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第2章 魔王さまとキャッチフレーズ⑦


 城の人たちがすっかり寝静まった頃、わたしは薬を持って魔王さまの寝室の前にいた。

 ノックをしようとして手を扉の前に掲げ、ゆっくりと下ろす。

 場所は知っていたものの、寝室に入ったことはもちろんない。ここに来るまでに自分の部屋で小一時間悩み、腹を決めてから来たというのに、いざノックしようとすると躊躇ってしまう。

 わたしはマネージャーという立場で、しかも相手は魔王さまだ。出過ぎた真似をしている自覚はある。それでも、万が一魔王さまの体調が悪くなっていたらと思うと、気になって眠れない。誰かに頼もうかと思ったが、魔王さまのことなので誤魔化してしまうだろう。それなら、自分で納得できるまで確認したかった。

 体調を確認するだけだ。やることをやったら、とっとと退散する。

 そう自分に言い聞かせ、深呼吸をしてもう一度覚悟を決めると、扉をノックした。


「魔王さま、アカリです」


 返事はなく、中で微かに物音がする。

 少しして、扉がゆっくりと開き魔王さまが顔を出した。


「なんだ?」

「体調がよくないのではありませんか?」

「どこも悪くない。お前の勘違いだ」


 魔王さまが扉を閉めようとするが、体をねじ込んで阻止する。


「魔王さま、本当のことを言ってください。取材のときから、声がいつもと違う気がしたんです。今だって、本当は喉が痛くて辛いんじゃないですか?」

「そんなことは……」


 反論した傍から声は掠れはじめ、魔王さまは喉元に手を当てる。


「薬を飲んでもらえたら、すぐに帰ります。だから、中に……」


 入れてほしいと言い終える前に、魔王さまの体がふらっとこちらに傾いてきた。


「どわ……っ!?」


 変な声を出しながら、慌てて魔王さまの体を抱きとめる。服を通してでも伝わるほど、魔王さまの体温は高かった。


「ちょっと、すごい熱じゃないですか」


 低く唸りながら魔王さまがようやく体を起こす。

 もう入室の許可などもらっている場合ではない。部屋の中に入ると、ふらふらとした足取りの魔王さまを支えながらベッドに連れていく。


「医者を呼びましょうか? きちんと診てもらったほうがいいですよ」

「呼ぶな」

「でも、熱があるみたいですし」

「これくらい普通だ」


 明らかに普通ではないと思うけれど、魔王さまに触れたことが今までないので、魔王さまの普通がよくわからない。けど、サタン族が風邪をひかないというのも嘘だったわけで、これもただの強がりなのだろうと思う。


「いいから他のやつには言うな」


 魔王さまは、誰かに知られることを頑なに嫌がっているようだった。


「わかりました。薬は持ってきているので飲んでください」


 ベッドの脇に膝をついて、水を注いだグラスと薬を渡す。

 魔王さまはさっと薬を飲み、空いたグラスをわたしに返した。


「あとは、ゆっくり寝てください」

「……そうする」


 さっきまで部屋にすら入れてくれなかったのが嘘のように、魔王さまは大人しく言うことを聞き、ベッドに横になった。もう風邪のことを隠す必要がなくなって気が緩んだのか、張り詰めた雰囲気はなく無防備な感じがする。

 魔王さまの平熱はわからないけれど、ここまでの熱があれば普通は立っているのがやっとのはずだ。いつから、ここまで体調が悪くなっていたのだろう。少なくとも、取材の時点でかなりの高熱があったのではないか。誰に言うでもなく1人で苦しみを抱え、それを隠し通し、取材に戻ってきた。想像すると、胸が苦しくなる。

 とりあえず、熱を下げるために頭を冷やしたほうがよさそうだ。念のため、小さいタオルも持ってきておいてよかった。


「洗面台、お借りしますね」


 無断で使うのも気が引けるので、一応声をかけてから立ち上がろうとする。

 すると、腕を掴まれた。


「どこに行く」


 振り返ると、魔王さまが熱でぼんやりした顔でこちらを見上げている。


「ですから、タオルを濡らしたいので洗面台に……」


 言いながら、魔王さまが求めている答えはこれではないと気づく。

 わたしはベッドの脇に戻って座り直した。それを見て、魔王さまがほっとしたような顔になる。高熱があるとはいえ、普段だったらまず見ることがないはずの表情に、胸の奥がむずむずした。腕は掴まれたままで、触れているところが熱い。


「……子どもの頃、同じように高熱を出したことがある」


 魔王さまが、唐突に昔話を始めた。


「熱にうなされて夜中に目を覚ましたら、クローゼットの中からスペクターが出てくるのを見たんだ」

「スペクター? 幽霊のことですか?」

「普通のゴーストではない。やつらは強い怨念や執念を持って、この世を彷徨っている」

「はぁ、なるほど」


 相槌を打ちながら、話の意図を探る。


「つまり、そのスペクターというのが怖いんですね?」


 魔王さまは何も答えずにいる。その代わりに、わたしの腕を掴む手に少し力が入った。「別に怖いわけではない」と伝えようとしているようだった。


「大丈夫ですよ。クローゼットからは何も出てきていません」


 なぜ、スペクターが恐ろしくて引き留めることはできるのに、体調が悪いと教えてくれなかったのだろう。


「魔王さま、今度から何か困ったことがあったら呼んでください。なんのためのチョーカーなんですか」


 魔王さまは、強くて、冷静で、すごい魔法もたくさん使える。他の人ができないことも、当たり前のようにこなす。けれど、笑顔で話す、助けを求める、そういう他の人が当たり前にできることが、魔王さまには難しいのだろう。


「わたしは魔王さまのマネージャーです。マネージャーには、愚痴でも弱音でもなんでも吐いていいんですよ。それを聞くのも、わたしの仕事です。それで魔王さまの仕事がうまくいくなら、いくらでも聞きますから」


 そう伝えても、すぐに変わることはできないのだろうとも思う。魔王さまが変わりたいと思うか思わないかにかかわらず。きっと、長い時間をかけて身体に沁みついてしまった習慣のようなものなのだろう。


「これまで、誰かに弱みを見せるべきではないと思い続けてきた。だが、今後は……」


 魔王さまは何か言いかけて、言葉を切った。声がまた掠れているし、喉の痛みに眉を寄せている。


「喋らせてしまって、すみません。答えなくていいですよ。クローゼットから何か出てこないか見張っておきますから。ゆっくりお休みになられてください」


 魔王さまは、気まずそうにちらっとこちらに視線を向けてから目を逸らす。なんだろうと思っていると、腕を掴んでいた手が離れていく。

 魔王さまは、その手を見せるように掲げると、親指と人差し指をクロスした。


「あっ……指ハート……」


 前に教えたファンサービスのハンドサインを、魔王さまは再現してくれたようだ。おそらく声が出ない代わりに、労う意味を込めてやってくれたのだろう。

 それにしても、あの魔王さまが……。

 呆然としている間に、魔王さまの手からすっと力が抜けていく。魔王さまは一瞬のうちに、眠りについたようだ。

 少し遅れて、笑みがこぼれた。熱にうかされていただけかもしれないけど、魔王さまの気持ちは本物だと思いたい。たとえ、魔王さまが明日覚えていなくても、その気持ちがうれしかった。

 腕が解放されたので洗面台に向かい、タオルを水で濡らす。魔王さまのところに戻って頭にのせた。

 魔王さまは、安心したような顔で眠っている。貴重な寝顔をいつまでも眺めていたいところだけど、さすがに王の部屋にずっと入り浸るのはよくないだろう。

 水差しを枕元に用意し、照明を落とすと、音を立てないよう静かに部屋を後にした。


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