うその傍は居心地のよいものであった。それ故に、短い付き合いと言えどそれとの別れには思うところがあった。



――六代目稗田乙女、稗田阿夢は、出会った時やや臆病な少女であった。阿悟と全く同じと言う顔ではなく、僅かな差も存在した。


初めの頃こそ恐れられた。少女は妖怪を本でしか知らなかったから。しかし、言葉を交わす後。やがては気を許すようになった。生来の臆病さこそ消えはしなかったが、それでも俺と接するときは本当に楽しそうで。


やはり、別れは寂しいものである、と再認識する。



――七代目稗田乙女、稗田阿七は、初めから友好的であった。本で俺の事を知ったらしい。故に前のように怯えられる事もなかった。


今までに比べ、幻想郷縁起への責任が大きかった。故に、俺と共にいる時は他の妖怪について聞いてきた。それについては答えられる範疇でよければ答えた。勉強好きな子、と言うのが最もそれらしいのかもしれない。







最後はやはり、変わらぬ俺と少しばかり”大人っぽくなった”少女が小さな部屋で、二人だけの部屋で、別れを言うのだ。皆、皆そうであった。
















「――やっ、慧音。元気にやってるか?」



俺が覗き込んだのは一般的な民家に比べやや大きめな部屋。いくつもの木造椅子と机があり、綺麗に並んでいる。


そこは人里の寺子屋。子供に字の読み書きなどを教える、学校のようなもの。今はそこに生徒らしき影は無く、教卓で紙や本を束ねる女性がいるだけであった。



「舞風! 久しぶりだな!!」

「おう。随分と長い間旅に出ていたからな。寺子屋のほうは順調か?」



その問いに女性――上白沢慧音は困ったように頬をかいた。その頭に乗せられた特徴的な帽子が揺れる。この反応からするとまずまずかそれなりかのようだ。


慧音は半妖である。それ故にこの里の人間には畏れられる対象であった。それが変わったのは一時期、この人里で起きた妖怪騒ぎで慧音が人々の盾となり、救った事がきっかけであった。


それを理由に俺は慧音を村の権力者――稗田に売り込んだ。俺と稗田との関係は比較的良好であるため、その申し出はすんなり通った。それをきっかけに慧音は寺子屋を始めたのだ。


勿論、その始まりは幸先良いものではなかった。親が慧音が妖怪だからと子をやらない。そうなれば当然人は集まらない。人が独りもいない状態での寺子屋は酷く寂れたものであった。そこでまた稗田の力を借りたのだ。稗田は今まで慧音が助けた人々共に寺子屋を後押しした。子供が一人増え、二人増え、そこでようやく寺子屋が成り立つようになったのだ。



「そ、それはそれとして、今日はどうしたんだ?」

「どうしたもなにも。旅から帰ったばかりだから知り合いのところに回ってる最中だよ。妹紅もここにいてくれれば楽だったんだけどな」

「ははは。妹紅はまだ人里に居座る気は無いそうだよ。竹林の暮らしから離れられそうにないと」



――寺子屋を初め、慧音はその住処を人里内の民家に移した。仕事場が人里内なのだからそこに暮らすのは勿論だろう。そして、慧音はそこに妹紅を誘ったのだが、彼女は苦笑いで断った。


竹林の暮らしがどうと言うより、もっと別のところに理由があるのは明らかであった。



「ま、そのうちだな」

「ああ、そのうちな」



何か慧音のようなきっかけでもあればいいんだろうが、妹紅は人を助けることについては好意的であるし。しかし、結局そうそう都合の良いことが起きるわけも無く、こうしてずるずると引っ張られるようなことになってしまっているのだろう。



「――そうだ。森近はどうしてるんだ?」

「森近……ああ! 霖之助殿のことか」



頭の上の不安定な帽子を揺らしながら慧音はぽんと手を叩いた。


森近い会ったのはもう何年も前になるか。この人里の入り口で寺子屋を頼れと見送って以来、会っていないはずである。そんな事もあってか、森近のことは心の中に置いてはいたのだ。彼女の反応を見る限り、悪待遇に置かれているような事はなさそうであるが。



「彼には暫くの間この寺子屋の手伝いをしてもらっていたがいつの間にか自分で住み込み先を見つけてきたようでね。二年前に出て行ったところだ」

「へぇ。意外。あいつはもっと苦労するかと思ったけど」



森近は確かに博識であったが、ややとっつき難いところがあった。人と接することに慣れていないようであったし、正直一人で商人まがいのことでもするかと思った。勿論売るのは彼が持ち込んだ物だ。



「ああ。それもその先が凄いことに、人里で最も高売り上げを叩き出している道具屋、霧雨店だそうだ」

「いやそれは知らないけども」

「何でも能力を買われたそうだ。確かに道具屋向きの能力であるしな」

「……能力?」



はて? 森近が能力を持っていると言う話は聞いたことが無いが。元が戦えるようには見えなかったし、強いて口に出すほどの力ではないと思われたのか。


いや、そもそも自分と森近は数刻共に話をしただけで、ほとんど互いを知らないんだったか。いくつか彼の重要なことを知っているだけで、それ以外はほとんど知らない。



「ふぅーん。それじゃ、久しぶりに会いに行ってみるかな」

「そうだな。それがいいだろう。霖之助殿はとてもお前に会いたがっているようであったし」

「へ? 会いたがってる? はて、なにかしたかな?」

「お前はたまに無意識で大変なことをやらかすらしいからな。気付かぬうちに恨みでも買われたのではないか?」

「ねぇそれ誰情報? 妹紅だろ。それ絶対妹紅だろ?」



ふふふと口元を隠しながら笑う慧音。付け加えるように冗談だと言われはしたがなんだか釈然としない















寺子屋の授業も終わったことだし、と慧音に案内を任せ、俺は人里の大通りを歩いている。道行く人の大半が慧音に挨拶をするところを見る辺り、彼女がここに馴染んでいることがうかがえる。


極少数の彼女に対してがんを飛ばした者達については除外させてもらうが。



「人里には慣れてきたみたいだな」

「勿論だ。ここに来てもう五年近く経つしな」



彼女が人里ここに住む事が決まったのは俺が旅に出る少し前であった。半妖とはいえ、妖怪が人里に住むことは今まで前例が無かった。人間にしてみればお隣さんに人食い虎が繰るかのような思いであろう。だが、彼女は人を襲わない。元が人であるが故に、そして人が好きである故に。


初めて会った時だって彼女は自主的に村を守ろうとした。その村の人々に例え気付かれないのだとしても。そんな彼女だからこそ、大丈夫だと言う確信があった。そもそも人里にいる妖怪退治屋程度では慧音の相手にもならないであろう。だから心配は無かった。



「いやなに。お前ならやれると信じてたよ」

「……そうしてお前に褒められるのも不気味だな。何が目的だ?」

「お前が俺をどんな奴だと思ってるのか少し判ったよこいつめ」



たまにはまともに真面目に人を褒めるくらい良いじゃないか。それすらも疑われる俺、不憫。


唇を尖らせたまま人通りを横切っていくが、前方から歩いてくる子供達がこちらに気付き、駆け寄ってくることで少し顔を引き締めた。



「けーねせんせー! お買い物?」

「お前達か。いやなに。先生の友達が久しぶりに会いに来てくれたからな、ちょっと里を案内してるんだ」

「このちびが? けーねせんせーの子供じゃないのか?」

「ちっ!? ……ああうん。君達は寺子屋の生徒さんかい?」

「そうだよ~」



寧ろそれしか無いだろうと分かっていながらも尋ねておく。少年二人に少女一人。別に小さいと言われることは慣れたが、相手が子供だとまた別の傷が心に来る。


思わずため息をつきたくなる衝動を抑えながらも愛想笑いを浮かべた。



「こらこら。舞風はこう見えて私より年上だからな。身長は本人も気にしてるんだからあまり言ってやるなよ?」

「「「はーい!」」」

「いや台無しだよ。台無しだよお前」



せっかく耐えたのにこれではまったく意味が無いではないか。その口元の笑みからして確信犯であることを理解。脛を蹴ってやりたくなった。



「それじゃあ先生はこいつを案内してやら無きゃならないから。勢い余って人里の外に出たりするなよ? それと、遅くならないうちに帰るんだぞ?」

「分かったー」

「またね~」



そうしてこちらに手を振りながら駆けて行く子供たち。慧音がまるで先生だな~と思いながら、そう言えば先生だったと思い直す。



「随分懐かれてるみたいだな」

「ああ。あの子達は寺子屋の中では年齢が上のほうだからな。付き合いも長いほうだ」

「なーる。元気なことは良いことじゃないか」



幻想郷はある意味取り残された世界である。今やこの世界の外では一つの時代が終わり、この国の外へとその目が向けられ始めている。この幻想郷を『内包』する世界が変わろうとしているのだ。ここになんの影響も訪れないわけが無い。


やがては、この幻想郷も巻き込まれるかもしれない。この国の『戦争』に。いや、最悪空爆、なんて可能性も否定しきれない。このままでは――楽園はまた・・消える。



「その為にも――」

「……舞風?」

「いや……なんでもない」



その為にも――幻想郷は隔絶されなければならない。幻想が真の幻想であり続けるために、ここが美しい世界である為にも。














「――ここか? 霧雨店って」

「ああ、看板があるから一目で分かるだろう?」



まぁ、看板の前にその規模で目が留まってしまうが。一般的な民家の三倍近い敷地で、尚且つ慧音が言うように一枚板の看板にて『霧雨店』の字。間違えるなと言う方が難しい話であろう。


流石に、人里の道具の最大手ではあると言うことであろう。



「そんじゃ、入るか。お邪魔ー」

「なんだそれは? ……失礼する」



別にのれんがある訳でもなく、戸は解放されていたが何も言わずに入るのも気が引けたのでトントンと開かれた戸をノックした後、店内に足を踏む入れる。見回してみると思いのほか中に客はおらず、チラホラと見かける程度。さすが道具店と言うべきか、置いてある物の大半は日常品のようである。


さて、と俺は店内の奥に目を向けてみる。見覚えのある白髪が、四苦八苦しながらお客に道具の説明をしている姿が目に入り、思わずククッと笑う。慧音もなにやら微笑ましいものを見るようにしていた。



「さて、あれを見学しながら物を物色させてもらうとするか」

「意地が悪いな」

「言ってろ。お前もそう変わらないだろ」



そもそも笑った時点でお前とて同罪だろうに。そう口には出さずとも理解したのだろう。口元の笑みは残したままやれやれと肩を竦めた。


森近が手にしているのは何かの農耕作業具であろうか。鍬のような部分が見て取れる。生来の口下手は未だ健在なのか。そんな事を思いながら近くにあった熊の置物に手を伸ばす。今も昔も変わらないものである。


と、なにやらずんずんと大またで店の奥より歩いてくる男一人。その額には確かに青筋が浮かんでおり、怒りが見て取れる。



「――ふんっ!」

「ぐっ!」



脇から現れて森近の頭上に懇親のチョップを浴びせた。まるで半妖とは思えぬほどその長身の体躯は押し退けられ、男とお客が商談を再会したようであった。あの男がこの霧雨店の店長なのだろう。なるほど、貫禄がある。



「ふふ、まだまだだな。霖之助殿」

「うん? 慧音さんか。いや、参った。接客と言うものはどうにも苦手でね」



俺が慧音の体で陰になっていることには全く気付かず、慧音と談笑し始める森近。面白そうだから少しこのままでいようと思う。



「それで、今日は何を買いに来たんですか? 紙なら新しいのが仕入れられたようですが」

「いや。まだ随分と残っているから紙は良い。それより、な」



慧音がその射線上から体をどかす。なるほど、見つかるのが全く以って早いと来たか。残念である。手元の熊の置物から視線を外し、見上げる。あの時別れて以来、身長が少し伸びたような気もするが、それほど変わった様子もなさそうだ。目をぱちくりさせながら口をへの字に開いた。どうやら驚いているようだ。ザマ見ろ。



「よう。森近。久しぶりだな」

「ま、舞風かい? これは驚いた」

「俺もお前が道具屋で働いてるなんて聞いたときは驚いたけどな」



ずれかけた眼鏡を直しながら森近が苦笑いをする。久しぶりに会った恩人に対する姿勢ではない。それに腰に手を当てながらも無言の圧力をぶつけていると困ったように頭を掻いた。



「そういう君も。まさかもう一度会うまでに四年もかかるとは思わなかったよ」

「あれ? もうそんなになるっけ? てっきり一年ぶりくらいかと思ったけど」



はぁ、とため息が二つ同時に漏れる。慧音、お前もか。顔を隠されてされても俺はそう思うんだ。



「そこが、君と僕の人生経験の差なのかな」

「どうだか。道楽に注ぎ込む生だろう」

「むぅ。言いたい放題だなお前ら」



こう見えてそれなりの修羅場は潜ってきているのに……そんな事を思っていると森近の背後から先程の男が歩み寄ってくるのが見えた。



「おいこら。なんでお前はあのくらいの接客もできねえんだ」

「お、親父さん……」

「ん? そっちのは寺子屋の先生か。いらっしゃい。なんか入用なのか?」

「いえ……久しく顔を合わせた友人に人里を案内して回っております」



友人、と言う言葉に反応したか。その目がこちらを捉えた。道具屋と言うより大工の親方でもやっていた方が似合いそうなほどガタイが良い。


数秒、品定めをするかのように俺をじろじろと見ていたが、やがては視線を慧音に戻して口を開いた。



「ただの子供にしか見えんが……アンタと同じ類なのかい?」

「いえ、確かに妖気で生きている、と言う部分では同じですが、彼の場合は妖精に近いでしょう」

「あの悪戯好きなガキ共にしては落ち着いているな」



そう渋い顔で眉を潜めた。やはり道具屋ともなると妖精の悪戯による被害に悩ませられるのか。そんなことを思う。しかし、元々道具屋の物は外の世界に依存する形で利用されている。食料品こそ畑や狩りでどうにかなりそうなものであるが、内陸の幻想郷は海の幸の恩恵を得る事が出来ない。



「ま、長生きしてるってことさ。年の功ってやつ。初めまして。舞風です」

「ふむ。礼儀だってどこぞのいきなり弟子入りしてきたやつよりよっぽどいいな。俺はこの霧雨屋の店長やってる霧雨厳寺がんじってもんだ。よろしくな」



にやり、と些か野生的な笑みを浮かべたかと思うと俺の頭に手を置いてガシガシと乱暴に撫でる。おかしいな。長生きしてるって言ったはずなんだけど。



「……はぁ」

「どうした坊主」

「いや……じじいになってから地元の青年に頭撫でられたような気分、なんて実際は有り得なさそうなシチュエーションの気持ちになったからさ」



頭の中に浮かんだのは老い先と髪が薄そうな老人がやたらとごつい男に頭を擦られて禿げ散らかす様。発狂しそうになった。



「お? ああ、そうか。見た目どおりの年じゃなかったんだっけな。悪い悪い」

「いいし。別にいいし。気にして無いからどうでもいいし!!」

「そんなだから子供っぽいなどとベリーにも言われるんだ」

「俺影でそんなこと言われてたの!?」

「影と言うより往来の真ん中でだが」



もうやだなにあの魔女。噂好きのおばはんですか? 確かに人間的な年齢で言ったらおばあちゃんを五回くらいやってるような年だろうけどさぁ。山主やぬしを子供とか言うなよ。


と、そこで思い出したかのようにポンッと掌に拳を打ちつける親父さん。



「おおっと。忘れるとこだった。おい、霖之助殿。いつものとこに酒置いて来い」

「いつも……稗田様のところですか?」

「おうよ。もう台車につけてあるから早いとこ頼むぞ」



聞きなれた名を聞き返す暇も無く、親父さんは笑いながら店の奥へと言ってしまった。森近は如何にも落胆するかのように肩を落としながら目元をつまんでいる。



「森近。稗田のところに行くのか?」

「うん? ああ、そうだね。頼まれてしまった以上行かなければならないだろうけど……」

「乗り気じゃないのか? どうかしたのか?」



尋ねると、森近はその落胆を潜ませ・・・、苦笑いを作った・・・



「いや、何。僕はどうもあそこに主以外に気に入られていないようでね。大概門前払いなのさ。依頼の品だけ受け取られてね」

「まさか……稗田がそれを命令してるとは思えないけど」

「……いや、今代の稗田乙女、稗田阿弥はそんなことを命じていない。そうしているのは稗田のお付さ」



言い辛そうな森近の代わりに答えたのは慧音であった。しかし、森近同様言い辛そうな雰囲気を纏わせていることが判る。



「舞風。今代の稗田乙女が現れ、今年でいくつ年が経ったか、判るか?」

「……十数年。いや、二十年か?」

「違う。二十八年だ」



それを聞いて、さっと血の気が引く音がした気がした。


稗田乙女は『短命』である。それは幾世もの転生を、魂と言う磨耗するべきものを使用して行うが為の代償。


『能力は魂に内包される』。そして、一度見たものを忘れないと言う力を持ったがために、少女はその役を担った。何度も転生し、その生を幻想郷に捧げることを。先祖によって決められた。


その命は、今まで自分が見た中で最長が三十一年。最短で二十九年。彼女達の寿命は凡そ三十年に収束するように出来ている。



――つまり、彼女が、稗田阿弥が生きていられる時間は……
















――最後に見たのはいつであったか。それなりに見慣れた門。その奥に建つ屋敷。あの時から、数百と言う時が経ちながらもほとんど変わっていない。



「――それじゃ、頼むよ」

「ああ、分かった」



傍らに立つ森近が引いていた台車の手すりを下ろした。それをまた見下ろし、その目をこちらに向ける。



「本当に一人で大丈夫かい?」

「ああ。数年ぶりではあるけどそれなりに来慣れてたんだ。大丈夫だよ」



嘘ではない。昔は月に数回程度訪れ、彼女と話をした。見た目相応に少女らしかった彼女は自分の話を面白がって聞いてくれた。それもまた、楽しかったのだ。



「じゃ。台車は後で返しに行くよ」

「……うん」



小さく返事をした森近の顔は何処か悲しげであったが、何故か分からなかった俺はそれを後回しにすることにした。台車の手すりを持ち上げ、がらがらとそれを引いて歩いていく。


門を潜り、石張りを踏みしめ、真っ直ぐに。縁側に立ち談笑していた使用人らしき人がこちらに気付く。なにやら慌てるようにこちらに駆け寄ってくる。その目には警戒。数年たって使用人も変わったのか、とそんなことを思う。



「失礼ながら、稗田様に用が在る方ならばお引き取りくださいませ。あの方は今残り少ない寿命を削って最後の仕事を成そうとしております」

「知っているよ。だから来たんだ」



初めて来た時はまるで子ども扱いされたと言うのに。今は不審者のよう。


まぁ、不審者であろう。台車を引き、何も言わず黙々と庭に侵入してくる者など。子供でも怪しい。それでも尚、問われた問いに間髪いれずに答えた。


台車の手すりを放し、そして未だ警戒の色が薄れないその目を見つめ返した。



「第八代稗田乙女、稗田阿弥に伝えよ。舞風が来た、と。それだけでよい」















――果たして、少女の姿は変わっていなかった。



少女は、生れ落ちたその時から少女であった。そして、今尚少女である。老いない。そして成長しない。それが少女の『当然』であった。


俺はそれを知っている。数百年前から知っている。それを知っていながら、皮肉混じりにこういう。



「……老いたな」

「そうですか?」



ふふっ、と見た目相応の笑いを零した。皺一つ無い姿。だがそれは見た目の話ではない。中身がである。これがもう少し前であったら彼女は頬を膨らませて憤慨したであろう。


畳の上にあるお茶請けを挟み、真正面から見るとその目元には濃い隈。しかしそれ以外は特に不健康そうにも見えない。単純に眠れないのであろう。



「本日のご用命はなんでしょうか?」

「別に。これと言っては。言うなればちょっとお喋りに来たってところかな」

「変わりませんね。貴方は」

「そういうもんさ。妖怪ってのは」



今日は昨日より進化する、と誰かが言った。そしてその積み重ねが成長である、とも。それは最早俺には当てはめられない。恐らく、幻想の力が失われつつあるこの世界では俺の明日は退化の未来だ。


だから、少女が言う『変わらない』もまた皮肉だ。



「幻想郷縁起の方はどうだ?」

「八割と七分。と言うところでしょうか。この調子なら私の寿命が尽きる前には書き終わります」

「……そうか」



そういう少女は笑っていた。しかし、それは作り物なのだろうと何と無く分かった。そうとしか思えなかった。


沈黙。口に出すべき事柄が失われ、一迅の風が舞った。



「――舞風様」

「なんだ?」

「聞いてもよろしいでしょうか?」

「お好きにどうぞ」



くしゃり、と膝に置かれた手がその袴を強く握った。



「舞風様。死についてどうお考えですか?」

「……生きとし生ける者の終わり。そして始まり。が一般的な捉え方だろうな」



人は死することでその”人”としての人生を終える。そして、その後に輪廻転生の輪を潜り、新たな生を受ける。それが俺の死に対する”認識”だ。


しかし、それではないと言うように首を振り、ややこちらにその身を乗り出してこちらを見つめた。



「そうではなく。舞風様はどうお考えですかですか」

「……死が怖いか。稗田阿弥」



それも、眠れないほどに。その目を下に落とした。沈黙による肯定。



稗田の生き方に同情を抱くことは出来る。何かしてやろうと思う。だが、最もそれに苦しめられているのは稗田自身である。己ではない、転生前の初代の自分によって決定された使命。それは同じ魂だろう。だが、見た者も、考え方も、何もかもが違う。


初代稗田乙女、稗田阿礼と歴代の稗田乙女たちは、ほぼ別人なのである。転生前の既往も僅かには残るらしいが、それこそ八度も転生を繰り返したのだ。初代の記憶が残っているとは思えない。



「……初めは些細なことだったんです」



ぽつりと、苦しげにひねり出された言葉。その手は強く、強く握られており、袴に大きな皺を作る。



「使用人の一人が、子供が出来たから仕事を休ませて欲しいと、そう願いを出してきて。ならば仕方ないと私は何も考えず許可を出しました。その人が生まれた子を見て欲しいと、私に持ってきました。玉のような子供。とてもかわいらしい。そしてふと思ったんです。私に子供がいれば、こうなるのでしょうか、と」



それは独白。声は微々たるもので、聞き耳を立てねば聞こえぬかも知れないと言うほど、小さな声。しかし、それは少女の心からの声。



「そんな事を思ってから、私は屋敷の外に興味を持つようになりました。貴方が連れて行ってくれた大空ではなく、人里にです」



懐かしき記憶。屋敷に閉じこもってばかりの少女を連れて空を飛んだときのこと。高いとこりがなれず、びくびくと震えていた少女。



「活気に溢れた市場。楽しげな親子の声。食欲をそそるよい香り。私が思った以上に、とてもよいところでした……いえ、違います。私は拒否していました。この屋敷から進んで外に出ることを。もし、素敵な物を見つけてしまえば、それに心奪われてしまえば、絶対こうなってしまうと分かっていたから」



ぽろぽろと畳みに落ちる雫。それは少女の涙であった。顔を持ち上げる。泣きはらした赤い目は真っ直ぐこちらを見た。



「どうか……どうか教えてください。舞風様。私は何のために生き、使命のために死なねばならないのですか? この、求聞持ぐもんじ能力ちからがいけないのですか? ならばいりません。こんな物必要ありません。ただ、時間が欲しい。もっともっと時間が欲しい!! 私は、私はどうすればよいというのですか?」



それは少女の心からの叫びであった。痛々しいほどに。



「……分からない。俺にも。でも、お前のそれはこれからを生きる人たちに役立っ――」

「ではっ! 私は!? 私は誰かのためでなければ生きてはいけないのですか? 私が私自身のために生きるのはいけないことなのですか!?」

「…………分からんよ」



少女はただそれを強いられていただけだ。やっと己に気付いて、その時にはもう逃げ切れぬほどに。


誰が悪いか? 初代稗田? それとも八雲紫? 幻想郷縁起を強いた人里の人間?


分かるはずが無い。各々に理由がある。



「今だけは、何でも聞いてやる。それで許してくれ」

「聞くだけ。そう、貴方は聞くだけです。貴方はいつも私に答えをくれない。卑怯者です。貴方はっ」



耳に痛いことだ。そう心の中で自嘲した。そう、俺は稗田乙女の求める答えを与えることが出来なかった。己が同情心で彼女と共にいることに気付いているから。安い親愛程度しかない。そんな自分が彼女の問いに答えることを傲慢と思ったから。



――ならば、一体誰が彼女の問いに答えられたと言うのか。



まるで幼子のように体を震わせる少女を抱きしめ、ただ、ただ、待つ。それしか出来なかった。
















――そんな事もあったなぁ、なんて過去に思いを馳せる。あれは何日前? 何ヶ月前? それとも何年前?



時間の感じ方が曖昧になっていることが悔やまれる。ひとえに変化が無いからそう思ってしまうんだろう。布団に伏せってしまったことだけを除けば、少女はあの時と何一つ変わっていなかった。


力なく伸ばされた手を包み込むように握り、その顔を見つめ続けた。瞼を持ち上げることすら困難なのか。その瞳は薄く、ほんの薄く開かれるのみ。その口が開く。出てきたのは本当にかすれるかのように小さな声。それでも周りの静けさに、その声すらも大きく感じた。



「――舞風様」

「……なんだ?」

「舞風様は、死が恐ろしいと思った事はありますか」

「……ああ。あるよ」



それは寿命によるものではなかったが。死が溢れる戦場に立った時も。自分の遥か高みの者の前に立った時も。死を恐ろしいと思った。


今だって怖い。死ぬことなどほぼ有り得ぬ体となってしまった今も、死が怖い。そして、それがいつ訪れるのやもわからないからこそ、余計恐ろしい。



「そう、ですか……舞風様?」

「なんだ?」

「どうか、私の名を呼んではくれませんか?」



少女の息は――否、鼓動は、目に見えて分かるほど小さくなっていた。


握った手はこちらを必死に握り返そうともがきながら、まるで――



「――阿弥。俺はここにいるぞ。阿弥」

「……はいっ」



――少女の頬を、雫が流れた。本当に僅かな、一筋の涙。浮かべたのは融けてしまいそうなほど儚い笑み。


最早それが最後の力と言わんばかりに、少女はその手を持ち上げる。また俺の手によって支えられたそれが俺の頬を撫でたとき、本当に掠れるような声で、言ったのだ。





「――お慕いして、おります」

「――――」






――まただ。



――また、この少女達は。



――いつだってそうだ。こちらの気など知らずに、みんな。みんな揃って。




『――今まで、ありがとうございました……大好きです』


『――お慕い申し上げます。舞風様』


『――好きです。どうか、お元気で』




――なんで、最後の最後にそんなこと言い残して。







「――やっぱり人間は嫌いだ」



急速に冷たくなっていくその手にもう、力は無い。ほんの僅かに開かれていた瞳は完全に閉じられた。



――また、また終わってしまった。分かっていたのに。こんな結末が訪れることくらい、分かっていたのに。



時間の流れが合わない人間が嫌いだ。生き急ぐ人間が嫌いだ。妖怪よりも弱い人間が嫌いだ。


――そして、残されるこっちの気持ちを全く考えない人間が、もっと嫌いだ。



「……やめよう」



もう、人間に、稗田に関わるのはやめよう。会うのもやめよう。資料だって捨ててしまって、自分の痕跡を消してしまえば探されることも無い。


辛くて、苦しいだけならば、もう出会わない方がずっといい。


……ずっといいんだ。









舞風と稗田乙女の今まで。ワザワザ訪れる妖怪も少なく、使用人にすら距離を置かれる稗田にとって舞風とは最も近しい者となりえた。


時間を経て思慕の情を抱く事はなんらおかしいことではなかった。


もしも彼女に人並みの寿命があったなら結果は変わっただろうか?



そんな感じの物語。



まさか三週間以上かかってしまうとは……構想は浮かんでいたが試験の不安でさっぱり手が動かなかった。


さて、次はもっと早く書きたい。少なくとも一話に一ヶ月かけるようにはなりたくない。只でさえ自分のこれの長所が浮かばないのだから。





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