第4章 魔王さまとペンライト⑨
魔界への道が閉ざされる前に、戻ってこられたようだ。
元いた城の一室に辿り着くのとほぼ同時に、砂時計の最後のひと粒が流れ落ちた。役目を果たしたように砂時計も消え、光の窓も消失した。
「カーチスさん、お待たせしました」
約束どおりカーチスさんはその場で待ってくれていた。
「アカリさん、おかりなさい。帰ってきてくれると信じていましたよ」
「もう最終戦は始まっていますよね?」
窓に目を向けると、外はすっかり暗くなっている。
「ちょうど魔術戦が始まったところです。今から行けばスピーチに間に合うかもしれません。急ぎましょう」
「はい……魔王さまは待っていないかもしれませんが。それでも、わたしは魔王さまのところへ行きます」
「いえ、魔王さまも待っていると思いますよ」
わたしはカーチスさんに微笑み返し、ポケットにしまっておいたチョーカーを取り出すと首に巻いた。
「アカリさん、私の背中に乗ってください」
「いいんですか?」
「そうしたほうが早いですから」
カーチスさんはわたしが乗りやすいように、床に伏せて体勢を低くしてくれる。よじ登るようにして、わたしはその背中に乗った。
「振り落とされないように、しっかり掴まっていてくださいね」
カーチスさんは低く唸ると、来たときに割った窓から外へと飛び出した。
連れ去られた城は魔都の外れの丘の上にあったようで、遠くに中心街の灯りが見える。
「アカウントリで最終戦の配信が見られるはずですよ」
丘を駆け下りながら、カーチスさんが教えてくれる。翼をはためかせる音が聞こえたかと思うと、空からカーチスさんのアカウントリがやって来て、わたしの肩に止まった。
「アカウントリ、#最終戦生配信」
カーチスさんが告げると、アカウントリから吹き出しのかたちの光が飛び出し、その中に画面が浮かび上がる。会場に中継カメラが入っているようで、大広場の様子が映し出された。
まさに今、魔術戦の真っ最中らしく、ステージでは魔王さまとオーウェンの放つ魔法が飛び交っている。
魔術のことに詳しくないわたしの目から見ても、オーウェンの魔法に魔王さまが押されているのがわかった。
動画に合わせて、解説の声も届いてくる。
『現魔王のルシウスさまが劣勢ですね。調子が悪いのでしょうか。この状況だと、オーウェンさまの玉座奪還も十分あり得そうです』
配信の画面に、魔王さまの顔がアップで映る。どこか苦しそうに応戦している魔王さまに、胸が締め付けられる思いだった。
「もしかして、わたしを異世界に戻すために魔力を使いすぎたんじゃ……」
「いえ、それは違いますよ」
過った心配を口にすると、カーチスさんがすかさず否定する。
「魔王さまの魔力量は、魔界でも随一ですから。その心配はいりません。ですが……使う魔術も戦法も、魔王さまらしくないのは確かですね」
「魔王さま……」
わたしがいたところで、何か力になれるわけではないかもしれないけれど、それでも早く魔王さまのところに行きたい。
魔術戦が終わると、先にオーウェンのスピーチが始まった。
魔術戦の効果もあってか、盛大な拍手を浴びながら、オーウェンのスピーチは終わる。
「まもなく魔都ですよ」
魔王さまがステージに上がるのと同時に、わたしたちは魔都に入った。
みんなテレビや配信でそれぞれ最終戦を見守っているのか、いつもなら人通りの多い街に今は人影がほとんどない。
おかげで大広場まではすぐに辿り着けそうだけれど、一緒に立つはずだったスピーチには間に合わなさそうだ。
大広場までの道のりを走り抜けながら、魔王さまのスピーチがアカウントリから流れてくる。
『……俺には、思い描く魔界の姿がある。それは、誰もが安心して暮らせる世界であり、今はまだ涙を流している者たちが、笑って過ごせる世界だ。そして、そんな世界を目指すため、共に走ってくれる存在がいた。皆もよく知っているであろう、俺のマネージャーであるアカリだ』
わたしは自分の名前が出てきたことに息を呑みつつも、静かに耳を傾けた。
『あいつは慣れない魔界で常に前を向き、時に明るく時に強引に既存の魔王像というものを変えていった。そして、俺自身もまた変わっていった。いや、変えられたのだろう。あいつがいたからこそ、俺は自分が実現したい魔界の未来というものを真に想い描けた。あいつは、常に俺を支えてくれる存在だ。いや、だったと言うべきか……』
魔王さまらしくない気弱な態度に、誰もが困惑しているのだろう。
映像から流れる音声に、観客たちのざわめきが混じる。
『俺は今日、あいつを手放した。あいつには帰るべき場所があり、そこへ帰ることがあいつの幸せだと思ったからだ。だが今俺は、後悔している。どんな手を使ってでも、あいつを手元に置いておくべきだったのかもしれない……』
魔王さまはそこで口を閉ざし、目を伏せた。
大広場が一斉に静まり返り、それから徐々に声が上がり始めた。「魔王さま、頑張ってー」と、声援がいくつか飛び交う。
そうこうしているうちに、大広場の前に着いたようだ。カーチスさんが入り口で足を止める。
「私が送り届けられるのはここまでです」
「ありがとうございます、カーチスさん」
「いえ、魔王さまのことをよろしくお願いします」
カーチスさんの背中から降りて、わたしはひとりで大広場へと入った。投票権を持つ観客に選ばれた人以外にも集まっているようで、人混みを掻き分けるようにして前へ進む。けれど、人が多すぎてなかなかステージには近づけず、中間あたりまで行くのがやっとだった。
魔王さまへの声援は、だんだん増えていっているようだ。会場全体が魔王さまを応援する空気になっているが肌でわかる。
「……あいつなしでは、俺が魔王の座に居続けるのは難しい」
魔王さまの発言に、大広場にいる誰よりもわたしは胸がざわついた。
居ても立ってもいられず、人混みを縫うようにしてなんとか前にでる。
けれど、魔王さままではまだ遠い。
「情けないと思うだろう。歴史に残るほどの無様な魔王だ。それでも、俺は決めた。俺はこの魔王選を……」
嫌な予感は的中した。魔王さまはここで辞退するつもりなのだ。
「魔王さま……!!!」
わたしはとっさに、叫びに近いほどの大きな声で魔王さまのことを呼んでいた。
ステージまでは届くか微妙な距離だったけれど、魔王さまは言葉を切って顔を上げた。
そして、魔王さまと目が合った。
魔界中のみんなが見守る中で、魔王さまの表情がふっと和らぐ。
「魔王さまが……笑った……」
どこからか観客がぽつりと呟く声が聞こえた。
次の瞬間、首元のチョーカーの鈴がちりんと鳴った。
瞬きひとつで、わたしはステージの上に立っていて、目の前には魔王さまがいる。
魔王さまがわたしの腕を引く。その力で前に傾いたわたしを、そのまま抱きしめた。
「戻ってきたのか……」
「約束しましたから。ステージに一緒に立つと。それから、魔王さまを誰からも愛され、みんなの希望となる、そんな存在にすると。約束はもう違えません」
「お前は、本当に馬鹿だな」
「……馬鹿とはなんですか」
魔王さまの言い方は言葉とは裏腹にやけに優しくて、気恥ずかしさを誤魔化すように口ごたえする。
すると、遠慮がちに司会が口を挟んだ。
「あの……スピーチの続きは、どうしましょうか?」
魔王さまは腕を緩めてわたしを離し、マイクのところまで行くと静かに語りかけた。
「ずいぶんと情けない姿を見せたが、アカリはこうして帰ってきてくれた。もし、民が俺に魔界の行く末を委ねてもいいと思ってくれたならば、その時は全力でその期待に応えよう。以上だ」
魔王さまは短く伝えて、スピーチを締めくくった。
それを受け、司会の人が再びマイクを握る。
「それでは、お二方のスピーチが終わりましたので、これより投票を行います。投票権を持つ観客の皆様には本日ライトをお配りしています。投票にはそちらのライトを使用してください。現魔王であるルシウスさまに投票される場合は赤に、挑戦者であるオーウェンさまに投票される場合は青に、それぞれライトを付けていただくようお願いいたします」
観客たちが準備をする間を空け、司会の人が合図を出す。
「それでは、投票どうぞ!」
その掛け声と共に、会場中のあちこちでライトが灯り始めた。
暗い会場にぽつぽつと現れ始めた光は、あっという間に全体にまで広がっていく。
そして、そのどれもが、魔王さまを支持する赤い光だった。
「決まりました。魔王選、最終戦を制したのは、ルシウスさまでーす!」
司会の人が告げると、ステージの上から紙吹雪が舞い落ちてきた。魔法がかかっているのか、その紙テープもきらきらと赤い色に輝いている。
「魔王さま、おめでとうございます!」
隣に立つ魔王さまに笑顔で伝えてから、もう一度観客席に目を向けた。
「……すごいです。これ、全部魔王さまのことを応援してくれている人なんですよ」
「お前が見たかったものとは少し違うかもしれないが、こんな景色も悪くないだろう?」
魔王さまの言葉に 花火を見た夜のことを思い出す。魔王さまに聞かれて、ペンライトが輝くステージについて話したのだった。
言われてみれば、観客席で輝く赤い光はまるでペンライトのようだ。
「悪くないどころか、最高の景色です」
心からそう伝えると、魔王さまが嬉しそうに鼻で笑う。
「これからさらに素晴らしい景色を見せてやる。だから、この先もずっと俺の傍にいろ」
「はい、そうさせてください」
会場で無数に瞬く星空のような光を眺めながら、わたしは再び魔王さまと約束を交わした。




