エピローグ
魔界新聞の朝刊を手に、わたしは息をはずませながら魔王城の階段を上っていく。
廊下を駆け足で進み、執務室の扉をノックしてみるが中から返事はない。
「アカリです。失礼します」
声をかけながら扉を開けて、部屋の中に入ってみる。
返事がないので予想はついていたが、やはり執務室に魔王さまの姿はなかった。
最近では、不在時でも入室してもいいと許可をもらっている。郵便や資料など置いておくだけで済む用事で二度手間にならないための配慮だけれど、今は魔王さまと話がしたくて来たので、本人がいなければどうしようもない。
「魔王さま、どこにいらっしゃるんですかー?」
魔王さまだったら、どこかでこの声を聞いているかもしれない。そんな軽い気持ちで、魔王さまに向けて呼びかけてみる。
すると、本当にチョーカーの鈴がちりんと鳴った。
次の瞬間、爽やかな風が頬を撫で、頭上には空が広がっていた。外に瞬間移動したことはわかったけれど、見慣れない場所だ。
「ここは……」
「魔王城の屋上だ」
声に振り返ると、魔王さまが胸壁の前にいる。
わたしは魔王さまの隣に行き、一緒にそこからの景色を眺めた。
「わあ、すごい絶景ですね。城にこんな場所があるなんて知りませんでした」
「たまに来るんだ。ここに来ると、これが俺の守るべき世界なのだと思い出せる」
魔王城の屋上からは、魔都の全体像が見えた。
それだけでなく、遠くのまだ知らない町まで見渡せる。
けれど、こんなに大きく感じる景色でも魔界のほんの一部だ。
魔王さまの目に映っているのは、ここから見える景色のもっとその先で、魔界全体なのだろう。もしかしたら、魔界の未来と言ってもいいのかもしれない。
「魔王さま、改めて魔王選勝利、おめでとうございます」
わたしは手にしたままでいた魔界新聞の朝刊を広げて、一面の記事に大きく掲げられた見出しを読み上げる。
「『魔王さまのスピーチに全魔界が涙』。見てください、この大きな記事。すごい力の入れようですよ。魔界新聞だけでなく、どこのメディアも魔王さまのスピーチを取り上げているみたいですね」
朝からテレビのニュースでも魔王さまのスピーチの切り抜きを繰り返し流しているし、アカウントリもその話題でずっと持ち切りだ。
「そのようだな。『マネージャーと二人三脚で勝ち取った玉座』なんていうのもあったか」
他にも『愛が変えた魔王さまの在り方』という気恥ずかしい見出しも目にした。手元にある魔界新聞にも、『冷血無慈悲な魔王さまから一転、愛情深いお姿が見られた』などと書き記されている。
「これが、市民の方々が見たかった物語なんでしょうね。熱愛報道からここまでの物語を作り出すなんて、さすが魔王さまです」
魔王選にあたって、みんなが共感し応援したくなるような物語性を魔王さまに持たせようと提案したのはわたしだ。
けれど、熱愛報道に便乗して偽りの恋人を演じ、最終戦のスピーチで大切な人を失いかけた愛情深い魔王像を作り上げたのは、魔王さま自身だ。
最初こそ、あまり乗り気ではなかった魔王さまだが、見事に虚構を演じきったことになる。
もともと恋人役も、魔王選が終わるまでの間の約束だ。そのうち、何か理由をつけてなかったことになるのだろう。
最終戦でのスピーチの言葉も演出のためだと思うと少し寂しい気もするが、玉座を防衛するという最大の目的は果たせた。マネージャーとしては喜ばしいことだ。
それに、魔王さまがステージで見せた笑顔は本物だと思いたい。それだけで、十分だ。
「……本当に虚構だと思うか?」
静かに景色を眺めていた魔王さまがぽつりと呟く。
「え?」
景色から目を離し、魔王さまがこちらに向き直る。
「今回の魔王選に向けて演じた一部……いや、すべてが本当だとしたら。あるいは、これから真実にしていくつもりだと言ったら、お前はどうする?」
魔王さまの目は真剣そのものだった。
鼓動が勝手に速くなっていき、目を逸らしたくなる。
「……どうすると言われましても……」
「質問を変えよう」
言い淀むわたしに、魔王さまはさらに問いかける。
「ひとりの女として、俺の傍にいるつもりはあるか?」
魔王さまは本気だ。
わたしが嘘や物語として納得させようとしていた言葉も行動もすべて、本物だと告げている。
もう誤魔化すことなんてできない。
魔王さまの気持ちに、わたしはきちんと向き合うべきだ。
「……わたしは魔王さまのマネージャーです」
心臓が信じられないくらいにうるさい。
呼吸がやけに浅いのを感じながら、わたしは言葉を続けた。
「それで、魔王さまのことを好きな、ひとりの人間でもあります」
ばくばくと鳴る鼓動に負けないよう、はっきりと伝えた。
城の屋上を、さっと風が通り過ぎていく。
魔王さまは口元をかすかに緩ませ、わたしの頬に手を添える。
魔王さまの顔がゆっくりと近づいてきたそのとき。
「魔王さま~、大変です~!」
弾むような声とともに、空からミームが降ってきた。
ふわふわとした毛並みに覆われた丸い体で風に乗って飛んできて、魔王さまの頭の上にむにゅっと着地する。
「お前…………」
魔王さまは苛立ちを滲ませながら、ミームの体を掴んで頭から引き剥がした。
「魔王さま、すみません! 今日はちょっと風が強くてですね」
「……それで、何か起きたのか?」
「へ?」
「何か急用があって来たのだろう?」
「えっと~……」
ミームは目を左上に向けて、すっとぼけた顔をしている。
「あれ? 何が大変だったのか忘れちゃいました」
「お前な……今日に限っては許さん」
「うわああ、魔王さまを怒らせちゃいました~!」
ミームは慌てて魔王さまの手から抜け出し、ふわふわと宙へ逃げる。
「でも、魔王さまが怒っても怖くありません。魔王さまが優しいこと、知ってます。ボクだけじゃなくて、みんな知ってます~」
ミームはそのままどこかへ飛んでいってしまった。
「なんなんだ、あいつは」
どんどん遠ざかるミームの姿を見送りながら、わたしは思わず笑ってしまう。
「でも、ミームの言うとおりですね。魔王さまが優しいこと、今ではみんなが知っています」
「すべて、お前のおかげだろう」
声に振り返ると、魔王さまの顔がすぐ近くにあった。
目を瞑る間もなく、唇が重ねられる。
ほんの一瞬の出来事で、すぐには頭が追いつかず、わたしは目を瞬いた。
少し遅れて、頬がぼっと熱くなる。
「さて、仕事に戻るか」
わたしが我に返った頃には、魔王さまはもう背中を向けて歩き出していた。
瞬間移動ではなく歩いて戻るつもりなのか、屋上の扉を目指している。
「待ってください、不意打ちなんてずるいです! それに、何事もなかったかのように去らないでくださいよ! もっと、なんかこう……余韻とかないんですか!」
「お前は本当にやかましいな」
振り返った魔王さまは、柔らかい顔つきで笑っていた。




