第11章 ルーツを求めて
これで本文は完結ですが、続けておまけの話を投稿します。
ルートンの言葉にアイラは舞い上がりそうになった。
なぜなら彼女の初恋の相手がルートンだったからだ。
十歳の時、初めて憧れの王立図書館へ行き、建物の壮大さや、書棚のあまりの高さに絶句した。
感動と共に、こんなに膨大な書籍の中から、どうやって目的の書籍を見つけ出せばいいのか途方に暮れた。
そんな彼女に声をかけてくれて、本の探し方を教えてくれたのがルートンだった。しかも一緒に目的の本を探す手伝いまでしてくれたのだ。
それからというもの、会うたびに分からないことを丁寧に分かりやすく解説してくれたり、お勧めの本を教えてくれた。
「これが僕の垂涎の本なんだよ」
彼にこう言われて読んだ本で、これまで外れたことは一度もなかった。
辛い毎日を過ごしていた彼女に取って、図書館でルートンと過ごす時間はかけがえのないものだった。
そこに時々、超絶華やかで高貴そうな方が現れたが、その彼とのやり取りさえも楽しみの一つとなっていった。
自分は女なのだと言ってしまいたい。時々そんな衝動に襲われることもあった。
しかし、ルートン卿はこの国の至宝と呼ばれ、王族の皆様とはまた別の意味で高貴で尊敬されている偉い方だ。
どうせ身分違い。この思いが届くことはあり得ない。
それならば本好きの友という立場があればそれだけでいい。互いに結婚するまでは繋がっていられる。
まあ、現実的には男装が続けられるまでだけれど。彼女はそう思いながら、本当の姿を隠し続けてきたのだ。
婚約破棄の場面でルートンと遭遇したのは、本当に偶然だった。
しかしあの日の偶然があったからこそ、本来の姿で今こうして彼と会話ができるようになったのだ。
しかも、後見人なってもらえるなんて夢のようだと彼女は思った。
ところが、その夢はそれこそ本当にあっという間に終わってしまった。
殿下がそのことに反対したからだった。
「アイラ嬢に後見人はいらない。彼女を養子にしてもいいと言って下さる方がいるからね」
「私を、ですか?
どなたなのですか、そんな奇特な方は」
「奇特といえば奇特な方かな。シュルツェ伯爵だよ。
君と自宅でも、治水や灌漑の専門書を読み、考察し合いたいそうだ」
「まあ!」
アイラ嬢はパアッと顔を輝かせた。
シュルツェ伯爵は治水灌漑担当大臣で、年は大分離れていたが、彼らの本仲間の一人だった。
そう。彼らの友人であり、父親であり、祖父……一人三役をこなす人物で、ダムオタクの少々変わり者で、家族の中で浮いているらしい。
たしかに彼女が彼の家の養子になったら、彼の家族は彼のマニアックな話を聞かなくて済む。彼女のためだけでなく、彼の家族にとっても良い話だろう。
そう思ったルートンだった。
✽✽✽✽
「あのう、私までご一緒させてもらって良かったのですか?」
客車に揺られながら、アイラはルートンに訊ねた。
「いいに決まっているよ。君は今回通訳兼ガイドなんだからね。
東の国の言葉を喋れて、しかも治水工事やダムの知識があるなんて、ルートン以外では君しかいないだろう?」
そう答えたのはアルストランス第二王子だった。
「その通り。君は必要要員。不要なのは僕の方だよ。
というか、僕はずいぶん前から休暇を申請していて、一人旅を計画していたんだよ。
それなのに、その日程に東の国の最新式ダムの視察を組み込んだのは殿下だ。
同じ職員同士の休みはずらして取るのが決まりだというのに」
ルートンは殿下を睨みながら言った。
アイラはシュルツェ伯爵家の養子になった後、官吏試験を受けてルートンに次ぐ若さで合格した。
そして図書館司書の資格を取った後、大好きな王立図書館の職員になっていたのだ。
「大丈夫だよ。君達二人が抜けた穴は引退した先輩方にお願いしておいたからさ。六人いれば君達二人分の働きくらいできるだろう?
もちろん手当は私のポケットマネーから出すから、公費は使わないよ。
昔から東の国へ行きたいって話し合っていたのに、一人だけ先に行こうとするなんてずるいじゃないか!
それに仲間とワイワイ言いながら行った方が楽しいぞ。
君だってダムの探訪に興味があるだろう? 文句ないじゃないか。
護衛だけに囲まれて行くよりずっといいだろう?」
(たしかにそれは言えている。
本音を言えば、本好き仲間と旅をするなんて初めてだから楽しみだ。
しかし、私は一人で東の国の本屋巡りをして、今話題の本を買いたかったんだ。誰にも知られずにこっそりと。
本屋には絶対に一人で行くぞ)
そんなことを心の中でブツブツ呟いたルートンだった。
しかし実のところ、彼の一番の目的は本屋ではなくて、とあるダムへ行くことだった。ただしそれは最新式のダムではなく、むしろかなり古い旧式なダムだったのだが。
そのダムの底には、かつてアイラ嬢のご先祖達が暮らしていたという土地が沈んでいるらしい。
毎年のように洪水の心配をしなくてはならなかった下流の村々のために、彼女のご先祖様達は村を離れた。
しかし集団で移住する場所は結局見つからず、放浪を続けるうちにみんな散り散りになってしまったのだそうだ。
その村出身の人々は皆、黒い髪に美しい青いラピスラズリ色(瑠璃色)の瞳を持っているという。
アイラが図書館に通い出して半年くらい経った頃だった。
彼女は治水や灌漑工事の調べ物が終わった後も、その流れでダム関係の書籍を色々と読むようになっていた。
そんな時、東の国のとあるダムの歴史を読んでいて、何故か胸にくるものがあった。
その理由が知りたくなって、彼女はそれこそ関連があると思えた文献をしらみ潰しに調べてみたのだ。
そしてそのダムの底に沈んだという村が、自分のご先祖様の住んでいた土地だったという結論に達したのだ。
黒い髪は東の国ではメジャーだが、ラピスラズリ色(瑠璃色)の瞳は珍しいという。あの村出身しかいないらしい。
元々曽祖父母は東の国からやって来た移民だった。商売に長けていたため、税金を沢山納めて男爵の爵位を授かったのだ、という自分の家のルーツを彼女は知っていたのだ。
いつか先祖の故郷へ行ってみたい。そう彼女は思うようになった。
その夢のために、アイルは東の国に関する本を読み漁り、言葉や文字を覚えたのだ。
そしてルートンもまた、こっそりと彼女の貸し出しカードに記された題目の本を後追いするかのように、それらを読破して行ったのだ。
なぜそんなことをしたのか当時は自分では気付かなかった。いや気付かない振りをしていた。
しかし、今ならわかる。例の秘密の愛読書の話の少年達のように、三つ年下の友人に恋をしていたのだろう。
まあ、彼の場合、その友人は結果的に異性であり、本来ならなんの障害も無く、悩む必要などなかったのだが。
(もしかしたら、自分のこの思いを幼なじみは察していて、この計画を立てたのかもしれないなあ)
ルートンはアルストランス王子やシュルツェ伯爵、そしてその他数名いる本好き仲間の官吏達を眺めながらそう思った。
視察とやらが終わったら、彼女と一緒にあのダムへ行こう。
この季節だと、ダム湖に青い空と紅葉が映えてさぞかし美しいことだろう。
そこで彼女にプロポーズをして、もし良い返事がもらえたら、湖水に向かって彼女を必ず幸せにしますと大声で誓おう。
ご先祖様達にも聞こえるように。
ルートンは頭の中でスケジュールを確認し、車窓から幸せそうに流れる景色を眺めているアイラの美しい横顔を見つめながら、そう心の中で決意したのだった。