第5話
◇◆◇◆◇
「雪枝、待たせたな」
逃げる金魚から目を離して振り返ると岬が立っていた。
「あ、岬ちゃん。全然待たなかったよ私。てへへ、ダメだった」
私は穴の開いてしまったポイを見せた。
「もう、へたっぴなんだな雪枝は」
岬はにっこりとして言った。よく見ると後ろ手になにかを持っている。
「ねえ岬ちゃん、背中になにか隠してるの?」
「おっといけない」
岬は驚いたような仕草をしたが、すぐに照れくさそうに言った。
「へへへ、そんなへたっぴな雪枝にプレゼントがあるんだ、ほら」
岬はさっとそれを差し出した。さっきの雪だるまのぬいぐるみだった。
「え、私に?うわあ、ありがとう!ほんとにいいの?岬ちゃんがとってくれたの?」
「そ、そうだよ。もう、そんなに喜ぶなよ。照れるだろ」
岬は心なしか顔を赤らめて言った。目がそっぽを向いているところがいたずらを隠そうとしている好雄に似ている。
「ありがとう岬ちゃん!」
「よせよ、お礼なんて。まったくしょうがないな。金魚も私がとってやるよ」
照れ隠しといった風にそう言って、岬は私の横に腰をかがめた。そのときだった。
ドーン、ドドーン
後ろの方から音がした。
「ヤバい、始まっちゃった。雪枝、行くぞ!」
岬はやにわに私の手をつかむと素早い動作ですくっと立ちあがった。
「え、どうしたの急に、始まったってなにが?」
「花火だよ。知らなかったのか?ちょっと遠いけどさ。あ、また上がった!」
顔を上げると坂道を囲む木々の間から遠くの花火の光が切れ切れに見えた。
「上に行けばよく見えるんだ。急ごう」
「あ、待って。好雄くんたちは?」
「きっと先に行ってる。走るぞ雪枝」
岬は私の手を引いて坂道を走りだした。
「岬ちゃん早いってば、ちょっと待ってよ」
岬はそんな私の手を握ったまま坂道をずんずん駆け上がる。
「おーい岬、雪枝、早く来いよう」
上の方から好雄の声が聞こえてきた。見上げてみると好雄と朔司が手を振っているのが見えた。二人は岬と私が追いつくと、一緒になって走り出した。私は息が上がってしまったが、岬の手を強く握り返して必死になってついていった。
曲がりくねる坂道を駆け上がるとやがて頂上が見えた。道の両側の木々の間からのぞく小さな花火、私たちはその光を目指して走った。
「雪枝、もうすぐだぞ!大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ!」
駆け上がる坂道の上にあがる花火は、どこか現実のもののように見えない、夢の中ような美しさがあった……。
◇◆◇◆◇
4人で駆け上がった坂道、そこをひとり坦々と登ると視界が開けてきた。
花火は芦切沢ではなく、ひとつ下流にある隣の地区の山の上から上げられているものだった。それがこの坂道や神社のある頂上から小さいながらもよく見えたのだ。
頂上は神社の敷地になっていて、遮る木々もなく見晴らしがいい。バス停、畦道、芦川、上臈橋、ここまで歩いてきた場所もよく見える。ここから見える景色にはそこかしこに夏の思い出が眠っている。
私はひと通り見晴らし台から芦切沢を眺めると後ろのベンチに腰を下ろした。
あの縁日の日の出来事はどこか夢の中の出来事のように感じる。今思い返してみると不思議とそう感じるのだ――――。
◇◆◇◆◇
「雪枝どうした、眠いのか?」
岬の声に私はハッとして目を覚ました。花火を見ながらベンチの上でうとうととしてしまったようだ。ちっとも眠くなかったのにどうしてだろう。
「あ、ごめん。別に眠くなんかないよ」
「そうか?花火、終わっちゃうよ。少ししか上がらないんだから」
「そうなんだ。きれいだね、花火」
向かいの山の上に上がる花火は遠く、小さかった。私は岬からもらった雪だるまのぬいぐるみと一緒に、金魚すくいの破れてしまったポイをまだ持っているのに気づいた。捨てずにそのまま持って走ってきたのだった。そのポイを眺めると、ふと目の前にかざしてみた。枠の中から花火が見える。
「おい雪枝、そりゃ何だ、虫めがね持ってきたのか?」
「え、虫めがね?」
好雄が不思議そうにたずねてきた。すると岬が言った。
「好雄、いい加減なこと言うな。まだ持ってたのか雪枝、金魚すくいの」
「う、うん。捨てるの忘れてた」
「どうだ、よく見えるか?」
「だから好雄、虫めがねじゃなくてこれは金魚すくいのやつだよ」
岬が好雄を肘で小突いている。すると好雄は残念そうな顔をして言った。
「なんだ。虫めがねだったら貸してもらおうと思ったのに。ほら小さいだろ、花火」
「好雄くん、虫めがねで遠くを見たらぼやけて逆さになっちゃうじゃん」
朔司が得意気に言った。
「そうなのか?」
「そ、そうじゃんか」
「それは知らなかったな、どうだ雪枝、花火逆さか?」
好雄が本当に興味津々といった風にこちらに身を乗り出している。ポイから見える花火は大きくもない、逆さでもない、小さいままだった。
「だから虫めがねじゃないって言ってるだろ。このバカ!」
「いて!なにすんだよ岬!」
「ハハハハ」
横では3人が楽しそうにはしゃぐ声が聞こえる。だが私はどうしてか、ポイを目の前にかざしたまま、枠の間から小さな花火を眺め続けていた。夢の中のような、おぼろで儚い花火だった……。
◇◆◇◆◇
つづく