第4章 魔王さまとペンライト⑦
気がつくと、わたしは楽屋のような場所にいた。
目の前のソファには星来が座っていて、その傍らにスーツを着た女性が立っている。2人にはわたしのことが見えていないようだ。
これまでなら夢だと信じたはずの光景も、今はそう思えない。現実に起きている出来事をわたしが一方的に垣間見ているのだと、直感がそう言っていた。
「星来、本当に今日のステージに立てるの? 夢に見たステージだから、どうしても立ちたいというあなたの気持ちはわかるけど……長いアイドル人生を考えたら、無理をせず休むというのも手よ」
「大丈夫です、マネージャー」
スーツ姿の女性を、星来はマネージャーと呼んでいる。
きっと、わたしの後任として新しく付いたマネージャーなのだろう。
「本番は、ちゃんと歌ってみせます。声もきっと出るはずです。だから、なんの問題もありません」
言葉とは裏腹に、星来は自信なさげに俯きながら喉元に手を当てる。
「気持ちを整理したいので、少しひとりにしてもらえますか?」
「……わかったわ。本番まであと1時間くらいあるから、何かあったら呼んで」
星来の新しいマネージャーは複雑な表情を浮かべながらも、楽屋を出ていった。
時計を見れば、17時を少し回ったところだ。本番まで1時間と言っていたことを考えると、星来のステージは18時に開演なのだろう。
魔王選の最終戦が始まる時刻と同じだ。早く魔王さまのところに帰らないと。そんな考えが頭を過りつつも、星来のことを放っておけない。
「もしかして星来……声が出ないの?」
わたしの言葉は、もちろん星来には届かない。
「星来……」
近づこうと足を踏み出しかけたところで、不意に背後から腕を掴まれた。
振り返ると後ろに鏡があり、そこから白い腕が伸びている。
その腕に引かれるようにして、わたしは再び鏡の中に吸い込まれた。
意識を取り戻すと、今度は冷たいタイルの上に横たわっていた。
目に飛び込んできた天井は高く、いかにも高級そうなシャンデリアが吊り下がっている。
体を起こそうとしてうまくいかず、縄で後ろ手に縛られていることに気づいた。
それでも身をよじりながら体をなんとか起こす。どこかの城の一室のようだけれど、広々とした空間には調度品のようなものはほとんどない。
「なんだ、もう起きたのか?」
後ろから男の声がする。
祭りのときとは違い、今度はすぐにわかった。あの露店で聞いたものと同じ声だ。
足音が近づいてきて、男がわたしの目の前に立つ。
もう正体を隠す必要がないからか、男はフードを被ってはいなかった。頭には羊のようにくるりと丸まった小さな角がある。
「あなたがメイナード?」
「そうだよ。この前は鏡を買ってくれて、どうもありがとう。気に入ってもらえた?」
まるで心がこもっていない淡々とした調子でメイナードは言う。
腕を拘束され思うように身動きができない中、わたしは首元のチョーカーに意識を向けた。手で触れなくても頭を揺らして思いっきり動けば、鈴は鳴らせるかもしれない。
どれくらい時間が経っているかわからないけれど、窓から見える空はまだ日が沈みきっていない。最終戦は始まる前のはずだ。
大事な最終戦を控えている魔王さまに助けを求めるのは躊躇われる。けれど、スピーチのとき一緒にステージに立つという魔王さまとの約束もある。
どうするべきだろう。
迷っていると、メイナードはそんなわたしの考えを見透かしたように言い放つ。
「鈴は鳴らしても無駄だ。結界を張っている。あんたの声は届かない」
メイナードは、わたしの首に巻かれているチョーカーがどんなものなのかも把握しているようだった。
「オーウェンさまなら、こんな欠陥だらけの魔具を渡したりしないのに……やっぱり魔王になるべきは、オーウェンさまだ……」
ぼそぼそと独り言を呟いてから、メイナードはわたしの前にしゃがむ。
「あんたに交渉がある」
メイナードの手には小さな鏡があり、そこにはさっき見た光景が映っていた。星来がひとり、楽屋で塞ぎこんでいる。
「早海星来を救いたいんだろう? この鏡は、あんたが一番気にかけている物事を投影している。夢なんかじゃなくて、今まさに起きていることだ」
「……その鏡が現実を映している証拠は?」
内心ではひどく動揺していたけれど、冷静さを装ってメイナードに質問をつき返す。
「俺はこの鏡の女のことも、あんたが前にいた世界のことも知らない。あんたの記憶や俺の想像を頼りに、作り出すには限度がある。それが証拠になると思わないか」
たしかに、一理あるような気がした。それに、メイナードが言うことが真実なのか確かめる方法はない。わたしは諦めて、話を進めることにした。
「交渉というのは?」
「早海星来を助けるために、あんたを元いた世界に戻してやる。その代わり、二度とルシウスに関わるな。そうすれば、オーウェンさまが魔王になって魔界は安泰、あんたは元の場所に帰れる。どうだ、悪い話じゃないだろう?」
どうやらメイナードの目的は、魔王選でオーウェンを勝たせるために、わたしを魔王さまから切り離すことにあるらしい。
熱愛報道によって上がった批判の声も、偽りの恋人を演じたおかげで今では薄れつつある。むしろ、魔王さまの恋模様まで含めて支持する声が増えてきたことを思うと、メイナードがわたしを狙うのも当然なのかもしれない。
それでも、わたしはきっぱりとその考えを否定した。
「わたしがいようがいまいが、関係ありません。魔王さまはひとりでも、必ず魔王選に勝利します」
「あんた、意外と自分の立ち位置がわかってないんだな。魔王選だけじゃない。あんたがいると、いろいろ厄介だ。この先必ず邪魔になる。あんただって、来たくてこの世界に来たわけじゃないんだろう? 大人しく元の世界に帰れ」
「……嫌です」
「なぜだ。早海星来を助けたくないのか?」
メイナードは顔にも声にも苛立ちを滲ませる。
「もちろん、助けたい。でも……わたしは今、魔王さまのマネージャーだから。その交渉には乗れません」
きっぱりと告げると、メイナードの顔から表情が消えていった。
「ああ、そう。せっかく口で片付く方法を提案したあげたのに。それなら別にいい」
氷が肌を伝うような低い声に、ぞっと悪寒が走る。
「あんたを、始末するだけだから」
メイナードの手がわたしの首元に触れようとした瞬間、窓際で光が炸裂した。
「結界が破られたか」
メイナードが舌打ち混じりに口にするのと同時に、大きな音を立てて窓が割れた。
外から飛び込んできたのは、巨大な狼のような生き物だ。
狼は長い毛をなびかせて華麗に着地すると、唸り声を上げてメイナードに襲い掛かる。メイナードはさっと体を翻して距離を取るが、狼に追撃され部屋の隅に転がった。
「アカリさん、大丈夫ですか?」
わたしの前に立った狼が振り返る。言葉を話したことに驚いてから、その声に聞き覚えがありハッとする。
「その声……もしかして、カーチスさんですか!?」
「はい。この姿を人目に晒すのはあまり好きではないのですが、アカリさんの居場所を突き止めるにはこちらのほうが、都合がよかったので」
「カーチスさん、狼だったんですね」
いつだったか、獣人なのかというわたしの問いかけに、カーチスさんが微笑みで誤魔化したことが思い出される。
「正確に言うと、フェンリルという生き物なんですが、まあ狼でも間違いではないでしょう。それより今は……」
カーチスさんが視線を向けた先で、メイナードがゆっくりと立ち上がる。
「図体がでかいだけで、俺に勝てるとでも……?」
メイナードがこちらに向けて手をかざす。
「アカリさん、下がっていてください!」
カーチスさんはそう叫ぶと、メイナードに立ち向かっていく。
メイナードの手から閃光が走った。カーチスさんはメイナードの攻撃を左右に跳ねるようにして躱す。そのたびに閃光がタイルを砕き、粉砕が舞い上がった。
一気に距離を詰めるカーチスさんだったが、メイナードが指を鳴らすと天井のシャンデリがぐらりと揺れて落ちてきた。
「カーチスさん、危ない!」
思わず声を上げると、カーチスさんは足を止めて横に飛び退く。シャンデリアが床に叩きつけられ、ガラスが飛び散る。
その衝撃に怯んでいる隙に、メイナードはわたしに狙いを変えてきた。
「アカリさん……!」
メイナードの手がわたしにまっすぐ向けられ、閃光が襲い掛かってくる。
けれど、攻撃が到達する前に人影が立ち塞がった。驚きと同時に、もうすっかり見慣れてた背中にどこかほっとする。
「魔王さま……!」
魔王さまの手から放たれた閃光がメイナードの攻撃を食い止めた。お互いの攻撃が激しい音を立てながらぶつかり合い、衝突点はだんだんと魔王さま側からメイナードのほうへと移動していく。
魔王さまは攻撃をそのまま押し返し、メイナードは閃光を浴びてその場に倒れ込んだ。
「安心しろ、気絶しているだけだ」
呆然と立ち尽くすわたしを、魔王さまが安心させるように言う。
「魔王さま、すみません。大事な最終戦の直前に……」
「いや、構わない。それより……」
振り返った魔王さまの瞳はとても静かだった。
「お前は最終戦に来なくていい」
「え?」
戸惑うわたしの首元に、魔王さまが手をかざす。すると、これまでどうやっても外れることがなかったチョーカーがするりと首から離れた。慌てて両手で受け止めたチョーカーは、なんだかとても頼りないものに見える。
魔王さまは今、わたしを手放そうとしているのだとわかった。
「待ってください、どうしてですか」
「お前には気掛かりなことがあるのだろう?」
魔王さまの口調から、すべて理解していると暗に言われているようだった。
ここまで来たら誤魔化すのも嘘を吐くのも、魔王さまへの侮辱にしかならない。
わたしはずっと気になっていたことを魔王さまに尋ねた。
「あの鏡は……メイナードが見せていた夢は、本当に現実に起きていることなんでしょうか?」
「ああ、おそらくそうだろう」
魔王さまが言うのであれば、そうなのだろう。ずっと自分の中で保留にしようとしてきた事実を、わたしはようやく受け止めた。
「そして、お前が望むならその場所へ帰そう」
魔王さまが手をかざすと、空中に四角い光の枠ができた。まるで姿見のようなかたちで、七色の光を放って輝いている。
「お前の意思を尊重する。お前は、お前の行きたいところへ行け」
「わたしは、魔王さまのマネージャーです。わたしの居場所は、魔王さまのところです。最終戦のスピーチで隣に立つという約束だってありますし……」
「お前がいなくとも、俺は最終戦で勝利する。お前が心配するようなことは何もない」
「そうかもしれませんが……」
さっき自分でメイナードに放った言葉が、魔王さまから返ってきただけなのに、胸が軋むように痛んだ。
魔王さまが背中を向ける。今にも、瞬間移動をしてこの場からいなくなってしまいそうで、わたしは慌てて呼び止めた。
「魔王さま……! わたしは、必ず魔界へ戻ってきますから。星来のマネージャーとして最後の仕事をして、それから魔王さまのところに帰ってきます!」
魔王さまは振り返らないまま、呟くように答える。
「……10分だ」
魔王さまの傍に丸い光がふわっと浮かび上がり、こちらにふわふわと漂ってくる。目の前まで来た光を受け止めるように手を広げると、光がぱっと消えて紐が付いた砂時計が手のひらに落ちた。
「10分で魔界への窓は閉じる」
おそらく、それを過ぎたらもう二度と魔界へは戻って来られないという意味なのだろう。
「わかりました。それまでに戻ります」
「好きにしろ」
最後までこちらに背を向けたまま言って、魔王さまは姿を消してしまった。
砂時計を一度ひっくり返すと、さらさらと砂が下へと落ち始める。わたしは首から砂時計をぶら下げて、カーチスさんに向き直った。
「カーチスさん、行ってきます」
フェンリルという名前の狼になった姿のカーチスさんが、首を縦に振る。
「はい。私はここで待っていますので。お気をつけて、いってきてください」
わたしはカーチスさんに強く頷き返し、東京へと繋がっている光の窓をくぐり抜けた。




