第2章 魔王さまとキャッチフレーズ⑤
その夜、ずっと悩んでいた魔王さまのキャッチフレーズがようやく出来上がった。
時計を見れば、まもなく日付けが変わろうとしている。
わたしは大きく伸びをして机から離れると、窓際に歩み寄りカーテンを少しだけ開けた。距離はあるが、この部屋の窓からは魔王さまの執務室が見える。執務室の灯りはまだ点いていた。
魔王さまは常に忙しそうだけれど、ここ数日は特に根を詰めているようだった。昼間、ダグラスさまから話を聞いたからか、いつも以上に心配になる。少し迷ったものの、わたしは部屋を出た。
厨房を借りて軽い夜食を作ってから、わたしは執務室へ向かった。
この時間に、ましてや夜食を持って訪ねたことなど一度もない。妙に緊張しながらノックをすると、中から返事があった。
「失礼します」
「どうした、こんな時間に」
予想通り、魔王さまはわたしの顔を見て驚きを浮かべた。それから、わたしが抱えている夜食のトレーに視線が移る。
「夜遅くまで仕事をしているとお腹が空くかと思い、夜食を持ってきたんですが……もし、よかったらなんですけど」
なぜか急に照れくさくなり、もごもごと言い訳のように勧める。
「お前が作ったのか?」
「はい。ダグラスさまから教えてもらったスープです。魔王さまが好きだと聞いたので」
「それが好きだったのは子どもの頃の話だ」
「えっ」
これはもしかして、親は子どもの頃に好きだったものを大人になってからも好きだと思い込んでいるという、親子あるあるだろうか。
本人に聞いてから作ればよかったと反省していると、魔王さまが書類を机の端に寄せ始めた。
「ここに置いてくれ」
「え、食べてくれるんですか?」
「食べないとは言っていないだろう」
ほっとして、笑顔で「はい!」と返事をし、魔王さまの前にトレーを置く。
「父と話したそうだな。詳しくは聞いていないが、話せてよかったと父も喜んでいた」
「いえ、わたしこそ。とてもいいお話を聞けました」
魔王さまはスプーンを手にとり、スープを口に運ぶ。ダグラスさまから詳しくレシピを聞いたし、一応味見もしたものの、魔界の味の正解はよくわかっていない。反応をドキドキしながら待っていると、魔王さまがぽつりと呟く。
「悪くない」
「……悪くない、ですか」
ものすごい評価を期待していたわけではないけれど、おいしくないのではないかと気を揉んでしまう。
「なんだ、不満か?」
「いえ。ただ、どういう意味なのかなと」
「悪くないは、悪くないだ」
「そうですよね」
そういえば、前に街の屋台で食べたときも同じ評価をしていた。街の人たちが感動に涙を浮かべていたのを考えると、喜んでいいのかもしれない。
そう思い直したものの、なぜか魔王さまはなにやら考え込んでいるようで、食事の手が止まっている。
「どうかされましたか?」
「……いや。他の言葉を考えていただけだ」
魔王さまはそう答えて、またスープを飲み始める。けれど、他の言葉を考えはしたものの見つからなかったのか、魔王さまから別の感想はでてきそうにない。
それでもじっと待っていると、別の話題へと移り変わった。
「そういえば、お前が会議用に作った資料を読んだ」
魔王さまは躊躇うような間を置いてから、言葉を続ける。
「よくできていた。内容もわかりやすく、読みやすかった」
「え!?」
思わず驚いてから、なんで驚くのだろうと自分の感覚に疑問が浮かぶ。冷静になって考えてみて、謎が解けた。魔王さまに褒められたことなど、今までなかったからだ。
「魔王さま、どうしたんですか。もしかして、体調がよくないんじゃ……」
よく見れば、心なしかいつもより顔色が悪い気がする。いくら魔王さまでも、働き過ぎれば調子がおかしくなるのだろう。
「最近、風邪が流行っているそうですよ。喉が痛いとか、頭が痛いとかありませんか?」
「お前らと一緒にするな。サタン族は風邪などひかない」
「そうなんですか? でも、今日は様子がおかしいですよ。さっきも何か考え込んでいたみたいですし……」
魔王さまは渋い表情でわたしを見上げていたが、観念したように息を吐いた。
「父に言われたんだ。魔王としての在り方を変えるなら、世間に対してだけでなく、傍で働く者たちへの態度も改めるようにと。今までは、従う者には背中で示せと言われてきたのだがな」
「なるほど。それでですか」
魔王さまの変化の理由がわかり、府に落ちる。
「父は、お前に何か言っていなかったか?」
「何かと言いますと?」
「父は今の世論に合わせて魔王の在り方を変えることには賛成してくれている。だが、本心はわからない。今俺がやろうとしていることは、父たちが積み上げてきたものを壊すことと同じだ」
魔王さまの顔に、はっきりと懸念が浮かんでいる。
「魔王さまは……ダグラスさまのことを尊敬されているんですね」
「ああ。父のような王になりたいとずっと考えていた。それでも、変わらなくてはならない。王が向き合うべきは民だ。自分自身でもなければ、父親の背中でもない」
わたしは魔界に来てまだ日が浅いし、魔王さまたちが紡いできた歴史に思いを馳せる資格もないのかもしれない。
けれど、魔王さまが日々、魔界やここで暮らす人たちのことを必死で考えていることは知っている。そして、そんな一生懸命な人たちを支えたくてマネージャーを続けてきたのだと改めて思う。
残念ながら今は、わたしから見えている範囲で意見を伝えることしかできないけれど。
「その気持ちはとても大切だと思いますが、これまでの全部を壊す必要はないんじゃないでしょうか。これまでの魔王さまを尊敬し、慕ってくれている方もいます。すべてを変えるのではなく、一緒に少しずつちょうどいい魔王像を見つけましょう」
「……ああ、そうだな」
魔王さまは静かに受け入れるように頷く。
「お前には本当に毎回……」
そのまま何か言いかけて、言葉を切った。
「なんですか?」
「……いや、調子をくるわされる」
「なんですか、それ」
どう捉えるべきなのかわからず、わたしは眉を寄せる。一方で、なぜか魔王さまは、いつもより少し口元が緩んでいる気がした。
けれど、すぐに表情を引き締めた。
「それより、キャッチフレーズというものはできたのか?」
「はい! つい先ほど、バッチリ完成しました!」
わたしは、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張る。
魔王さまもお疲れだろうから、明日の朝にでも報告しようと思っていたのだけれど、本当は早く魔王さまに伝えたかったのだ。
「聞かせてみろ」
「わかりました」
頷いたものの、いざ披露するとなると緊張する。
以前も担当していたアイドルのキャッチフレーズを一緒に考え、練習にも付き合ってきた。きっとうまくできるはず。魔王さまにやってもらうからには、自分が恥ずかしがっているようではだめだ。
わたしは、星来がキャッチフレーズを言っている姿を頭の中で呼び起こしながら、それを模倣するイメージをした。
「いきますよ、魔王さまのキャッチフレーズは……」
大きく息を吸い、両手を胸の前に掲げハートのかたちを作り、満面の笑みを浮かべた。
「『あなたのハートを牛耳る黒の申し子、魔王さまでーす! 泣く子も笑う魔界を目指して今日も頑張っていきまーす!』…………です」
一瞬、重たい沈黙が落ちる。
「なんだ、それは。そんなこと言えるかっ」
魔王さまは怒りを全面に出して言い捨てた。魔力の影響か、部屋を照らしていた蝋燭の火が、魔王さまの怒りに合わせてボッと燃え盛った。
「お前は俺に、そんなことを言わせるつもりだったのか」
やはり魔王さまが考えるキャッチフレーズと、わたしが想定していたキャッチフレーズとには隔たりがあったらしい。
これでは、キャッチフレーズの件はなかったことになってしまいそうだ。わたしは慌てて取り繕った。
「全部このままやってもらえるとは思っていません。さすがにこのテンションは魔王さまにも難しいのはわかっています。できれば、文言だけでも使ってもらえませんか」
「いや、身振りを抜きにしても無理がある。だいたいなんだ、黒の申し子とは」
「そこはイメージカラーとして入れたほうがいいかなと。あ、別の色のほうがいいですか?」
「色の問題ではない。そんな気色の悪いことを言えるわけがないだろう」
「これでも、魔王さまの気持ちを入れたつもりです。市民が笑って過ごせる魔界を目指して日々頑張っている魔王さまにぴったりだと思って。一生懸命考えたんですけど……」
肩を縮めると、魔王さまは脱力して椅子にもたれかかる。怒りをおさめたといより、呆れているのかもしれない。
「今日はもう遅い。お前は部屋に戻って休め。スープの皿は自分で片付けておく」
有無を言わさないはっきりとした口調で言われ、頷くしかなかった。
「……はい。失礼します」
がっくりと肩を落としたまま、扉へと向かう。扉を開けて振り返ると、魔王さまはもう書類に取りかかっていた。
「魔王さまも、早めに休んでくださいね。あまり無理はよくないですよ。それから……」
わたしは指先で首元のチョーカーに触れた。あれから一度も使っていない。
「何かあったら、いつでも呼んでください。緊急時でも、そうでなくても。たとえば、調子が急に悪くなったとか、そういう時に」
「お前ら貧弱者とは違う。さっさと自室へ戻れ」
「貧弱者だったら、魔王さまのマネージャーなんてできません」
最後に少し強がって返すと、魔王さまが「ふん」と鼻であしらう声が聞こえてきた。
いつも通りだ。顔色がよくないように見えたのも、単に機嫌が悪かったのだろうと思うことにした。




