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第1章 魔王さまと笑顔②


 数日後の昼過ぎ、わたしは魔王城の庭にあるベンチで昼休憩をとっていた。

 パンをかじりながら、ノートに書かれた内容を読み込んでいると後ろから声をかけられた。


「アカリさん、何をされているんですか?」


 振り返ると、カーチスさんが微笑を浮かべて立っていた。


「カーチスさん。休憩中です」

「ずいぶんと遅めの休憩ですね」


 スペースを譲るように端のほうに座り直すと、カーチスさんも隣に腰を下ろした。


「書類の仕分けに手間取っていたら、食堂の時間に間に合わなくて」


 この城では官僚から使用人までたくさんの人が働いており、従業員の食事のために食堂まで用意されている。利用時間が決まっていることをすっかり忘れていて、気がついたときにはもう閉まっている時間だった。


「きちんと食事はとられたほうがいいですよ。慣れるまでは大変だと思いますが」

「気をつけます。あ、でも、前任の方が残してくれていたノートがすごく役に立っています。いろいろ細かく書いてくれていて」


 読んでいたノートを、カーチスさんに見えるように掲げる。

 前任の執事の人は、かなりマメな人だったようだ。このノートには、日課となっている仕事から、曜日ごとにやるべき仕事などがわかりやすくまとめられている。ノートのおかげで少しずつではあるけれど、できる仕事が増えている。引継ぎがあることのありがたさを身に染みて感じていた。


「魔王さまを笑顔にする方法は書かれていませんでしたけど」


 あれから、どうにかして魔王さまの笑顔を見られないかといろいろ試している。こちらから笑顔で話しかけてみたり、城で起きた面白いことを話して聞かせてみたりしたものの、いまだに魔王さまが笑うところは見られていない。


「アカリさん、こだわりますね」

「こだわります。なんとしてでも笑ってもらいたいです」

「まあ、焦らずにやったらいいと思いますよ」


 励ますように言ってから、カーチスは神妙な面持ちになる。


「それにしても、魔王さまの笑顔……」

「……ひどかったですよね」


 2人で沈黙し、あのときの光景を思い出す。

 魔王さまの顔に浮かんだのは、究極の冷笑だった。

 無言であの笑顔を浮かべられたら、相手との距離を縮めるどころか、むしろ遠ざけてしまうだろう。良からぬ誤解を生みかねない。「このゴミ虫め」とか「足元にも及ばぬ塵芥め」みたいな幻聴が聞こえてきそうな、そんな冷笑だった。


「カーチスさんも、魔王さまが笑っているところは見たことがないんですか?」

「魔王さまにはそれなりに長くお仕えしていますけど、記憶にないですね。先日のように鼻で笑っているところは何度かお見かけしたことがありますが」

「そうですか……魔王さまが笑顔を身につたら、最強だと思うんですけどね」


 恐ろしいという印象に隠れてしまっているが、魔王さまはかなり顔が整っている。 

人間の感覚が魔界でもそのまま当てはまるのかは疑問だけど、城の中でカーチスさんをカッコいいと評価する意見を耳にしたことがある。わたしの目から見てもカーチスさんは端正な顔なので、魔王さまにそういう声があってもおかしくないはずだ。


 魔王さまが心からの笑顔を浮かべられたら、人の心を掴むのも簡単なはずだ。だからこそ、自然と笑顔になれる人になってほしいと思うし、諦めたくない。

 何か方法がないかと考えていると、カーチスさんが「おっと」と声を上げた。


「私は仕事中なんでした。そろそろ持ち場に戻りますね」


 カーチスさんはその場を離れようとしてから、振り返って内緒話をするように声を落とす。


「あまり魔王さまに笑顔を期待しすぎないほうがいいですよ」


 カーチスさんは笑顔で言ってから、立ち去っていく。その背中を見送りつつ、ふと自分も笑っていることに気づいた。

 魔王さまはどうしたら笑ってくれるのだろう。残ったパンを食べ進めながら、わたしはまた考えを巡らせた。



 あと少しで午後の3時になろうという頃になると、厨房へと足を運ぶ。

 例のノートに、この時間には紅茶とお茶請けを出すべしと書かれていたからだ。

 魔王さまに出す紅茶の種類は決まっているようで、マンドレイクアッサム。モンスターの名前みたいなのが入っているのが気になったものの、自分で飲んでみたら少しスパイシーな香りがする不思議な風味のおいしい紅茶だった。紅茶のお供は、ボーンシュガーという骨の形をした焼き菓子だ。こちらも試しに食べてみたところ、触感はマカロンに似ていた。


 お茶の準備自体は厨房のコックたちがしてくれるが、茶葉もお菓子も店舗から取り寄せているものらしい。わたしはそれを魔王さまのもとへ持っていく役割だ。

 厨房は、城の人たちが利用する食堂と隣接している。もともと別々の部屋だったところを間の壁を半楕円形にくり抜いたようで、厨房と食堂は行き来できるようになっていた。

 厨房側の扉はコックたちの出入り用になっているため、わたしは食堂側から入り、楕円形の穴の前にあるカウンター越しに厨房を覗き込んだ。

 声をかけるまでもなく、コックのひとりであるポアラが気づいてくれた。


「あ、お茶の時間か。準備するからちょっと待ってて!」

「急がなくて大丈夫だよ。いつもよりちょっと早いし」


 全部言い終わる前に、ポアラはお湯を沸かし始めていた。猫の獣人だというポアラは、跳ねるようにテキパキとお茶のセットを準備している。


 この城にはいろいろな人が働いているが、人間はひとりもいない。城の中に限らず、外にも人間はほとんどいないそうだ。そんなものだから人間のわたしは存在自体が異質で、城の人たちは誰もが最初は戸惑いを浮かべた。否定的な意見も出てきそうだったが、魔王さまが決めたことだと知ると、誰も文句は言わなかった。

 すでに何人かと接点があるけれど、その中でもポアラは特にフランクに話してくれる。


「ポアラ。魔王さまって、どうやったら笑ってくれると思う?」


 お湯が沸くまでの間、カウンター越しにポアラに話を振る。


「ん? 魔王さまって笑うの?」


 ポアラは冗談でもなく真剣に言っているようだった。どう笑わせるかとか、そういうレベルの話ではなく、魔王さまと笑顔がそもそも結びつかないらしい。

 いい情報はもらえそうにないと肩を落としながら、ふと厨房の台の上にあった麻紐に目を向けた。


「ねえ、その紐、少し分けてもらえない? 髪を結びたいの」


 服は城にあった適当なものを借りているが、髪を結ぶものがなく、そのままにしている。胸元まである髪は仕事をしていると煩わしいときがあった。


「いいけど、これ肉とか縛る紐だよ?」


 ポアラは適当な長さに紐を切って、カウンター越しに渡してくれる。


「ありがとう。とりあえずは、これでいいよ」


 受け取った紐で髪を結ぼうとするが、うまくいかない。


「仕方ないなぁ。ワタシがやってあげる」


 ポアラが指を杖のように振ると、紐がするするとわたしの手から離れた。同時に、髪が勝手に動き出し、交互に編み込まれていく。

 驚いている合間に、麻紐が勝手にきゅっと髪を結びあげた。


「どうですか、お客さん?」


 ポアラが手鏡を取り出して、こちらに向ける。鏡の中の自分を覗き込むと、髪がサイドできれいに三つ編みにまとめられていた。


「すごい。魔法って便利だね」


 素直に魔法が使えるのがうらやましいと思いながら、感嘆の声を上げる。けれど、ポアラはなんだか納得がいっていない様子だった。


「うーん。もっと、きれいにまとめたほうがいいよね。仕事の邪魔になるし」


 ひとり言のようにぼそぼそ呟き、わたしの返事も聞かずにまた指を振る。

 すると、三つ編みが解けていき、髪がゆっくりと持ち上がる。頭の上でモソモソと動き回る気配がした。

 まもなくして、納得のいく髪型ができたのかポアラが頷く。


「うん、いい感じ。素晴らしい出来だと思う!」


 そう言いつつ、ポアラはなぜかニヤニヤしている。嫌な予感を覚えながら、わたしは再び鏡を覗き込んだ。


「な、なにこれ……!」


 髪は頭の上で2つにぐるぐると丸められていて、大きな耳のようになっていた。ボリュームがあるから、まるでネズミの耳のようだ。さらに前髪はピシッときれいに横分けになっていて額が全開だ。


「どうなってるのこれ。さっきの髪型に戻して」

「えー、こっちがいいのに!」

「無理無理。こんな髪型で魔王さまのところに行けないよ」


 ケタケタと笑うポアラに抗議していると、厨房の奥から大きな声が聞こえてきた。


「おい! お湯、湧いてるぞ!」


 声だけで、コック長のガラムさんだとわかる。ガラムさんは魔人で、魔法のランプから出てきそうな感じだ。お腹はぽよんととしていて、愛嬌のある見た目だが、怒らせると恐い。


「お前らサボってねえで……ぶっ!」


 がなり声を上げて登場したガラムさんだったが、わたしの頭を見るなり吹き出した。


「なんだ、その髪型」

「これはポアラが……」

「遊んでる場合か。お茶の時間に遅れると、魔王さまにケツ吹っ飛ばされるぞ」


 叱りながらも、ガラムさんは笑いを堪えているようで声が微妙に震えている。

 そんなに笑わなくてもいいのにとむくれつつ、いつもしかめっ面のガラムさんが笑っているのはかなり貴重だと思った。

 ポアラもガラムさんには逆らえないようで、残念そうに息をつく。


「はあ、仕方ないか。もったいないけど、さっきの髪型に戻すね」

「待って」


 こちらに向き直り魔法をかけようとするポアラを止める。

 それから、わたしは思いついた考えを実行していいものかと真剣に悩んだ。厨房の時計を見ると、考える時間はそう残されていなかった。



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