第5章 本好き仲間
兄から運動しろと注意を受けたルートン。
いつもなら職務中は仕事に集中して他のことなんて考えない。
それなのに、どんな運動をすればいいのか、いつのまにか考え込んでしまっていた。
「ガルバン卿、ガルバン卿」
名前を呼ばれた気がしてはっとして顔を上げると、焦げ茶色の長い髪を後ろでまとめ、丸い黒縁眼鏡をかけた、なじみの顔が間近にあった。
「どうなさったのですか? 気分が悪いのですか?」
「えっ? ああ、フジワーナ君。失礼した。少し考え事をしてしまった。申し訳ない」
「ガルバン卿がお仕事中に考え事なんて珍しいですね。何か困り事でもあるのですか?」
カオルン=フジワーナは心配そうな顔をしてルートンを見つめた。
彼はこの王立図書館の常連で、ルートンとは職員になる以前からの付き合いで、いわゆる本好き仲間の一人だった。
付き合いといってもこの図書館の建物の中と、中庭、そして併設されているカフェくらいで、外で会ったり遊んだことはない。
それでもルートンにとってカオルンは、例の高貴な幼なじみと同じくらい大切な友人と思っていた。
最初の出逢いを今でも彼はよく覚えていた。
カオルンはまだ十歳くらいだったろうか。
必死な様子で書棚を見て歩き、一生懸命に背を伸ばしては、何度も高い場所から本を取り出していた。
手を貸してやろうと、どんな本を探しているのだとルートンが声をかけた。
すると彼は泣きそうな顔をして、友人の領地が水害にあったので、その対策のためには何をしたらいいのか、それを調べたいのだと言った。
以前、二番目の兄の友人の領地がそんな目に遭ったことがあった。
連日の大雨で崖崩れが起こり、その岩や土砂が川に流れ込んで水が溢れ、町を全部飲み込んでしまったのだ。
二人の兄達は騎士仲間達と共に復興の手伝いに行ったが、まだ十歳だったルートンは足手まといだと言われてそれに加えてもらえなかった。
それでも自分も何か手助けをしたくて、王立図書館へ行き、復興再建のために何をどうしたらいいのかと必死に調べたことがあった。
そして分かったことをわかりやすく簡略化してまとめ上げて、それを兄の所へ送った。
そしてそれからしばらくしてから、取りあえず復興への目処が立ったからと言って兄達が戻ってきた。
その兄達から、お前のおかげでやるべきことがはっきりした。しかもその順番がわかったことでスムーズに作業が進んだと言われた。
自分も少しは役に立てたのだと知ってルートンは嬉しくなった。
それからだ。彼が家族や幼なじみに頼まれて図書館で調べ物をするようになったのは。
図書館で本を探すこと、読むこと、調べること、それはとても楽しいことだった。
しかも楽しいことをしながら人にも喜んでもらえるのだから、いい事づくしだなあ、幸せだなあ、と彼は思っていた。
カオルンの話を聞いて、ルートンはそのことを思い出した。ちょうどあの時の自分と同じくらいの年の子だ。
彼も友人やそこに住む領民のために図書館を利用している。
(この子、自分と似ているな。もしかしたら親しくなれるかも)
そんな予感があった。
そしてそれは当たったのだ。
その後、カオルンはルートンの手を借りて、その友人のことだけでなく、困っている近所の人や、養護施設の子供達、病人と知り合う度に、図書館で調べ物をするようになった。
そして、一緒に読書をし、本の感想や意見を言い合ったり、助け合う仲になり、次第に親密さを増していった。
こうしてカオルンは、ルートンの本仲間の一人になっていたのだった。
焦げ茶色の髪に濃い青色の瞳をした可愛い少年。
はきはきとしていて利発で、本が大好きで。
五人兄弟の末っ子だったルートンは、弟ができたような気がして、カオルンをとてもかわいがった。
あまりの仲の良さに、幼なじみが焼きもちを焼くこともあった。
もちろん、その幼なじみもそのうちカオルンを気に入って、からかいながらも可愛がるようになったのだが。
そのカオルンが心配そうにルートンを見ていた。
だから彼は心配をかけないように、少し苦笑いを浮かべてこう言った。
「困り事というほどのことではないのだが、兄から体を鍛えろと言われてどうしたものかと」
「体力不足を悩んでいるということですか?」
「いや。人並みの体力はあると思う。
毎日徒歩通勤で往復一時間半は歩いているし、毎日重い本を移動させているから腕力もあるし」
「それではなぜ?」
「体を鍛えろというのは、おそらく防御力を身に付けろという意味だと思う。
やたら気を付けろと言っていたからな」
ルートンがそう言うと、カオルンは急にガクガクと震え出した。顔も何故か青褪めていた。
「どうした? 大丈夫か」
ルートンは驚いて立ち上がったが、彼は大丈夫だと言うと、手に持っていた本を返却カウンターに置いた。
「これ、とても役に立ちました。ガルバン卿にも参考になると思います。
今日は少し調子が悪いようなので帰ります」
「誰かに送らせようか?」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です」
カオルンは一礼すると、図書館を足早に出て行った。
ルートンは少しの間心配そうに彼の後ろ姿を見送っていたが、ふと目線を下ろした。
彼が返却した本のタイトルが目に入った。
『か弱いあなたでも身を守れる。二十の対策術』
おーっ! これだ!
ルートンはパッと目を輝かせたのだった。




