42話 寝落ちは危険よー!
水着撮影が済んで家に帰ると、福籠梛は勢いよく玄関マットに倒れ込んだ。
「た……ただいま……」
「おかえりにゃ。お仕事行ってきて偉いにゃ。ここで寝たら風邪ひくでしゅよ、ましゅたー」
「フワフワ気持ちいい……。キーマたんもお留守番お疲れさま……。 えらい子いい子ー……。寂しくなかったー……?」
白いキマイラのキーマが猫のように可愛らしく顔や体を擦り寄せてから、梛のほっぺを叩く。ぷにぷにの肉球が柔らかくて気持ちよくて余計に眠くなってしまう。
「寝るならベッドにゃ。ここ駄目にゃ」
「あたたた。起きるわ、起きるから」
キーマに瞼を無理矢理押し上げられたり、鼻や顎にかじりつかれる。ささやかな痛みで何とか意識を持ち直して上体を起こした。
女子高生時代の自分とそっくりなホムンクルスメイドに手を引かれ、頼りない足取りでリビングまでたどり着くと、手にしていたいくつもの手提げ袋をテーブルに並べる。
「いい匂いするにゃ」
「ケータリングの残り。帰りがけに宇薄課長がすっごいたくさん持たせてくれて。スタッフさんに浄化スキル持ってる人がいたから、残ったお弁当廃棄しなくてもいいんだって。2週間ぐらいなら食中毒の心配もないって言ってたわ。便利よねー」
説明しながらまたふらりと立ち上がり、冷蔵庫から容器を取り出す。朝に作っていたお味噌汁の残りだ。コンロに持っていく前にメイドが受け取り、梛は再びソファに座らされる。目の前に淹れたての紅茶とシフォンケーキ。わざわざレンジのオーブン機能を使って焼いてくれたらしい。
お嬢様っぽくてステキ……! これが続くとダメ人間になりそうでコワいけど……!
「アンデッドを塵にしゅるスキルもこっちではただの衛生管理技じゅちゅでしゅか……」
「キーマたんとみんなも食べて。そういえば、メイドちゃん達ってご飯ちゃんと食べてるの? 冷蔵庫の中、ほとんど減ってないような気がするんだけど」
「普段はしょんなに食べないでしゅ」
「えっ?」
「食事でも栄養は取れましゅよ。でもましゅたーの魔力の方が美味でエネルギー変換効率高いにゃ」
キーマの背後で整列したメイド達が一斉に頷く。
「えっ、私の?」
魔力と言われてもあまりピンと来ない。ミラーでスキルを使う時も、リアルでキューブを呼び出す時もあまり魔力を使っている感覚がなかった。単なる気合いみたいに思っていた節がある。
「魔力って味とかあるのね。まあ、栄養とれるんならいいのかしら。でも一人でこの量のお弁当を毎日ってのはつらいし、一緒に食べてくれる方が嬉しいから、よかったら食べてー」
梛に笑顔で差し出されるが、元リッチのキーマから見れば、聖なる光で輝いているお弁当はちょっと食べるのが躊躇われる。
「ましゅたーが食べて何も起きなければ食べるにゃ」
「何で私が毒見役になってるの」
メイド達に温めてもらったお味噌汁と一緒に、お皿に盛り付け直された食事を食べ始めると、眠気もひとまず食欲におさえられて出てこないようだ。
「はあ……やっと落ち着いたー」
「なんだかお疲れにゃ。明日の学園潜入やめとくでしゅか?」
「それは絶対行くわよ!? 折角お休みも取ったのに」
やっと推しのレンに会えるチャンスが巡ってきたのに、それを逃す手はない。
お弁当を食べた梛に異常がなさそうだと判断すると、キーマはいそいそとシャトーブリアン弁当の蓋を開けて食べ始める。抜け目なく美味しそうなものを狙っていたらしい。メイド達も梛に促されたからなのか、付き合いでお弁当を食べてくれるようだ。あれこれ物色しているところを見ると、顔は自分そっくりでも、それぞれ好みが分かれているらしい。
それでもまだお弁当は二、三日分ぐらいは残っている。りゅおってぃが「スタッフが美味しく頂かんとなー」と、ニコニコしながら渡してくれたが、他のスタッフより自分の分だけやけに多かった気がする。
もしかして代役モデルの特別手当って、現物支給? 物価高で食費もかかるから助かるけど。
「リッチと魂がちゅながってるからって頑張り過ぎでしゅ。最短限界納期でダンジョンモンスターを一万体製造した時を思い出しゅて震えるにゃ……」
「そういえばキーマたんは24時間限界社畜四天王だったわね」
「ハッ!? 何言ってるでしゅか。我は今も昔もしゅこぶる可愛いモフモフにゃ」
「ちょいちょい自分でボロ出してるのに、その設定続けるの? 心配してくれてありがと。今日の仕事はすっごく楽しかったわよ」
何せ推しのアイドルグループらぶちゅるちゅと一緒に、代役モデルとして撮影に参加できたのだから。幻覚スキルでりゅおってぃになっていて、自身の姿が映る事はないが素晴らしい体験だ。
今でも瞼の裏に焼き付いている、きゅーみーちゃんのフリルドレス水着姿、ここたまとかりょびーの八重咲カサブランカが似合いそうなツーショット、番外編的にむぃまな代役さんが休憩時間に見せてくれたリーマンBL本の宇薄課長似(攻)と七草副社長似(受)の表紙キャラ、そしてばくおー様の最高に美しく鍛えられた肢体で繰り広げられる神ファンサ……。
「ヨダレ出てるにゃ。この名古屋コーチンステーキは我のものでしゅよ」
「あっ、それ私も食べたかったやつ……って、シャトーブリアン食べてたんじゃなかったっけ? まあ、慣れない仕事で思ってたより疲れたのかも。あ、キーマたんの名前決めるのに徹夜になったりもしてたわね……」
転生先がリッチなせいか疲れ具合が分かりにくいのかもしれない。明日に備えて今日はお風呂に入ったらすぐ寝よう。
「私のこと気遣ってくれるのは嬉しいけど、キーマたんはどうなのよ」
「我はしっぽの先から耳のてっぺんまで可愛いにゃ」
「思う存分モフらせてっ! ……って、そうじゃなくて、こっちの世界に召喚されてずっといるけど、魔力とか消耗してないの?」
「消耗はしゅてるでしゅ。でもこっちで顕現しゅるのに必要な魔力はほとんどましゅたーからもらってるにゃ」
「つまり私のこの疲れはそれも込みってこと?」
「そうかもにゃ」
「……その名古屋コーチン一切れ貰っていい?」
「目がしゅわってるにゃ」
キーマはそっと梛のお皿に名古屋コーチンステーキを一切れを置いた。
夕食のお弁当を食べ終わって片付けを終えたメイド達が、そばで膝をついて寄って来たかと思うと梛の服の裾をつまんでつんつんと引っぱり、じっともの言いたげに上目遣いで見つめる。
「誰がこのあざと可愛い技教えたの。キーマたん?」
「メイドしぇー作依頼しゅた貴族でしゅ。メイド機能に関係ないポージングの希望が多くて命令ぢゅちゅ式組むの大変だったにゃ。これはお腹空いたのポーズでしゅ。やっぱりお弁当だけだと稼働魔力足りないみたいにゃ」
「メイドちゃん達に何させるのよ、全く……」
梛がキューブを呼び出して次元収納を開くと、整列したメイド達が深々とお辞儀をした後、中へと入っていく。
「お片付け、ありがとー。お疲れさまー。さてと、私もそろそろお風呂入ってくるわねー」
伸びをすると梛の大きな胸もふるふるっとつられて揺れたが、そこにいたキーマは動物系バラエティ番組で譲渡会に挑む健気な猫の姿に釘付けになっていた。
しばらく番組を楽しんでいたキーマが、CMで我に返る。
静かな部屋。誰もいない。ホムンクルスメイド達も、梛もいない。
蛇口から零れる水滴。時計の秒針。電灯の電子回路の振動。
魔王が倒され四天王をやめて館に隠れていた時のように、小さな物音ばかりが耳につく。
一人で静かな研究暮らしに戻りたかったはずなのに、望んでいたより遥かに強い孤独に浸食されて、心の中から大切なものが零れてからっぽになっていく。そのくせすでに骨だけになった身にも関わらず、気持ちは張り詰めて、張り詰めて、緩めることも、休むこともできない。
緊張を解く方法が分からない。どうすれば心が落ち着くのかも分からない。己の時間は常に他人に削られえぐり取られてきた。まるで消耗品であるかのように。
それでも窓辺や庭先に訪れるつがいの小鳥や、子連れの獣達を見ると、胸の奥にほわりと暖かな光が灯る。遥か雲の上で浮かぶ聖獣が悠然と空を渡る姿に、忘れていた憧れを思い出す。
あの柔らかで尊い命に触れたい。ふわふわとした優しい癒しそのものになりたい。
そしてあの愛くるしい柔らかさに包まれた己で、同じように孤独に苛まれる誰かの胸の奥に、暖かな光を灯したい。
そうすれば、いつか張り詰めた心が緩む日がくるかもしれない。体中の力を抜いて本当に安らぐことが出来るかもしれない。
そう思っていたのに、ここに来てからめちゃくちゃリラックスしている気がする……。
梛が帰ってくるまでソファで日向ぼっこして、窓際で日向ぼっこして、フローリングでへそ天しながら日向ぼっこして液体のように溶けてる時がある。緩みまくってる。
帰宅した梛とご飯を食べながら、異世界ミラーのことや、どうでもいい他愛ない話をして、お布団でくっついて朝まで眠る。
たった数日の暮らしが、長きに渡る孤独の悩みを恥ずかしくなるぐらいあっさりと解決してしまった。
「ましゅたーはもう眠ったにゃ……?」
照れ隠しで呟くと、額の宝石を通じて梛の様子が脳裏に映し出される。
視界一面がお湯に浸かっていた。
「お風呂で寝落ちしてるにゃー!?」
大急ぎで向かうと、長いしっぽを操ってドアを開けて浴室に飛び込む。
さっき見たまま浴槽の中で梛が眠ったまま溺れかけていた。
「ましゅたー! 起きるにゃ! 溺れるにゃ!」
梛の髪を噛んで引っ張り、可愛いモフモフの手で顔を持ち上げるが如何せん体の大きさが違い過ぎて水面にほとんど持ち上げる事ができない。
「ましゅたー起きるにゃ!」
しっぽを梛の腕に巻きつけ、タイルが爪で削れるほど強く踏ん張り、どうにか口元が水面からわずかに出る。
だがこのままの状態だとすぐに自分の力が尽きて梛の体が湯船に沈んでしまう。
梛が起きる気配はない。メイド達が次元収納で魔力を補充しているせいで疲労がぶり返してしまったらしい。一人だけでも待機させておけばこんなことにはならなかったのに。
自分の力では湯船から梛を持ち上げることもできない。まさか可愛いモフモフ姿が仇になるとは思ってもみなかった。
せっかく自分を迎え入れてくれた主を、自分たちが原因で……。
失う。いなくなってしまう。
恐ろしい喪失感に、全身の毛が逆立った。
「……そんなのは駄目です。マスター! 目を開けて! キューブからメイド達を出して!」
キーマの大きな声に反応して、梛がうっすらと目を開ける。その頭上にキューブが現れた。
次元収納が展開して、浴室いっぱいに広がり、増殖したキューブが壁全体に張り付く。
囲まれた。浴室内に閉じ込められた。嫌な予感がする。
そしてその通りに、キューブから出てきたのはメイドではなく、何故か大量の海水だった。
「……!?」
あっという間にガラス張りの浴室の中が海水で満たされた。梛とキーマの体が水の中で浮かび上がる。だが状況は変わっていない。それどころか悪化している。
しっぽをさらに梛の体に巻き付けて手繰り寄せると、鼻や顎に噛みつく。ぴくりと梛の眉根が動いたが起きる様子はない。
その代わり、キューブが反応して壁を埋める次元収納の一面から何かが押し出されてきた。
ミミックだ。水中に放り出されたせいなのか、すぐに口が開いた。
そのミミックをさらに押し出すものがあった。
今度は黒いキューブだった。その角がミミックの上蓋を引っかけて、そのまま反対側の壁にぶつかっていく。反対側の次元収納に取り込まれるのかと思いきや、その面だけ展開したキューブが収束して強化ガラスが剥き出しになった。
ミミックの蓋は強化ガラスとともに粉砕され、貫通した黒いキューブはさらに浴室に押し出されていく。
割れた強化ガラスの隙間から海水が流れ出たが、黒いキューブが浴室に押し込まれていく速度の方が速い。抜け出す隙がない。
壁際に追い詰められたキーマの視界に、蓋の壊れたミミックが映る。上体を揺らめかせたリッチが魂のない眼窩でこちらを見つめていた。自分がとっくに捨てたと思っていた孤独の姿。
キーマの額の宝石が光ると、リッチの額の宝石もそれに呼応して輝きを放つ。
そしてキーマの魂は再びリッチの体へと宿った。封じていた魔力が放たれ、眼窩に威圧を放つ妖しい光が灯る。己の魔力を骨の身に行き渡らせると、梛からの魔力供給を最低限に抑える為に、契約のパスを細く細く絞り込む。
半壊したミミックから、骨を動かす魔力回路の関節をゆるめて抜け出す。キューブに裂かれた衣装も脱ぎ捨て、キーマは黒いキューブのガラスを貫通した箇所に触れた。
魔力を注ぐと黒いキューブが激しく波打ち、キーマの骨へと急速にまとわりつく。
ホムンクルス用の人工生体細胞で仮初めの受肉を果たしたキーマは、梛と白キマイラの体を抱えると、まだ魔力で波打つ黒キューブを力づくで押しのけて浴室から外へと這いずり出した。
本日もお越し下さいましてありがとうございます! まだ寒波が続いて大変ですが、いかがお過ごしでしょうか。1話から最新話まで一気読みして下さった方や数話ずつ読み進めて下さった方々もいらっしゃって本当に嬉しいです! 皆様に見つけてもらって読んで頂けるなんて本当に幸せなことだと噛みしめております。
次回更新は2月10日頃を予定しております。




