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プロローグ


 意識を取り戻して最初に目に飛び込んできたのは、星が瞬く夜空だった。

 どうして、東京のど真ん中でこんなに星がきれいに見えるのだろう。

 ぼんやりとした頭に、そんな感想が真っ先に思い浮かぶ。


「あれ……わたし……」


 何をしていたんだっけ。

 小さな呟きと一緒に口元から漏れ出た白い息が、空に昇って消えていく。

 気を失う直前に見たのは、ヘッドライトの強烈な光、正面に迫ってくるトラック。 必死にハンドルを切ったが、その後の記憶はない。


 確か、仕事から帰る途中だったはずだ。深夜に港区のスタジオで収録が終わり、担当しているアイドルである早海星来はやみせいらをマンションまで送り届け、それから自宅へと戻ろうとしていた。


 そして、事故に遭った。

 そのはずだった。けれど、夜空を遮るっているのはどう見ても木々の枝だし、背中に接している地面は柔らかく湿っていて、どう考えても鋪装されたコンクリートではない。


 ようやく違和感が危機感に変わり、おもむろに体を起こそうとする。けれど、ズキッと骨が軋むような痛みが全身に走り、半身を起こしたところで動きを止めた。

 そこは、暗い森の中だった。グネグネとした枝の木々が入り乱れるように生えていて、薄く霧が立ち込めている。

 きっと、夢でも見ているんだ。そう思いたいのに、体の痛みも頬を撫でる冷気もすべてがあまりにも現実味を帯びている。

 体を動かそうとしたが、また激痛が走る。自分の体を確かめて、さらに驚いた。 

 身に付けている服は明らかに自分のものではない。髪だって肩の上で切りそろえていたはずなのに、視界に入るのは胸元まである明るい栗色の髪だ。


「なにこれ……どうなってるの」


 よく聞けば、声だって自分のものではない。

 すると、前方で草を踏む音がした。


「誰か……」


 助けを求めようとして顔を上げたが、そこにいたのは人ではなかった。

 大きな獣だ。知っている動物に無理やり当てはめるなら犬だろうけど、犬と呼ぶにはあまりに体が大きいし、尻尾は蛇のようで、なにより頭が3つある。赤い瞳は闇に浮かぶように輝いていて、むき出しになった牙の隙間からだらだらと涎が垂れていた。

 尻を地面についたままズルズルと後退りしているうちに、獣は大きな口を開けて飛びかかってきた。

 このままだと喰われる。頭ではわかっていても、恐怖と体の痛みで動けない。

 逃げるのも諦めかけたそのとき、突然目の前に人が現れた。

 何か小さく呟く声が聞こえたかと思うと、一瞬にして青い炎が獣を包み込む。獣は苦しそうに呻きながら、森の奥へと消えていった。

 どうやら、追い払ってくれたようだ。


「あの、助けていただいて……」


 お礼を言おうと声をかけたが、振り返った男を見てまた言葉を失った。

 呆然と黙り込んでいると、怪訝そうな顔で男が尋ねる。


「……人間か?」


 そんな質問は、人間だったらまず出てこないはずだ。その証拠に男の頭には、湾曲した角がついていた。

 纏っている服は夜の森に溶け込みそうな黒一色で、髪まで黒い。その分白い肌が際立って見えた。


「人間はこの森に立ち入ることは禁じられているはずだ。界境を越えてきたのか?」


 静かな声なのに、全身を縛り上げるような力があった。今もし怪我をしていなくても、一歩も動けなかったかもしれない。


「あの……わたしは……」


 なんて返したらいいかわからず、言葉が出てこない。

 男は一瞬だけ怪しむような眼差しを向けたがた、すぐに諦めたように息をついた。


「まあ、いい。どのみち、このまま帰すわけにはいかない」


 男が目を細め、片手をすっと上げる。大きな手のひらが狙いを定めるようにして、空中で止まった。

 ついさっき獣を包んだ炎が頭を過り、反射的に口を開いた。


「待って、助けてください。なんでもしますから!」

「……お前に何ができるという?」

「わたしは……」


 一体、自分に何ができるのだろう。

 振り返ってみても思い出すのは、仕事に奔走した日々ばかりだ。


「……わたしは、ずっとマネージャーをしてきました」


 男の表情からして、マネージャーという言葉が通じていないのかもしれない。それでも、わたしは構わずに続けた。


「わたしには、他の人と比べて特別に秀でているものはないかもしれません。優れたスキルもなければ、これといった資格もないです。でも、わたしは自分の仕事に本気で毎日向き合ってきました」


 どんなに夜が遅くても、朝が早くても。業界で恐いと有名な監督に頭を下げにいかなければならなくても。時代遅れなセクハラまがいの社長が相手の飲み会でも。


「どんなに苦しいときも、必死で乗り越えてきました。それもこれも全部、あの子がトップアイドルとして満員のステージで歌う姿を、マネージャーとして見届けたかったから……」


 そのために、ずっと頑張ってきた。それなのに、わたしはどうしてこんな場所にいるのだろう。


「わたしは……!」


 体の限界を知らせるように、視界が急にぼやけてきた。目の前にいるはずの男の姿が霞んでいき、星来せいらの笑顔が重なって見えた。


「約束します。わたしが……必ず、あなたをこの国の一番に……」


 一番のアイドルにすると約束したのに。

 視界がぐるんと回転して、気がつくと苔のにおいがする地面に倒れ込んでいた。



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