第11話
◇◆◇◆◇
「あれ……、ない」
「ん?どうしたんだ雪枝」
肝試しの後、家に向かう畦道の途中で私が急に立ち止まると、並んで歩いていた岬も止まってたずねてきた。
「どうしよう、なくしちゃったみたい……」
「なにをなくしたんだ?」
「雪だるま……」
石階段を後にしてここまで歩いてきた今になって、ようやく私は自分が持っていたものがなくなっているのに気づいた。前を歩いていた好雄と朔司も、どうしたんだと戻ってきた。
「雪だるまって、さっきまで持ってたじゃないか。落としたのか?」
「そうみたい」
花火を見る前に岬からもらったプレゼントのぬいぐるみ、どこにおいてきてしまったのだろう。ポケットやポーチを探してみても出てこない。自分の手にはとっくに捨てたと思っていた穴のあいたポイが、なぜかそれだけいかにも大切そうに握られていて、うれしくて大切に抱いていたぬいぐるみはそれだけ逃げていったようになくなってしまった。
「雪枝がぬいぐるみを落としたんだって」
岬が戻ってきた好雄と朔司に言った。
「雪枝ちゃん、それさっきまで大事そうに持ってたよね?」
「うん、でもどこで落としたのか全然覚えてないの……」
朔司が心配してやさしくきいてくれているのに、私は心がえぐられる思いがした。残念で仕方がなかった。
「ごめんね、せっかく朔司くんがとってくれたのに……」
「どうして雪枝ちゃんが謝るの?それにぬいぐるみをとったのは岬ちゃんでしょ?」
そうだった。私は岬からぬいぐるみをもらったのに、いつから朔司がくれたものと勘違いしていたのだろう。
「あ、ごめん岬ちゃん。せっかくのプレゼントだったのにね。なのに私、ぐずで……、なくしちゃった……」
さっき岬から弱虫でも泣き虫でもないと言われたばかりなのに、残念で残念で、気づくと目から涙があふれていた。
「おいこんなことで泣くなよ。まだなくなったと決まったわけじゃないだろ。ぬいぐるみ、階段で合流した時にはまだ持ってたよな?」
「そうだっけ?私、全然覚えてない……」
好雄もしょぼくれている私を励まそうとしているのに、私は自分が情けなくなった。大切に持っていたのになにも覚えていないなんて……。目からは涙が止まらない。
「まったく、さっきは怖がりもしなかったくせにここにきて簡単に泣くなよな」
岬が急に私のポケットをまさぐると、中からハンカチを出して目元をぬぐってくれた。ごしごしと乱暴だが、岬の優しさが伝わってくる。
「でも確かに、あの見えない階段のところでは持ってたよな」
「そうだろ岬、オレはそのとき見たんだから。よし、今からオレがひとっ走りしてとってきてやるよ。三人ともここで待ってろ!」
「おいちょっと待て好雄!」
言うだけ言ってひとりで行こうとする好雄を、岬がとっさに手をつかんで引きとめた。
「そんな、いいよ好雄くん。暗いし、どこで落としたか全然わからないもん」
好雄が本当に行こうとしたので私もあわてて引きとめた。
「好雄、おまえだけいいとこ見せようとしたってダメだ。私も行こう」
「え?」
好雄をやめさせようとしていると思ったら、岬まで……?
「別にいいとこ見せようとしてるわけじゃないけどさ。オレはひとりでいいよ。五分で戻ってくるから。それに岬、怖いんじゃないのか?」
「誰が怖いなんて言った?私はそんな怖がりじゃないよ。さあ行くぞ」
「よし、わかった。言っとくけど、オレは走るぜ?」
「それがどうした」
好雄と岬はふたりだけで話を進めてもう神社の方へ行こうとしている。目的のものをなくした当の本人は完全に蚊帳の外だ。
「ちょ、ふたりとも……」
「じゃあ雪枝と朔司はここで待ってろ。すぐ戻ってくる」
そう言って好雄はくるりと背を向けて走り出した。岬はもう先に行っていて好雄を待っている。私は最後に引きとめてくれるんじゃないかと思って、朔司の方を見た。
「それじゃ五分だよ!五分経ったら先に帰っちゃうからね!」
朔司の呼びかけにわかった!と答える岬の声が聞こえたが、二人はもう神社の方へ走っていってしまった。
「朔司くん、ふたりとも行っちゃったよ?」
「うん、本当は明日明るくなってから探しに行こうと思ったんだけど……。見つからなかったら明日行こうね?」
「え、ありがとう。ごめんね私なんかのために」
五分で戻ってくる……か。いずれにしても私も朔司も時計は持っていないし、待っている時間は長く感じられる。ふたりは畦道のわきに並んで腰を下ろした。湿った夜風が吹いてきて、手元の草をそよがせる。
畦道に座って眺める村の風景はさっきまで真っ暗だと思っていたのに、月明かりに照らされて遠くまでよく見える。夜ってこんなに明るいんだ、私はひとりそう思った。
「肝試し、怖くなかった?」
朔司と急にふたりきりになって、なにを話したものかと少し緊張して遠くを見ていると、不意に話しかけられた。
「え、怖かったよ。怖いに決まってるでしょ」
「それでもひとりで下りてきたんだからすごいよ」
「あ、本当は途中まで岬ちゃんと一緒だったんだ。それが急に踊り場で置いていかれちゃって、すごく怖かった……」
「そうだったの?岬ちゃん、怖がってなかった?」
「全然怖がってなかったよ」
ふたりとも石階段では怖い思いをしたけれど、たとえ強がりでも怖がっていたとは言いたくない。
「ふうん」
「でも、ひとりで先頭きって行っちゃうなんてすごいよ朔司くんは」
「ぼくだって怖かったよ。ごめんね。ひとりずつじゃなくてみんなで行けばよかったね」
「でもそのおかげで私自信がついたよ。もう少しくらいのことでびくびくしたりしないって。岬ちゃんもそうだと思う」
「そっか。でも雪枝ちゃんはもとから怖がりじゃないし、岬ちゃんも本当は自分が思ってるほど怖がりじゃないから大丈夫だと思ってたよ。好雄くんは心配してたけど」
「もう、本当はひやひやしたんだからね」
「あはは、ごめんごめん」
また湿った風が吹いてきてふたりの間を抜けていった。サァっと風に揺れる稲の音が波音のように聞こえてくる。
朔司とは普段何気なく一緒にいるのに、こうしてふたりきりになってみるとどうしてか緊張する。少し間があいて気まずい沈黙がふたりの間にふってきた。それを意識すると余計緊張して言葉が次げなくなる。
普段朔司といて気まずい思いなどしたことないのに……、なにか話さなきゃ、私は焦らされる思いがした。
「ねえ朔司くん」
「なに?」
「えっと、あの雪だるまのぬいぐるみ、本当は朔司くんがとってくれたんでしょ?」
私の急な問いかけに、朔司は驚いた顔をした。
「どうしてそう思ったの?ぬいぐるみを渡したのは岬ちゃんでしょ?」
「そうだけど、なんか隠してるみたいに見えたから」
私にそう言われると、朔司は下を向いてなにかを考えあぐねるような仕草をした。
「へえ、よくわかったね。だけどおしかったな。ぬいぐるみをとったのはぼくでも岬ちゃんでもないんだ」
「え?じゃあ好雄くんが?」
「もう、ばれてたんじゃ仕方ないなあ。そうだよ。好雄くんがとったんだよ。雪枝ちゃんが先に行った後みんなで狙ってさ、ずいぶん苦労したけど好雄くんが一番熱心でようやくとれたんだよ」
「そうだったんだ。あとで好雄くんにお礼言わなきゃ」
「あ、それはダメ。今言ったのは内緒なんだから」
「え、でも……」
「好雄くん自分がとったのに渡すの嫌がってさ、とったのも岬ちゃんということにして全部押し付けたってわけ。なんか渡す前から照れてたもん」
そうか、岬もずいぶん照れていたけどね。帰ってきたらうんとお礼を言おう。もちろん今言ったことは内緒だから、取りに戻ってくれたことに対してだ。
「わかった、内緒ね。でも来ないねふたりとも」
もう五分は経っただろうか。二人が戻ってこないかと神社の方を見てみたが、暗くてよく見えない。見上げてみると、さっきまで煌々と夜道を照らしていた月が雲に覆われているのがわかった。
「なんだか雨が降りそうだね」
朔司も空を見上げながら言った。夕立が来るのだろうか。雲が来る前はそんな気配はなかったが、時折吹いてくる湿った風はさっきよりも冷たさが増して、水のにおいが混じっている気もする。朔司に言われなければわからなかったが、確かに夕立が来る前の風とにおいを感じた。
「あ、ふたりが見えた!」
「ホント?」
朔司が言ったので私も目を凝らして見ると、走っている二人の姿が見えた。
「早いからきっと見つかったんだよ」
それを聞くと、私は立ち上がって二人に向かって大きく手を振った。
「好雄くん、岬ちゃん、ありがとう!」
私は出せる限りの大きな声でふたりにお礼を言った。それが聞こえたのか、好雄も走りながらこっちに向かって手を振っている。
ポタリ、ポタリ……
不意に雨粒が額を打った。
来たな、そう思った時にはもう大粒の雨がざあっと激しく降り始めていた。
「雪枝、朔司、降ってきたから走れ、家まで競争だ!」
戻ってきた好雄が威勢よく言った。
「待たせたな雪枝。あったぞ雪だるま」
私は岬から差し出されたぬいぐるみを受け取った。さっきまでは悔しい、申し訳ないという気持ちでいっぱいだったけれど、今は違う。私は岬の顔を見た。本降りとなった夕立のおかげで、彼女の顔はもうびしょぬれだった。
「ありがとう岬ちゃん!どこにあったの?」
「ん?わかりやすいところだよ。いいから走るぞ!びしょぬれだ!」
岬に肩をたたかれて、私は三人に続いて走り出した。
「好雄くん!」
私は前を走る好雄に追いついた。
「ああ雪枝、よかったな見つかって」
「うん、ありがとう好雄くん」
「お礼は岬に言えよ。見つけたのも、とってきたのも岬だ」
「でも、ありがとう!」
雨足がどんどん強くなるなか、私たちは畦道を走り続けた……。
つづく