12話 お腹空いたよー!
「紳士淑女の皆様、大変お待たせいたしました! 今宵も大変美しいものから珍しいものまでご用意いたしました。きっと皆様にもご満足頂けるものと信じております。さあ、それではさっそく始めましょう。最初の商品はかの有名な錬金術士の遺作となりました。美しきホムンクルスでございます! 500万からのスタートです!」
少し離れた場所から、さっきの髭男の芝居がかった声が競りの開始を告げる。熱に浮かされたような歓声とどよめきが檻の柵を震わせる。
いよいよ奴隷として売られてしまう時がきた。悲しみが、コボルトに転生した福籠梛の心を締めつける。
『ぐぅううきゅるるるるるー……』
お腹が空いた。
『ぐきゅうううううー……』
奴隷になる不安より空腹で悲しくなってくる。
「きゃうんきゃうんきゅーん……。……きゃんきゅううーん……」
お腹、空いたよー……。
コボルトの言葉が分からない従業員でも理解できるぐらい、切ない訴えだった。作業をしながら、奴隷の扱いに慣れているはずの従業員たちが、ちらちら梛の檻を見てしまう。
「すまんなあ、お前さん飯を食うと爆睡して起きなくなるからなあ。ボスから止められててなあ」
従業員の一人が厳つい顔をしょんぼりさせながら、通りすがりにそう呟く。
「きゅきゅーん……くぅーん(そっかあ……。でもおじちゃんがあやまらなくてもいいよー。ボスの命令は守らなきゃだもんね……)」
どうも空腹になると、コボルトの性格の方が強く出るらしい。切ない表情で檻のすみっこにちょこんと座り込む。見えないところで従業員たちがその仕草に悶えていた。
「きゃうん……」
いつまで待てば順番が来るのだろう。会場ではやっとホムンクルスとやらに1億7000万の値がついたところだ。人々の興奮が空気にのって伝わってくる。梛より前にはまだいくつも檻が並んでいた。それまでお腹がペコペコの状態で我慢しなければならないなんて。悲しくて涙まで浮かんでくる。
『くきゅーくるくるきゅー』
お腹空いたよーー……。
コン、と梛の頭に何かが当たって足元に落ちた。キョロキョロしてみつけたのは紙に包まれたキャンディだった。
「きゃうん!」
紙の結びをほどくと、中からピンク色の大玉のキャンディが出てくる。光文字が『回復キャンディ:効果中レベル。舐めているあいだは体力が少しずつ回復する』と教えてくれた。
従業員の誰かがこっそり投げ入れてくれたのだろう。嬉しくなって投げ込まれた方向を見ると、そこには猫耳美少年がいた。
「お前かよって顔すんな」
あからさまにテンションの下がった梛の表情を見て、猫耳美少年が呆れる。
「ま、てめえの好感度とかどうでもいいけどな。ガキが腹空かせて泣いてんのとか見たくねえんだよ。口ん中入れてごまかしとけ」
「……きゃうん(ありがとう)」
猫耳美少年はセクハラだが、子供にはいいやつなのかもしれない。
「こら、噛むんじゃねえぞ?」
「きゃうっ。きゅうきゅん(いけない、お腹空きすぎて一口で飲み込むとこだった)」
噛み砕きたい誘惑にかられながらも、そっと口の中に入れる。甘さが広がって途端に幸せ気分になる。
「きゃふっ! きゃはんきゃーんっ!(あまーい! お口の中がしあわせーっ!)」
「うるせーやつ……。よだれすげえな、おい」
滝のように溢れるよだれを笑われようとも、梛は口の中から美味しいキャンディを出す気は一切なかった。これで順番が来るまで何とか空腹を紛らわせられるだろう。
「ご覧下さい! この大木の如き腕と岩のような筋肉! 皆様の命を守るにふさわしい一騎当千と謳われた闘牛族の戦士! 彼は部族の食糧難を解決すべく、敢えて! 己れを売ったのです! ここにいる皆様なら部族を窮地から救える力があると信じて! それでは700万から始めましょう!」
「きゃうーん(白々しいわー)」
妖精に転生して人間に捕まった経験があるからか、それが本当の経緯でないことは何となく察せられる。胡散臭さの滲み出る口上を聞きながらも梛は思った。ホムンクルスも牛獣人も美しいとか強いとか、アピールポイントがある。分かりやすい長所は面接でも採用に結びつく強力な武器となる。
そして今の自分はコボルトの子供らしい。猫耳美少年が檻を蹴りながら言っていたのは、なんとなく覚えている。どんな姿か確認できないのでモフモフしている事しか分からないが、これは強みだ。
モフモフの子供! つまり可愛いプラス可愛い!
可愛いと言えば、昨日の昼休みに配信で見た『らぶちゅるちゅ』の新曲最高だった!
『らぶちゅるちゅ』はセイレーンとラミアと吸血鬼、ドリアードにサキュバス、インキュバスと十八禁要素満載のメンバー構成なのに、その身体能力の高さを活かしたキレッキレのハイスピードダンスと歌唱力で大人気の、異世界系アイドルグループだ。
リアルの日本だけでなく、異世界ミラーでも活動している。最初はモンスターの襲撃かと怖がられた時もあったそうだが、何せ全員魅了系スキルの持ち主である。悲鳴は一瞬で熱狂の投げ銭へと移行した。可愛いアイドルにリアルや異世界の境はないのである。
「きゃうっふっきゅーん(待ってる間に脳内ヘビロテしてよーっと)」
コボルトだからなのか、子供だからなのか、思考がすぐにとっ散らかってしまう梛であった。キャンディを舐めながらしっぽをフリフリさせていると、いつの間にか檻が移動させられて小部屋に移される。
「さあ、出て! 支度するわよ!」
セクシーマッチョな従業員にあわただしくブラッシングされ、服を着せ替えられて鏡の前でチェックされる。
『コボルト(レア個体)。体色が珍しく目立ちやすいため、魔物に追いかけ回され群からはぐれた個体。毎日逃げ回っていたので、俊敏性と隠密能力が特に高い。餌につられて奴隷狩りの罠で捕獲された』
「きゃうう……きゃわんっ!? きゃん! きゃん!? きゃんきゃーきゃん!(かわい……胴長っ! 手足短っ!? コーギーみたいっ!)」
さっそく光文字が解説してくれるが、どう見ても二足歩行するコーギー犬にしか見えなかった。先日会った伝説の魔道士ムサリスの身長といい勝負だ。真っ白なふわふわの体毛が目立つ。しっぽもふわふわで長い。梛の感情に合わせて、しっぽがブンブン振り回される。簡素な奴隷服からフリルのついたワンピースを着せられて、テンションが勝手に上がってしまうのだ。
「きゃふっ! きゃううん(しっぽ長っ! そう言えば推し声優さんがテレビで言ってた)」
コーギーのしっぽが短いのは、ドーベルマンの耳と同じく人間が切るからだ。
「よしよし、可愛くなったわ。さあ、ボスの所へ行って。幸運を祈ってるわ」
セクシーマッチョ従業員に送り出されて暗い通路を抜けた先に、まぶしい舞台が待っていた。
「それでは本日のメインイベントをご用意する間に、変わり種をご用意させて頂きました! ご覧下さい。コボルトはコボルトでも幸運を呼ぶ純白のコボルトです! 森の中で恐ろしい魔物に追いかけまわされ、空腹で倒れていたところを偶然発見されました。まだ幼く愛情を必要としているこのコボルトを、どうかペットとして温かく迎え入れて頂きたく存じます!」
「きゃうんっきゃううーうっ(あんたがボス!? お腹ペコペコなのよ! もっとご飯ちょーうだいっ!)」
髭男のご都合主義な口上に憤るものの、内容がどんどんコボルト思考に流されていく梛。
「お聞きになりましたか、この愛を求める切実な鳴き声を! この幼くか弱いコボルトに、どうかどうか皆様のお慈悲を! まだ子供ですので特別に500から始めましょう!」
「ぎゃんっ!?(安っ!?)」
かくして梛コボルトの競りがワンコインの値段でスタートした。