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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

『絶対に味見をしてはならないフルコース』 〜報酬48,000ユーロの孤立した洋館で極上の肉料理を仕込んだシェフが、熟成グアンチャーレの『そばかす』に気づいた夜〜

掲載日:2026/10/17

本作を開いていただき、ありがとうございます!


少しだけ自己紹介をさせてください。

私は普段、現役のイタリア人シェフとして厨房で働きながら物語を書いています。

大のホラー映画・ホラーゲーム好きで、普段は「ゾンビもの」を書くことが多いのですが、今回は少し趣向を変えて、ゾンビの出てこない『純粋なサスペンス・ホラー』に挑戦してみました。


もちろん、今回も現役のイタリア人シェフとしての知識とこだわりをたっぷり詰め込み、「本物のコース料理の仕込み」と「恐怖」を掛け合わせた物語になっています。

少し長めの1話完結(短編)ですので、ぜひ最後まで息を呑む展開をお楽しみください!


(※本作は私がイタリア語で執筆したオリジナルの物語であり、AIは日本語への翻訳としてのみ使用しています)


料理人が最初に学ぶべきこと――それは、包丁の握り方でもなければ、バターソースの乳化のさせ方でもない。


最後に信じられる道具は、自分の『鼻』と『舌』だけだということだ。



どれほど最新鋭のスチームコンベクションオーブンを揃えようが、0.1度単位で測れる中心温度計を使おうが、自分の作っている料理を「味見」しない料理人は、ただ目隠しをして食材を温めているだけの素人と同じである。



だからこそ――執事のヴェインがあの奇妙な『契約条件』を口にした瞬間、俺は踵を返し、包丁ケースを掴んで空港へ引き返すべきだったのだ。



「報酬は現金で四万八千ユーロです、シェフ。半額はすでにそちらのテーブルの封筒に入っております。残りの半額は、日曜日の深夜零時――あなたが最後のデザートを出し終えた瞬間に、その場でお渡しいたしましょう」



屋敷の執事長であるヴェインは、七十歳前後の老人だった。


完璧に仕立てられた灰色のウールスーツに身を包み、その水っぽく濁った両目は、会話のあいだ一度も瞬きをしない。



俺たちが立っていたのは、北の国境から車で二時間ほど走った黒い松の深い森の奥――古い石造りの洋館の地下に築かれた、広大な厨房だった。


外では泥と腐った樹皮の匂いがする冷たい雨が降り続いていたが、この地下厨房の中には、何万ユーロもの価値がある最新鋭のステンレス製調理台、急速冷却機(ブラストチラー)、IHコンロ、換気機能付きの炭火グリルが銀色の光を放って並んでいた。



「旦那様の大切なお客様――十二名の紳士方が到着されるのは、ちょうど二日後の土曜日の夜八時です」



ヴェインは黒いバンの車の鍵をステンレスの調理台の上に置いた。



「お客様方がお求めなのは、前菜からデザートまで全六皿で構成されたフルコースのデギュスタシオン(おまかせコース)です。メイン食材にはすべて、当家の『特別保護区』で育てられた肉をお使いいただきます。すべての部位はすでに骨を抜き、下処理をして真空パックにした状態で第一冷蔵庫に収められております。また、第二熟成庫のフックには、じっくりと熟成させた塊肉も吊るしてございます」



「何の肉だ?」



俺はコートのボタンを外し、周囲を見回しながら尋ねた。



「ドライエイジングの牛肉か? それともイノシシか、鹿(ジビエ)か?」



「当家の領地内でのみ密かに交配・飼育されている、門外不出の固有種でございます」



ヴェインは刃物のように平坦な声で、淀みなく答えた。



「お客様からは、いくつかの調理法について事前のご指定がございます。一つは伝統的な『生のタルタル』。一つは『グアンチャーレ(豚トロ・ホホ肉の塩漬け)を巻いた大海老の白ワイン蒸し』。一つは『ジャガイモとニンジン、グリーンピースを使った伝統的なシチュー(煮込み)』。一つは『数種類のソースを添えた炭火グリル』。そこにシェフお任せのパスタ料理を一皿と、締めくくりとして『キャラメリゼした肉のデザート』をお作りいただきたいのです。それ以外の細かなレシピについては、すべてあなたの裁量にお任せいたします」



俺はゆっくりと頷いた。


同じ一つの個体の肉を、生、塩漬け熟成、茹で、炭火焼き、煮込み、さらには砂糖でコーティングしたデザートに至るまで、あらゆる食感で味わい尽くそうという異常なまでの執着を感じるメニュー構成だ。


だが、森の奥の秘密の晩餐会に五万ユーロ近くをポンと払うような大富豪たちの世界では、余計な詮索をしないのもプロの仕事のうちだった。



「ただしシェフ、一つだけ絶対のルールがございます」



ヴェインが半歩だけ前に出て、俺の目を覗き込んだ。



「これからの二日間、この地下区画にはあなた一人きりになります。その間、あなたは何をしていただいても構いません。換気フードの下でタバコを吸おうと、旦那様のワインセラーにある最高級のワインを何本開けて飲もうと自由です。外のバンを使って麓(ふもと)の村へ降り、大海老や野菜、チーズなど必要な食材を買い出しに行っていただいても構いません。……ですが、お客様方の晩餐における『神聖な伝統と規律』により、あなたは厨房で食事をしてはなりません。あなたが調理するその肉を、たとえ1グラムたりとも味見してはならないのです」



俺は眉をひそめ、老執事を見つめ返した。



「冗談だろう? 味見もせずに、どうやって出汁(フォン)の塩加減やソースの酸味のバランスを取れって言うんだ?」



「あなたには、ヨーロッパの最高峰の厨房で十六年間培われた経験がおありです」



老人は、目元が一切笑っていない薄い笑みを浮かべた。



「あなたの目と鼻があれば、味見などせずとも完璧に仕上げられるはずです。あなた個人の食事については、上の階の控え室の冷蔵庫にパンや市販のチーズ、ハムを用意してございます。第一冷蔵庫の肉は、すべてお客様方のためのものです。……よろしいですね?」



俺はステンレスの台の上に置かれた、五百ユーロ紙幣の分厚い束が入った封筒に視線を落とした。



「……ああ、よく分かったよ」



俺は嘘をついた。



執事の足音が石の階段の上へと消え、重厚な扉が金属音を立てて閉まるや否や、俺は第一冷蔵庫の扉を引き開けた。



摂氏二度の冷気が顔を撫でる。


ステンレスの棚の上には、ラベルも貼られていない透明な真空パックが二十袋ほど整然と並んでいた。



俺はそのうちの一つを手に取り、照明の光にかざした。


この枝肉を解体した人間は、間違いなく相当な腕の持ち主だった。元の動物のサイズを推測できるような「丸ごとの骨」は一本も残されていない。


筋肉はメスでも使ったかのように筋膜に沿って完璧に分割されており、中心のフィレ、バラ肉、煮込み用のコラーゲンが豊富なスネや肩肉、さらには出汁(ブロード)を取るためのスジ肉や半分に叩き割られた骨のパックまで綺麗に分けられていた。



肉の色は奇妙だった。


淡いピンク色の仔牛肉と、若い豚肉の中間のような色合いで、真珠のように白い極細の脂肪(サシ)が美しく入り込んでいる。



続いて俺は、温度と湿度が厳密に管理された隣の『第二熟成庫』へと足を踏み入れた。


天井の中央から下がる鋼鉄のフックに、粗挽きの黒胡椒、海塩、そして乾燥ハーブの分厚い黒い殻に覆われた三角形の塊肉――『グアンチャーレ(ホホ肉の塩漬け)』が静かにぶら下がっていた。



親指でその表面を軽く押してみる。


余分な水分が完全に抜け、絶妙な弾力と柔らかさが生まれている。これほどのサイズと厚みの肉をここまで完璧に熟成させるには、暗所で少なくとも『三ヶ月から四ヶ月』の歳月が必要だったはずだ。



「……たいしたもんだな」



俺は小さく呟いた。



「ここで肉を仕込んでる奴は、本物のプロだ」



俺はバンの鍵を掴むと、まだ外が明るいうちに不足している生鮮食材を買い揃えるため、屋敷を出発した。



麓の村までは、泥濘(ぬかる)んだ山道を車で二十分ほど下ったところにあった。


小さな川の港を中心に灰色の石造りの家が肩を寄せ合う、湿った夕霧に包まれた寂れた村だ。



俺は現地の言葉は話せなかったが、食材を選ぶのに言葉など要らない。


魚屋ではエラの色と甲殻の匂いを確かめ、その日の朝に水揚げされたばかりのプリプリとした巨大な『天然大海老』を二十四尾買い上げた。


八百屋と食料品店では、身の詰まった黄色いジャガイモ、葉付きの甘いニンジン、手作業でさやから出すための新鮮なグリーンピースを二キロ、エシャロット、黄身が濃いオレンジ色をした農家の卵、塩漬けのケッパー、粒マスタード、発酵バター、辛口の白ワインを二本、そして輸入食材の棚の奥で見つけた『三十ヶ月熟成の本物のパルミジャーノ・レッジャーノ』の二キロの塊を手に入れた。



木箱を両腕に抱え、広場裏の石畳の路地を通ってバンへと戻ろうとした、その時だった。


俺のブーツの底が、排水溝の脇の泥に張り付いていた一枚の濡れた紙の上でツルリと滑った。



俺はバランスを崩さないよう足を止め、何気なく足元に視線を落とした。



それは、古びた『行方不明者捜索の張り紙(ビラ)』だった。


何週間もの雨と通行人の靴底に踏まれたせいで端が破れ、インクも薄く滲んでおり、かなり前に貼られたものであることが一目で分かった。



現地の言葉で書かれた大きな見出しと『四ヶ月前』の日付の下に、二十五歳くらいの若い女性の写真が印刷されていた。


彼女は黒い縁取りのある『白いコックコート(料理人服)』を着て、地元の小さなレストランの厨房らしき場所で泡立て器を手に微笑んでいた。



泥に汚れた紙の上からでも、彼女の二つの特徴だけは鮮烈に目に焼き付いた。


燃えるような『赤銅色(カッパーレッド)の豊かな巻き毛』と、色白の頬から頬骨にかけて一面に散らばった可愛らしい『そばかす』だ。



写真の下には、観光客向けなのか、英語でも短い一文が添えられていた。


――『行方不明:クララ・V(25歳)。地元の女性シェフ。四ヶ月前に目撃されたのを最後に消息不明』。



俺は泥の中で微笑むその顔を五秒間じっと見つめ、川から吹き上げる氷のような風がコートの襟元に忍び込むのを感じた。


同業の若い料理人か。四ヶ月前に、神隠しのように消えたらしい。



俺は軽く頭を振ると、バンに乗り込み、日が完全に落ちる前に森の屋敷へと引き返した。



それからの三十六時間、俺にとって外の世界は存在しなかった。


天井の四隅に設置された二台の小型ドームカメラが無言で見下ろす中、俺は換気フードの唸り声と、自分が吸うタバコの煙、そして包丁スタンドの横に置いた赤ワインのグラスだけを友として、狂ったような集中力で仕込みに没頭した。



厨房において、俺は食材を一切捨てない。それが命に対する礼儀だからだ。



俺はすべての真空パックを開封し、キッチンペーパーで余分なドリップを拭き取ってから、作業を開始した。



まずは、普通のコックならゴミ箱に捨てるであろう「半分に割られた骨」「スジ」「切り落としの端材」をすべて集めた。


それを摂氏二百二十度のオーブンでニンジン、セロリ、焦がしたタマネギ(ミルポワ)と共に香ばしくローストし、ワインで旨味をこそぎ落としてから、巨大な寸胴鍋に移して十二時間じっくりと煮込んだ。


この端材から、グリル用の濃厚なソースのベースとなる漆黒の『フォン・ド・ヴォー(茶色の出汁)』と、卵白を使って不純物を極限まで取り除いた黄金色の『コンソメスープ』の二種類を生み出すのだ。


そして関節の周りからこそぎ落としたわずかな肉は、手打ちのパスタ生地で包んだ極小のラヴィオリ『アニョロッティ・ダル・プリン』の詰め物(ファルス)へと生まれ変わらせた。



次に手をつけたのは『伝統的なシチュー(スペッツァティーノ)』だ。


コラーゲンが豊富な肩肉とスネ肉を四センチ角の均一なサイコロ状に切り分け、薄く小麦粉をはたいてから、オイルとバターで表面に美しい焦げ目がつくまで強火で焼き固める。


そこにワインと俺が引いた極上の出汁を注ぎ、ブーケガルニを加えて極弱火に落とし、何時間もかけて繊維がほどけるまで煮込んでいく。


付け合わせの『ジャガイモ』と『ニンジン』は、包丁で一つ一つ丁寧なオリーブ型に面取り(トゥルネ)して別茹でし、さやから出したばかりの新鮮な『グリーンピース』と共に、提供する直前の最後の二十分間で合わせる準備を整えた。



二日目の午後、客の到着まであと四時間に迫った頃には、炭火グリルに添える三種類のソース――赤ワインと骨髄を煮詰めた『ボルドレーズ』、爽やかな辛味の『グリーンペッパーソース』、そしてエストラゴンが香る濃厚なバターソース『ベアルネーズ』――を完成させ、続けて執事から指定された最も奇妙な一皿、『キャラメリゼした肉のデザート』に取り掛かった。



脂身の少ないバラ肉とフィレ肉の端材を、向こうが透けて見えるほど極薄のスライスにし、低温のオーブンでゆっくりと乾燥させてチップス状に焼き上げる。


そして小鍋できび砂糖、栗の蜂蜜、燻製唐辛子、ひとつまみの塩の花(フルール・ド・セル)を摂氏百六十五度まで煮詰めて琥珀色のキャラメルを作り、乾燥させた肉をくぐらせてガラスのように美しくコーティングした。これをカカオ八十パーセントのビターチョコレートのガナッシュの上に飾れば、甘みと塩気、そして肉の旨味が交差する前代未聞のデザートになる。



そして最後に、俺は中心部の最高級のフィレ肉を取り出し、『生のタルタル』の仕込みに入った。



ミンチ機(挽き肉機)など絶対に使わない。金属のスクリューが回る摩擦熱で脂が溶け、肉が酸化してしまうからだ。


俺は剃刀のように研ぎ澄ました二本の牛刀を両手に持ち、冷やしたまな板の上で、リズミカルな音を立てて生の肉を細かく手切り(アッシェ)にしていった。


横のステンレスの小鉢には、塩抜きして刻んだ『ケッパー』、『粒マスタード』、極細のみじん切りにしたエシャロット、そして濃厚な『卵黄』を並べる。



――まさにその瞬間、俺の手が止まった。



時計の針は午後六時半を指している。客の到着まであと九十分。


すべての鍋がコンロの上で静かに湯気を立て、厨房内は垂涎(すいぜん)ものの芳醇な香りで満たされていた。



だが、俺はまだ、この肉が『どんな味なのか』を知らなかった。


シチューの塩加減が足りているのかどうかも分からない。生のタルタルの肉が甘いのか、鉄分が強いのか、マスタードを何グラム混ぜれば完璧なバランスになるのかも分からないのだ。



俺は天井の四隅にある二台の監視カメラへと視線を上げた。



――『あなたが調理するその肉を、たとえ1グラムたりとも味見してはならないのです』。



「……ふざけんなよ、金持ちの道楽が」



俺は奥歯を噛み締めながら、低く呟いた。



「味見もしてねえ料理を客の前に出すくらいなら、今すぐ料理人を辞めてやるよ」



俺はメインカメラに自分の広い背中を向け、湯気の匂いを嗅ぐふりをしてシチューの寸胴鍋の上に覆いかぶさるように身を屈めた。


そのまま死角に入った手首を素早く動かし、味見用の小さなティースプーンでシチューのソースとほぐれた肉の繊維をほんの少しだけすくい取って口に入れ――さらにその一秒後、まな板の上の牛刀の腹に張り付いていた米粒ほどの『生のタルタルの肉片』を指先で拭って舌の上に乗せた。



俺はゆっくりと咀嚼(そしゃく)した。



そして――俺の脳が、完全にフリーズした。



コンロの前で、ティースプーンを握りしめたまま、俺は指先一つ動かせなくなった。



十六年間の料理人人生の中で、俺は四つ足や二本足のあらゆる生き物を捌き、調理し、味わってきた。


牛、ミルクのみで育った仔牛、黒豚、馬、ロバ、鹿、ノロジカ、イノシシ、野ウサギ、熊、ダチョウ、カンガルーに至るまで。


この地球上で食用とされるあらゆる動物の筋繊維の歯ごたえと、脂の後味は、すべて俺の舌に記憶されている。



だが、今俺の口の中にある肉は――そのどれでもなかった。



驚くほど柔らかく、ジビエ特有の筋張った硬さは微塵もない。かといって、仔牛のような乳臭さもなければ、豚やイノシシのような獣臭さもない。


舌の奥に残るのは、胸がむかつくほど『奇妙で濃厚な甘み』と、ほのかな鉄の匂い――そして何より不気味だったのは、その脂の融点が、まるで『俺自身の口内の体温』と完全に一致しているかのように、なんの抵抗もなく舌の上へスッと溶け込んでいったことだった。



俺はゴクリと唾を飲み込み、コンロの熱気で四十度近い厨房の中で、背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒を感じた。



(……いったい、この森で何の動物を飼ってるって言うんだ?)



俺は震える手でワイングラスを掴み、口の中に残る不自然で生々しい脂の感触を洗い流すように赤ワインを呷(あお)った。



(遺伝子組み換えの品種か? それともワシントン条約に引っかかるような、密輸された希少動物か何かか……?)



壁の時計を見ると、午後七時ちょうどだった。



その時、頭上の地面の向こう――屋敷の砂利敷きの前庭から、雨の中を滑り込んでくる高級セダンの重いタイヤの音がいくつも響き始めた。


十二人の招待客たちが到着し始めたのだ。



コースの提供が始まる前に残された最後の仕込みは、ただ一つ。


温かい前菜として指定された、『大海老のグアンチャーレ巻き・白ワイン蒸し』だけだった。



二十四尾の天然大海老はすでに殻を剥き、背わたを取って下準備を終えている。


あとは、あの熟成されたグアンチャーレをスライサーで極薄に切り出し、海老に巻きつけてフライパンで香ばしく焼き上げ、辛口の白ワインで一気にフランベして蒸し上げるだけだ。



俺は『第二熟成庫』へと向かい、天井のフックから三角形の『熟成グアンチャーレ』を取り外すと、業務用スライサーの横にあるステンレスの調理台――冷たい白色ハロゲンライトの真下へと運んだ。



料理人なら誰でも知っている通り、グアンチャーレをスライスする前には、表面を覆う胡椒と塩の硬い殻を削ぎ落とし、底面についている分厚い『皮(コテンナ)』を包丁で切り落とさなければならない。



俺は肉の塊を、皮の面が上になるようにまな板の上に置いた。


骨スキ包丁を右手に持ち、左手のひらでその皮の表面を軽く押さえる。



――その瞬間、俺の動きがピタリと止まった。



豚の皮(コテンナ)というものは、何ヶ月塩漬けにして熟成させようとも、靴底の革のように分厚く、硬く、表面には荒い毛穴が無数に開いているはずだ。


だが、今俺の左手の指先が触れているこの皮は――異常なまでに『薄かった』。


塩の殻の下で、まるで絹のようにきめ細かく、しなやかな弾力を保っている。



突如として、耳の奥で自分の心臓の音がドクン、ドクンと不気味な早鐘を打ち始めた。



俺は包丁を置き、ぬるま湯で濡らした清潔なリネンの布巾を手に取ると、その皮の表面を覆い尽くしている粗挽き黒胡椒、乾燥ローズマリー、そして岩塩の黒い層を、力任せにゴシゴシと拭き取り始めた。



黒い胡椒が剥がれ落ちる。


白い塩の結晶が溶けて消える。



布巾の下から現れたのは、皮下脂肪によってわずかに飴色を帯びた、死蝋(しろう)のように青白く滑らかな皮膚だった。



俺は息を止め、まな板からわずか十センチの距離まで顔を近づけた。



そのなだらかな曲線の中央――ちょうど『頬骨』から『頬』へとゆるやかに落ちていく皮膚の上に、見間違うはずのない、小さな茶色い『そばかす』の星座がくっきりと浮かび上がっていた。



そして、三角形の肉の左上――四ヶ月前、解体した肉屋の包丁が『こめかみ』と『耳の生え際』のすぐ脇を通り抜けたその端に、まだ十本ほどの細く柔らかい、『燃えるような赤銅色(カッパーレッド)の毛』が生えたまま残っていたのだ。



俺の指先から、濡れた布巾がポトリと床に落ちた。



脳裏に、昨日の夕方、村の泥の中で見たあの張り紙のフラッシュバックが閃光のように炸裂した。


白いコックコートを着て微笑んでいた、25歳の女性シェフ・クララ。


行方不明になったのは、四ヶ月前。


グアンチャーレ(ホホ肉の塩漬け)が完璧に熟成されるのにかかる期間も――ちょうど、四ヶ月。



――『あなたは厨房で食事をしてはなりません』。


――『これからの二日間、最高級のワインを何本開けて飲もうと自由です……』。



俺の胃袋が激しい痙攣を起こし、十分前に味見して飲み込んだばかりのシチューと生のタルタルの、あの不気味で濃厚な甘みが喉元までせり上がってきた。



あいつらは、俺の前にここで料理を作っていた若い女性シェフを解体し、俺に調理させただけではなかったのだ。


そして俺に肉の試食を禁じたのも、宗教的な儀式などではなかった。



どこの世界に、これから屠殺(とさつ)して食う予定の家畜に『共食い』をさせる飼育員がいる?


あいつらが俺に最高級のワインを好きなだけ飲ませ、パンと野菜だけを食わせて二日間リラックスさせようとしたのは――今夜零時、俺が赤毛の彼女のフルコースをすべて出し終えた瞬間、第二熟成庫のフックに吊るされる『次の新鮮な肉』が、この俺自身だからだ。



――ガチャンッ!! ウィィィン……!



まさにその瞬間、地下厨房へと続く重厚な防音扉が外側から遠隔操作でロックされる乾いた電子音が響き渡り、壁のインターホンから執事ヴェインの氷のような声が流れた。



『――シェフ。十二名の旦那様方がテーブルに着かれました。最初の一皿目を、ホールへお出しください』


* * *



『――シェフ。十二名の旦那様方がテーブルに着かれました。最初の一皿目を、ホールへお出しください』



インターホンから流れた執事ヴェインの無機質な声が途切れ、地下厨房には再び換気フードの唸り声と、コンロの上でシチューが静かに煮える音だけが残された。



俺は叫ばなかった。


ロックされた防音扉へ走って体当たりするような真似もしなかった。



土曜日の夜、五十枚のオーダー伝票が並び、ホールが満席で戦場と化している厨房を十六年間も回していれば、嫌でも一つの真理を学ぶ。


『パニックは何の役にも立たない』ということだ。パニックになれば、ソースを焦がし、自分の指を切り落とすだけだ。



俺はそばかすと赤銅色の毛が残る『彼女』のグアンチャーレを目の前にしたまま、氷のように冷徹な頭で状況を整理した。



第一に、地下厨房の重厚な扉は外側から電磁ロックされている。あいつらが外から開けない限り、ここから出ることは物理的に不可能だ。


第二に、天井の二台の監視カメラが調理台を捉えている。ヴェインがあれほど「味見をするな」と強調していた以上、俺が三十分前にシチューの鍋の上で不自然に身を屈めた瞬間を、奴らはモニター越しに見ていた可能性が高い。


では第三に――なぜ奴らは今すぐ降りてきて俺を殺さないのか?



俺は奥の壁に備え付けられたステンレス製の『ダムウェーター(料理用小型昇降機)』へと視線を向けた。地下の厨房と、上の階の晩餐室を直接繋いでいる小さなエレベーターだ。



答えは極めてシンプルだった。


上の階の十二人の大富豪たちは今、『腹を空かせている』のだ。



奴らはこの森の奥の洋館まで、プロのシェフが三十六時間かけて仕込んだ全六皿のフルコースを味わうためにわざわざ集まったのだ。俺を処刑するのを急ぐあまり、最高のディナーを台無しにするはずがない。


奴らは俺に前菜から最後の『キャラメリゼした肉のデザート』まで一皿残らず完璧に作らせ、自分たちの腹が満たされた深夜零時ちょうどに――ここへ降りてきて俺を縛り上げ、クララの隣にある熟成庫のフックへと吊るすつもりなのだ。



俺に残された時間は、あと三時間。


そして、上の階にいる十二人の怪物どもと俺を繋ぐ唯一のルートは――『これから奴らが口に入れる料理』しかなかった。



俺はグアンチャーレの正体に気づいたことをカメラに悟られないよう、一切上を見上げないままキッチンペーパーでそばかすの皮膚をさりげなく覆い隠すと、普段通りの歩調で奥の『洗剤・備品倉庫』と『第二熟成庫』の突き当たり――監視カメラのレンズが絶対に届かない唯一の死角へと向かった。



倉庫の裸電球を点ける。


鉄の棚の上には、オーブン用の強力な油汚れ洗剤と並んで、屋敷の害獣駆除に使われている緑色の金属ケースが置かれていた。



蓋を開ける。


中に入っていたのは、効果が出るまでに数日かかるような市販のネズミ捕りシートなどではなかった。


黒いドクロのマークと警告文が印刷された、業務用のアルミ缶――『リン化亜鉛および25%濃縮ストリキニーネ配合・強力殺鼠剤(さっそざい)』だ。北国の広大な狩猟領地で、巨大なドブネズミの群れや狂犬病のキツネ、イノシシをわずか三十分で絶命させるために使われる劇物である。



キャップをひねると、中には黒みがかった灰色の微細な粉末が詰まっており、腐ったニンニクとリンが混ざったような鼻を突く刺激臭が立ち上った。



だが、これだけでは足りない。歯に違和感を与えず、さらに確実に血中へ回るもう一つの「調味料」が必要だ。



俺は隣の第二熟成庫へ一歩踏み込み、スパイスの棚から『純度99%・亜硝酸ナトリウム(塩漬け用発色剤)』と書かれたガラス瓶を手に取った。


この屋敷の解体担当が、クララの肉を腐らせず、あの美しいピンク色に保つために使った化学塩だ。ごく微量ならハムやベーコンの保存料になるが、これを大さじで何杯も摂取すれば、人間の血液中のヘモグロビンは酸素を運べない『メトヘモグロビン』へと変質し、二十分以内に内臓から窒息して死に至る。



俺は二つの容器をエプロンの下に隠し持ち、調理台へと戻った。



だが、料理に毒を仕込む前に、まずは深夜零時にヴェインたちが降りてきた時のための『自分自身の仕込み』をしておかなければならない。



奴らは間違いなく俺を身体検査するはずだ。


二十本以上の包丁が並ぶ厨房にいた男が、ポケットに刃物一つ持っていなければ、かえって怪しまれて下着の中まで徹底的に調べられるだろう。


だから俺は、奴らが見つけて安心するための『撒き餌(ダミー)』を含めて、三本の小型ナイフを自分の身体に仕込むことにした。



俺は自分の包丁ケース(ロール)から、三本の小さな刃物を選び出した。



一本目は、少し目立つ折りたたみ式の『接ぎ木用ナイフ』。これはそのまま作業ズボンの『右ポケット』に突っ込んだ。身体検査で真っ先に見つけさせ、「こいつはポケットにナイフを隠していたぞ」と思わせて油断させるための撒き餌だ。



二本目は、刃渡りわずか六センチの湾曲した『トゥルネナイフ(面取り・皮むき用の小型ペティナイフ)』。これは後ろを向いた隙に、俺が頭に巻いている『黒いバンダナの結び目の内側(後頭部)』へと隙間なく滑り込ませて固定した。



そして三本目が、俺の本当の切り札だった。


俺はメスのように刃が薄くて細長い、直刃の『和式ペティナイフ(細工包丁)』を手に取った。


壊れて使われていなかった金属製の細長い「芯温計(温度計)の保護ケース」の中身を抜き取り、その筒の中にペティナイフの刃を収めると、俺が着ている『コックコートの左袖(二の腕)に縫い付けられたペン差しポケット』へと、青いボールペンと盛り付け用のピンセットと一緒に並べて挿し込んだ。



厨房で働いたことのない人間は、コックコートの左袖にペンや温度計を入れるポケットがあることすら気に留めない。ましてや、ペンと並んだ金属の筒がナイフの鞘になっているなど、夢にも思わないはずだ。



「……よし」



俺は表情を一切変えず、電動スライサーのスイッチを入れてグアンチャーレを極薄に切り出しながら、誰にも聞こえない声で呟いた。



「最高のフルコースを食いたいんだろ? 腹が裂けるまで食わせてやるよ」



午後八時十五分。


俺はダムウェーターの呼び鈴を鳴らし、最初の一皿目を上の階へと送り出した。


キンキンに冷やした黒い磁器の皿に盛り付けた『手切りのタルタルステーキ』だ。中央には輝く農家の卵黄を乗せ、塩抜きしたケッパー、粒マスタード、エシャロットを添えてある。



この一皿目には、毒を1ミリグラムも入れなかった。


もし最初の前菜で誰か一人でも異変を訴えれば、残りの十一人もその場でフォークを止めてしまう。まずは完全に信用させ、警戒心をゼロにして、俺の料理の虜(とりこ)にする必要があった。



十分後、ダムウェーターが降りてきた。


十二枚の黒い皿は、まるで犬が舐めたかのように綺麗さっぱり空になっていた。



午後八時四十五分、二皿目を送り出す。


カリカリのグアンチャーレの衣で巻いた二十四尾の『天然大海老のソテー・辛口白ワイン蒸し』だ。パセリとレモンの還元ソースを添えたその皿も、十五分後には殻一つ残さず完食されて戻ってきた。



午後九時十五分、三皿目。黄金色の熱々のコンソメスープに浮かべた、手打ちの極小ラヴィオリ『アニョロッティ・ダル・プリン』。


午後九時四十五分、四皿目。炭火で表面を香ばしく焼き上げた『フィレ肉のグリル』と、銀のソースポットに満たした三種類のソース――ボルドレーズ、グリーンペッパー、ベアルネーズ。



閉じられたインターホンの向こうからは、時折、上の階の晩餐室のざわめきが微かに漏れてきていた。


下品な笑い声、クリスタルグラスが触れ合う音、そして料理を絶賛する拍手。十二人の怪物どもは、人生最高の晩餐に完全に酔いしれていた。



壁の時計を見る。午後十時三十分。


いよいよ五皿目――『ジャガイモとニンジン、グリーンピースの伝統的シチュー(スペッツァティーノ)』と、最後の『キャラメリゼした肉のデザート』の時間だ。



俺は自分の広い背中で監視カメラの視線を完全に遮りながら、純度99%の亜硝酸ナトリウムの瓶を開け、煮えたぎるシチューの寸胴鍋の中へ大さじ山盛り五杯を投入した。泡立て器でかき混ぜると、白い結晶は黒いソースの中へと瞬時に溶けて消えた。



続けて俺は、業務用の『リン化亜鉛・ストリキニーネ殺鼠剤』のアルミ缶を取り出し、デザート用に大さじ二杯だけ残して、残りの三百グラム以上の致死性の粉末をすべてシチューの鍋へとぶちまけた。



灰色の粉末が熱いソースに触れた瞬間、鍋から腐ったニンニクと化学薬品が混ざったような、強烈で苦々しい異臭が立ち上った。


このまま出せば、どれほど酔っ払っている客でも一口目で吐き出すだろう。



だが、俺はただの暗殺者じゃない。俺はイタリアンのシェフだ。



俺は即座にコンロの火を止め、揮発性の悪臭が湯気と共に立ち上るのを抑え込んだ。


そこに別茹でしておいたオリーブ型のジャガイモ、甘いニンジン、そして鮮やかな緑色のグリーンピースを投入すると、あらゆる強烈なクセを包み込んで至高の旨味へと変える『イタリア料理の最終兵器』を手に取った。



昨日、村の輸入食材店で買っておいた『三十ヶ月熟成の本物のパルミジャーノ・レッジャーノ』の塊と、最高級の『エキストラバージン・オリーブオイル』だ。



俺はチーズおろし器(グレーター)を使い、温かいシチューの鍋の中へ、文字通り「雪山」ができるほど大量のパルミジャーノ・レッジャーノをすりおろして投入した。


さらにフライパンで乾煎りして香りを爆発させた黒胡椒を惜しげもなく挽き入れ、仕上げにスパイシーで濃厚なエキストラバージン・オリーブオイルを『生のまま500ミリリットル』一気に回し入れた。



木べらで力強く鍋底からかき混ぜ、乳化(マンテカート)させる。



溶け出した熟成パルミジャーノの濃厚な乳脂肪と、極上のオリーブオイルの油膜が、殺鼠剤の揮発成分と苦味を瞬時にコーティングして閉じ込めた。


鍋から立ち上っていた化学薬品の臭いは完全に消え失せ、代わりに熟成チーズの芳醇なコクと黒胡椒、そして十二時間煮込んだ出汁(フォン)の暴力的なまでに美味そうな香りが厨房中を満たした。



俺は十二枚の深皿に熱々のシチューを盛り付け、その上からもさらに大量のパルミジャーノとオリーブオイルを回しかけてダムウェーターへと乗せた。


そして休む間もなく、残しておいた大さじ二杯のストリキニーネをカカオ八十パーセントのビターチョコレートのガナッシュと焦がしキャラメルソースに混ぜ込み、最後の『キャラメリゼした肉のデザート』も完成させて上の階へと送り出した。



午後十一時四十五分。


ダムウェーターが、今夜最後の音を立てて降りてきた。



ステンレスの扉を開けて中を見る。


シチューの深皿は十二枚ともパンで拭ったように空っぽになっており、肉のデザートに至ってはカケラ一つ残っていなかった。


あいつらは全員、大型の挽き馬を十二頭まとめて即死させるだけの亜硝酸塩とストリキニーネを胃袋の奥まで収めたのだ。呼吸麻痺と内臓出血が始まるまでの推定時間は、あと十五分。



俺はエプロンを外し、清潔な布巾で手を拭くと、厨房の真ん中に立って静かにその時を待った。



――深夜零時ちょうど。


防音扉の上にある赤いロック表示灯が、パチンと音を立てて「緑」に変わった。



重厚な鋼鉄の扉がゆっくりと開く。



入り口に姿を現したのは、灰色のスーツを一分の隙もなく着こなした執事のヴェインだった。


だが、その手には残りの報酬である二万四千ユーロの封筒は握られていなかった。



彼の背後から、港の荷揚げ人夫のように巨大な体躯をしたスキンヘッドの男が二人、無言で入ってきた。


二人は黒い服の上から防水仕様の精肉用エプロンを着込み、白いゴム長靴を履いて、その手には『サプレッサー(消音器)付きの拳銃』を構えていた。さらに片方の男の腰には、太い業務用の結束バンドの束と、骨を切断するための電動医療用ノコギリがぶら下がっている。



「素晴らしいお仕事でした、シェフ」



二人の巨漢が俺の胸に銃口を突きつける中、ヴェインは三メートル手前で足を止め、氷のように冷たい声で言った。



「上の階の旦那様方は、あなたのシチューとキャラメリゼした肉のデザートを『この世のものとは思えない至福の味だ』と絶賛しておられましたよ。これほど美味い肉を味わったのは何年ぶりか分からない、とね」



「そいつは光栄だな」



俺は一切の抵抗を見せず、ゆっくりと両手を頭の高さまで上げた。


その瞬間――高く上げた左腕の角度を利用し、俺は誰にも気づかれないよう左手の親指で袖のペン差しポケットの端を軽く押し、中に入っていた『芯温計の金属ケース(ペティナイフ)』を、コックコートの長い袖の内側へとスルスルと滑り落として左手首のすぐ裏で止めた。



「……どうやら、残りの報酬については少し予定が変わったみたいだな、ヴェイン」



俺が言うと、老執事の濁った目が残忍な光を帯びて細められた。



「実に残念です。午後六時三十四分、第二カメラが、シチューの鍋の上でティースプーンを口に運ぶあなたの姿をはっきりと捉えておりました」



ヴェインはわざとらしく首を振って見せた。



「守るべきルールはたった一つだったはずです、シェフ。神聖なる晩餐の肉を盗み食いした者は、契約を破棄し、次回の晩餐のための『熟成肉』として自らを捧げる決まりなのですよ。……ですが安心なさい。あなたのその引き締まった筋肉と、当家の極上のワインで浄化された肝臓なら、冬の晩餐会に向けて最高のフィレとグアンチャーレが仕込めることでしょう」



ヴェインが二本の指で部下に合図を送った。



「身体検査をして、椅子に縛り上げろ。フックの準備が整うまで、しっかり目を開けさせておくのだ」



俺は無表情のまま、二人の解体屋に背中を押され、厨房の中央――天井から肉吊り用の鉄鎖(チェーンブロック)が下がっている真下に置かれた、頑丈な木と鉄の椅子へと向かった。



一人目の大男が荒々しい手つきで俺の脇腹から腰回りをまさぐり、すぐさま作業ズボンの右ポケットに指を突っ込んだ。



「ヴェイン様、こいつポケットにナイフを隠してやがりましたぜ!」



男は俺が仕込んでおいた撒き餌の『折りたたみナイフ』を引き抜き、勝ち誇ったようにヴェインに見せてから、遠くの調理台の上へと放り投げた。



「料理人というのは、いつもポケットに刃物を忍ばせる悪い癖があるのですよ」



ヴェインは満足そうに頷いた。



「もう武器はないはずだ。手首を縛り上げろ」



俺の計算通りだった。


ズボンのポケットから「隠していたナイフ」を一本見つけ出したことで、二人の男は完全に満足し、俺の頭のバンダナにも、コックコートの袖にも一瞥(いちべつ)すらくれなかった。



奴らは俺を椅子に乱暴に座らせると、俺の両腕を鉄製の背もたれの後ろへと回し、指先が紫色になるほど極太のプラスチック製結束バンドで両手首を二重に締め上げた。さらに俺の両足首も、椅子の前脚へと固く縛り付ける。



二人目の男はサプレッサー付きの拳銃を俺から二メートル離れたステンレス台の上に置き、床に血を受けるための透明なビニールシートを広げ始めた。もう一人の男は、天井の滑車から太い鋼鉄のフックを引き下ろしている。



俺はヴェインの頭上、壁に掛けられた時計へと視線を向けた。



時刻は、深夜零時六分。


上の階の十二人が、あのシチューとデザートを平らげてから、ちょうど二十分が経過していた。



「なあ、ヴェイン」



俺は椅子の背もたれの後ろで、左手首の袖口の中に落ちてきていた細長い金属筒から、剃刀のように研ぎ澄まされた『和式ペティナイフ』の柄を右手の指先で音もなく抜き出しながら、穏やかな声で語りかけた。



「二日前にあんたが言った通りだったよ。ヨーロッパのトップクラスの厨房で十六年も働いていると、いろんなことを学ぶもんだ」



老執事が眉をひそめ、こちらを振り返った。



「……何の話ですかな?」



「『人間の肉』っていうのは、妙に甘ったるくてすぐに舌が飽きるってことさ」



俺は死神の目を真っ直ぐに見つめ返し、ニヤリと笑った。



「特に、三百グラムのリン化亜鉛殺鼠剤と、瓶半分の純粋な亜硝酸ナトリウムの臭いを消さなきゃならない時はな。……だが、三十ヶ月熟成の最高級のパルミジャーノ・レッジャーノと、本物のエキストラバージン・オリーブオイルをたっぷり回しかけてやれば、あいつらはセメントだって喜んで食うぜ」



ヴェインの顔から、コンマ一秒で血の気が引き、石膏のように真っ白になった。



だが、彼がその口を開いて悲鳴を上げるよりも早く――壁のインターホンが、耳を劈(つんざ)くような轟音と共に爆発した。



――ガシャアアアアンッ!! ゴホッ、グエエエエッ!!



小さなスピーカーから溢れ出したのは、文字通りの地獄の音だった。


豪華な晩餐のテーブルがひっくり返り、クリスタルグラスが砕け散り、十二人の男たちが同時に絶叫しながら激しく嘔吐し、喉をかきむしって転げ回る音。


『息ができない!』『医者を呼べ!』『血が、黒い血が止まらん……!』『た、助け――グガアアッ!』と、毒に焼かれ窒息していく断末魔の咆哮が厨房中に響き渡った。



「だ、旦那様方!? 上で何が起きているのですか!? お答えください!!」



ヴェインが完全に冷静さを失い、壁のインターホンへと駆け寄ってマイクに怒鳴り散らした。


二人の大男もまた、雇い主たちの凄惨な断末魔に気を取られ、ハッとスピーカーの方へ首を向けた。



俺が待っていたのは、その『わずか一秒の隙』だった。



背もたれの後ろで手首を鋭く返し、ペティナイフの剃刀の刃をプラスチックの結束バンドに食い込ませる。


――パチンッ! パチンッ!



極薄の鋼の刃は、熱したバターを切るように結束バンドを断ち切った。


俺はコンマ一秒で前傾姿勢になって足首のバンドを切り裂き、左手を後頭部へ回してバンダナの結び目から二本目の『湾曲したトゥルネナイフ』を引き抜くと、異変に気づいて振り返った一人目の大男の目の前へとバネのように跳び上がった。



調理台の上の拳銃に手を伸ばす時間すら与えない。



俺は一歩で懐に踏み込み、右手の直刃ペティナイフを男の頸動脈へ根元まで突き立てると同時に、左手の湾曲ナイフで拳銃へ伸ばしかけた奴の右手首の腱を深く切り裂いた。


大男は声にならない泡を吹きながら、自分が広げたばかりのビニールシートの上へと膝から崩れ落ちた。



二人目の巨漢が顔色を変えてホルスターからサプレッサー付きの拳銃を引き抜いたが、俺はすでに中央のコンロの後ろへと回り込んでいた。


俺はまだ火がついたまま『摂氏二百度のオイルと澄ましバターが三リットル煮えたぎっている浅型の両手鍋』の取っ手を両手で掴むと、振り向きざまにその男の顔面めがけて全力でぶちまけた。



「ぎゃあああああああっ!!」



ジュウウウッ!という肉が焼ける凄まじい音と共に、男が焼け爛れた顔面を両手で覆って銃を取り落とす。


俺は間髪入れずその懐へと踏み込み、包丁スタンドから『重さ一・五キロの骨スキナタ(マンナイア)』を両手で引き抜くと、頭上高く振りかぶり、男の頭蓋骨のど真ん中へ向けて真上から垂直に振り下ろした。



――ガシャアッ!!



鈍い音を立てて頭蓋骨が割れ、二人目の巨漢が床に沈んだ。



地下厨房に、再び静寂が戻った。


インターホンの向こうから聞こえていた上の階の呻き声も、今や完全に途絶え、ただスピーカーのノイズだけがザザ……と空しく響いている。



俺はゆっくりと振り返り、ヴェインを見た。



老執事はインターホンの下の壁に背中を押し付け、一歩も動けないほど両膝をガクガクと震わせていた。


床に転がる二人の部下の死体と、返り血に染まった白いコックコートを着て、指先から血の滴るペティナイフを提げて立つ俺の姿を、信じられないものを見る目で交互に見つめている。



俺は床に落ちていたサプレッサー付きの拳銃を拾い上げると、ヴェインの目の前まで歩み寄り、その冷たい銃口を老人の顎の下へと突きつけた。



「残りの半分の報酬だ、ヴェイン」



俺は静かな声で言った。



「どこにある?」



老人は枯れ葉のように震える手で灰色のウールジャケットの前を開き、内ポケットから五百ユーロ紙幣の束が詰まった二つ目の分厚い封筒を取り出した。



俺はそれを受け取り、最初の二万四千ユーロの封筒と自分の包丁ロールと一緒にバッグへと収めた。


そして調理台の上に戻り、残っていたクララのグアンチャーレを清潔な白いリネンの布で丁寧に包み上げてバッグに入れた。こんな呪われた屋敷に彼女の身体を1グラムたりとも残さず、外の世界へ連れ出してちゃんと弔(とむら)ってやるために。



俺は開いたままの防音扉の前まで歩き、階段を上がる前に一度だけ足を止めて、ヴェインの目を見つめた。



「最後に一つだけ教えてやるよ」



俺は老執事の額のど真ん中に銃口を合わせ、引き金を引く直前に静かに告げた。



「二度と料理人(コック)に向かって、『自分の料理を味見するな』なんて言うんじゃねえ」



――プシュッ。



消音器を抜ける乾いた空気音が一度だけ響き、俺は二度と振り返ることなく地下厨房の扉を閉めた。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


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他にも作者マイページ(プロフィール)には、豪華客船のゾンビ×料理コメディや、海賊ダークファンタジー、デスゲームTRPGなど多数の作品を公開しています。ぜひプロフィールからも他の物語に遊びに来てください!


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