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第1章 魔王さまと笑顔⑥


 大きな口を開けて、リリィが飛びかかってくる。

 そのとき、目の前に黒一色の背中が飛び込んできた。少し遅れて、それがあの夜森で助けてくれた背中と同じだと気づく。


「魔王さま……!」

 

 わたしが驚きに目を瞬くのと同時に、周囲からもどよめきが巻き起こった。「どうして魔王さまが……!?」という声があちこちから聞こえてくる。

 襲い掛かろうとしていたリリィは足を止め、そのまま体を翻して逃げ去っていった。その姿が見えなくなったところで、人混みの向こうからミームの弱々しい声が聞こえてきた。


「魔王さま~! 魔王さま~!」


 ミームは半泣きになりながら飛んできて、魔王さまの肩に抱きつく。


「すみません、魔王さま~」

「いや、呼んでくれて助かった」


 それから、魔王さまはわたしを振り返る。何も言わずとも、怒っているのだとわかった。これはたぶん顔が恐ろしく見えるとかそういう表面的なことではなく、本当に怒っている。


「お前はここで何をしている」 

「えっと、紅茶の買い出しに……」

「そうではない。何かあったらどうするつもりだ」


 魔王さまは、わたしを助けるためにまた駆けつけてくれたのだろう。怒りの中に心配も含まれている気がして、申し訳なくなった。


「……すみません。ご迷惑をおかけして」


 油断するなと言われていたのに、城の中で問題ないからと慢心していたところがあったかもしれない。結果として魔王さまの手を煩わせてしまった。

 肩を縮めるわたしを見て、魔王さまは小さく息を吐く。


「いや、お前がすべて悪いわけではない。人間を簡単に襲おうとする魔界の問題でもある。せめてこの街の住人には、今この場でしっかりと言って聞かせよう」


 そこで、魔王さまの怒りは自分にだけ向いているのではないと気づいた。

 魔王さまは、呆然と立ち尽くしたままの聴衆を振り返ろうとする。


「魔王さま、待ってください! 人間を襲わないよう言っていただけるのは、とてもありがたいのですが……」

 

 迷惑をかけておいて何か意見できる立場ではないかもしれない。言い淀むと、魔王さまが眉を寄せる。

 

「何だ、はっきり言え」


 わたしは迷いを振り払うために背筋を伸ばし、魔王さまをまっすぐに見つめた。


「失礼を承知で申し上げますが、魔王さまは今とても怖い顔をしています」

「……それがなんだ?」

「このままでは、今までの恐怖で縛るやり方となにも変わりません。市民の方々とお話しするときは、朗らかにお願いします」

「つまり、笑顔で話せと?」

「はい、できれば」

「……善処しよう」


 うんざりしているようだったけれど、魔王さまは了承してくれた。朗らかとは言えないまでも、怒りのオーラが鎮まり通常の顔つきに戻る。

 魔王さまが向き直ると、集まっていた人たちが一斉に口を閉ざし、辺りがしんと静まり返った。誰もが魔王さまが何か言葉を発するのを、緊張の面持ちで待っている。


「こいつは今、城で働いている。俺のマネージャーだ」


 魔王さまがちらっと視線をわたしに送る。背中に隠れてしまわないように、わたしは一歩前に出た。


「城では今、民の声に応えられるよう体制を整えている最中だ。その一環として、人間側の意見役を置いている。城における貴重な人材だ。つまり……」


 魔王さまの様子を横目で窺っていると、だんだんと眉間のしわが深くなっている。

 笑顔で、朗らかに。そう伝えるように軽く咳払いをすると、魔王さまも気づいてくれたようだ。

 ひと呼吸置いたあとで、魔王さまの口角がゆっくりと上がっていく。


「……こいつに手を出すことは許さない」


 そう言い放った魔王さまの顔に浮かんでいたのは、やはり究極の冷笑だった。

 極寒の雪嶺を想起させるほどの冷ややかな笑いに、そこにいた全員が震えあがる。


「わかったな?」


 魔王さまが念を押すと、そこかしこから「ひいっ、はいぃぃ!」と悲鳴に近い返事が聞こえてきた。

 戒めとしては効果抜群だが、親しみやすさを演出するという意味では失敗だった。盛大な逆効果だ。思わず頭を抱えたくなる。

 すると、住人のひとりが一歩進み出た。


「おい、人間!」


 サイの獣人のようだった。戦士かと思うほど体格がいいが、料理人らしく腰にエプロンを巻いている。


「街のやつが悪いことをした。お詫びにうちの飯を食っていってくれ」


 口調は雑だけれど、もてなそうとしてくれているらしい。返事も聞かず、すぐ近くの屋台に入っていく。

 これは、付いて行ったほうがいいのだろうか。魔王さまに目線で助言を求めると、無言で頷き返す。もてなしを受けたほうがいいと言っているらしかった。

 魔王さまもまだ傍にいてくれるつもりらしく、外の席に2人で腰をかける。

 魔王さまが屋台にいる光景がめずらしいのか、すっかり怯え切っていた野次馬たちまでぞろぞろと付いてきて、屋台の周りに群がっている。まるで、動物園の檻に入れられたような気分だ。

 まもなくして店主が、厨房から戻ってきた。


「お待たせ」


 ドンとテーブルに置かれた料理を見て、思わず「うおっ」と声が出た。

 大ぶりの器に入っているのは、トカゲらしき生き物がそのまま煮込まれたスープだった。顔や尻尾が器からはみ出るほど大きく、液体はなぜか紫色をしている。

 魔王城の食堂で出ている料理とはまるで違う。城では、知らない食材が入っていることはあっても、食べるのに躊躇するような見た目の料理が出たことはなかった。

 魔界の食事も案外いけるなんて思っていたが、それはただ世界の広さを知らなかっただけで、わたしの思い上がりだったようだ。


「うちの看板メニューだ。滋養強壮にいいぞ」


 店主は自信満々に言うが、本当に善意から出してくれているのだろうか。そう疑いたくなるほど、見た目のインパクトが強い。

 そもそも、人間が食べて大丈夫な料理なのかもわからない。魔王さまが何も言わないのだから、問題ないのだろうけど。

 お腹がいっぱいだと言って断ろうかと思ったが、ギャラリーの視線が気になった。ここで断れば魔界と人間界に亀裂が生まれる可能性もある。

 食べるしかない。


「……いただきます」


 わたしは腹を括ると、スプーンを手に取った。紫色のスープをすくい口元まで運ぶと、思い切って飲んでみる。


「あ……おいしい」


 スープは強烈な見た目に反して、とても優しい味をしていた。口当たりはマイルドだけど、深みのある味わいに、スープを運ぶ手が止まらなくなる。


「このスープ、すっごくおいしいです」


 気持ちを込めて言いながら、思わず笑みがこぼれる。

 すると店主が、うれしそうにガハハと笑った。


「お前、意外と味がわかるやつだな!」


 すっかり調子が出てきて、ラディッシュのような野菜も食べてみる。


「この野菜も、おいしいです」

「あ、それは食べないやつだ」


 店主が返したときには、もう飲み込んでいた。


「ちょっと、先に言ってくださいよ!」

「別に毒じゃねえから安心しろ。香りづけで入れる野菜だ」


 店主と打ち解ける頃には、周りの人たちから「うちの店のも食べてってくれ」「デザートもあるよ」などと声をかけられていた。ひとつひとつに応えていくうちに、なんだか楽しくなってくる。


 ふと、魔王さまが興味深そうにこちらを見ていることに気づいた。

もしかして、いや、もしかしなくても、こんなふうに魔王さまが街の人たちに囲まれているのは、とても貴重な状況のではないだろうか。

 これは、『親しみやすい魔王さま』を街の人々に印象づける絶好のチャンスだ。


「魔王さまも、食べませんか?」


 何気ない感じを装って提案すると、店主が血相を変える。


「おい、魔王さまにこんな庶民の食べ物を勧めるもんじゃねえ!」


 すると、ずっと静観していた魔王さまが口を開いた。


「いや、もらおうか」

「い、いいんですか? ……すぐにご用意します!」


 店主は驚きつつも、急いで厨房へと向かう。すぐに、新しいスープが魔王さまのもとに運ばれてきた。

 周囲の人たちが見守る中で、魔王さまがスプーンを手に取った。野次馬の後方にいる人たちが、魔王さまの姿を見ようと首を伸ばしている。

 魔王さまは美しい所作でスープを口に運んだ。魔王さまが飲めば、トカゲのスープも高貴な宮廷料理に変わる。

 みんなが息を呑んで待つ中で、魔王さまが感想を口にした。


「悪くない」 


 なんて素っ気ない感想なのだろうと思ったが、店主をはじめ住民たちは安堵と喜びを噛みしめているようだった。

 ここはもう一声ほしいところだ。そう思って、わたしは魔王さまに話を振った。


「なんだか元気がでるスープですよね」

「ああ、人気があるのもわかる。英気を養うのちょうどいい。このスープは、ここで働く者の支えとなっているのだろう」


 街の人たちは感動で目を輝かせながら、魔王さまを見つめている。店主なんて涙を流し、嗚咽をもらしていた。

 そんなことにさほど関心も示さずに、魔王さまがぽつりと呟く。


「そろそろ城に戻らなければ……カーチスのやつ、うるさいな」


 後半は独り言のように口にしながら、魔王さまは自分の耳に触れている。ここに来たときも、ミームに「呼んでくれて助かった」と言っていたし、魔王さまは誰かが助けを呼ぶ声が聞こえるような力を持っているのだろうか。

 魔王さまが席を立つので、わたしも慌てて腰を上げた。


「あの、お忙しいところ、すみませんでした。あと、助けていただき、ありがとうございました」

「いや、実際に街の様子を見るいい機会になった。急務があるから、紅茶はいつもの時間でなくていい。それから……」


 魔王さまがわたしの首元に手を近づけ、パッと光が放たれる。手が離れたあとで首に触れてみると何かが巻かれているようだった。


「説明は後でする。それまでは鳴らすなよ」


 質問を挟む間もなく、魔王さまは忽然と姿を消す。来たときと同じように、魔法の力で城に戻ったようだ。

 やけに気持ちが落ち着かないのは、いろいろなことが起こり過ぎたからなのか、魔王さまのマネージャーに楽しみを見出したからなのか、今はわからなかった。



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