第1章 魔王さまと笑顔①
執務室の内装は、城のどこよりも厳かで豪華だった。
それもただ豪華というわけではなく、どこか不気味な雰囲気がある。赤と黒を基調とした部屋には昼間だというのに蝋燭が灯っているし、執務机の上には灰色の手の形をした謎の置物がある。
この執務室に限らず、城の中を歩けば3分に1回は不気味なものに出くわす。
わたしにとっては気味が悪いものでも、もしかしたら、それこそがこの城に必要な威厳というやつなのかもしれない。
なにしろ、ここは魔王城だ。
ここに来て数日、わたしはようやく自分が置かれている状況を理解しつつあった。どうやら東京で事故に遭ったわたしは、この魔界に転生しまったようだ。
当初は失われていた体の持ち主の記憶も一部だけ戻ってきた。この体の持ち主は、ララという人間の女性であり、そのララの記憶によれば、この世界には人間が暮らす人間界と、魔族が住む魔界とに分かれている。
そしてあの夜、獣に襲われていたところを救ってくれたのが、今目の前の執務机で書類と向き合っている男であり、この魔界を統治している魔王さまだった。
頭の立派な角を眺めていると、魔王さまがペンを走らせていた手を止めた。
「傷は治ったのか?」
ペンは置いたものの、まだ書類に目を落としたまま尋ねる。
「おかげさまで、完全に治りました。かすり傷ひとつ残っていません」
普通なら、たった数日で完治するような程度の傷ではなかった。おそらく魔法で治癒の助けをしてくれたのだろう。
「そうか」
質問したわりに大して興味がなさそうな返事をしながら、魔王さまがようやく顔を上げた。
魔王さまと顔を合わせるのは、あの夜以来だ。あのときも思ったが、魔王さまの目には人並ならぬ力がある。目が合っただけなのに、跪いて頭を垂れたくなる。
そもそも王の御前なら跪くのが普通なのだろうか。そういう経験がないのでわからない。
いっそのこと聞いてしまおうかと思ったところで、魔王さまの傍らに控えていたカーチスさんがくすりと笑みを零した。
「そんなに硬くならなくても大丈夫ですよ」
カーチスさんは護衛の騎士であり、魔王さまの側近だ。今もしっかりと腰に剣を携えている。獣の耳と尻尾以外はほとんど人間と同じ特徴で、魔人から魔獣まで様々な種族がいる城の中では、比較的気軽に接しやすい存在だ。
治療中はほぼ部屋に引きこもっていたが、カーチスさんは何度か様子を見にきてくれていたので、魔王さまよりは面識がある。
「魔王さまも、そんなに恐い方ではありませんから」
カーチスさんは緊張を解そうとしてくれているようだけれど、魔王さまの顔は相変らず恐いままだ。
マネージャーという仕事柄、芸能界にいる魑魅魍魎たちと常に関わってきた。あの界隈は恐ろしい人や癖の強い人ばかりなので、それなりに免疫が付いているほうだと思っていた。それでも、魔王さまから放たれる言外の力には圧倒されてしまう。
今日、こうして呼び出しを受けたのは、これからの処遇について話すためだと聞いている。
あの夜、魔王さまはわたしを助け、わざわざ城で治療までしてくれた。それは事実だけど、だからと言って今後の安全が保障されているわけではない。受け答え次第では、また命の危険にさらされるだろう。
審判が下るのを待つような気分でじっとしていると、魔王さまが口を開いた。
「アカリといったか」
「は、はい」
魔王さまが自分の名前を呼んだことに少し驚きながら返事をする。
ここに来てすぐ、前世での名前をカーチスさんに伝えていた。それが、どうやら魔王さまにも、そのまま伝わっていたようだ。
体の持ち主の名前も思い出しているけれど、呼ばれても返事ができなさそうだし、このままにしておいたほうがいいだろう。
それより今大事なのは、魔王さまの話だ。
「森で言ったことを覚えているか?」
「はい。『なんでもする』と言いました」
正直、最後のほうは意識が朦朧としていて何を言ったのか曖昧なのだけれど、そう発言したことはしっかりと記憶に残っていた。
「お前は、これまでマネージャーという仕事をしてきたそうだな」
確かに、そう伝えたのも覚えている。話を無駄に遮らないよう、肯定を伝えるために小さく頷く。
「そのマネージャーについて詳しく話せ」
質問するからには、マネージャーという仕事はやはり魔界に存在しないのだろう。けれど、単純に興味があって質問しているとも思えないし、いまいち意図が掴めない。
それに、ひと口にマネージャーと言ってもいろいろある。学校の部活のマネージャーもいれば、管理職みたいな意味でのマネージャーもいる。
意外な要望に戸惑いつつも、要点を絞って答えようと言葉を選びながら説明した。
「マネージャーというのは……誰かをサポートする仕事です。窓口となって仕事の交渉をしたり、スケジュールの調整をしたり、その人の活動がスムーズに進むように手助けするんです」
どんなことを知りたいのかわからないので、とりあえずマネージャーに共通しそうな部分を大まかに伝える。
しかし、魔王さまはあまり納得していない様子だった。
一方でカーチスさんはいいことを聞いたというように、両手を顔の前で合わせた。
「聞いた感じだと、執事の仕事に近いようですね。ちょうどいいじゃないですか。先日、前任の執事の方が辞めてしまったばかりですし」
なにやら嬉しそうに提案するカーチスさんに、魔王さまが答える。
「求めているのは、単純な執事の仕事ではない」
いったい、この話はどこに向かって進んでいるのだろう。2人についていけず困惑していると、魔王さまもそれを察したようだった。
「お前の処遇を決める前に、まずは魔界の現状について話そう」
そんな前置きをして、魔王さまはゆっくりと語り始めた。
「魔界はこれまでの長い歴史の中で、常に絶対的な王という存在によって統治されてきた。どの時代を見ても、王は圧倒的な力で人々を制圧し、恐怖で心を縛り、魂をもって忠誠を誓わせてきた。そして、そんな在り方を市民も望み、支持してきたのだ」
魔王さまは、そこで少し間を置いた。
「だが、魔界は変化の時にある。今までの恐怖で縛るやり方に異論を唱える者が増えているのだ。より親しみやすく、市民に近い目線で物事を考える王が求められている。中には、人間界の王のような存在を望んでいる者もいるそうだ」
魔王さまは悩ましげなため息を吐いてから、さらに続ける。
「前王や先祖が積み重ねてきたものを壊すことになるが、時代の流れには逆らえない。そこで、この代をもって王の在り方を見直すことに決めた」
わたしは静かに耳を傾けたまま、魔王さまの次の言葉を待つ。
「そのためにも、人間の感覚を持ち意見ができる者が必要だ。その役割が、お前にできるか?」
「えっ」
他人事のように聞いていたわたしは、急に話を向けられて面食らう。
わたしは急いで今の話を頭の中で整理した。
どうやら、魔王さまは市民の声に応えて、みんなが求める魔王像というものに近づこうとしているらしい。
そして、そのサポート役がわたしにできるのかと尋ねているようだった。
「それはつまり……わたしが魔王さまのマネージャーになる、ということでしょうか?」
「マネージャーという仕事に該当するかは判断しかねる。だか、お前はあの夜、『この国の一番にする』と、そう言った。そこに、わずかながら希望を見た」
そういえば、そんなことを口走った気がする。いつだったか、星来がアイドルとしてデビューをしたその日に交わした約束だ。
「やるか、やらないか。どちらかだ」
どうやら悩む時間は与えてもらえないらしい。今この場で決めろということだ。
「……やります」
考えるより先に、勝手に言葉がついて出ていた。
「わたしがやってきたことが、どれくらい通用するかはわかりませんが、目指すところはきっと同じはずです」
言葉にしながら、不思議と心が弾む。
「魔王さまをこの国の一番に……誰からも愛され、たくさんの人の希望となる、そんな存在になるよう、わたしが全力でお手伝いします!」
言い切ってから、思っていたよりも大きな声だったことに自分で驚く。
さっきより鼓動が速くなっていて、それは星来に初めて声をかけたときの高揚に少し似ていた。
魔王さまは、わたしの決意を受け入れるように静かに頷いた。
「成果が出せなければ、あの森にまた捨て去るからな。そのつもりで働け」
冗談かと思ったけれど、魔王さまの目が笑っていないので本気かもしれない。
やり取りを見守っているカーチスさんも微笑みを浮かべるだけで、否定やフォローはしなかった。
「わかりました。頑張ります」
これは、死ぬ気で頑張らなければ死ぬことになりそうだ。
静かに腹を括っていると、カーチスさんが遠慮がちに質問を投げかける。
「あの……ちなみに、アカリさんから見て魔王さまの印象はどのようなものでしたか? 魔王さまも努力をなされて、以前よりずっと穏やかな雰囲気になったのですが」
「そ、そうですね……」
まさか、そんな質問が飛んでくるとは思わず、動揺してしまう。
正直に言えば、カーチスさんが言うような穏やかさは、魔王さまには欠片も見当たらなかった。
そのまま伝えるのはよくないと思ったものの、言葉を濁したことで本音が零れてしまったようだ。カーチスさんは残念そうに、「ああ、やっぱり、そうですか……」と呟いている。わかっているなら、聞かないでほしい。
けれど、今の状態から理想的な魔王像に近づけるのがわたしの仕事だ。
そのためには、ビクビクしてばかりではいられない。魔王さま相手といえど、意見のひとつくらいはっきり言えなくては。気持ちを切り替えて、わたしは魔王さまに向き直った。
「さっそくですが、魔王さま。まずは笑顔を意識してみてはどうでしょうか?」
「お前……森に帰りたいのか?」
「い、いえ! 違います。わたしは真剣に言っています。人に心を開いてもらうのに、笑顔ほど簡単で効果的な方法はありません。笑顔は世界の共通言語です」
言い切ってから、果たしてこの世界でも通じるものなのかと疑問が湧いてくる。けれど、カーチスさんが賛同してくれた。
「確かに、一理あると思います。ですが……」
言い淀みながら、魔王さまにちらっと視線を向ける。暗に魔王さまに笑顔を求めるのは無理があると言っているようだった。
それでも、ここで引くわけにはいかない。
「これは、理想的な魔王像に近づくための第一歩です。笑顔ひとつで躓いているようでは、市民が求める魔王さまになることなど到底できません」
そこまで踏み込むのかというように、カーチスさんが少し驚きを浮かべている。
一方の魔王さまは表情を変えないまま、ぽつりと呟いた。
「……それくらいできる」
「では、やってみていただけませんか。わたしに向かって笑ってみてください」
「いいだろう……」
魔王さまが受け入れ、妙な緊張感に包まれる。
わたしもカーチスさんも、魔王さまがどんなふうに笑うのだろうと注目した。
気持ちを整えるようなわずかな間のあとで、魔王さまの表情が動いた。
けれど、それは明るい笑顔というにはほど遠い、「ふん」と鼻を鳴らしただけの冷笑だった。




