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第1章 魔王さまと笑顔⑤


 初めて歩く魔界の街は、思っていたより馴染みやすい場所だった。

 石畳の道に西洋風の建物が並んでおり、城から近い町というだけあって活気に溢れている。恐ろしい場所だったらどうしようと想像を膨らませていただけに、安堵から足取りも軽くなる。


 一方で、街を行き交う人たちは、城の中以上に様々だった。同じ獣人でもそれぞれの特徴はまったく違うし、人間に近い顔の人もいれば、獣に近い顔の人もいる。


 辺りをきょろきょろしながら歩いていると、ミームがふわっとこちらに寄ってきた。


「アカリさん、ボクから離れたらダメですよ」

「うん、わかってる。魔法が消えちゃうんだよね」


 城を出る前にガラムさんから受けた忠告によれば、ミームの変身魔法が効く範囲は限られているという。魔法をかけたミームから離れすぎてしまうと、変身が解けてしまうらしい。

 気をつけようと思った傍から、ミームがふわふわと横に逸れていくのが見えた。


「ん~、おいしそうな匂い……」


 店先から漂ってくる食べ物の香りにつられたようで、わたしからどんどん離れていく。


「どこ行くの、ミーム! 自分で離れるなって言っておいて」


 慌ててミームの手を掴んで引き留める。


「ちょっとくらい寄り道しません?」

「そんな時間ないし、お金だって紅茶の代金しかないの」

「紅茶、諦めませんか?」

「だめ。紅茶を買えないと、魔王さまに怒られちゃうんだから」


 ミームが粘るので、ついそんなことを口走る。


「うーん、わかりました」


 ミームは納得してくれたようで、大人しく隣をふわふわと浮きながら道を進む。


「でも、魔王さまは恐くないですよ。優しい方です」


 ここに来て初めて耳にする意見に、わたしは少なからず驚いた。


「ボクがピンチのとき、飛んできて助けてくれました」


 ミームの言葉に、魔王さまに森で助けてもらったときのことを思い出す。あれは、文字通り飛んできたという感じだった。


「そういえば、魔王さまって瞬間移動ができるの?」

「ハイ。誰にでもできる魔法じゃありません。使える魔法もたくさん、魔力も強いです。魔王さまはスゴいんです。魔王さまのこと尊敬してる人、たくさんいます」


 ミームはどこか誇らしげに言う。


「ミームは、魔王さまが笑ってるところを見たことある?」

「ありません」

「そうだよね……」


 笑顔を見たことがなくても、ミームは魔王さまのことを優しい人だと言い、慕っている。

 今さらながら、魔王さまの魅力を伝える術が他にあるのなら、笑顔に固執しなくてもいいのかもしれないという考えが浮かんだ。


 目的の場所に近づくにつれ、人通りもさらに増えてきた。ぼんやり歩いていると、すれ違う人とぶつかりそうになる。

 ふと、店先に立つひとりの少女に目が留まった。大勢の人の中にいてもそこだけ特別に輝いているように見えるほど、存在感がある。圧倒的な美少女だ。

 赤いフードを被っているけど、それでも素材のよさは隠せていない。可愛らしさと美しさの両方の魅力を持っている。アイドルとしてはもちろん、女優という道もありそうだ。

 思わず凝視している自分に気づき、ハッとする。いけない、ついスカウト目線で観察してしまった。東京にいた頃だったら、迷わず声をかけて名刺を渡していただろう。

 それより、紅茶だ。ふと隣を見ると、ミームの姿がない。ほんの一瞬のことだったのに、辺りを見渡してみても知らない人ばかりでミームはどこにもいなかった。

 もしかして、はぐれたのだろうか。自分が置かれている状況にようやく気づき、サッと血の気が引いていく。思い出すのは、魔王さまやガラムさんからの忠告だ。魔法が解けて人間だとバレたら、どうなるのだろう。

 

「あの、どうかされましたか?」


 声をかけられて振り返ると、さっき見つけた美少女だった。


「なんだか困っているみたいだったので……」


 可愛いだけでなく、優しい心まで持ち合わせているのか。あまりの逸材にまた脳みそがスカウト側に切り替わる。


「あの、お名前は? ぜひうちの事務所に……じゃなくて」


 違う、違う。今はスカウトしている場合ではない。頭を振るわたしを、美少女が不思議そうに見つめる。


「名前はリリィです。えっと、事務所ってなんですか?」

「いえ、忘れてください。実は一緒にいた子とはぐれてしまって……」


 事情を話そうとした瞬間、薄い光が体を包んだ。嫌な予感がして、背中を見ると翼が消えている。耳に触れると、そちらも元に戻っていた。

 ミームの魔法が消えてしまったのだ。

 他の通行人たちもすぐに気づいたようで、足を止めてこちらを見ていた。ざわめきの中で、「人間……?」という声が聞こえてくる。戸惑っている人、興味深そうにしている人、訝しんでいる人、いろいろな意図を含んだ視線が、あちこちから注がれる。


「あの、わたし……」


 リリィのほうに向き直り、ハッと息を呑んだ。さっきまで美しい青色だった瞳が、真っ赤になっている。ただ赤いだけでなく、気が引けるほどの鋭い光を放っていた。リリィは焦点が定まっていない目で、わたしを見つめている。

 逃げ出そうかと思ったが、あまりに注目を集めすぎていた。

 話が通じますようにと祈りながら、わたしはリリィに言葉を投げかけた。


「わたしはまったくもって害のない善良な人間ですから……! 魔界のみなさんと仲良くしたいなあって」


 必死で笑顔を張り付けて訴えかけるけれど、リリィの耳にはまるで届いていないようだった。


「人間……すごく、いい匂い……」


 蠱惑的な声で呟き、鋭い歯をむき出しにして笑う。

 リリィの美しい顔が歪んだかと思うと、頑丈な顎を持つ獣の輪郭に変形していく。 

顔や腕も長い毛に覆われていき、あっという間に人狼の姿になった。


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