第9話
石階段は想像以上に暗かった。明るい暗いの話ではない、闇だった。ところどころ外灯が立っていて目印になるものの、それは弱々しい光がただ宙に浮いているだけのようで明るさなどほとんどない。
「岬ちゃん、手、痛い……」
「あ、ごめん」
私は相変わらず岬の腕にしがみついていたが、岬は震える手で強く握り返してくる。
「あ、そうだ、ここで女郎さまに挨拶しなきゃ」
あの名も無き祠のある踊り場に差しかかったので、私は岬を止めた。一応ここにも外灯が立っていて、ぼんやりとした光を投げかけている。
「ちょ、なにを言い出すかと思ったら、冗談はよせよこんなところで」
「冗談じゃないよ。ちょっとここで手を合わせるだけだから、ね?」
「女郎さまって……、ここの悪霊だろ?いいから早く行こう」
岬の手の震えがまた激しくなった。本人はなんとか平静を装おうとしているようだが手だけがそれに反して、早く行こう、できるなら駆け抜けてしまおうと私に訴えてきている。
「え、でも……」
「でももなにも、こんなところで幽霊のことをもたもたやってて、本当に出たらどうするんだよ。あ、わかった、それ、あのばあさんに言われたんでしょ。ダイばあさん」
「うん、そう。ちゃんと挨拶すれば守ってくれるんだって」
「守ってくれるか?だってあれは悪霊なんだろ?あのばあさんはでたらめだから気にしちゃダメだよ。ほら行くぞ」
「でもでも、ちゃんとしないと罰があたるって言ってたよ。だから、ね?ちょっとだけ」
それを聞いて岬は急に私の手を引っ張るのをやめた。
「ま、まったくしょうがないやつだな、ちょっとだぞ?」
「ありがとう岬ちゃん」
「いいから早くしよう」
ふたりは祠の前にしゃがんで手を合わせた。この暗闇のなか目を閉じるのは怖い。しかし岬を見てみると、しっかりと手を合わせて真面目に目を閉じている。
「女郎さま、今日もお目許、ちっと通してくだしゃんせ」
私は目を閉じた。そうすると、もう一度目を開けてももうなにも見えない、暗闇の世界のままなんじゃないか、そんな気がした。
「ねえ雪枝、怖くないの?」
「え?」
横を見てみると、岬がまじまじとこっちを見ていた。
「怖いよ。怖いに決まってるでしょ」
「そ、そっか。ずいぶん平気そうだったから……。それじゃ行こう」
「うん」
「私も……、怖いよ」
岬はすぐには動こうとせず、ゆっくりと言った。
「わかってる。でも、怖がっちゃいけない、でしょ?」
「そうだな」
私は差し出された岬の手をとって立ち上がった。その時だった……。
「おーい、朔司、どうしたんだ?」
下の方から声がした。
「好雄くんの声……」
「ああ、まだ近くにいたんだな。行ってみよう」
「あ、待ってよ岬ちゃん!」
岬は急に握っていた私の手を離すと、そのままひとりでずんずんと階段を下っていってしまった。岬の姿はたちまち暗い階段の先に消えていった……。
祠のある踊り場の先には一続きの長い階段が連なっている。ここにも途中途中に外灯が立っているが、ほかは全くなにも見えず、その明かりとわずかに照らされている真下の段だけが闇の中から切り出されたかのようだ。弱々しい光にぼんやりと照らされて浮かび上がる石階段。もしかしたらその外灯と外灯の間には、ただ闇が横たわっているだけで段はないんじゃないか、照らされて切り出された部分だけが、なにも見えないどろりとした闇のなかにふわふわと浮いているんじゃないか。踊り場にひとり残された私は、下へ続く石階段を前にしてそんな気がした。
「岬ちゃん、おいて行かないでよ!」
もうここからひとりで下りないといけない。いざひとりになってみると、それまで想像もしなかったような別の恐怖感がおそってくる。気付くと、自分の手も震えだしているのがわかった。
「でも、怖がってちゃいけないんだ……」
私は弱虫でも泣き虫でもない。そう自分に言い聞かせて段を踏み出した。
暗闇の階段は足元さえ見えない。頼りになるのは自分の勘と勇気だけだ。ゆっくり、ゆっくりと、気は急くが慎重に下っていく。
今横を見たら、そこに白い幽霊がいるんじゃないか、もしかすると後ろからついてきてるんじゃないか……。周囲の暗闇がそのまま恐怖となっておし包んでくる。それでも、いや、だからこそ横も後ろも見てみようという気にはならない。見てはいけない、という気さえする。
見えない段から見えない段へ、一段一段滑らないよう確実に踏みしめていく。
「一、二、三、四……」
あ、いけない……。
周囲の暗闇は目を向ける勇気が出ない、段は数えてはいけない、そうして足元ばかり注意していたら、思わずその段を数え始めている自分に気付いた。これはまずいと、一度頭を振って再び下り始める。
周りを見ずに足元に注意して、それでいて段を数えずに降りるのはどうしてか難しい。額と背筋に嫌な汗をかきながら下っていくと、ようやく下が見えてきた。合流したらしい三人の姿が次の踊り場にぼんやりと影を落としている。
「おおい、みんな待っててくれたの?」
段の上から声をかけてみると、気付いた三人がそろって顔をあげた。
「悪い雪枝、先に行っちゃって、なかなか来ないから今もう一度上がろうかと思ったところだった」
岬が安心したといった風に言った。
「おいちょっと待て岬、あれは雪枝じゃない、足切女郎の幽霊じゃないか?」
「うそ!?」
好雄がまたでたらめを言ったが、それに岬が真面目に驚くのが見えた。
「もう、私は幽霊じゃないよ!」
私は三人の待つ踊り場まで照らされている石段を一気にかけ下りようとした。
「待て雪枝、そこの最後の一段、見えなくなってるから気をつけろ!」
「え?」
好雄に言われて私はとっさに立ち止まった。下を見ると、段は残り二段ある。その最後の一段が見えなくなっている?
つづく