32話 遅刻しちゃうわー!
「魔王の元四天王の魂を宿せし二足歩行の獣よ! 我が呼び声に応えて疾く来たれ! 可愛さ無双! 純白のキマイラ、キーマたん召喚!!」
人差し指と中指にはさんだ金属の召喚札が輝くと、床に魔法陣の模様が浮かび上がった。
中心に光の粒子が回転しながら急速に集まる。
鈴の音のような空気の震えで光の粒子が弾けると、そこにはつぶらな大きな瞳とふわふわの真っ白い体毛に包まれたネコっぽい生き物が可愛くポーズを取って立っていた。
「我の名前呼んでしょーかんって言えばいいだけでしゅよ? なんでしゅか、そのくどい前置きとゆかいな恰好は?」
無駄に決めたポーズを取って白キマイラを部屋に召喚した福籠梛は、モフモフの契約相手にツッコんだ。
「あなただってアイドルみたいな決めポーズしてるわよ」
「我可愛いもの。これは呼ばれた時のしゃーびしゅにゃ」
「そのホスピタリティ最高よ!」
言いつつも壁掛け時計の時刻を確かめて我に返る。
「ヤバいわ、本当に遅刻する! 私会社に行ってくるからお留守番しててね、キーマたん」
「いってらっしゃいにゃ、ましゅたー。自宅警備は我に任せるにゃ」
「行ってきまーす! クローゼットとか勝手に見ないでねっ」
「我ましゅたーの乳バンドは特に興味ないにゃ」
「ブラの呼び方がおっさん通り越してひいおじいちゃんと一緒なの何で!?」
ツッコミつつも慌ただしく玄関を出ていった梛を、ぷにぷに肉球と長いしっぽを振って見送ったあと、白キマイラは呟いた。
「結局我の名前キーマなのにゃ……でもゴンザエモンとかジュゲムジュゲムはもっといやでしゅ……」
白キマイラのマスターとなった梛のネーミングセンスは、夜を徹してのネーミング会議でハイになり過ぎてちょっと偏ってしまっていた。普段ならもう少し可愛い名前が思いついたかもしれない。
「遅刻、ちこくー!」
名前の候補を考えすぎて梛はほぼ徹夜状態だったが、リッチに転生していたからか疲労は体に残っていなかった。
「走ればなんとか間に合うわよね……!」
普段は揺れる胸への視線が嫌で走らないようにしているが、今はそうもいっていられない。
エレベーターが一階につくとコンシェルジュとの挨拶もそこそこに、エントランスからモダンなデザインの中庭の方へ向かう。ここを通り抜けた方がショートカットになる。
走りながらも樹高のある木々の揺れと、丁寧に手入れされたグランドカバープランツの鮮やかさに心を引き寄せられる。今回の転生はケンタウロスだった時と違って、ずっと館の中だったせいなのか、24時間社畜リッチだったせいなのか、外で走っているだけで「これが自由なのねー!」と、開放的な気分になってしまう。
若干上の空で、サラサモクレンと木札に名の書かれた花木の角を曲がった途端、その陰から飛び出してきた相手とまともにぶつかった。
「わわっ!?」
何とか踏みとどまって、一息つく。
「す、すみません。大丈……きゃーっ!?」
衝撃の光景に梛は叫んでいた。
自分の大きな胸に相手の顔がはさまってるーっ!?
しかも中学生ぐらいの少年!
どこかぶつけたのか、梛のシャツに血が広がっている。
「本日午前9時頃、会社員の20代女性が通勤中、遅刻遅刻と叫びながら男子中学生を胸で挟む事件が発生しました。男子中学生は出血しているものの意識はあり、女性がわざとぶつかってきたと話していたことから、警察で現在20代女性から詳しい経緯を確認しています」
走馬灯の如く脳裏に勝手に流れてくるとんでもないイメージ映像。
私、胸に10代の少年をはさんで怪我をさせた痴女として、ニュースになるの……?
「う……苦し……」
「し、しっかりしてーっ!? どこぶつけたのっ!? きゅ、救急車呼ぶから……!」
「い、息、息が……」
「はっ!?」
胸に顔が埋もれて呼吸出来なくなっている。梛は急いで相手の肩をつかんで押し戻すと、吸いつくような胸のやわらかさから少年の顔を引っこ抜く。海面にやっと出られたダイバーのように石畳の上で息を継ぐと、真っ赤な顔で大きく深呼吸を繰り返す。
「どこ怪我したの? 血だらけじゃない」
光沢のあるスカジャンの背中には見事な富士山に狼の刺繍がされているが、あっちこっちに血飛沫がかかってなかなか凄惨な状態だ。
「……だ、大丈夫、です。これ全部返り血、で、俺は怪我、してなくて……」
「あ、そうなのね……って、返り血!?」
思わず少年の顔を覗き込んだが、とても返り血を浴びるような気の荒さは見えない。寧ろ、ずっと家でゲームや小説を読んでいるのが大好きな引っ込み思案タイプに思えた。
あと、よく見たら美少年っぽいわ。
「……だから、大したこと……」
視線が合っただけで、顔が赤くなってそっぽを向く少年。
「ない、です……」
「え、でも……」
「どうという事ない風に言って、きれいなお姉さんからカッコよく見られたい思春期の淡い下心です」
後からやって来た少女が、まるで業務連絡する秘書のような口調で補足する。まるで歌劇スターの養成学校にいるような長身の王子様風女子高生だ。
「べっ、別にかっこよく、とかじゃなくて、本当に大したことないって……っ」
「あらっ、もしかしてお隣さんだったかしら?」
引っ越しの荷運びの際に、挨拶してもらった覚えがある。その時はバタバタしていたので、きちんと顔は見れなかったが。女子高生がクールな笑顔を浮かべて頷いた。
「ええ、弟がすみません。血がついたシャツのクリーニング代はお支払いします」
「え、だめよ。こっちの前方不注意で……って大したことないって言ってるけど、君、鼻血すっごい出てるわよーっ!?」
少年の鼻からぼたぼた垂れた鼻血を見て、女子高生は冷静に言った。
「鼻の粘膜弱いのに喧嘩や巨乳で血圧が上がったせいですね」
「分析が冷静過ぎる! とにかくそこに座って頭下げて、喉に入った血は飲み込まずに吐き出すのよ。ティッシュを鼻に詰めなくてもいいし、首の後ろも叩かなくていいから、指で小鼻しっかりはさんで10分ぐらいは圧迫しててね」
「え、あ、はい……ありがとう、ございます……」
花壇前のベンチに座らせて少年の介抱をする梛に、女子高生の姉が尋ねる。
「すみません、お急ぎのことろお手数おかけして。鼻血はいつもの事なんですぐ止まりますから。お気になさらず行って下さい」
「いや、元々私が走ってたせいだし……」
そこまで言って、我に返る。
「あああああ、遅刻ううううう……」
両手で顔を覆って天を仰ぐ。今からだと走っても間に合わない。
「た、タクシーつかまるかしら……」
タクシーも無理なら潔く遅刻連絡するしかない。
「ごめんなさい。じゃあ、お言葉に甘えて行くわね。あ、でも出血おさまらなかったら、病院行って、私にもすぐ連絡してねっ。これ名刺渡しておくから」
少年に作ってもらったばかりの名刺を渡すと、梛はまた走り出した。中庭を抜けて車道沿いの歩行者用道路に出かけたところで背後から声が掛かる。
「シロたんさん」
振り返るとさっきの女子高生がいる。
「あら、お姉さん? どうしたの? 弟さん何かあった?!」
「いえ、弟は鼻つまんで大人しくしています。胸の感触とか反芻してないといいんですけど。まあそれはともかく、ただあなたにお礼をしようと思って」
「えっ? お礼?」
それは弟を血だるまにしたお礼参り的な事……? 実はお姉さんの方も裏でレディースの総長とかやってる……?
「わ、私、お礼されるような事してないけど……」
胸にサラシを巻いて特攻服に身を包む姿を想像しかけた梛の手を取り、女子高生が言った。
「いえ、弟がわたし以外の人とあんなにしゃべってるの見たの、久しぶりだったから」
「そうなの?」
「助けてくれる大人もいるんだって、あの子に教えてくれてありがとう」
静かな笑顔を浮かべて女子高生はそう言うと、そっと梛の手を放す。
「それじゃ、遅刻しないようにね、シロたんさん」
女子高生の足元から木々がざわめくように魔力が溢れると、その姿がふっと掻き消える。
「消えた……。今の何?」
『空間転移。長命種が使うレアスキル』
光文字がさらりと解説してくれる。
「……ここ、会社の裏口そばの公園だわ!?」
いつの間にか走りもせずに目的地にたどり着いている。
「スキル……長命種……そう言えば、私の事さっきからシロたんさんって呼んでた……」
梛をそう呼ぶのは七草双子社長か、らぶちゅるちゅのみんなぐらいだ。ボスたち関係の転生者という事になるのだろうか。
女子高生と中学生男子。クールな背の高いお姉さんと照れ屋なスカジャンの弟。
なんとなくシルエットがそれっぽい人たち、一組知ってる。
「も……もしかして、エルフの長老と補佐のひと!?」
転生者の体を借りていると説明していたから、恐らくその二人に違いない。
「そっかー……お隣さんだったのねー……」
何か起こりそうなフラグをビシバシ感じるけれど、気にしないでおこう。
おかげで会社には遅刻せずに済んだのだ。
「シロたん、どないしたんや、その格好はっ!? カチコミでもしたんかっ!?」
気分よく出社した梛は、うっかり鼻血まみれのシャツのままミーティングに向かい、りゅおってぃこと宇薄課長をのけぞらせていた。
本日もお読み下さって本当にありがとうございます! 一話から怒涛の一気読みして下さった方もありがとうございますー! ほんの少しでも読んで下さった皆様の気分転換になれますように。
次回更新は10月30日頃を予定しております。
なろうチアーズプログラムがちょっと気になってます……。




