第3話
十七年前、この畦道。これが私と三人との出会いだった。やんちゃ坊主でリーダーの田嶋好雄、おなじくやんちゃ娘で負けず嫌いの山城岬、そして控えめだが勇気がある倉見朔司。その仲良し三人組に私を加えた四人は誰が言うともなく集まって山に川に、村中を駆け回って遊んでいたのだった。
あの頃の私は泣き虫だったな。そう独りごちながら私は畦道を抜けていった。
この場所に帰ってきても彼ら三人に会えるわけではない。知っている人がいるわけでもない。だがそれでも私は帰ってきた。あの頃の、あの夏の思い出のために。
畦道から別の道路に出て、さらに進むと橋が見えてきた。
上臈橋。村の中央を流れる芦川に架かる古い橋だ。
この場所も思い出深い。私は橋の中央まで進み、流れる川面を見下ろした。芦川の水は以前と変わらず穏やかに流れている。その橋の欄干の外側には昔の木造橋だった頃の橋桁を摸した意匠が施されているのだが、その中の中央のひとつが他と比べると明らかに磨り減っているのがわかる。
普通ならそこだけ磨り減るようなことはないのだ。だがこの橋桁には昔からこの橋が出来てからこの方、いや、木造だった頃から多くの子どもがこの上に立ったのだ。そして私も、その多くの子どものひとりだった。
こうしていると怖々と橋桁の上に立ったあの時の自分の姿が、目に浮かんでくるようだ――――。
◇◆◇◆◇
ザッバーン
その音があまりに大きかったのに驚いて、私はアッと頓狂な声を上げた。欄干から見下ろすと波立つ川面から好雄が顔を出すのが見えた。
「好雄くん、平気!?」
私は小さな声を張り上げた。
「なに言ってんだよ。みんなも早く来い。気持ちいいぞ!」
好雄は涼しげに下から手を振っている。すると、不意に後ろからタタタ、と足音がしたと思うと朔司が助走をつけて勢いよく欄干を飛び越えた。
ザッバーン
朔司は好雄の位置を大きく飛び越したところに落ちた後、プハーっと顔を出した。
「やるなあ朔司、いいとこ見せやがって、おうい、次は岬の番だぞう!」
「お、おう!」
好雄の声に岬が威勢よく応えた。しかし見てみると岬は負けん気が強い普段の彼女らしくもなく、おどおどとためらっているようだった。
「どうした岬、怖くなったのかあ?」
「こ、怖くなんか、ない!」
岬はそう言って欄干にそろそろと近づいていった。しかし彼女の脚は震えているのが離れて見ていた私にもわかった。あの強がりの岬が怖がっている……?
私はそれを見るなり卒然彼女を押しのけた。そして有無を言わさずに欄干を越えて橋桁の上に立っていた。下で好雄がうおっ!?と驚く声が聞こえた。
「雪枝、お、お前はいいんだよ、弱虫なんだから。危ないってば!」
好雄がよっぽど調子を狂わされたといった様子で手をばたばたと振っている。「雪枝、よせ!」という岬の声まで後ろから聞こえてくる。
「私、弱虫じゃない!」
私はあらん限りの声で叫んだ。下で好雄がビクッと肩をすくませた。
「ま、まずい朔司、お前、なんとかして雪枝を止めてくれ。オレ、あいつに泣かれたらまたじいちゃんから大目玉だよお」
「大丈夫だよ雪枝ちゃん。大したことないから!初めての時はしっかり鼻をつまむんだよ!」
慌てる好雄の言うことなどどこ吹く風と、朔司が声をかけてくれた。私はそれを聞いて一息に橋桁を蹴った。
ザッバーン
一瞬、大きな音がしたと思うと次の瞬間には水面から顔を出していた。本当にたいしたことはなかった。水の冷たさが心地いい。
「雪枝、平気なのか?」好雄が心配そうにこっちに泳いできた。
「うん、平気。私、弱い虫なんかじゃないもん」
「わ、悪かったよ。お前は弱虫でも弱い虫でもないもんな。やればできるんだ。なあ朔司?」
「ぼく雪枝ちゃんのこと弱虫なんて言ったことないよ。ね、うわ!?」
ザッバーン
朔司が急に上擦った声を上げたと思うと、三人のすぐ横に岬が落ちてきた。
「岬ちゃん、大丈夫!?」
「ゲホゲホ、雪枝、なんだ、お、お前こそ大丈夫なのか?」
「私は平気」
「へえ、み、見直したよ」
「岬ちゃん、全然大丈夫じゃなさそうだよ?」
「よう岬、遅かったじゃないか。てっきり怖じ気づいたのかと思ったぜ?」後ろから好雄が言った。
「だから私は怖がってなんかいない。さっきそう言ったろ!好雄のバカ!」
「な、なんだよう」
岬はさっさと岸から上がっていってしまった。四人ともびしょ濡れになったので一度家に帰ることになった。岬は帰るときも口数が少なかった。私は心配になった。
「岬ちゃん、本当に大丈夫?どこか痛いの?」
「なんだ雪枝、私は別に最初から平気だよ。心配するなって」
泥んこじゃない岬ちゃんって新鮮だなあ、と私は思ったものだが、彼女の目は心なしか赤いように見えた。
「岬、もしかしてお前、泣いてるのか?」
好雄が出し抜けに言うと、岬はぴたりと立ち止まり、そっぽを向いてしまった。
「よ、好雄、いい加減なこと言うとまた前みたいに泣かすぞ?いいのか?」
岬は三人に背を向けたまま言った。最後のいいのか?のところには彼女なりの迫力があったが、私には彼女の声が震えているのがわかった。
「ちょ、よせよ。そ、そうだよな、お前が泣くわけなんかないもんな。悪かったから、ほら行こうぜ?」
急に弱気になった好雄が声をかけても岬はまだ動こうとしない。よく見ると彼女の肩は震えていた。
「もう、岬ちゃんらしくないなあ」
そう言うと朔司がジーパンのポケットからハンカチを取りだし、岬の目元をそっとぬぐった。川に飛び込んだままの、ぐしょぬれのハンカチだった。
「なんだよ、私は、泣いてなんかいないって、い、言ってるのに……、う、うっ」
「わかってるよ。わかってる」
そう言いながら朔司は岬の顔をぬぐっていた。
「好雄くん、岬ちゃんを泣かせたっておじいちゃんに言いつけるからね」
朔司が急にこちらを見てにっこりと笑って言った。
「おい!それだけはやめてくれ。だってほら、岬は泣いてないって言ってるじゃないか、な?岬は泣いてないんだ。そうだろ、雪枝?」
好雄が大慌てで言った。
「プッ、ハハハ、アッハハハハ!」
私はそんなやりとりを聞いていておかしくなってしまった。気付いたらこらえきれずに笑い出していた。それを見た朔司も堰を切ったように笑い出した。よっぽどおかしかったのか、片手で腹を抱え、片手で岬の肩をぽんぽんとたたきながら大笑いしている。つられた好雄も、なんだかよくわからないといった風に一緒になって笑い出した。
楽しげな三人の笑い声、いつの間にか岬も、こちらを向いてその笑いの輪に加わっていた……。
◇◆◇◆◇
つづく